高野三三男とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 人名 > 美術人名辞典 > 高野三三男の意味・解説 

高野三三男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/22 15:57 UTC 版)

1952年

高野 三三男(こうの みさお、1900年3月30日 - 1979年8月15日)は、東京府東京市深川区(現・江東区)出身のフランスと日本で活躍したアール・デコ様式の画家。パリモンパルナスで活躍したエコール・ド・パリに括られる。

府立一中を経て東京高等商船学校(現・東京海洋大学)を中退後、1921年本郷洋画研究所に入所し、岡田三郎助に師事する。翌年の1922年に東京美術学校(現・東京藝術大学)洋画科に入学する。1924年関東大震災による復興の騒ぎで落ち着いて絵画の制作が出来ないことから同級生の岡田謙三や高崎剛、後に妻となる岡上りうらと共に渡仏する。

渡仏後は、個展の開催やサロン・デ・ザンデパンダンサロン・ドートンヌ、サロン・デ・ナショナルなどの展覧会に出品し、フランス画壇に認められるようになる。女性の寝室を描いた絵画(ブドワール・ピクチャー)やコロンビーヌやアルルカンといったイタリア喜劇のモチーフを得意とし、1930年フランス政府に買い上げられた《仮面舞踏会の夜》も同様のモチーフと思われる。

1940年藤田嗣治とともに帰国。帰国後一水会の会員として、毎年作品を出品し、中心的存在になる。その他にも文展日展等の審査員を歴任し、1954年には現代日本美術展で大衆賞を受賞する。1979年肺血腫のため、品川の病院にて没する。

娘はピアニストの高野耀子

主な作品

婦人画報

婦人画報の表紙絵を担当、映画女優の肖像画を得意とした。宮沢賢治が婦人画報に自分の作品に挿絵を描いていた時代と、ほぼ平行する。

出演番組

関連項目



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「高野三三男」の関連用語

高野三三男のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



高野三三男のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの高野三三男 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS