北海道日本ハムファイターズ チームの特徴

北海道日本ハムファイターズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 07:15 UTC 版)

チームの特徴

  • 通算3度の日本一はいずれも初戦を落としてから4連勝で決めている。

東京時代

  • 戦前の東京セネタースとは資本の面でも球団系統の面でも関係ない。ただし、セネタース時代の節にあるように、東京セネタースの後継を目指して設立された球団である。
  • 1947年から1973年に使われた愛称「フライヤーズFlyers )」は「空を飛ぶ者」、「飛行士」、「急行列車」、「跳躍」などの意味がある。当時の球団オーナーだった大川博が、「新しい出発に飛躍を期する」という意味を込めて命名した[114]。水原監督時代のホーム用ユニフォームは、「FLYERS」の「F」の部分が空を飛ぶ鳥の隠し絵になっていた。「フライヤーズ」の商標は現在も東映が保有し、2007年まで東映アニメーションの公式サイト内告知・イベントレポート欄で使われておりサイトの開設当初は隠し絵のロゴもそのまま使われていた。
  • 1974年から使われている「ファイターズFighters )」は「闘士」の英語から取った。略号は「F」。「ファイターズ」の名は公募によるもので、名付け親となったのは岡山県の女子高生であり、「同郷(岡山県出身)の大杉勝男選手が、ガッツがあるファイターだから」というのが命名理由である(ファイターズと名付けた人は、後の本拠地となる北海道を含めて多数いたが、女子高生が名付け親になった決め手は、この命名理由が大きいと言われている)。しかし、大杉はわずか1シーズンでトレードにより、ヤクルトスワローズに移籍している。
    • なお公募された愛称の中には「ジャガーズ」(ヒョウ)、「イーグルス」(ワシ)、フェニックスなど、動物名が多く、全体の38%、中には「モモタローズ」(桃太郎)、「キンタローズ」(金太郎)、「ドリフターズ」(漂流者。当時人気のザ・ドリフターズに因む)など愉快な物もあり、またハム会社だけに「ウインナーズ」(ウインナーソーセージ。これに「勝者」を意味する「ウィナー」をかけている)、「サンドイッチ」、「トンチャン」(ブタ)、「エッグス」()などもあった[115]
  • 1962年にパ・リーグを制し、日本シリーズで阪神を破ったがこの時、オーナーの大川博は背番号100のユニフォームを着て優勝パレードに参加。さらに親会社の東映が「東映優勝 背番号100」なる記録映画を制作し、全国東映系で上映した。
  • 1987年までのフランチャイズ球場は巨人と同じ後楽園球場だったため、日程面でどうしても不利な面が多く、日本ハムと巨人の後楽園での同日試合開催は極力組まれていなかったが、それでも同日開催の場合(特に共に前年Aクラスでセ・パ同日開幕戦の時)は日本ハムがナイター、巨人がデーゲーム(当時の巨人は日曜日のデーゲームも珍しくなかった)という原則があった。ただし、日本ハムは猛暑の時期を除き、土、日曜はデーゲーム開催で、小学生のファンクラブ(少年ファイターズ会)の会員が外野スタンドに集結し、観客動員の集客を図っていた。日本ハムはプロ野球界でのファンクラブの先駆けだった。同時にパ・リーグ初のマスコットキャラクター「ギョロタン」も登場した。
  • 先述の通り、後楽園・東京ドーム時代、試合日程は常に巨人優先で組まれていたため、都市対抗野球による遠征のしわ寄せをまともに受け、その長さは阪神の「死のロード」に匹敵するものだった。1996年、1998年前半首位を走っていたが8月に失速して優勝を逃している。特に8月は子どもが夏休みなので、家族連れが多く来る稼ぎ時として巨人の試合が多く組まれ、日本ハムはロードを余儀なくされた[注釈 34]

北海道時代

  • 2004年に専用球場を札幌ドームに移転したが、札幌ドームは既に2001年度からプロサッカーJリーグコンサドーレ札幌がホームスタジアムとして使っていた(札幌厚別公園競技場と併用)。プロサッカークラブとプロ野球チームが同じスタジアムを使うのは日本初の事例で[注釈 35]、コンサドーレが宮の沢に事務所を移転する2014年1月末ごろまでは日本ハム・コンサドーレそれぞれの事務所が札幌ドーム内に併設されていた。2006年には、コンサドーレとの共通入場券も発売している。
  • 札幌ドームでは、施設のレイアウト面やアクセス面で三塁側の方が便利であり、スコアボードとして使われている電光掲示板が三塁側からの方が見易かったため、ホームチームが三塁側ダグアウトを使う。一軍ホームチームが三塁側ダグアウトを使うのは日本ハムが初である。現在では西武と楽天が同様に三塁側を使用している[116]。なお、東京ドームや道内の地方球場で開催される主催試合では一塁側ダグアウトを使用することがあり、東京ドーム・旭川・函館では一塁側[117][118][119]、帯広・釧路では三塁側[120] を使用する。また、準本拠地以外の地方球場主催試合では、那覇では一塁側[121]、静岡では三塁側[122] を使用するなど球場ごとに使い分けられている。
  • キャンプの調整方法は全体練習より個人練習に重点を置いており「投げ込みをさせずに質の高い投球を重ねる」「ゲームで与えられるであろうシチュエーションを意識して練習に取り組む」方針で長い時間の練習はあまりせず、選手には自主性・積極性を尊重し、選手が課題をあげそれをどうしたら解決するかまず自分で考えさせ、コーチにどういう練習をしたら良いかと自ら相談に行きアドバイスをもらうというシステムである[123][124]
  • 監督は契約締結時に3年の契約を結び、それ以降は1~2年単位の契約更新という形を取っている。理由としては長期間の契約を結びその監督の考えをチームカラーとして定着させるよりも、定期的に監督を入れ替えて新しい視点、考えを入れた方がメリットがあると考え、初期の契約が2年では考えそのものが選手に浸透しにくいと考えたためである。

情報システム

ベテラン生え抜き選手や主力選手であってもトレードされる事があり(近年では金村暁マイケル中村髙橋信二糸井嘉男など)、その根拠となっているものは「ベースボール・オペレーション・システム(BOS)」という情報システムである[125]。これは所属選手をセイバーメトリクスを元に成績・年俸・年齢によって主力、控え、育成、在庫の4種類に分類し、現場とフロントがチーム編成に関して客観的な数値に基づく共通の理解のもと、若手を適正かつ監督・コーチ変更の度に指導方針が変わってしまわないよう次のコーチに引き継がせる、ベテランを適宜放出することで、年俸総額を抑えながらチーム力を維持、登録選手全員を戦力として活用する事を目標としたものである[125]。BOSは千葉ロッテマリーンズ福岡ソフトバンクホークス[126]読売ジャイアンツ[127]横浜DeNAベイスターズにも採用されているが、北海道移転後初代のGMだった高田繁を同職に招き日本ハムに倣っているDeNA以外は「あくまで選手起用の決定権は監督にある」(BOSを重用しすぎて監督の仕事を奪いかねない)と参考程度である。[注釈 36] 過去にスキャンダルを起こした選手(特に二岡智宏など)についても、「獲るべき選手を獲る。名誉挽回のチャンスを与えることが、球界全体にとって必要。(山田正雄前GM)」[128]と大らかでこだわらない方針である。背景には、低コストで戦力を整えるためには「何らかの事情でもなければ、良い選手を獲るのが難しい(同GM)」という判断がある。また、同時に教員経験者を採用して若手の生活面の指導にあたらせるなど一般的な教養・常識面を含めた選手教育にも力を入れており、そのような環境構築の実績・経験があるからこその方針ともいえる。その一方で、暴力事件を起こした後に巨人へトレード放出された中田翔のようなケースもある。コーチについては「選手・コーチ間で上下関係を無駄に構築しない」「自分を手本とした指導ではなく選手の特長を見極め長所を生かした選手作り」、「レポート提出による指導方法の回顧・改善」等コーチ技術の指導もしている[129]。また、他の11球団が採用している「育成選手制度」を長らく唯一採用しておらず、2018年1月時点で育成契約選手は皆無であった。しかし、2018年度ドラフト会議において、球団史上初の「育成契約選手」としてベースボール・チャレンジ・リーグ富山より海老原一佳を指名した[注釈 37]。これにより、育成契約を採用しない球団は皆無となった。

チームの監督の人選について

こうしたシステムによる生え抜きを重視しないドライな人事は監督人選にも反映されており、日本ハム経営後は特に顕著となっている。親会社製品の主な購買層が主婦層という事情もあり、目立ちやすい立場にある監督人選においては、生え抜き・外様問わず購買層である主婦層にも好まれる爽やかなイメージを持った人物が選ばれる傾向にある。

日本ハム経営後四十数年の間、完全生え抜き(同球団で選手生活を全うした)の監督は土橋正幸[注釈 38]のみの上、土橋は前身の東映時代に入団のため、「日本ハムの経営になってから入団した完全生え抜きOB」の監督はまだ就任実績がない。また、途中加入・移籍を含めて球団に選手として在籍した経験のある監督でも大島康徳[注釈 39]や北海道移転後に入団した新庄剛志(BIGBOSS)[注釈 40]がいる他は全員が他球団選手の出身である。これは前身のセネタース・東急・東映・日拓時代でも選手からの生え抜き監督は東急時代の保井浩一のみで、プロ選手経験がなく、かつ他球団指導者経験がない人物を含めても、同じく東急時代の安藤忍との2名のみであり、球団設立以来の傾向ともいえる。これほど徹底した例は他の11球団には見られない[注釈 41]

球団の観客増加戦略

北海道移転後、球団は以下の観客増加策を打ち出し東京ドーム時代よりも大幅に観客が増加した。2016年には1993年以来、初めて200万人を突破し、2017年には208万6410人を記録した。これは、ソフトバンクに次いでリーグ2位の観客動員数である。

なまらチケット
公式戦で、対象地域の道・市・区内在住者・在職者を対象に一塁側内野指定席券が一律1,500円の「なまらチケット」、平日ナイターの午後7時15分以降の入場者を対象に通常価格の約半額で入場できる「715チケット」(2007年までは午後7時30分以降の入場者を対象とした「730チケット」)を発売している。これらに加え、2005年からは全ての道民が対象の「なまら!超割チケット」、駐車券付きの「カルテット」、その名の通りビール券付きの「ビール券付き」等のグッズ付きチケット限定チケットも発売されている。
チョッQR
2009年には12球団初の、携帯電話のQRコードによって、チケットレスで入場できるシステム「チョッQR」を導入した。
KONKATSUシート、シンデレラシート
2009年7月11日と12日に開催された「KONKATSUシート」は当初は2日間で400人を募集も、2860人の応募があり、そのうち、女性が応募初日に規定枚数を越える応募があったが、逆に男性の応募が半分以下に留まったため、急きょ定員を600人に増員した。初日に28組が、2日目には34組のカップルが成立した。ちなみに、結婚までこぎつけたら始球式の権利が与えられる。2010年現在1組が婚約し、始球式の権利を獲得した。
2010年はKONKATSUシートの後釜として女性限定席の「シンデレラシート」を導入。1人につき、荷物置場として2席が割り当てられた。シンデレラシートは、テンピュールクッションや、オペラグラスが常設されていたが、3日間で備品の盗難が続出し、球団は多くの損失を被った[130]
ウィークデー割引
曜日ごとに対象者が変動する割引制度であり、火曜日は60歳以上と学生を対象にした「シニア&学生デー」、水曜日は女性全員を対象にした「レディースデー」、木曜日は公式ファンクラブ会員を対象にした「ファンクラブデー」、金曜日は男性全員を対象にした「メンズデー」で、いずれも当日券がある場合に限り、ほとんどの座席が一般価格の半額で入場できる。
なお、これは東京ドームでの公式戦でも実施されており(一部異なる場合あり)、札幌ドームの試合では試合開始前の1時間前まで買えないが、東京ドームの試合では当日の午前10時から買える。購入は当日券売り場、札幌ドームの試合のみファイターズステーション(札幌駅北口付近)でも可能で、2011年から金曜日が無くなり、火曜日が「メンズ&シニアデー」、水曜日が「レディース&学生デー」になった。
2017年からこの年に制定された「プレミアムフライデー」に賛同、「ゴールデンフライデー」と銘打ち札幌ドームでの金曜日開催試合は札幌ドーム貴賓室で観戦できるチケット、ビール飲み放題の席、ビジターユニフォームを着て当日券を購入すれば半額等のサービスを行う。[131]
twitter連動企画
2018年から球団公式twitterでファンから質問を募集する企画を開始した「#ヒーロー質問」と付けてツイートした質問をホーム勝利時のヒーローインタビューで答える。

ドラフト戦略

「その年の一番いい選手を取る」という方針のもと、ドラフト1位を決めている[132]。2012年には花巻東から直接メジャー挑戦を表明していた大谷翔平を強行指名。2011年にも、巨人以外なら入団拒否して渡米する意向を公にしていた菅野智之を指名して、周囲を驚かせた。事実、希望入団枠制度が廃止された2007年以降、2019年までのドラフトでは強行指名した大谷、2008年度指名の大野奨太を除き、全て複数球団と競合していた。なお、2020年以降は、2020年度指名の伊藤大海、2021年度指名の達孝太、2022年度指名の矢澤宏太といずれも単独指名となっている。


注釈

  1. ^ これは、読売ジャイアンツの前身の東京巨人軍が巨人の愛称で呼ばれることを受けて、鈴木惣太郎が「他の球団も巨人と同じように愛称で呼ぶことにしよう」と考え、大阪タイガース猛虎、セネタースを青鞜、パシフィック太平と命名した名残である。しかし、巨人以外の他球団が愛称で呼ばれることを拒否したため、定着しなかった。
  2. ^ 東急の参事で強羅ホテル社長・猿丸元が、小林次男(横沢三郎の兄)の仲介で、五島慶太永田雅一を会わせてフィフティの合併、急映フライヤーズを誕生させた[8]
  3. ^ この年の深見は西鉄で2本塁打、東急で23本塁打を放っており、2018年終了時点で日本プロ野球史上唯一の「同一年度に複数球団の在籍経験がある本塁打王」である。
  4. ^ 1985年2月、東映不動産株式会社に吸収され、東映興業不動産株式会社となる(東映興業不動産は、2006年11月に東映へ吸収され消滅)。
  5. ^ 西村は現在の日拓グループ社長でもある西村拓郎の実父で、拓郎の妻・神田うのの義父に当たる。
  6. ^ 同年11月10日付の朝日新聞が「日拓、日本ハムに身売り」とスクープした。
  7. ^ なお、退任した土橋は、フジテレビニッポン放送野球解説者を経てフジテレビと資本関係のあるヤクルトスワローズでコーチや監督を務めた。
  8. ^ 江夏はこの年、当時存在した全12球団からのセーブを達成。
  9. ^ 近鉄のリーグ優勝は1979年1980年共にプレーオフ制覇である。大洋のその時点でのリーグ優勝は大洋ホエールズ時代の1960年阪神甲子園球場でのみ。
  10. ^ ロッテが毎日オリオンズ時代に日本一になった1950年の日本シリーズフランチャイズ制導入前、近鉄に至っては1度も日本一になることなく、消滅した。
  11. ^ 西崎は球団とのFA交渉を控えていた矢先、西崎本人は宣言せず残留するつもりだったのだが球団から突然のトレード通告に報道陣からのインタビューでもショックを隠しきれず会見では涙を流した。この年右投手では最多登板を果たした長冨も戦力外に近い形で金銭トレードに出され、金石が球団に「西崎・金石・長冨の放出は落合の高額年俸を捻出の為だけでは?」と詰め寄る場面があり(落合の年俸が3億円で、金石が1億5000万円・西崎が1億3000万円・長富が4800万円だった)、広瀬も落合の入団で玉突き的にポジションを奪われ、契約更改で「複数年契約するべきだった」と後悔する場面があった
  12. ^ ロッテが毎日オリオンズ時代に日本一になった1950年の日本シリーズフランチャイズ制導入前、近鉄に至っては、1度も日本一になることなく、消滅した。
  13. ^ パ・リーグの他球団主管の札幌ドームの試合は日本ハム移転直後の2004年以後行われていない(西武球団も、その後親会社・西武鉄道の証券取引法違反問題や球団自体がアマ選手に「栄養費」名目で裏金を渡していた問題など不祥事が相次いで発覚したことから札幌開催どころでは無くなり、2008年シーズンからはチーム名を「埼玉西武ライオンズ」に改めて埼玉への地域密着を図る姿勢に転換したことで札幌開催を事実上放棄した)。セ・リーグでは巨人が2009年ごろまで夏季の北海道遠征をしていたが、2010年からはセ・リーグ球団の主管試合も組まれなくなった。
  14. ^ 継投による完全試合は参考記録である。
  15. ^ 田中賢介工藤隆人紺田敏正鶴岡慎也
  16. ^ 1981年は当時の本拠地・後楽園球場プレーオフ優勝、1962年のリーグ優勝は東京スタジアムで行われた大毎オリオンズとの試合中にダブルヘッダー1試合目だったマジック対象チームの南海ホークス近鉄バファローズに敗れたことによるものである。
  17. ^ 前身を含めない場合、千葉ロッテマリーンズのみ1970年のロッテオリオンズ時代にしか年間勝率1位によるリーグ優勝を本拠地で決めていない(ジプシー・ロッテ時代にプレーオフ優勝を当時の本拠地・県営宮城球場で決めた1974年は除く)。なお、オリックス・バファローズはこの14年後に達成している。
  18. ^ 鶴岡慎也(捕手)、髙橋信二(一塁手)、田中賢介(二塁手)、小谷野栄一(三塁手)、金子誠(遊撃手)、稲葉篤紀、糸井嘉男(以上外野手)。
  19. ^ a b 他球団への移籍を1度も挟むことなく、球団名に「北海道」がつく前の旧・日本ハム時代から一貫して日本ハムに在籍し続けているフランチャイズ・プレイヤーでもある。
  20. ^ 前年の2012年からの連敗は13。
  21. ^ 金子千尋から登録名を変更。
  22. ^ 年間最高勝率は西武とのプレーオフで敗退した1982年を含む8回。
  23. ^ 2021年は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から延長戦が無かった。延長戦がある年では1984年の13分が最多。
  24. ^ 作道烝大下剛史大橋穣張本勲大杉勝男の5者。作道の本塁打は代打満塁本塁打。
  25. ^ 2010年シーズンに中日ドラゴンズが記録して以来。
  26. ^ 1942年シーズンに阪神軍が記録して以来。
  27. ^ 3位は1977安打の毒島章一
  28. ^ 2004年までの12球団では唯一(球団最多勝利投手は162勝の土橋正幸)。
  29. ^ NPBでは継投によるノーヒットノーランは認められていない。
  30. ^ 当時ロッテは宮城球場を暫定的に本拠地としていたが、将来の首都圏への再移転を前提に約半数の試合を後楽園・神宮・川崎で開催していた。このため、ロッテ主催の日本ハム戦が後楽園や神宮で開催されることがあった(ジプシー・ロッテも参照)。
  31. ^ 対戦相手のロッテは、日本ハムがブラックを基調とした特別ユニフォームを着用するのに伴い、普段のブラックのビジター用ユニフォームではなく、ホーム用のストライプユニフォームを着用。
  32. ^ 当時の北海道の市町村の数。
  33. ^ 現在の北海道の市町村の数。
  34. ^ 2003年8月の東京ドームでのホームゲームは盆休みの3日間だけ(同月には札幌ドームでの地元お披露目を兼ねた6連戦をしたこともある)だった。
  35. ^ アメリカ合衆国ではオレゴン州ポートランドで、1975年から1982年まで北米サッカーリーグのポートランド・ティンバーズとAAA級のパシフィックコーストリーグに所属するポートランド・ビーバーズが、また、2001年から現在までユナイテッドサッカーリーグのティンバーズと同じくビーバーズが、共にPGEパークをホームスタジアムとして使っている。アメリカではメジャーリーグベースボールアメリカンフットボールNFLの本拠地を共有する事例がある。
  36. ^ 日本ハムの場合、監督は現場の指揮・采配に集中、チーム編成は情報を共有しているフロントが担当、管理している。また、戦力は全選手が前提というシステムであるためBOSで好評価でも使われない(干されている)選手をフロントが強制的に一軍昇格させ、起用を巡って監督とトラブルになることも起きている。
  37. ^ 日本ハムの国内独立リーグ出身選手としては、海老原以前に2009年のドラフト会議で四国・九州アイランドリーグ徳島から支配下枠6位で指名した荒張裕司(2016年引退)がいた。
  38. ^ 土橋の場合、選手・コーチ時代から在籍を継続する形で務めた日拓時代の1度目の監督を辞任した後、野球解説者を務めたフジテレビニッポン放送との縁でヤクルトでコーチ・監督を務めた経験があるため、指導者・職員を含めての他球団経験がない人物となれば皆無となる。
  39. ^ 1988年に中日から移籍。26年間中現役を引退するまで7年間在籍した。
  40. ^ 2004年にニューヨーク・メッツから移籍、2006年に現役引退するまで3年間在籍した。
  41. ^ セ・リーグでは巨人が「エース或いは4番を経験した巨人一筋の完全生え抜きOB」に事実上監督を限定している他(ただし、藤田元司のようにコーチでの他球団在籍経験者が就任した事例はある他、結果的に実現しなかったが、選手としては巨人の完全生え抜きで、他球団のコーチ・監督経験者である森祇晶や、外様の星野仙一の就任が取り沙汰されたことがあった)、広島も松田元がオーナー代行に就任して以降は監督だけでなくコーチも生え抜きを最優先する人事となっている。逆に阪神やDeNA、ヤクルトは日本ハムほど徹底していないが生え抜きにこだわらない姿勢が強く、中日のように2オーナー制と複数の新聞社の統合による経営陣内部の派閥の醸成の影響で、新愛知(大島家)系は生え抜きOB重視、名古屋新聞(小山家)系・東京新聞系は外様に寛容的といった二面性を持っている事例もある。一方パ・リーグでは球団の売却や合併が多かったこともあり、長期にわたってOBの監督にこだわっているのは大阪本拠時代の南海(福岡移転後は、南海時代からの杉浦忠〈コーチでは近鉄にも在籍〉・藤本博史〈現役晩節にオリックスにも在籍〉を除いてホークスで選手生活をスタートさせた生え抜き選手OBの監督が誕生していない)と、西鉄時代からの完全生え抜きの東尾修の監督就任以降、途中堤義明オーナー退任を挟んでの西武のみである。
  42. ^ アリストテレスが唱えた、人を説得し動かすための3要素。
  43. ^ アイヌ語で“ファイターズ”
  44. ^ 2014年からラッキー7では上杉周大(THE TON-UP MOTORS)、「We love HOKKAIDOシリーズ」ではFIGHTERS×YUKIMIKUとして地元出身(設定)の雪ミクのカバーバージョンが、それぞれ流されている。
  45. ^ 現在、札幌ドームでの主催試合の勝利時の試合後に流されている。
  46. ^ 現在、宮城球場限定の小谷野栄一の応援コールで同じスタイルが使われる。ただし、宮城球場では笛が使えないため、笛の代わりに太鼓を用いて「ドンドドンドドンドドン栄一」としている。
  47. ^ ダルビッシュ有は専用の応援歌が用意されていた。
  48. ^ 逆転・勝ち越しの時は、「ファイターズ讃歌」。
  49. ^ 東京ドームの主催試合のみ、基本的に移転前のスタイルが継続されている。ただし、2007年以降には太鼓を使うようになった。
  50. ^ 途中で男性パートと女性パートに分かれる。また、クライマックスシリーズ限定で関東以外の球場でも披露された。
  51. ^ 2008年と2009年のクライマックスシリーズと2009年の日本シリーズでは、両方とも使われた。
  52. ^ 2006年までは銀色だった。また、「WE LOVE HOKKAIDOシリーズ」では銀と青の2色で、2009年5月の「ファミリーシリーズ・さくらまつり」ではピンクメタリック、10月の「炎の最終シリーズ」ではレッドメタリックのテープが発射された。
  53. ^ 2012年の解禁時から2014年の途中までは金色の風船を飛ばしていた。
  54. ^ 前期に使ったユニフォームは基本的に東映時代のデザインを踏襲したものだが、袖や襟のラインに使われた赤と青が入れ替わるなど、若干のマイナーチェンジが施されていた。
  55. ^ 当時の中日ドラゴンズのホーム用ユニフォームのデザインに近い。
  56. ^ 投手:高橋直樹、捕手:加藤俊夫、一塁手:柏原純一、二塁手:富田勝、三塁手:古屋英夫、遊撃手:菅野光夫外野手ミッチェル千藤三樹男で、外野手の残り1枠は阪急の福本豊
  57. ^ この2人は怪我以外の理由で出場辞退した初のファン投票選出選手となった。
  58. ^ 札幌移転前のラッキー7のBGMであり、移転後も2008年までは5回裏に応援団のトランペット演奏で流していた。
  59. ^ 2011年は従来通り8試合を行う予定をしていたが、東日本大震災による計画停電の影響を受け、3月29日 - 3月31日の日本ハム主催の3試合が中止となり、その振替試合は全て札幌ドームで行われ、東京ドームでの主催試合は5試合となった。
  60. ^ 2016年も当初は従来通り8試合を行う予定であったが、2016年4月1日の対ソフトバンク戦については、当日に東京ドームでμ'sのファイナルライブが開催される予定であること、また静岡県と静岡市から公式戦開催の要請を受けたことにより、急遽日程を変更し、東京ドームから静岡県草薙総合運動場硬式野球場での開催に振り替えることになった。
  61. ^ 2005年のオープン戦で、このカードの東京ドームでの試合が組まれたケースはある。
  62. ^ 但し実際は、東京ドームで主催試合を行う場合は現在も東京都を保護地域とする巨人、ヤクルト両球団の許可が必要となる。
  63. ^ 2020年も1試合予定されていたが中止となった。
  64. ^ 前身の後楽園を含め、オープン戦や1981年の日本シリーズなどで三塁側のベンチを使ったケースは多数ある。
  65. ^ 公式戦で実数に近い数値の発表を開始した2005年以前にも実数発表をおこなっていた日本シリーズでは、1985年の第4戦で51,554人という数字が残されている(これは現在でも日本シリーズ1試合における最多観客動員記録)。なお、球場改修を経た現在の最大収容人数は42,600人程度に減らされており、5万人超にはならない。
  66. ^ 道内の中継局で唯一、長らく北海道移転後のチームのOBの解説者が居なかったが、2020年より田中賢介が解説者として就任した。
  67. ^ BS日テレでの放送分でも2022年5月20日放送分ではランニングスコアのみ『GO!GO!ファイターズ』がそのまま使われたが、その後の放送では『DRAMATIC BASEBALL 2022』に修正された(2022年5月28日放送分は、関東地区でも地上波放送の対巨人戦のためスコア表示の送り出しを日本テレビが担当)。
  68. ^ 広島ホームテレビと同内容の中継はJ SPORTSで視聴可能。
  69. ^ 阪神戦も同様の権利だが放送された実績がない。
  70. ^ これは、テレビ東京系列自体のゴールデンタイムにおける全国ネット番組の縛りが緩く、まとまったローカル差し替えが容易なためといえる。同じ系列のTVQ九州放送も同様の傾向で福岡ソフトバンクホークスの中継に積極的である。
  71. ^ 北海道放送は、パレードの時間帯はTBSテレビの『王様のブランチ』を放送。

出典

  1. ^ a b 株式会社北海道日本ハムファイターズ 第21期決算公告
  2. ^ 2021ホーム開幕SP⑤ いよいよホーム開幕! ファイターズ直前情報 | NHK北海道”. NHK札幌放送局. 2021年6月5日閲覧。
  3. ^ 【4月19日】1952年(昭27) すったもんだの末に…西鉄 4番大下弘 初登場”. スポーツニッポン (2011年4月19日). 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月18日閲覧。
  4. ^ a b c d e 岡田茂『波瀾万丈の映画人生 岡田茂自伝』角川書店、2004年、210-212頁。ISBN 4-04-883871-7 
  5. ^ 大川博『真剣勝負に生きる』ダイヤモンド社〈歴史を作る人々〉、1967年、77頁。 
  6. ^ ふたつのセネタース球団”. もうひとつのプロ野球 『国民リーグ』. 2015年10月18日閲覧。
  7. ^ 関三穂 編『プロ野球史再発掘』 4巻、ベースボール・マガジン社〈スポーツ・ノンフィクション・シリーズ〉、1987年、13-16頁。ISBN 4-583-02621-8 
  8. ^ 関三穂 編『プロ野球史再発掘』 5巻、ベースボール・マガジン社〈スポーツ・ノンフィクション・シリーズ〉、1987年、232,262頁。ISBN 4-583-02622-6 
  9. ^ SLUGGER (2021年8月20日). “やんちゃレベルは中田翔以上!?“駒沢の暴れん坊”東映フライヤーズの記憶”. THEDIGEST. 日本スポーツ企画出版社. 2023年2月4日閲覧。
  10. ^ 南海ホークス 編, ed (1978). 南海ホークス四十年史. 南海ホークス. pp. [要ページ番号] 
  11. ^ 南海に13勝12敗3分け、西鉄に17勝10敗1分け、大毎に18勝9敗1分け、阪急に16勝12敗、近鉄に19勝9敗。
  12. ^ 高木圭介「高木マニア堂、365:東スポ傑作広告シリーズ(3)〜東京スタジアム建設(昭和37年1月)」『』東京スポーツ、2012年7月27日。2024年3月14日閲覧。 東京スポーツ1962年1月4日、第1面に大川のインタビューが掲載されていた。
  13. ^ a b 祝プレーオフ進出 OB大下剛史「これがワシのファイターズ」(6)『東京スポーツ』連載、2006年9月20日。
  14. ^ a b c 祝プレーオフ進出 OB大下剛史「これがワシのファイターズ」(7)『東京スポーツ』連載、2006年9月21日。
  15. ^ 毎日新聞1967年11月26日13面「東映新監督に大下弘氏 水原解任"電撃的組閣"で幕」縮刷版p729
  16. ^ 祝プレーオフ進出 OB大下剛史「これがワシのファイターズ」(8)『東京スポーツ』連載、2006年9月22日。
  17. ^ 西鉄・稲尾和久はもう限界なのか/週ベ回顧 - 週刊ベースボールONLINE、2019年10月25日、ベースボール・マガジン社
  18. ^ 朝日新聞、1972年10月19日、『東映・西鉄 身売り説、明らかに』。
  19. ^ 江尻良文 (2014年12月4日). “菅原文太さん死去で思い出す東映フライヤーズ身売り話 岡田社長の懐深さが染みた夜”. ZAKZAK. 2015年10月18日閲覧。
  20. ^ 日本経済新聞1972年10月21日夕刊11面「パイオニア、東映買収断る」日本経済新聞縮刷版1972年10月p759
  21. ^ a b 祝プレーオフ進出 OB大下剛史「これがワシのファイターズ」(11)『東京スポーツ』連載、2006年9月28日。
  22. ^ 長谷川晶一『虹色球団 日拓ホームフライヤーズの10ヶ月』(柏書房2019年3月20日初版刊行)序章「映画『仁義なき戦い』と東映フライヤーズ」pp.16 - 20
  23. ^ 前掲書『虹色球団』第三章「日拓ホームフライヤーズ誕生­ ‐ 一九七三年初春」pp.66 - 69
  24. ^ 前掲書『虹色球団』第八章「再びの身売り騒動­ ‐ そして、あっけない終焉」pp.182 - 206
  25. ^ ベースボールマガジン別冊夏祭号 1954-1972東映フライヤーズ暴れん坊伝説 ベースボール・マガジン社.2020年.50頁
  26. ^ 【12月17日】1973年(昭48) 新生日本ハム、ニックネームは「ファイターズ」に決定”. スポーツニッポン (2007年12月17日). 2013年9月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月21日閲覧。
  27. ^ ニュースリリース 前オーナー野球殿堂入りのお知らせ”. 北海道日本ハムファイターズ (2009年1月13日). 2015年8月11日閲覧。
  28. ^ 北海道新聞2015年8月7日朝刊 北海道日本ハムファイターズ全面広告「THE MAN WHO MADE THE FIGHTERS」
  29. ^ 前掲書『虹色球団』第八章pp.195 - 197
  30. ^ 前掲書『虹色球団』終章「それぞれの、その後」pp.208
  31. ^ 『俺たちの東京日本ハムファイターズ 後楽園・東京ドーム時代の30年間をこの1冊に!』ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK BBMタイムトラベル〉、2014年、38頁。ISBN 978-4-583-62088-6 
  32. ^ 落合博満著、決断=実行、ダイヤモンド社、2018年、40頁
  33. ^ “伊原監督が無期限休養 管理野球浸透せず”. 日刊スポーツ. (2014年6月5日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140605-1312457.html 2015年10月18日閲覧。 
  34. ^ 大沢啓二『球道無頼 こんな野球をやってきた』集英社、1996年、216-220頁。ISBN 4-08-780220-5 
  35. ^ 【9月29日】1994年(平6)日本ハム10年ぶりの最下位大沢親分ファンの前で土下座”. スポーツニッポン (2009年9月17日). 2015年10月18日閲覧。
  36. ^ 週刊ベースボール2018年11月12日号、冷静と情熱の野球人 大島康徳の負くっか魂!!第82回、ついに引退ジタバタせずに「分かった」102-103頁
  37. ^ 西崎幸広 事実上の戦力外通告 ハムベテラン大量解雇”. スポーツニッポン (2011年10月3日). 2015年10月18日閲覧。
  38. ^ 【8月20日】2003年(平15)引越し前に勝ててよかった…ハム3年越しの“初勝利””. スポーツニッポン (2008年8月17日). 2015年10月18日閲覧。
  39. ^ この「ハム」の愛称は、北海道日刊スポーツの記者・上野耕太郎の記事によるアーカイブされたコピー”. 2012年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月20日閲覧。
  40. ^ 豊島明好 (2010年5月3日). “ファームは緊急事態!?”. 北海道日本ハムファイターズ 豊島明好オフィシャルブログ. 2015年10月18日閲覧。
  41. ^ 今日入寮町は斎藤佑樹フィーバー
  42. ^ 日本ハム“監督交代報道”の真相…V争い中にナゼ? Archived 2011年11月24日, at the Wayback Machine.
  43. ^ 田口元義 (2011年9月7日). “日本ハムが繰り返す“負の歴史”。梨田監督退任報道で考えたこと。”. Number Web. 文藝春秋社. 2015年10月18日閲覧。
  44. ^ 梨田監督、今季限り=日本ハム「後任は白紙」-プロ野球[リンク切れ]
  45. ^ 日本ハム2軍がイースタンV[リンク切れ]
  46. ^ 2012年3月30日北海道日本ハム 対 埼玉西武”. 日本ハム球団公式サイト (2012年3月30日). 2015年10月18日閲覧。
  47. ^ 9月度「日本生命月間MVP賞」武田久、糸井両選手がダブル受賞”. 北海道日本ハムファイターズ (2012年10月5日). 2015年11月5日閲覧。
  48. ^ “日本ハムヒヤヒヤ奪首!栗山監督「生きた心地が…」”. スポーツニッポン. (2012年9月16日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/09/16/kiji/K20120916004123520.html 2012年10月13日閲覧。 
  49. ^ “中田2発5打点!日本ハム、西武との直接対決制しM4点灯”. スポーツニッポン. (2012年9月28日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/09/28/kiji/K20120928004215500.html 2012年10月13日閲覧。 
  50. ^ “日本ハム3年ぶり6度目V!栗山監督「一緒に野球ができて幸せ」”. スポーツニッポン. (2012年10月2日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/10/02/kiji/K20121002004243630.html 2012年10月13日閲覧。 
  51. ^ 試合日程・結果”. 日本ハム球団公式サイト. 2015年10月18日閲覧。
  52. ^ 2012年11月3日 巨人 対 北海道日本ハム”. 日本ハム球団公式サイト (2012年11月3日). 2015年10月18日閲覧。
  53. ^ “田中賢選手が海外FA権行使を表明”. 北海道日本ハムファイターズ. (2012年11月6日). http://www.fighters.co.jp/news/detail/3159.html 2015年10月18日閲覧。 
  54. ^ 田中賢介「メジャーでレギュラーに」 札幌で移籍会見” (2013年1月28日). 2013年1月28日閲覧。[リンク切れ]
  55. ^ 大谷選手が入団会見 札幌ドームでユニフォーム姿を披露”. 北海道日本ハムファイターズ (2012年12月25日). 2015年10月23日閲覧。
  56. ^ “【日本ハム】糸井、八木がオリへ電撃移籍”. 日刊スポーツ. (2013年1月23日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130123-1075618.html 2015年10月18日閲覧。 
  57. ^ 元同僚のダルビッシュは自身のTwitterで「糸井さんトレードとか、ありえん」とつぶやき、武田勝は「気持ちの整理をつけたい。痛手であることは間違いない」
  58. ^ “糸井決別ハム!衝撃トレードでオリックス”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2013年1月24日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20130124-1075807.html 2015年11月5日閲覧。 
  59. ^ a b c 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2013年12月9日、76頁。 
  60. ^ a b c 週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2013年12月30日、54 - 55頁。 
  61. ^ “【日本ハム】3年ぶりBクラス確定”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2013年9月28日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130928-1196565.html 2015年10月18日閲覧。 
  62. ^ “日本ハム 田中に13連敗…今季、楽天に本拠地で一度も勝てず”. スポーツニッポン. (2013年10月1日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/10/01/kiji/K20131001006728740.html 2015年10月15日閲覧。 
  63. ^ “西武7連勝!涌井は“稲尾超え”球団新10戦連続登板”. スポーツニッポン. (2013年10月6日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/10/06/kiji/K20131006006760330.html 2015年10月18日閲覧。 
  64. ^ “日本ハム 12年ぶり最下位 32年なかった屈辱 栗山監督「何が何でも優勝」”. スポーツニッポン. (2013年10月6日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/10/06/kiji/K20131006006761500.html 2015年10月18日閲覧。 
  65. ^ “ハム陽岱鋼 球団史上初の盗塁王”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2013年10月14日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20131014-1204060.html 2015年10月18日閲覧。 
  66. ^ “【日本ハム】アブレイユ31発で初キング”. 日刊スポーツ. (2013年10月13日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20131013-1203732.html 2013年10月18日閲覧。 
  67. ^ “大谷“野球の神様”に並ぶ!96年ぶりの10勝&10発”. スポーツニッポン. (2014年9月7日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/09/07/kiji/K20140907008889350.html 2015年10月18日閲覧。 
  68. ^ “稲葉 引退表明「自分の打撃できなくなった 悔いはまったくない”. スポーツニッポン. (2014年9月2日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/09/02/kiji/K20140902008858350.html 2015年10月18日閲覧。 
  69. ^ 金子誠選手が引退を表明”. 北海道日本ハムファイターズ (2014年9月27日). 2015年10月18日閲覧。
  70. ^ “日本ハム 2年ぶりCS決めた! 斎藤佑 復活2勝目”. スポーツニッポン. (2014年9月29日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/09/29/kiji/K20140929009016440.html 2015年10月18日閲覧。 
  71. ^ “日本ハム 下克上だ! 2年ぶりCSファイナル進出 延長戦で中田翔が値千金弾”. スポーツニッポン. (2014年10月14日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/10/14/kiji/K20141014009102530.html 2015年10月18日閲覧。 
  72. ^ “ソフトB 3年ぶり日本S進出! 25日から甲子園で阪神と激突”. スポーツニッポン. (2014年10月20日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/10/20/kiji/K20141020009137260.html 2015年10月18日閲覧。 
  73. ^ 2014年度 パシフィック・リーグ リーダーズ(打撃部門)”. 日本野球機構. 2015年10月18日閲覧。
  74. ^ 2014年度 パシフィック・リーグ リーダーズ(打撃部門)”. 日本野球機構. 2015年10月18日閲覧。
  75. ^ 2014年度 フリーエージェント宣言選手契約締結合意”. 日本野球機構. 2015年10月18日閲覧。
  76. ^ 田中賢介選手が入団会見”. 北海道日本ハムファイターズ (2014年12月17日). 2015年10月18日閲覧。
  77. ^ “【日本ハム】大谷、まさかのKO!開幕7戦7勝ならず”. スポーツ報知. (2015年5月23日). https://web.archive.org/web/20150524061347/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20150523-OHT1T50002.html 2015年10月18日閲覧。 
  78. ^ “阪神、意地の白星締め!ハム粉砕で交流戦セ唯一の勝ち越し”. スポーツニッポン. (2015年6月16日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/06/16/kiji/K20150616010555030.html 2015年10月18日閲覧。 
  79. ^ “大谷 2安打1失点完投でトップ14勝!ハム4連勝でCS進出決定”. スポーツニッポン. (2015年9月19日). http://dd.hokkaido-np.co.jp/sports/baseball/fighters/1-0181644.html 2015年10月18日閲覧。 
  80. ^ “ハム 5点差逆転2位確定 栗山監督絶賛「賢介は凄かった」”. スポーツニッポン. (2015年9月21日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/09/21/kiji/K20150921011174200.html 2015年10月18日閲覧。 
  81. ^ 日本ハム 10年ぶり3度目日本一 中田決勝押し出し、レアード満弾 スポニチアネックス、2016年10月29日配信
  82. ^ 日本ハム日本一の陰に吉村GM有り 共闘3人が語る - 野球 : 日刊スポーツ”. 日刊スポーツ. 日刊スポーツ新聞社. 2019年10月14日閲覧。
  83. ^ 日本ハムが4位に浮上 中田は3打点も「ダイエットしてパワーが落ちているので」 - サンスポ、2017年5月21日
  84. ^ 日本ハム 鶴岡が5年ぶり古巣復帰「北海道を盛り上げる使命感ある」 - スポニチ Sponichi Annex、2017年12月18日
  85. ^ 2017 年「今年の漢字®」第1位は「北」 (PDF) - 日本漢字能力検定協会、2017年12月12日
  86. ^ “2020年度 パシフィック・リーグチーム守備成績”. NPB. (2020年12月1日). https://npb.jp/bis/2020/stats/tmf_p.html 2020年12月1日閲覧。 
  87. ^ 日本ハム栗山監督正式続投「もう1回丸裸になって」|日刊スポーツ”. 日刊スポーツ. 2020年11月17日閲覧。
  88. ^ 栗山英樹監督退任のお知らせ”. 北海道日本ハムファイターズ (2021年10月16日). 2021年10月16日閲覧。
  89. ^ 楽天75点、ソフトバンク75点、日本ハム50点…パ・リーグ6球団「オフの補強採点」は?”. 週刊ベースボールONLINE. 2021年12月28日閲覧。
  90. ^ 「いつか、と温めてきた」 大流行の「きつねダンス」誕生の裏側”. 朝日新聞 (2022年7月27日). 2022年8月7日閲覧。
  91. ^ 日本ハム、田中正義を獲得 FA近藤健介の人的補償で”. 2023年1月11日閲覧。
  92. ^ a b 北海道北広島市における新球場建設を正式発表
  93. ^ 日本ハム23年開業新球場は「エスコンフィールド」(『日刊スポーツ』2020年1月29日付記事)
  94. ^ a b 【日本ハム】大谷の「背番号11」を“準永久欠番”扱い検討 次のスター出現まで封印”. スポーツ報知 (2018年1月17日). 2023年11月26日閲覧。
  95. ^ 【背番号物語】日本ハム「#86」ラジオ局の壮行会で決まった? たった1人の背番号は“東京”日本ハムの面影 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2023年11月26日閲覧。
  96. ^ 日本ハム新庄監督「こだわりない」と断言 背番号「1」の後継者 “本命・対抗・大穴”は?|日刊ゲンダイDIGITAL”. 日刊ゲンダイDIGITAL (2022年1月22日). 2023年11月26日閲覧。
  97. ^ “ハム、「0」「00」に違和感で永久欠番”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2008年12月29日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20081229-445175.html 2013年9月28日閲覧。 
  98. ^ a b 投手三冠で沢村賞を逃したのは1人だけ。千賀滉大は2人目になる!?(宇根夏樹) - エキスパート”. Yahoo!ニュース. 2023年11月26日閲覧。
  99. ^ 三冠王 | 各種記録達成者一覧 | 達成記録”. NPB.jp. 日本野球機構 (2022年10月). 2022年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月5日閲覧。
  100. ^ a b 最優秀選手 - プロ野球 : 日刊スポーツ
  101. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 38 
  102. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 44 
  103. ^ 野球小僧』、白夜書房、2009年4月、198 - 199頁。 
  104. ^ 綱島理友、錦谷寛『プロ野球ユニフォーム物語』ベースボール・マガジン社、2005年、[要ページ番号]頁。ISBN 4-583-03807-0 
  105. ^ a b スカイブルーの新ユニフォームが誕生 北海道日本ハムファイターズ 2018年2月5日
  106. ^ 週刊ベースボール 2022年4月25日号124ページ。
  107. ^ 「WE LOVE HOKKAIDOシリーズ 2013」開催のお知らせ”. 北海道日本ハムファイターズ (2013年5月31日). 2015年10月23日閲覧。
  108. ^ 「WE LOVE HOKKAIDOシリーズ2014」企画概要および限定ユニフォームを発表”. 北海道日本ハムファイターズ (2014年5月16日). 2015年10月23日閲覧。
  109. ^ 「FINAL GAMES」は WE LOVE HOKKAIDO シリーズ 2014〜again〜 来場者プレゼントのお知らせ”. 北海道日本ハムファイターズ (2014年8月28日). 2015年10月23日閲覧。
  110. ^ 「WE LOVE HOKKAIDO シリーズ 2015」限定ユニフォームに市町村名掲出が決定”. 北海道日本ハムファイターズ (2015年5月11日). 2015年10月23日閲覧。
  111. ^ 日ハム、新幹線色の装い 26日の開業日に初着用 北海道新聞 2016年3月1日
  112. ^ 「北海道シリーズ2017『WE LOVE HOKKAIDO』」開催概要発表! 北海道日本ハムファイターズ 2017年3月3日
  113. ^ 日本ハム、北海道シリーズは限定ユニホーム着用 - 日刊スポーツ 2017年5月28日
  114. ^ 前掲書『虹色球団 日拓ホームフライヤーズの10ヶ月』序章「映画『仁義なき戦い』と東映フライヤーズ」pp.25 - 26
  115. ^ 毎日新聞毎日新聞社、1973年12月18日付のスポーツ欄(15頁)。 
  116. ^ https://www.sapporo-dome.co.jp.+“札幌ドームの裏側|札幌ドーム”. www.sapporo-dome.co.jp. 2021年6月5日閲覧。
  117. ^ 2年ぶり!東京ドーム開催 チケット販売概要のお知らせ|北海道日本ハムファイターズ”. 北海道日本ハムファイターズ オフィシャルサイト. 2021年6月5日閲覧。
  118. ^ 7/6(火)・7(水)旭川開催概要のお知らせ|北海道日本ハムファイターズ”. 北海道日本ハムファイターズ オフィシャルサイト. 2021年6月5日閲覧。
  119. ^ 7/5(木)函館開催 チケット販売概要決定のお知らせ|北海道日本ハムファイターズ”. 北海道日本ハムファイターズ オフィシャルサイト. 2021年6月5日閲覧。
  120. ^ 7/13(火)釧路・14(水)帯広開催概要のお知らせ|北海道日本ハムファイターズ”. 北海道日本ハムファイターズ オフィシャルサイト. 2021年6月5日閲覧。
  121. ^ アトムホームナイター 2021 プロ野球パシフィックリーグ公式戦北海道日本ハムファイターズ vs 福岡ソフトバンクホークス”. RBC 琉球放送 (2021年3月31日). 2021年6月5日閲覧。
  122. ^ 6/26(土)・27(日)静岡開催概要のお知らせ|北海道日本ハムファイターズ”. 北海道日本ハムファイターズ オフィシャルサイト. 2021年6月5日閲覧。
  123. ^ 日本ハム・大田によみがえった闘争心 「ここは本当に自由。考えてやらないと」”. SANSPO.COM (2017年5月10日). 2017年6月24日閲覧。
  124. ^ 他球団も驚く日本ハムのキャンプOB江尻慎太郎氏が語るその特長とは!?”. スポーツナビ (2017年1月31日). 2017年6月24日閲覧。
  125. ^ a b ファイターズ快進撃の裏に、“本当に役立つ”情報システムあり”. IT Pro. 日経BP (2009年4月21日). 2009年4月24日閲覧。
  126. ^ 小野田有希 (2011年8月12日). “データベースで堅実強化=成果あげる日本ハム=”. 時事ドットコム. 時事通信社. 2015年10月21日閲覧。
  127. ^ nakami (2012年3月31日). “【GS開幕シリーズin闘強導夢3.31】「巨人軍エース決定戦」〜左腕の鬼・内海哲也vs破壊王・澤村拓一とは?”. プロ野球死亡遊戯. スポーツナビ+. 2015年10月21日閲覧。
  128. ^ “モナ不倫・二岡も獲得…日本ハム“タブーなき補強””. ZAKZAK. (2008年12月24日). http://www.zakzak.co.jp/spo/200812/s2008122406_all.html 2015年10月21日閲覧。 
  129. ^ 日本ハム黄金期が生み出したもの。出身コーチに共通する指導姿勢とは? Number Web 2017年2月18日閲覧。
  130. ^ 高山通史 (2010年3月24日). “ハム「シンデレラシート」で備品盗難続出”. 日刊スポーツ. https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100324-609625.html 2015年10月21日閲覧。 
  131. ^ 「ゴールデンフライデー」実施!
  132. ^ 菅野、大谷…1番いい選手を/日本ハムドラフト戦略”. 日刊スポーツ新聞社 (2017年8月22日). 2017年8月31日閲覧。
  133. ^ 【日本ハム】キャンプ地・名護、“選手ファースト”仕様に改修…ブルペン屋内へ ロッカーも広く” (2020年1月15日). 2020年1月15日閲覧。
  134. ^ “日本ハム、来春の米アリゾナ1次キャンプ実施を発表、2次は名護”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2015年4月27日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/04/27/kiji/K20150427010247920.html 2015年4月27日閲覧。 
  135. ^ 日本ハム 秋季キャンプはエスコンFで開催、主力中心 控えメンバーは沖縄・国頭で” (2023年9月29日). 2023年10月2日閲覧。
  136. ^ a b スポンサー&パートナー”. 北海道日本ハムファイターズ. 2023年5月25日閲覧。
  137. ^ a b c 〈みなぶん〉古関裕而作曲、幻の球団歌「東映フライヤーズの歌」 楽譜と歌詞、故郷の福島に - 北海道新聞 2021年1月17日
  138. ^ ロケット風船全面解禁!開幕シリーズ限定で来場者プレゼント!”. 北海道日本ハムファイターズ (2012年3月16日). 2015年10月21日閲覧。
  139. ^ a b c 悪質すぎる「川崎祭り」、日本ハムの球宴ジャック…オールスターファン投票事件簿”. 週刊新潮. p. 1 (2021年6月21日). 2021年6月21日閲覧。
  140. ^ 敵より先に「幸運」つかめ 球界初「ラッキー6」[リンク切れ]
  141. ^ 私のなかの歴史 プロ野球日本ハム元オーナー大社啓二さん ファイターズと見た夢19 - 北海道新聞2023年1月10日夕刊
  142. ^ 小林暢子 (2007年10月26日). “「捨てる」決断の価値を体現した北海道日本ハムファイターズ”. ITpro. 日経BP. 2015年10月23日閲覧。
  143. ^ 日ハムの球団経営を圧迫する旧態依然の壁 - THE PAGE(2016年5月23日12:00版/2022年8月7日閲覧)
  144. ^ 日本ハム新球場、8年後完成目指し球団が建設検討(日刊スポーツ2016年5月24日・5月26日閲覧)
  145. ^ 日本ハム 自前の球場建設を検討 収益アップ目指し(日本放送協会2016年5月24日・5月26日閲覧)
  146. ^ 日ハム、自前球場検討 本拠地移転、北大構内など候補(毎日新聞2016年5月25日・5月26日閲覧)
  147. ^ 新球場「年内に方向性」 日ハム、札幌市長に説明(北海道新聞2016年5月25日・5月26日閲覧)
  148. ^ 日本ハム新球場検討に札幌ドーム側「残念」(日刊スポーツ2016年5月24日・5月26日閲覧)
  149. ^ 日本ハム新球場建設構想 北広島市長が議会で誘致表明(毎日新聞2016年6月15日閲覧)
  150. ^ 日本ハム移転巡り4者協議 札幌ドームは「多目的球場」で一致(スポーツニッポン2016年12月3日閲覧)
  151. ^ 日本ハム 新球場へ(讀賣新聞2016年12月19日閲覧)
  152. ^ 北広島市が日ハム誘致案 新球場構想(北海道新聞2016年12月20日閲覧)
  153. ^ 札幌市、市外移転回避へ作戦変更 日ハムの新球場構想 用地探し急ぐ(北海道新聞2016年12月21日閲覧)
  154. ^ 札幌市が日本ハムに新球場候補地提案・・・北大一部など2候補(サンスポ2017年7月24日閲覧)
  155. ^ 日本ハム、札幌市の新球場2候補地に見解「岐路に」 日刊スポーツ、2017年11月20日閲覧
  156. ^ 日ハム新球場 真駒内有力候補に 球団・道・札幌市に利点 - 北海道新聞電子版(2017/11/20 09:58 更新)2018年3月26日閲覧
  157. ^ 日ハム新球場、真駒内が有力候補に 札幌市、月内にも提案へ ヤフースポーツ、2017年11月20日閲覧
  158. ^ 真駒内公園に日ハム新球場、札幌市が正式提案 日本経済新聞、2017年12月16日閲覧
  159. ^ 北広島市に米国流「ボールパーク」 日本ハム23年開業 - 日本経済新聞(2018/3/26 18:25更新)2018年3月26日閲覧
  160. ^ 日ハム新球場、北広島に…真駒内より支援手厚く - 読売オンライン(2018年03月26日 17時18分更新)2018年3月26日閲覧
  161. ^ 日本ハム移転先、北広島へ決定 - 毎日新聞(2018年3月26日 16時46分・最終更新 3月26日 21時33分)2018年3月26日閲覧
  162. ^ 日ハム新球場の建設候補地、北広島に決定 整備費一部負担を評価 ボールパーク23年にも開業 - 北海道新聞電子版(03/26 17:45 更新)2018年3月26日閲覧
  163. ^ ファイターズ スポーツ&エンターテイメント設立、「北海道ボールパーク」を保有・運営,トラベル Watch,2019年10月2日
  164. ^ HOKKAIDO BALLPARK F VILLAGE”. 北海道ボールパーク. 2021年4月26日閲覧。
  165. ^ 日ハム新球場、命名権契約 日本エスコンが年5億円超,北海道新聞,2020年1月30日
  166. ^ 日本ハム 23年開業予定新球場は「エスコンフィールド北海道」に 命名権年間5億円超,スポーツニッポン,2020年1月30日
  167. ^ 日本ハム、主催全71試合はエスコンフィールドで 来季、道内地方球場では開催せず(北海道新聞)
  168. ^ 2023年7月ファーム試合日程 - 北海道日本ハムファイターズ
  169. ^ ES CON FIELD HOKKAIDOで7試合開催!2023年オープン戦日程発表
  170. ^ 2023年シーズン 札幌ドームでのオープン戦開催(2試合)と新球場エスコンフィールドにおける札幌市民対象の抽選招待企画開催について
  171. ^ “すべての仕事が地域密着につながる その土地の特性を活かす――北海道日本ハムファイターズ”. ダイヤモンドオンライン. (2011年11月17日). https://diamond.jp/articles/-/14893?page=4 2024年4月1日閲覧。 
  172. ^ ついに完成!全道ネットワーク”. テレビ北海道 (2015年12月1日). 2016年11月11日閲覧。






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「北海道日本ハムファイターズ」の関連用語

北海道日本ハムファイターズのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



北海道日本ハムファイターズのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの北海道日本ハムファイターズ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS