北海道日本ハムファイターズ 放送

北海道日本ハムファイターズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 07:15 UTC 版)

放送

テレビ

全国向け放送

1990年代当初は東京ケーブルネットワーク制作(試合日によってテレビ埼玉、または千葉テレビ放送と共同制作としたものあり)の番組を、GAORAとスポーツ・アイESPNと本数調整しながら中継した。その後はほぼGAORAの独占となるが、1999年の一時期、J SKY SPORTSと放送本数を調整して中継した試合があった他、36試合制だった頃のセ・パ交流戦では、一部のカードで地上波放送を行う局とは別の在道放送局が制作して J SPORTSで放送することがあった。

北海道

全体的な総数では各局ごとにばらつきが見られるが、特に2006年の日本一を境に中継数が大幅に増加している。これは北海道は本州と比べてCS放送やケーブルテレビの普及率が低いため、地上波テレビの中継を増やすべく放映権料を変則的にしたためである[171]。移転初年度から数年間は本拠地の試合を中心に数試合放送されることがほとんどであったが、近年ではビジター中継も積極的に行っている。

NHK札幌放送局
現在
過去
北海道放送
現在
  • グッチーの今日ドキッ!→今日ドキッ! - スポーツコーナー
  • Bravo!ファイターズ(2015年より開始のファイターズ応援番組)
  • Bravo!ファイターズ(2004年-2007年までは「SAMURAI BASEBALL」、2008年-2009年は「1BAN!!ファイターズ」。Bravo!ファイターズは前述の応援番組、今日ドキッ!のスポーツコーナーの名前としても使用。ビジター地元局への同時ネット時は、オープニングとランニングスコアに全国中継と同じ『S☆1 BASEBALL』のタイトルを使用し、『Bravo!ファイターズ』の番組名は自社エリアのみの送出とする)
    解説はOBである岩本勉大宮龍男建山義紀鶴岡慎也が登場することが多い。ビジターゲームはTBS系列局からのネット受けが多いが、時折オフチューブまたは現地乗り込みで実況を差し替えることがある。ネット受けの場合でも、ファイターズOBの岩本勉が現地局解説者とのダブル解説で出演することが多いが、楽天戦については2015年まで宮城県出身のOB金村曉(2016年から2022年まで阪神タイガース投手コーチ)が出演することがあった。
    一部試合はBS-TBSでも放送されるが、制作体制が異なり、TBSテレビのアナウンサー・解説者が担当する。BS-TBS・TBSチャンネル2(DeNA戦のみ)ではDeNAやパ・リーグ他球団主催の日本ハム戦や北海道内で他系列局が放送する日本ハム主催試合もTBSテレビ制作(球団公式映像を利用)で中継する。
過去
札幌テレビ
現在
  • ファイトF(ファイターズ)(ファイターズ応援番組)
  • どさんこワイド!!朝! - スポーツコーナー
  • どさんこワイド - スポーツコーナー
  • GO!GO!ファイターズ(2015年までは「ぞっこん!ファイターズ」。日本テレビ・BS日テレや対戦相手の地元局へのネットがある場合は、ネット局への配慮から全国ネット時と同じ『DRAMATIC BASEBALL(西暦)』として放送)[注釈 67]
    ビジターゲームは日本テレビ系列局からのネット受けが多いが、ファイターズOBの西崎幸広(2021年までは稲田直人も)が現地局解説者とのダブル解説で登場することが多い。2018年からは白井一幸も解説している。
    年度によってはBS日テレ日テレジータスで交流戦の対巨人戦(東京ドーム)を日本テレビ制作で放送するほか、2022年からはホームゲームを日本テレビ(対巨人戦のみ。共同制作扱い)およびBS日テレにもネットする。
過去
北海道テレビ
現在
  • FFFFF(エフファイブ)(ファイターズ応援番組)
  • イチスポ(イチオシ!! - スポーツコーナー)
  • イチモニ! - スポーツコーナー
  • イチオシ!ファイターズ
    解説は、岩本勉が務めることが多い。ビジターゲームでもオフチューブで実況を差し替えることがある。特に交流戦の広島戦では、広島ホームテレビが『カープ応援中継“勝ちグセ。”』として広島応援に特化しているため全てオフチューブ差し替えとなる[注釈 68]
    一部試合はBS朝日でも放送されるが、制作体制が異なり、実況は北海道テレビアナウンサーまたはテレビ朝日アナウンサーのどちらかが担当する。BS朝日では交流戦での甲子園球場の阪神主催、パ・リーグ球団および交流戦のヤクルト主催の日本ハム戦、北海道内で他系列局が放送する日本ハム主催試合も朝日放送テレビ(阪神・オリックス主催)・西武球団(西武主催)・九州朝日放送(ソフトバンク主催)・テレビ朝日(日本ハム・ロッテ・楽天・ヤクルト主催)とBS朝日の共同制作で中継する。
過去
北海道文化放送
現在
過去
テレビ北海道
現在
  • ゆうがたサテライト〜道新ニュース〜 - スポーツコーナー(毎週木曜日だが、他のスポーツも含む)
  • TVhファイターズ中継
  • 一部試合はBSテレ東でも放送されるが、地上波との同時ネットで放送する試合はテレビ東京との共同制作で放送し(テレビ東京から実況アナウンサーと解説を派遣する。)、交流戦の対阪神戦をテレビ大阪が放送(地上波関西ローカルとの同時ネット)する場合はテレビ大阪・テレビ東京・BSテレ東制作で放送する(テレビ大阪から実況アナウンサーと解説を派遣する。)。なお、BS単独または北海道内で他系列局での放送する時にはテレビ東京・BSテレ東制作で放送する(テレビ東京側で実況と解説を用意する。)。
過去

道内の地上波局が全てファイターズ主催試合の放映権を持っていることも特筆すべき点である。中でも2008年まではテレビ北海道が一番力を入れていた[注釈 70]

ただし、テレビ北海道は札幌旭川函館室蘭を中心にした道央と道南のほぼ全域、道北の一部でしか見ることができず、帯広北見釧路稚内を中心にした道東全域、道北の一部では見られないことから、これらの地域の視聴者からの苦情が少なくなかった。特に2006年のプレーオフ第2ステージ第2戦で優勝を決めた時はテレビ北海道が中継していたため、大量の苦情が殺到した(HBCラジオとSTVラジオでは聴取可能だった)。

その後テレビ北海道は、地上デジタル放送設置経費増加に伴う制作費削減に伴って2009年は原則として中継を行わず、2010年も試合中継数が少なかった。2011年には前年に総務省から「後発民放支援スキーム」の名称で後発民放の置局格差解消に伴う開局費用が補助されることを契機に道東の一部でも開局することになり、釧路放送局開局記念特番として3年ぶりに自社中継が復活。その後2015年12月に道東地方のごく一部を除いてテレビ北海道が全道で視聴できる体勢となった[172] ことから、苦情の数は次第に収まっていった。

しかし、東京ドームでの主催ゲーム(制作協力:テレビ東京、映像協力:東京ケーブルネットワークTCP)については2012年まで放送実績がなかった。

  • 2009年9月26日にソフトバンク対日本ハムの中継を行った。また、11月8日に日本シリーズ第7戦・北海道日本ハムファイターズVS読売ジャイアンツを放送する予定だったが、第6戦で巨人の日本一が決まったため、第7戦が開催されず放送されなかった。
  • 2010年は3試合中継を行った(主にTVQ九州放送からのソフトバンク戦をネット受け)。
  • 2011年は5試合の中継を行った(ネット受け2試合、自社制作3試合)。
    備考
    2006・2007年の優勝パレードは、全局優勝パレード中継を生放送した。2009年はNHKを除く全民放が互い違いに放送した。2012年は札幌テレビ・北海道テレビ・北海道文化放送が生放送、北海道放送がパレード終了後の午後3時から録画放送を行った[注釈 71]。NHK札幌放送局・テレビ北海道は放送なし。
    ビデオリサーチ社の視聴率調査で北海道の2012年4月期の高視聴率番組トップ10が全てファイターズ戦の中継で1位が30%という快挙を達成し球団の密着度と人気がうかがえる結果となった。
    その他
    テレビ東京
    • 東京12チャンネル時代に『戦国ナイター』で一部試合を放送していたが、その後しばらく主催ゲームの中継が途絶えた。
    • 1990年代後半から、日本ハム提供でテレビ中継を再び行うようになった。また、1996年度から2003年度の8年間に渡って、『超野球ファイターズ』という日本ハム提供の球団情報番組を、毎週日曜日に放映していた。
    • 札幌移転後の2004年4月からは内容を全面的に一新し、球団監修のミニアニメーション番組『超ぽじてぃぶ! ファイターズ』をテレビ東京とテレビ北海道で放送した。開始当初の半年は日本ハムの選手(実名で登場する)をデフォルメしたギャグアニメーション形式だったが、同年10月の放送からストーリー性を重視して「闘魂野球伝」シリーズ、さらに監督が岸誠二に代わり2005年度上半期は北海道の野球少年やファンとの友情を描いた「燃えるぜ!焼けるぜ!」シリーズ、下半期は「燃えるぜ!焼けるぜ!」のメインキャラが野球勝負でファイターズ以外の11球団を擬人化した魔人にさらわれたファイターズ選手達を救出する「11魔人」シリーズを放送し、2006年3月に終了した。
    • 過去には、テレビ北海道など系列局への制作・技術協力を実施している。
    テレビ埼玉
    • TVSヒットナイター(日本ハム主管試合、および一部ロッテ主管のビジターのうち、平日開催の多くを中心に放送。西武主管のビジターについては「TVSライオンズアワー」として放送されることがあった)
    • FIGHTERS EXCITING NETWORK(1995年 - 1997年。球団公認番組)30分番組で、司会はポップコーン正一正二
    千葉テレビ放送

ラジオ

北海道
HBCラジオ
現在
過去
  • おぢさんツインカム
  • にちようサウンドボックス
    • 携帯サイト『HBC熱闘!スポーツ』も運営していた(2010年1月 - 3月)。
    • 『ファイターズ中継ナンバーワン』「120%応援実況」をスローガンに年々中継試合数を増やして2007年からは公式戦はほぼ全試合を中継し(ネットの関係で東京ヤクルトスワローズとのビジターゲームを中継できないため、全試合はヤクルト戦がホームになった2016年しか達成できていない)、時には敵地にも自社アナウンサーを派遣する熱の入れようである。さらに試合後やオフシーズンにも応援番組も充実させている。
    • ファイターズ戦中継を増やし、STVラジオとの差別化を図ったことが聴取者から支持され、聴取率でSTVラジオを破った。
  • 建山義紀の「ほな、ウチおいで!」
  • ミュージック&スポーツバラエティ サンデーストーリー
STVラジオ
現在
過去
  • ぞっこん!スポーツ(みのやと幸代のときめきワイド)
  • アタックナイター直前情報(牧やすまさのスーパースクランブル)
  • ナマスポ!(News&Sportsチャートなまらん)
  • なまらん
  • 月刊梨田のはなしだ
  • スポーツトレイン(オハヨー!土曜日
  • オハヨー!チェック・ザ・チェック、オハヨー!朝からファイターズ、オハヨー!スポーツ情報(「オハヨー!ほっかいどう」内)
※2007・2008年度は、ナイターはホームの全試合とビジターの大半、日曜日のデーゲームを中継していた。2009年 - 2012年は札幌ドームのナイターを中心に放送し、ビジターはヤフードームのソフトバンク戦など一部の試合のみ放送。その他は全国ネットの巨人戦またはヤクルト戦を放送。2010年からデーゲームはワイド番組を優先する関係で、主管試合でも2015年の平日(祝日及び地方開催)を除き放送することがなくなった。2013年は「ファイターズ公式戦はナイター開催に限り、全試合中継」を宣言。背景には長年聴取率調査で首位の座にいたが、HBCラジオに2012年12月調査で譲り渡したことがある。2017年よりファイターズ戦全試合中継を行うようになった。
AIR-G'
現在
  • FIGHTERS THE RADIO TIME.
過去
FM NORTH WAVE
現在
  • G1sports(G1-MOTION)
  • DAY-TIME TRIPPERS(木曜日)
過去
  • Weekly Fighters Press
その他
文化放送
現在
過去

インターネット中継

2006年6月16日に「Yahoo!動画」上でインターネット配信を開始し、シーズン後半の1位通過争いやプレーオフの時は回線がパンク状態になった。SHINJOの引退セレモニーも中継したが、GOGOファイターズがずっと流れていた。2007年はオープン戦から配信している。CS放送のGAORA映像を使っている。

映画

2019年2月15日には、北海道日本ハムファイターズ誕生15thプロジェクト ドキュメンタリー映画『FIGHTERS THE MOVIE 〜Challenge with Dream〜』を公開。配給はアスミック・エース。ナレーションは、北海道出身のSHOKICHIEXILE)、三好絵梨香音尾琢真TEAM NACS)が担当した。

補足

  • 東映時代、同一資本系統の日本教育テレビ(NETテレビ。現在のテレビ朝日)がテレビ中継の優先権を確保していた。球団が日拓→日本ハムとなった後、関係は緩やかに縮小され、1990年代以降は上述の通りテレビ東京などとの結びつきが強くなっていった。
    • 1970年代後半のNETテレビ→テレビ朝日との関係が縮小された時、日本テレビフジテレビでも主として週末に開催される後楽園球場での主催試合を多数放送したことがあった。もっとも、日本テレビは、同じく後楽園球場を本拠地とし、かつ独占放映権を持っていた読売ジャイアンツの主催試合と同様の制作体制が取れたことから、中継本数が多かった。一方、フジテレビは解説者に球団OBの土橋正幸を中心に起用していた。TBSは東映時代の1950年代と東京ドーム時代末期にデーゲーム中継をわずかながら放送した。
  • 東京ドーム関連のCATV(東京ケーブル)制作ナイター番組をテレビ埼玉(過去には試合により千葉テレビ放送にも)・GAORA毎日放送系列のCS)・日テレジータス(日テレ系列のCS)が購入して放送(日テレジータスは実況と解説を日本テレビの独自制作に差し替え)。北海道移転後もGAORAで引き続きナイター中継が放送されている。日本ハム本社は、GAORAに開局当初から出資している主要株主である。
  • 1990年代初め頃、エフエム富士(当時はJFN加盟)が不定期で放送していたラジオ番組『FIGHTERS ROCKS&BASEBALL』があり、日本ハム情報とロック音楽を放送していた。それを同タイトルでテレビ化した番組が1992年秋頃から1994年頃まで、テレビ埼玉制作で同局とテレビ神奈川・千葉テレビ・びわ湖放送の4局でネットしていた。
  • この他、北海道内のコミュニティFM放送局でも以下の番組が放送されている。
    • 三角山放送局(札幌市西区 サイトはこちら):金子誠の 『週刊マック』
    • FMわっぴー(稚内市)・AIRてっし(名寄市)・FMもえる(留萌市)・FMウイング(帯広市)・FM-G'SKY(滝川市)・さっぽろ村ラジオ(札幌市東区)・FMパンプキン(恵庭市):「ナイス!ファイターズチャンネル」
    • FMメイプル(北広島市エリア)聴いてよメイプル…GOGOファイターズ!!

注釈

  1. ^ これは、読売ジャイアンツの前身の東京巨人軍が巨人の愛称で呼ばれることを受けて、鈴木惣太郎が「他の球団も巨人と同じように愛称で呼ぶことにしよう」と考え、大阪タイガース猛虎、セネタースを青鞜、パシフィック太平と命名した名残である。しかし、巨人以外の他球団が愛称で呼ばれることを拒否したため、定着しなかった。
  2. ^ 東急の参事で強羅ホテル社長・猿丸元が、小林次男(横沢三郎の兄)の仲介で、五島慶太永田雅一を会わせてフィフティの合併、急映フライヤーズを誕生させた[8]
  3. ^ この年の深見は西鉄で2本塁打、東急で23本塁打を放っており、2018年終了時点で日本プロ野球史上唯一の「同一年度に複数球団の在籍経験がある本塁打王」である。
  4. ^ 1985年2月、東映不動産株式会社に吸収され、東映興業不動産株式会社となる(東映興業不動産は、2006年11月に東映へ吸収され消滅)。
  5. ^ 西村は現在の日拓グループ社長でもある西村拓郎の実父で、拓郎の妻・神田うのの義父に当たる。
  6. ^ 同年11月10日付の朝日新聞が「日拓、日本ハムに身売り」とスクープした。
  7. ^ なお、退任した土橋は、フジテレビニッポン放送野球解説者を経てフジテレビと資本関係のあるヤクルトスワローズでコーチや監督を務めた。
  8. ^ 江夏はこの年、当時存在した全12球団からのセーブを達成。
  9. ^ 近鉄のリーグ優勝は1979年1980年共にプレーオフ制覇である。大洋のその時点でのリーグ優勝は大洋ホエールズ時代の1960年阪神甲子園球場でのみ。
  10. ^ ロッテが毎日オリオンズ時代に日本一になった1950年の日本シリーズフランチャイズ制導入前、近鉄に至っては1度も日本一になることなく、消滅した。
  11. ^ 西崎は球団とのFA交渉を控えていた矢先、西崎本人は宣言せず残留するつもりだったのだが球団から突然のトレード通告に報道陣からのインタビューでもショックを隠しきれず会見では涙を流した。この年右投手では最多登板を果たした長冨も戦力外に近い形で金銭トレードに出され、金石が球団に「西崎・金石・長冨の放出は落合の高額年俸を捻出の為だけでは?」と詰め寄る場面があり(落合の年俸が3億円で、金石が1億5000万円・西崎が1億3000万円・長富が4800万円だった)、広瀬も落合の入団で玉突き的にポジションを奪われ、契約更改で「複数年契約するべきだった」と後悔する場面があった
  12. ^ ロッテが毎日オリオンズ時代に日本一になった1950年の日本シリーズフランチャイズ制導入前、近鉄に至っては、1度も日本一になることなく、消滅した。
  13. ^ パ・リーグの他球団主管の札幌ドームの試合は日本ハム移転直後の2004年以後行われていない(西武球団も、その後親会社・西武鉄道の証券取引法違反問題や球団自体がアマ選手に「栄養費」名目で裏金を渡していた問題など不祥事が相次いで発覚したことから札幌開催どころでは無くなり、2008年シーズンからはチーム名を「埼玉西武ライオンズ」に改めて埼玉への地域密着を図る姿勢に転換したことで札幌開催を事実上放棄した)。セ・リーグでは巨人が2009年ごろまで夏季の北海道遠征をしていたが、2010年からはセ・リーグ球団の主管試合も組まれなくなった。
  14. ^ 継投による完全試合は参考記録である。
  15. ^ 田中賢介工藤隆人紺田敏正鶴岡慎也
  16. ^ 1981年は当時の本拠地・後楽園球場プレーオフ優勝、1962年のリーグ優勝は東京スタジアムで行われた大毎オリオンズとの試合中にダブルヘッダー1試合目だったマジック対象チームの南海ホークス近鉄バファローズに敗れたことによるものである。
  17. ^ 前身を含めない場合、千葉ロッテマリーンズのみ1970年のロッテオリオンズ時代にしか年間勝率1位によるリーグ優勝を本拠地で決めていない(ジプシー・ロッテ時代にプレーオフ優勝を当時の本拠地・県営宮城球場で決めた1974年は除く)。なお、オリックス・バファローズはこの14年後に達成している。
  18. ^ 鶴岡慎也(捕手)、髙橋信二(一塁手)、田中賢介(二塁手)、小谷野栄一(三塁手)、金子誠(遊撃手)、稲葉篤紀、糸井嘉男(以上外野手)。
  19. ^ a b 他球団への移籍を1度も挟むことなく、球団名に「北海道」がつく前の旧・日本ハム時代から一貫して日本ハムに在籍し続けているフランチャイズ・プレイヤーでもある。
  20. ^ 前年の2012年からの連敗は13。
  21. ^ 金子千尋から登録名を変更。
  22. ^ 年間最高勝率は西武とのプレーオフで敗退した1982年を含む8回。
  23. ^ 2021年は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から延長戦が無かった。延長戦がある年では1984年の13分が最多。
  24. ^ 作道烝大下剛史大橋穣張本勲大杉勝男の5者。作道の本塁打は代打満塁本塁打。
  25. ^ 2010年シーズンに中日ドラゴンズが記録して以来。
  26. ^ 1942年シーズンに阪神軍が記録して以来。
  27. ^ 3位は1977安打の毒島章一
  28. ^ 2004年までの12球団では唯一(球団最多勝利投手は162勝の土橋正幸)。
  29. ^ NPBでは継投によるノーヒットノーランは認められていない。
  30. ^ 当時ロッテは宮城球場を暫定的に本拠地としていたが、将来の首都圏への再移転を前提に約半数の試合を後楽園・神宮・川崎で開催していた。このため、ロッテ主催の日本ハム戦が後楽園や神宮で開催されることがあった(ジプシー・ロッテも参照)。
  31. ^ 対戦相手のロッテは、日本ハムがブラックを基調とした特別ユニフォームを着用するのに伴い、普段のブラックのビジター用ユニフォームではなく、ホーム用のストライプユニフォームを着用。
  32. ^ 当時の北海道の市町村の数。
  33. ^ 現在の北海道の市町村の数。
  34. ^ 2003年8月の東京ドームでのホームゲームは盆休みの3日間だけ(同月には札幌ドームでの地元お披露目を兼ねた6連戦をしたこともある)だった。
  35. ^ アメリカ合衆国ではオレゴン州ポートランドで、1975年から1982年まで北米サッカーリーグのポートランド・ティンバーズとAAA級のパシフィックコーストリーグに所属するポートランド・ビーバーズが、また、2001年から現在までユナイテッドサッカーリーグのティンバーズと同じくビーバーズが、共にPGEパークをホームスタジアムとして使っている。アメリカではメジャーリーグベースボールアメリカンフットボールNFLの本拠地を共有する事例がある。
  36. ^ 日本ハムの場合、監督は現場の指揮・采配に集中、チーム編成は情報を共有しているフロントが担当、管理している。また、戦力は全選手が前提というシステムであるためBOSで好評価でも使われない(干されている)選手をフロントが強制的に一軍昇格させ、起用を巡って監督とトラブルになることも起きている。
  37. ^ 日本ハムの国内独立リーグ出身選手としては、海老原以前に2009年のドラフト会議で四国・九州アイランドリーグ徳島から支配下枠6位で指名した荒張裕司(2016年引退)がいた。
  38. ^ 土橋の場合、選手・コーチ時代から在籍を継続する形で務めた日拓時代の1度目の監督を辞任した後、野球解説者を務めたフジテレビニッポン放送との縁でヤクルトでコーチ・監督を務めた経験があるため、指導者・職員を含めての他球団経験がない人物となれば皆無となる。
  39. ^ 1988年に中日から移籍。26年間中現役を引退するまで7年間在籍した。
  40. ^ 2004年にニューヨーク・メッツから移籍、2006年に現役引退するまで3年間在籍した。
  41. ^ セ・リーグでは巨人が「エース或いは4番を経験した巨人一筋の完全生え抜きOB」に事実上監督を限定している他(ただし、藤田元司のようにコーチでの他球団在籍経験者が就任した事例はある他、結果的に実現しなかったが、選手としては巨人の完全生え抜きで、他球団のコーチ・監督経験者である森祇晶や、外様の星野仙一の就任が取り沙汰されたことがあった)、広島も松田元がオーナー代行に就任して以降は監督だけでなくコーチも生え抜きを最優先する人事となっている。逆に阪神やDeNA、ヤクルトは日本ハムほど徹底していないが生え抜きにこだわらない姿勢が強く、中日のように2オーナー制と複数の新聞社の統合による経営陣内部の派閥の醸成の影響で、新愛知(大島家)系は生え抜きOB重視、名古屋新聞(小山家)系・東京新聞系は外様に寛容的といった二面性を持っている事例もある。一方パ・リーグでは球団の売却や合併が多かったこともあり、長期にわたってOBの監督にこだわっているのは大阪本拠時代の南海(福岡移転後は、南海時代からの杉浦忠〈コーチでは近鉄にも在籍〉・藤本博史〈現役晩節にオリックスにも在籍〉を除いてホークスで選手生活をスタートさせた生え抜き選手OBの監督が誕生していない)と、西鉄時代からの完全生え抜きの東尾修の監督就任以降、途中堤義明オーナー退任を挟んでの西武のみである。
  42. ^ アリストテレスが唱えた、人を説得し動かすための3要素。
  43. ^ アイヌ語で“ファイターズ”
  44. ^ 2014年からラッキー7では上杉周大(THE TON-UP MOTORS)、「We love HOKKAIDOシリーズ」ではFIGHTERS×YUKIMIKUとして地元出身(設定)の雪ミクのカバーバージョンが、それぞれ流されている。
  45. ^ 現在、札幌ドームでの主催試合の勝利時の試合後に流されている。
  46. ^ 現在、宮城球場限定の小谷野栄一の応援コールで同じスタイルが使われる。ただし、宮城球場では笛が使えないため、笛の代わりに太鼓を用いて「ドンドドンドドンドドン栄一」としている。
  47. ^ ダルビッシュ有は専用の応援歌が用意されていた。
  48. ^ 逆転・勝ち越しの時は、「ファイターズ讃歌」。
  49. ^ 東京ドームの主催試合のみ、基本的に移転前のスタイルが継続されている。ただし、2007年以降には太鼓を使うようになった。
  50. ^ 途中で男性パートと女性パートに分かれる。また、クライマックスシリーズ限定で関東以外の球場でも披露された。
  51. ^ 2008年と2009年のクライマックスシリーズと2009年の日本シリーズでは、両方とも使われた。
  52. ^ 2006年までは銀色だった。また、「WE LOVE HOKKAIDOシリーズ」では銀と青の2色で、2009年5月の「ファミリーシリーズ・さくらまつり」ではピンクメタリック、10月の「炎の最終シリーズ」ではレッドメタリックのテープが発射された。
  53. ^ 2012年の解禁時から2014年の途中までは金色の風船を飛ばしていた。
  54. ^ 前期に使ったユニフォームは基本的に東映時代のデザインを踏襲したものだが、袖や襟のラインに使われた赤と青が入れ替わるなど、若干のマイナーチェンジが施されていた。
  55. ^ 当時の中日ドラゴンズのホーム用ユニフォームのデザインに近い。
  56. ^ 投手:高橋直樹、捕手:加藤俊夫、一塁手:柏原純一、二塁手:富田勝、三塁手:古屋英夫、遊撃手:菅野光夫外野手ミッチェル千藤三樹男で、外野手の残り1枠は阪急の福本豊
  57. ^ この2人は怪我以外の理由で出場辞退した初のファン投票選出選手となった。
  58. ^ 札幌移転前のラッキー7のBGMであり、移転後も2008年までは5回裏に応援団のトランペット演奏で流していた。
  59. ^ 2011年は従来通り8試合を行う予定をしていたが、東日本大震災による計画停電の影響を受け、3月29日 - 3月31日の日本ハム主催の3試合が中止となり、その振替試合は全て札幌ドームで行われ、東京ドームでの主催試合は5試合となった。
  60. ^ 2016年も当初は従来通り8試合を行う予定であったが、2016年4月1日の対ソフトバンク戦については、当日に東京ドームでμ'sのファイナルライブが開催される予定であること、また静岡県と静岡市から公式戦開催の要請を受けたことにより、急遽日程を変更し、東京ドームから静岡県草薙総合運動場硬式野球場での開催に振り替えることになった。
  61. ^ 2005年のオープン戦で、このカードの東京ドームでの試合が組まれたケースはある。
  62. ^ 但し実際は、東京ドームで主催試合を行う場合は現在も東京都を保護地域とする巨人、ヤクルト両球団の許可が必要となる。
  63. ^ 2020年も1試合予定されていたが中止となった。
  64. ^ 前身の後楽園を含め、オープン戦や1981年の日本シリーズなどで三塁側のベンチを使ったケースは多数ある。
  65. ^ 公式戦で実数に近い数値の発表を開始した2005年以前にも実数発表をおこなっていた日本シリーズでは、1985年の第4戦で51,554人という数字が残されている(これは現在でも日本シリーズ1試合における最多観客動員記録)。なお、球場改修を経た現在の最大収容人数は42,600人程度に減らされており、5万人超にはならない。
  66. ^ 道内の中継局で唯一、長らく北海道移転後のチームのOBの解説者が居なかったが、2020年より田中賢介が解説者として就任した。
  67. ^ BS日テレでの放送分でも2022年5月20日放送分ではランニングスコアのみ『GO!GO!ファイターズ』がそのまま使われたが、その後の放送では『DRAMATIC BASEBALL 2022』に修正された(2022年5月28日放送分は、関東地区でも地上波放送の対巨人戦のためスコア表示の送り出しを日本テレビが担当)。
  68. ^ 広島ホームテレビと同内容の中継はJ SPORTSで視聴可能。
  69. ^ 阪神戦も同様の権利だが放送された実績がない。
  70. ^ これは、テレビ東京系列自体のゴールデンタイムにおける全国ネット番組の縛りが緩く、まとまったローカル差し替えが容易なためといえる。同じ系列のTVQ九州放送も同様の傾向で福岡ソフトバンクホークスの中継に積極的である。
  71. ^ 北海道放送は、パレードの時間帯はTBSテレビの『王様のブランチ』を放送。

出典

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