坂口安吾 評価

坂口安吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 14:37 UTC 版)

評価

柄谷行人は解説「坂口安吾とフロイト」において、安吾が自らの鬱病の原因を「自我の理想的な構成、その激烈な祈念に対する現実のアムバランス」(「精神病覚え書」)と自己分析していたことに触れた上で、その「自我の理想的な構成、その激烈な祈念」という反復強迫に、フロイトの言う「死の欲動」があると分析している[51]。また同時に柄谷は、日本の近代文学の「第一次戦後派」や「第三の新人」といった戦後の作家や、太宰治とは隔たる安吾の特異な面を見ながら、「何が彼を近代文学=ロマン主義的な一般性から隔てているのか」の答えとして、安吾には、「理性感情」(意識無意識)、「現実原則快感原則」といったわかりやすい二元論とは異質な「死の欲動」があり、その反復強迫にたえず追い詰められていた作家だとしている[51]

そして柄谷は、安吾が文壇に注目された時期に掲げていたファルス(全的に人間存在を肯定[52])ではない、いわゆる近代小説的な、意識による抑圧の理論の「まともな長編小説」を書こうとして鬱病を再発させ、その長編「吹雪物語」の完成後、鬱病を回復させた時期に執筆した「イノチガケ」という作品(キリスト教がいかに日本に到来し広がったかを政治的背景の中で示した作品)に着目し、その中の、幕府が考案した穴つるしの刑によって殉教が繰り返される光景の「無味乾燥な書き方」や、その「滑稽な」処刑により切支丹の死の尊厳を封じることができたと書いている随筆「文学と国民生活」を関連させつつ、その滑稽さが「死の欲動」を抑制したと解析している[51]。そのため、その「イノチガケ」(ある意味でファルスの反復)以後の安吾は、初期にファルスを唱えながらもなお抱いていた「近代小説の形態へのこだわり」を捨て去り、多彩なジャンル(「日本文化私観」のようなエッセイや「織田信長」などの歴史小説)に及ぶ重要な執筆活動を広げ、その活動を通して安吾の中で「近代小説を優位におくハイアラーキー(位階)」が消失したとして、柄谷は以下のように安吾の作品総体を評価している[51]

彼はもはやファルスを唱えない。が、その作品総体がファルス的なのである。その結果として、近代的小説を中心として見る戦後の文学史家において、安吾は二流の作家と見なされてきた。実際、彼の作品では、エッセイが小説的で、小説がエッセイ的である。どんな作家にもあるような(いかにもロマン主義的な長編小説といった)代表作というべきものがない[注釈 10]。しかし、安吾が今もわれわれを惹きつけるのは、まさにそのためである。安吾の作品を一冊にまとめるとき、このようなジャンル的区別を否定すべきである。そして、それこそが安吾のいう「全的肯定」にほかならない。 — 柄谷行人「坂口安吾とフロイト」[51]

また、奥野健男の論考によると、坂口安吾は多彩な活動をする一方で、気まぐれに放棄された未完作、未発表作も多く、その烈しい精神の振幅の個性を全的に表現しうる方法論を模索しながらも十全に開花させた純文学においての長編小説は書かれることは無かったが[1][注釈 11]、いわゆる文壇の巨匠や名人と言われるような器用な作家の作品からは得られない特異な魅力のある作家として、広くジャンルを越えて他の多くの作家、創作者からも親しまれている傾向があり[1][53]、奥野はその安吾の魅力を、他の小説家からは求めることができない「不思議な人間的魅力にあふれている」「ある時は人間の魂の底まで揺がすようなすさまじい感動を、ある時は澄みきった切ないかなしみに似た憧れを与えてくれる」と評しつつ、「坂口安吾の作品の中に、未来の文学へのさまざまな貴重な実験や発想や方法、そして全人的なヴァイタリティをぼくたちは見いだすことができる」としている[1]。また、文学作品だけではなく、その歴史小説推理小説も評価され愛好されている[3]

無頼派、新戯作派であり、坂口安吾との交流も多かった檀一雄は安吾の特異な作家性について以下のように評している[54]

安定した全ての気質の解体。道義、人情の解体これらは、いつも過激なまでの生活万般の解体にまで及んでいた。その臂力の雄偉さ。その思考の斬新さ。まことに前人未到のものであり、私にはいつも鬼神のワザに思われたものである。私の生涯のできごとで、この人との邂逅ほど、重大なことはほかにない。おびただしい精神の贈与を、乱雑に、また惜しげも無くドカドカとばら撒き与える人であった。 — 檀一雄「作品解説『堕落論』」

磯田光一は坂口安吾が執筆した作品群を並べ、安吾という作家、また文章への評価としてこう総括している[55]

安吾は優れた作家であると同時に、一流のエッセイストであった。彼はエッセイにおいても、ある時は志を語り、またある時は、ゆったりした余裕と現実洞察力をもって、世のさまざまな事象について語っている。安吾の書き残した作品群が、世の人生案内ふうの本とは根本的に異なっていることに気づくためには、事によったら読者の年齢と成熟とを必要とするかもしれない。しかし、一流の文学というものは、おおかたそういう性格のものなのである。 — 磯田光一「坂口安吾 人と作品」

七北数人は、安吾の「風と光と二十の私と」を始めとする自伝的小説群を解説しながら、「無頼派と呼ばれるにふさわしいデカダンな行状を含みながらも、これほど真面目に生きた人は稀ではないかと思わせられる」として以下のように安吾の作品を評価している[56]

(安吾は)いつでも人生いかに生くべきかを真剣に考え、求道の念が強すぎて時にくずおれそうになる弱い心も隠さずさらけ出す。文章のはしばしに滲む悲しみは、青春の純粋な魂を失わずにいる人にだけ沁みとおっていく清水のようなものかもしれない。 — 七北数人「解説――風と光と二十の私と・いずこへ 他十六篇」[56]

柄谷行人は『週刊読書人』3211号に掲載された自らの著作である坂口安吾論の刊行インタビューの中で、無頼派について「「無頼」という言葉は、一般に考えられているようなものではなく、「頼るべきところのないこと」(『広辞苑』)です。つまり、それは他人に頼らないことです。その意味では、いわゆるヤクザは無頼とはほど遠い。組織に依存し親分に従い、他人にたかるのだから。その意味で、安吾はヤクザではなく、まさに「無頼」だった。太宰はそうではない。「無頼」であれば、そもそも共産党に入党しないし、転向もしない。彼は頼りっぱなしの人だった。自殺するときまで、他人に頼っている。そういうものを「無頼」とはいいません。言語の本来の意味では、「無頼派」は安吾だけだったと思います。最初に読んだときから、自分には安吾が性に合っていた。」と評している。

また、坂口安吾の作家生活は約24年間(1931年-1955年)であるが、戦後10年間の後半生(文壇的成功、恋愛、酒と遊び、狂気、長編小説の失敗、社会的事件、死)と、戦前14年間の前半生の経過が非常に似ていることが指摘されている[57]小川徹は、安吾が自身の前半生を戦後の後半生に対応させて、同じ人間が生まれ変わり、「解放された人間」として同じ経過のコースをもう一度生きてみようとしたのではないかと考察している[57]

そして、前段の節でも記述したように、安吾の葬儀の際には川端康成が、安吾の個性的な文学について触れ、「すぐれた作家はすべて最初の人であり、最後の人である。坂口安吾氏の文学は、坂口氏があってつくられ、坂口氏がなくて語れない」と述べた[2]

また、作家同士の交流が多かった無頼派、新戯作派の中でも特に坂口安吾と深い交流があった石川淳は自らの随筆『安吾のいる風景』の中で「安吾はよく書き、よく褒めた。褒めるのは自分の書いたものに決まっている。それはもっと、もっとと、自分を先のほうへせきたてる調子のようにもきこえた」と、創作時における安吾の印象を述べている。
さらに、石川淳は『この巨大なるもの』と題した以下のような評を安吾の全集に寄せている。

一たび堰を切つた安吾全集は奔流だうだうと諸君のたましひに鳴りひびく。高貴なるもの、通俗なるもの、深くしづもるもの、派手にみだれるものを併せて、文學の精髓はすべて混沌としてここにある。全巻至るところに安吾がゐて、大いに笑ひ大いに慨く。 — 石川淳「この巨大なるもの――『定本 坂口安吾全集』」

作家の佐藤春夫は「文学の本筋をゆく」の中で、「坂口安吾の文学はいささか奇矯で反俗的なところはあつても、文学としては少しも病的なものではなく、高邁な精神をひそめたすぐれたものと思ふ。その点、太宰治のどこまでも頽廃的でいぶしのかかつたセンチメンタルなものよりわたくしは坂口の文学の方が文学の本筋だと思つてゐる」とした上で以下のように評している[58]

坂口は世俗的などんな先入観念にも煩はされるところなくぢかに人間を見た。そのため人間の心理は彼は可なり深く知るところである。それ故、彼の文学は、創作とばかりは限らず、雑感随筆のたぐいまで、その囚はれないものの見方、濶達な人がらがよく出てゐて、おもしろい。太宰のものが現代青年のものであるのに対比して坂口の文学は将来のおとなの文学だとも思へる。
わたくしは素直に人智の進歩発達を信じて年来、文学の常識も年々に健全な発達を遂げてゐると見てゐるものであるが、一般の読者が太宰の文学に堪能してこれを卒業したころになつて、坂口文学の真価がもう一度見直され、やがて正常に理解され愛読されるものとなるのを疑はない。 — 佐藤春夫「文学の本筋をゆく――坂口安吾選集」[58]

終戦直後の成功によって無頼派(新戯作派)と呼ばれた坂口安吾だが、その戦前からのファルス的作品や、歴史小説までも含めた諸作品に貫かれているのは、「壮大な虚構精神」であり、私小説的な自伝小説には、自己否定と独特な「求道的態度」が脈打っていると三枝康高は解説し[4]、それらの作品には、安吾の狂気じみた「爆発的性格」と「ガランドウにも似た風格」が介在していると評している[4]

この「ガランドウ」という言葉は、小田原に安吾を招き共に生活をしたこともある三好達治が安吾を評して、「かれは堂々たる建築だけれども、中へはいってみると、畳が敷かれていない感じだ」と言った評を受け、安吾自身が笑ってしまい、自分のことを、「まったくお寺の本堂のような大きなガランドウに、一枚のウスベリも見当たらない。大切な一時間一時間を、ただなんとなく迎へ入れて送りだしてゐる。実の乏しい毎日であり、一生である。土足のままスッとはいりこまれて、そのままズッと出ていかれても、文句のいいやうもない。どこにもくぎりのないのだ。ここにて下駄をぬぐべしといふやうな制札が、まつたくどこにもないのである」と述べたことから来ている[59][4]

三島由紀夫も安吾を「敬愛する作家」として以下の言葉を選集に寄せている[60]

私は坂口安吾氏に、たうたう一度もお目にかかる機会を得なかつたが、その仕事にはいつも敬愛の念を寄せてゐた。戦後の一時期に在つて、混乱を以て混乱を表現するといふ方法を、氏は作品の上にも、生き方の上にも貫ぬいた。氏はニセモノの静安に断じて欺かれなかつた。言葉の真の意味においてイローニッシュな作家だつた。氏が時代との間に結んだ関係は冷徹なものであつて、ジャーナリズムにおける氏の一時期の狂熱的人気などに目をおほはれて、この点を見のがしてはならない。 — 三島由紀夫「私の敬愛する作家」[60]

そして、「太宰治がもてはやされて、坂口安吾が忘れられるとは、石が浮んで、木の葉が沈むやうなものだ」として、三島は安吾について以下のようにも評している[5]

坂口安吾は、何もかも洞察してゐた。底の底まで見透かしてゐたから、明るくて、決してメソメソせず、生活は生活で、立派に狂的だつた。坂口安吾の文学を読むと、私はいつもトンネルを感じる。なぜだらう。余計なものがなく、ガランとしてゐて、空つ風が吹きとほつて、しかもそれが一方から一方への単純な通路であることは明白で、向う側には、夢のやうに明るい丸い遠景の光りが浮かんでゐる。この人は、未来を怖れもせず、愛しもしなかつた。未来まで、この人はトンネルのやうな体ごと、スポンと抜けてゐたからだ。太宰が甘口の酒とすれば、坂口はジンだ。ウォッカだ。純粋なアルコホル分はこちらのはうにあるのである。 —  三島由紀夫「内容見本」(『坂口安吾全集』)[5]

注釈

  1. ^ 母・アサの兄で、吉田一族の中でもとりわけユダヤ人顔で眼の青い伯父が炳五ににじり寄り、「お前はな、とんでもなく偉くなるかも知れないがな、とんでもなく悪党になるかも知れんぞ、とんでもない悪党に、な」と言った〈薄気味悪さを呪文のやうに覚えてゐる〉と安吾自身も語っている[9]
  2. ^ 『言葉』の同人は、坂口安吾、江口清葛巻義敏、若園清太郎、関義、本多信、高橋幸一、長島萃、山沢種樹、野田早苗、脇田隼夫、青山清松、白旗武、片岡十一、根本鐘治、山口修三、山田吉彦(きだみのる)、大沢比呂夫、吉野利雄らであった[8]
  3. ^ 牧野信一は『風博士』を、「私は、フアウスタスの演説でも傍聴してゐる見たいな面白さを覚えました。奇体な飄逸味と溢るゝばかりの熱情を持つた化物のやうな弁士ではありませんか」と賞讃した[23]
  4. ^ 『文科』の同人は、坂口安吾、牧野信一坪田譲治田畑修一郎小林秀雄嘉村礒多井伏鱒二河上徹太郎中島健蔵佐藤正彰中山省三郎らであった[8]
  5. ^ 『櫻』の同人は、坂口安吾、井上友一郎田村泰次郎菱山修三河田誠一北原武夫、大島敬司、真杉静枝、高見沢矗江(小林秀雄の妹)、矢田津世子らであった[8]
  6. ^ 『現代文學』の同人は、坂口安吾、井上友一郎豊田三郎高木卓檀一雄野口富士男大井広介山室静、赤木俊(荒正人)、佐々木基一北原武夫菊岡久利南川潤宮内寒弥平野謙、杉山英樹らであった[8]
  7. ^ 安吾は、「現下の探偵小説界は、洋の東西を問わず、実はアベコベに、公理や算式がないことを利用して、勝手なデタラメをかき、クダラヌ不合理をデッチあげて、同じ穴のが、馴れ合って、埒もないものをヤンヤと云っているだけなのである」と批判している[37]
  8. ^ 『ろまねすく』の同人は、坂口安吾、辰野隆伊藤整太宰治林房雄田村泰次郎、清水昆、寒川光太郎らがいた[13]
  9. ^ 戌井昭人は、ヤクザ者に命を狙われ、追われていると思っていた安吾が、自分側の味方の仲間には、相当数の人間がいるんだというハッタリをかますために、100人前もライスカレーを頼んだのではないかと推察している[44]
  10. ^ 柄谷は、「彼の作品では、エッセイが小説的で、小説がエッセイ的である」と述べているため、この場合の「どんな作家にもあるような代表作」は、近代的小説を中心として見る戦後の文学史における小説らしい小説であり、柄谷が言うところの、「近代小説の形態」をなしている小説(エッセイ的でないもの)を含意している。
  11. ^ その意味で、奥野は、「坂口安吾は、ついに十全の自己表現の場を見いだしえなかった、永遠に未完成、未熟な悲劇の小説家といえよう」と述べている[1]
  12. ^ 初出は『坂口安吾全集15』(筑摩書房 1999年) ISBN 4-480-71045-0
  13. ^ その少し前に瀬波温泉から仁一郎宛に手紙を出していたため、岩船郡瀬波村大字浜新田字青山519番地(現・村上市浜新田)で死去したという説もある。

出典

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  3. ^ a b c d e 都筑道夫「安吾流探偵術」(『日本探偵小説全集10 坂口安吾集』東京創元社、1985年)
  4. ^ a b c d 三枝康高「作品解説」(文庫版『白痴・二流の人』角川文庫、1970年。改版1989年、2008年、2012年)
  5. ^ a b c 三島由紀夫「内容見本」(『坂口安吾全集』推薦文 冬樹社、1967年11月)。三島34巻 2003, p. 609に所収
  6. ^ 写真家・坂口綱男T.Sakaguchi Home
  7. ^ a b c 坂口安吾「をみな」(『作品』1935年12月号に掲載)
  8. ^ a b c d e f g 「年譜」(文庫版『白痴・二流の人』角川文庫、1970年。改版1989年、2008年、2012年)
  9. ^ a b c d e f g h i 坂口安吾「石の思ひ」『光』1946年11月
  10. ^ a b c d e 「年譜」(文庫版『風と光と二十の私と・いずこへ 他十六篇』岩波文庫、2008年)
  11. ^ 石川淳『諸国畸人伝』(筑摩書房、1957年、中公文庫、2014年)
  12. ^ 坂口安吾「日本文化私観」(『現代文学』第五巻第三号に掲載)
  13. ^ a b 「坂口安吾略年譜」(『KAWADE夢ムック文藝別冊 坂口安吾―風と光と戦争と』河出書房新社、2013年)
  14. ^ a b c d e f 「年譜」(文庫版『堕落論新潮文庫、2000年)
  15. ^ 坂口安吾「風と光と二十の私と」(『文藝』1947年1月号に掲載)
  16. ^ 鵜殿新「わが師友」(『坂口安吾選集第8巻』月報、創元社、1957年)。七北数人『評伝坂口安吾 魂の事件簿』(集英社、2002年)
  17. ^ a b 坂口安吾「二十一」(『現代文學』1943年9月号に掲載)
  18. ^ 坂口安吾「山口修三宛ての書簡」(昭和3年4月)
  19. ^ a b c d 坂口安吾「処女作前後の思ひ出」(『早稲田文学』1946年3月号に掲載)
  20. ^ a b c d e f g 江口清「若かりし日の坂口安吾」(『レイモン・ラディゲと日本の作家たち』清水弘文堂、1973年)
  21. ^ 坂口安吾「世に出るまで」(『小説新潮』1955年4月号に掲載)
  22. ^ 『エリック・サティ』新版は佐藤朔により改訂刊行(深夜叢書社、1977年、新版1990年)
  23. ^ 牧野信一「『風博士』」(『文藝春秋]』1931年7月号に掲載)
  24. ^ 坂口安吾 若き日の探偵小説 短編「盗まれた一萬圓」朝日新聞』朝刊2022年12月6日(社会・総合面)2022年12月14日閲覧
  25. ^ a b c 「坂口安吾 作品ガイド100」(『KAWADE夢ムック文藝別冊 坂口安吾―風と光と戦争と』河出書房新社、2013年)
  26. ^ 坂口安吾「矢田津世子宛ての書簡」(1936年6月16日付)
  27. ^ 坂口安吾「二十七」(『新潮』1947年3月号に掲載)
  28. ^ 坂口安吾「古都」(『現代文學』1942年1月号に掲載)
  29. ^ 坂口安吾「かげろふ談義」(『文体』1939年1月号に掲載)
  30. ^ 坂口安吾「ぐうたら戦記」(『文化展望』1947年1月号に掲載)
  31. ^ 渡辺喜一郎『石川淳傳説』右文書院、2013年 pp.151-153
  32. ^ 阿部定×坂口安吾 ぢや強く生きてください」(『KAWADE夢ムック文藝別冊 坂口安吾―風と光と戦争と』河出書房新社、2013年)
  33. ^ 「私の探偵小説」(『宝石』1947年6月号に掲載)
  34. ^ 坂口安吾「推理小説論」(『新潮』1950年4月号に掲載)
  35. ^ a b 大井広介「犯人あてと坂口安吾」(『日本探偵小説全集10 坂口安吾集』東京創元社、1985年)
  36. ^ 坂口安吾「探偵小説とは」(『明暗』1948年2月号に掲載)
  37. ^ a b c 坂口安吾「探偵小説を截る」(『黒猫』1948年7月号に掲載)
  38. ^ 坂口安吾「推理小説について」(『東京新聞』1947年8月25日、26日号に掲載)
  39. ^ a b 坂口三千代クラクラ日記』(文藝春秋、1967年)
  40. ^ 坂口安吾「わが思想の息吹」(『文藝時代』1948年3月号に掲載)
  41. ^ a b c d e 「解題」(『坂口安吾全集8』筑摩書房、1998年)
  42. ^ 絵ばなし:昭和傑作列伝 松本清張『或る「小倉日記」伝』 鴎外を追う 孤独を埋める”. 毎日新聞 (2019年8月25日). 2021年9月12日閲覧。
  43. ^ 「坂口氏の思い違い」『朝日新聞』昭和26年9月22日3面
  44. ^ a b c d 戌井昭人「安吾は、どうしてライスカレーを百人前頼んだのか」(『KAWADE夢ムック文藝別冊 坂口安吾―風と光と戦争と』河出書房新社、2013年)
  45. ^ 檀一雄『小説坂口安吾』(東洋出版、1969年)
  46. ^ 坂口安吾「砂をかむ」(『風報』1955年3月号に掲載)
  47. ^ a b 坂口綱男『安吾と三千代と四十の豚児と』(集英社、1999年)
  48. ^ 坂口安吾 私の葬式青空文庫
  49. ^ a b 中島河太郎「坂口安吾年譜」(『日本探偵小説全集10 坂口安吾集』東京創元社、1985年)
  50. ^ a b c 権田萬治「解説」(文庫版『復員殺人事件』角川文庫、1977年。再版1978年)
  51. ^ a b c d e 柄谷行人「坂口安吾とフロイト」(新潮文庫 2000, pp. 283–302)
  52. ^ 「FARCE に就て」(青い馬 第5号、1932年3月)
  53. ^ 『KAWADE夢ムック文藝別冊 坂口安吾―風と光と戦争と』(河出書房新社、2013年)
  54. ^ 檀一雄「作品解説」(角川文庫 1996, pp. 261–266)
  55. ^ 磯田光一「坂口安吾 人と作品」(角川文庫 1996, pp. 255–261)
  56. ^ a b 七北数人「解説」(風と光 2008, pp. 391–402)
  57. ^ a b 小川徹「坂口安吾」(文藝 1967年7月号に掲載)
  58. ^ a b 佐藤春夫「文学の本筋をゆく――坂口安吾選集」(『読売新聞』夕刊 1956年8月1日号)
  59. ^ 三好達治「若き日の安吾君」(『路傍の秋』筑摩書房、1958年)
  60. ^ a b 三島由紀夫「私の敬愛する作家」(『坂口安吾選集』内容見本 東京創元社、1956年6月)。三島29巻 2003, p. 225に所収
  61. ^ 坂口安吾「私の碁」(『囲碁春秋』1948年12月号に掲載)
  62. ^ 青空文庫でも参照が可能である。http://shogikifu.web.fc2.com/essay/essay021.html
  63. ^ 坂口安吾『明日は天気になれ』
  64. ^ https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card42891.html 青空文庫『天皇小論』参照
  65. ^ https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card42891.html 青空文庫『坂口流の将棋観』参照
  66. ^ 坂口安吾「安吾の新日本地理 安吾・伊勢神宮にゆく」(『文藝春秋』第二九巻第四号に掲載)
  67. ^ https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card45898.html 青空文庫『戦後合格者』参照(『新潮』第四八巻第三号に掲載)
  68. ^ https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card43150.html 青空文庫『インテリの感傷』参照
  69. ^ 青空文庫『安吾巷談「教祖展覧会」』参照 https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card43182.html
  70. ^ https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card42625.html 青空文庫『日本文化私観』参照
  71. ^ 『坂口安吾全集』(全17冊、筑摩書房、1998-1999年)ほか
  72. ^ a b c 坂口安吾年譜・詳細版 前史 2018年2月12日閲覧。






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