日・仏とは? わかりやすく解説

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にち‐ふつ【日仏】

読み方:にちふつ

日本フランス。「—辞書


日仏

読み方:ニチフツ(nichifutsu)

日本とフランスの関係は、安政2年の日仏和親条約締結に始まる。


日仏関係

(日・仏 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/19 00:14 UTC 版)

日仏関係

日本

フランス

日仏関係(にちふつかんけい、フランス語: Relations Franco–Japonaises)では、日本フランスの両国関係について総合的に述べる。

概説

日仏関係の歴史は17世紀初頭にまで遡り、スペインから海路ローマに向かっていた日本の慶長遣欧使節1615年に南フランスに上陸したことに始まる。

およそ2世紀に渡る鎖国政策が解かれ、両国は19世紀後半以降軍事経済法律芸術分野において重要な関係を築いていった。江戸幕府ジュール・ブリュネ軍事顧問団を通じて軍備の近代化を進め、明治政府も陸軍兵制にフランス式を導入した。またその後も日本はさまざまな分野で特にルイ=エミール・ベルタン大日本帝国海軍の創設期において造船産業の発展に寄与し、また法令の整備などについてもギュスターヴ・エミール・ボアソナードなどフランスの支援を受けていた。ただし、明治政府(大日本帝国)は戊辰戦争普仏戦争の結果を受け、イギリス(イギリス帝国)やドイツ帝国の方が近代化モデルに好適と考え、フランスの影響は両国と比較すると相対的に小さくなった。

その後の日仏関係は他国との関係に左右され、第二次世界大戦では両国軍が交戦し、戦後はフランス政府による日本占領への間接的関与も起こったが、外交関係の回復後は概ね良好な関係を維持している。ただし時として経済・文化面での不満が特にフランス側から提起される事象もある。

フランスは近代芸術において日本の美術すなわちジャポニスムに感化されている点があり、また印象派などに影響を与えた。またフランスで繁栄した絹織物産業は日本の支援を受けていた。一方で日本でもフランス文化は幅広く受容され、特に絵画や彫刻を顕著に、日本の美術は若手から大家まで数多くの芸術家が現地渡航や知識の摂取などで強烈な影響をフランスから受け、これは映画やファッションなど芸術分野の全般に及んだ。また、国際法や国際組織ではフランス語英語と並んで主流となっている側面もあり、大学での第2外国語などではフランス語が幅広く学ばれている。

両国の比較

日本 フランス
人口 1億2614万6000人(2020年10月[1] 6706万人(2020年1月[2]
国土面積 37万7975平方キロメートル[3] 54万4000平方キロメートル[2]
首都 東京 パリ
最大都市 東京都区部 パリ
政体 議院内閣制、立憲君主国[注釈 1] 半大統領制共和国
公用語 日本語 フランス語
国教 無し 無し
GDP(名目) 5兆648億7300万米ドル(2020年[4] 2兆6030億400万米ドル(2020年[4]
防衛費 491億米ドル(2020年[5] 527億米ドル(2020年[5]

日仏関係史

18世紀以前

家康からオランダへ贈られた甲冑であるが、ルイ14世がオランダを侵攻した際の戦利品としてフランスに持ち帰り、東国を知る象徴としてベルサイユ宮殿の天井画にこの甲冑が描かれている
17世紀にフランスを訪れた支倉常長
  • 1600年代から1610年代 - 同年代作製の日本甲冑がフランスに4領現存する。形式から徳川家康が贈ったものと見られる。ただし、そのうちの最も知られているヴェルサイユ宮殿の鏡の廊下に描かれている甲冑は、ルイ14世がゲント(当時オランダ戦争を繰り広げていた)からの戦利品であることが天井画に記されており、甲冑の現物はパリのアンヴァリッド廃兵院(軍事博物館)にあることから、フランスとの直接的関係があるものではないが、当時の為政者であるルイ14世が日本を意識していたことを示す史料と考えることができる。ちなみにこれらの鎧は徳川家康と秀忠についていた甲冑師・岩井与左衛門の作品であることがわかるが、施された蒔絵の鶴丸紋から、森家、蒲生家あたりの由来が推察される。
  • 1615年 - 仙台藩伊達政宗がローマに派遣した慶長遣欧使節の支倉常長サントロペに上陸、この出来事がフランスと日本の初めての接触とされる。
  • 1619年 - フランスのユグノーの家に生まれたフランソワ・カロンオランダ東インド会社社員として日本に着任。フランス出身の人物が日本を訪れたのはこれが最初である。カロンは20年間日本に滞在し商館長にまで出世し、帰国後の1664年フランス東インド会社の設立時の社長となる。カロンは日本との交易も計画したが、これは実現しなかった[6]
  • 1636年 - フランス・ドミニコ会の宣教師ギヨーム・クルテフランス語版が日本に上陸する。クルテは江戸幕府が発した1613年禁教令に反し、秘密裏に布教活動を行っていた。その後拘束、拷問を受け、1637年9月29日薩摩藩鹿児島で死亡した。
  • 1640年から1780年までフランス人が日本を訪れたという記録は残っていない。
  • 1787年 - ラ・ペルーズが日本の海域を航海する。ラ・ペルーズは琉球を訪れ、また蝦夷地樺太の間にある海峡にその名がつけられた(宗谷海峡のこと。国際的な正式名称はラ・ペルーズ海峡である)。
  • 1794年 - 1789年開始のフランス革命に関する情報が、長崎出島オランダ商館が提出したオランダ風説書によって幕府に伝えられる。

19世紀

セントヘレナで囚われの身のナポレオン(当時の日本の挿絵)
第1回遣欧使節(1862年)
1867年、第1回遣日フランス軍使節団が送られる。前列右から2人目がジュール・ブリュネ。
在フランス日本公使館の印(明治時代初期)
1898年、日本で初めて自動車パナール・ルヴァッソールが走る。

20世紀前半(1945年以前)

20世紀後半(1945年以降)

1959年6月、読売ホールで第2回「フランス映画祭」が開催された。歓迎パーティーで日本の女優たちに囲まれるミレーヌ・ドモンジョ[7]
溝口健二の墓参りをするジャン=リュック・ゴダール(1966年5月4日、京都市)

21世紀

現在の日仏関係

フランスのジャック・シラク大統領。

近年のフランスは、日本との通商面や文化面での交流を強めている。一部ではこの関係が強まったことはフランスのジャック・シラク元大統領が親日家であったためとの見方を持っている。シラク大統領は、国家元首としては最多とされる40回以上の訪日経験を持ち、日本について精通している。フランスでは輸出奨励運動 Le Japon, c'est possible (ル・ジャポン・セ・ポシブル、日本語で「日本、それは可能である」)が行われ、人材交流としては外国語青年招致事業も盛んである。このほか、パリ日本文化会館も開設されている。

ただし、シラク大統領の日本への傾倒には反対派からの批判が強く、上記の秘密口座疑惑に加え隠し子の存在も噂として流される事態となった。この反動もあり、保守派の国民運動連合から2007年フランス大統領選挙に勝利しながらシラクへの批判を続けていたニコラ・サルコジが2004年、「日本の相撲は知的なスポーツでは無い。」と語ったとして日本の平林博駐フランス大使に釈明する事態を招き、同大統領選挙の決選投票で敗れたセゴレーヌ・ロワイヤルも日本のアニメに対して暴力的で性表現が多いという批判を続けるなど[32]、クレッソンの「アリ発言」に続いてフランス社会党の有力政治家による日本への厳しい姿勢が報じられた。一方でフランス国民戦線のナンバー2(全国委員)を長く勤めたブルーノ・ゴルニッシュは日本留学を経験して日本人と結婚するなど、特にフランス政界での対日観は非常に多様で、時として上記のような舌禍も起こる不安定さをはらんでいる。また日本の政財界でフランスへの留学・赴任経験を持つ人物は、特に第二次世界大戦後はアメリカやイギリスと比較すると少ない[33]

なお、パリ在住の文化史家でもある竹下節子もその著書のなかで、フランスは日本が歴史上主要国のなかで直接戦火を交えていない国であることを指摘している[34]。ただし、実際には第二次世界大戦末期の明号作戦で日本軍がフランス領インドシナ軍と交戦しこれを制圧している他、フランス艦隊は下関戦争にも参加している。

分野別

国際協力

国際協力の分野では、フランスと日本は共同でジブチマダガスカルウガンダなどの国でのHIVや発育不全といった危機的な健康問題にも取り組んでいる。しかし、フランスがヨーロッパ連合に同化するにつれ、日本を含むヨーロッパ以外の国々との関係が疎かになりつつある。

文化

日本とフランスでは相互に芸術と料理の分野で影響し合っている。日本では、テレビ番組である「料理の鉄人」などに見られるようにフランス料理が日本の料理界に大きな位置を占めている。フランスではアニメが人気を集めているが、外国文化の流入に対し強い警戒心を持つフランスはスクリーンクォータの一種である「ブロードバンドクオータ」を実施し[35]、テレビ局での日本製アニメの放送時間はドイツなどと比較すると少ない[36]

また、日本の娯楽においても中世ルネサンス期・ナポレオン時代・世界大戦期といったフランスの歴史的な人物や設定がモデルとなっていることもある。日本画浮世絵の純粋さと、フランスの視覚芸術の近代性と気品は、絵画という創作分野において融合されている。これは日本人にフランスへの関心や親近感を高め、その貢献を認められた池田理代子にフランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章が授与された事もあった。

科学技術

科学技術の分野でも日仏両国は原子力エネルギー生成の分野において緊密な協力関係を構築している。2005年6月、フランスと日本はコンコルドの後継となる次世代型超音速商業飛行機の開発で協力することを発表した[37]。これらの協力関係の一方で世界各国への高速鉄道や原子力発電所の受注では激しい競争関係にあり[38]、ITERではフランスが誘致合戦に勝利した。

スポーツ

大相撲本場所では、在日フランス大使館より日仏友好杯[39]が贈られる[40]

人物

日本に関係するフランス人

フランスに関係する日本人

脚注

注釈

  1. ^ 解釈が異なる見解については、立憲君主制の項にある注釈の中の記載を参照。

出典

  1. ^ 令和2年国勢調査 人口等基本集計 結果の要約』(PDF)(プレスリリース)総務省、2021年11月30日。オリジナルの2021年12月1日時点におけるアーカイブhttps://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11969009/www.stat.go.jp/data/kokusei/2020/kekka/pdf/summary_01.pdf2022年3月9日閲覧 
  2. ^ a b フランス共和国基礎データ”. 国・地域. 外務省 (2021年3月17日). 2021年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月11日閲覧。
  3. ^ “第1章 国土・気象” (PDF). 日本の統計2022. 総務省統計局. (2022年3月). p. 2. オリジナルの2022年3月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220309042516/https://www.stat.go.jp/data/nihon/pdf/22nihon.pdf 2022年3月9日閲覧。 
  4. ^ a b Gross domestic product 2020” (PDF) (英語). 世界銀行 (2021年10月29日). 2022年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月9日閲覧。
  5. ^ a b “Trends in World Military Expenditure, 2020” (英語) (PDF). SIPRI Fact Sheet (ストックホルム国際平和研究所). (April 2021). オリジナルの2022年3月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220308094719/https://www.sipri.org/sites/default/files/2021-04/fs_2104_milex_0.pdf 2022年3月9日閲覧。. 
  6. ^ 日本は鎖国中でありカソリック国との交流は禁じられていたが、当時のフランス経済とくに海上交易においては、プロテスタントに分類されるユグノーの役割が大きかった(ユグノー#ユグノーとフランス経済史)。
  7. ^ a b キネマ旬報』1959年7月夏の特別号。
  8. ^ 難波ちづる, 国立公文書館所蔵の「サイゴン裁判」関係資料について, 北の丸:第41号 (平成20年12月)
  9. ^ また、志賀は当用漢字現代仮名遣いには嫌悪感を示していた。阿川弘之「志賀直哉」下巻P196~、新潮文庫
  10. ^ 「フランス協会復活」『朝日新聞』昭和26年10月21日
  11. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第11』東京書籍、2017年3月30日、366頁。ISBN 978-4-487-74411-4 
  12. ^ フランス共和国の戦犯特赦に対する感謝決議”. 参議院 (1953年2月6日). 2013年4月30日閲覧。
  13. ^ 調印当時の仮称は「フランス美術館」。
  14. ^ a b c 台東区公式サイト、「国立西洋美術館を世界遺産に」ページ内、「国立西洋美術館の生い立ち」。2017年1月8日閲覧。
  15. ^ 『スタア』1954年1月号。
  16. ^ ル・コルビュジエはスイス出身だが、長くパリで活動していた。
  17. ^ フィンセント・ファン・ゴッホの『ファンゴッホの寝室』などの一部コレクション作品は戦時賠償の結果としてフランス政府の所有権が確定。
  18. ^ 映画評論』1959年7月号。
  19. ^ 『映画ストーリー』1963年6月号、雄鶏社。
  20. ^ 「座談会 フィルムの幻影に憑かれて―アンリ・ラングロワ氏に聞く」 『映画評論』1966年5月号、82-87頁。
  21. ^ 柴田駿白井佳夫「ゴダール監督の日本の10日間」 『キネマ旬報』1966年6月上旬号、50-54頁。
  22. ^ 稲賀繁美 (2004年3月20日). “ロラン・バルト あるいは「虚構」としての日本”. 放送大学. 2023年8月22日閲覧。
  23. ^ 朝吹亮二 (2016年1月1日). “サルトル、ボーヴォワール:義塾を訪れた外国人”. 三田評論. 2023年8月22日閲覧。
  24. ^ 『映画情報』1966年12月号、国際情報社、「フランス映画祭華やかに開幕」。
  25. ^ 『映画評論』1966年12月号、81-94頁、「フランス映画は衰退したか」。
  26. ^ 東日本大震災に対するヨーロッパ諸国の対応」も参照。
  27. ^ 日本サッカー協会での登録名はフランス語読みの「ヴァイッド・ハリルホジッチ」。
  28. ^ https://iwj.co.jp/wj/open/archives/433472
  29. ^ https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20180924/
  30. ^ 文氏「北朝鮮制裁緩和」要請2日後…仏大統領、安倍氏と「制裁強化」で一致”. 中央日報 (2018年10月18日). 2018年10月19日閲覧。
  31. ^ a b 山崎あき (2020年7月7日). “日本を含む域外13カ国からの入国規制を解除、14日間の隔離を求めず”. ジェトロ. 2024年5月14日閲覧。
  32. ^ ただし、ロワイヤルが日本の社民党福島瑞穂党首との会談(両者とも女性)で「日本の女性は大変でしょう」と語り、クレッソンの人種差別主義とは一線を画した。
  33. ^ 留学例としては東京大学の助手からパリ大学の助手となり、フランスの政治・外交を研究した舛添要一が挙げられる。舛添はフランス人女性と結婚したが離婚し、帰国後に大蔵省からフランス国立行政学院(ENA)へ派遣留学の経験を持っていた片山さつきと再婚するも、その後再び離婚している。またJR東日本会長となった山之内秀一郎も1969年に国鉄から国際鉄道連合(UIC)へ出向し、パリに在住した経験を持つ。
  34. ^ 竹下(2006)
  35. ^ これがロワイヤルの日本アニメ批判にもつながっている。なお、スクリーンクオータはアメリカ合衆国の映画ハリウッド映画)の上映を制限する保護主義政策。
  36. ^ 日本貿易振興機構(JETRO)市場開拓部輸出促進課 2005年3月 「フランスにおける日本アニメを中心とするコンテンツの浸透状況」
  37. ^ 日仏航空機産業による超音速旅客機に関する共同研究について 経済産業省 2005年6月14日(PDF形式)
  38. ^ 一例として、ベトナムにおける原子力発電所や高速鉄道計画での競争が挙げられる。出典:朝日新聞2010年1月17日付 ベトナム、原発導入急ぐ 東南アジア初、受注狙う日仏
  39. ^ 2000年に当時のシラク大統領が「フランス共和国大統領杯」として創設したもの。
  40. ^ 横綱白鳳に日仏友好杯を贈呈 - 在日フランス大使館

参考文献

  • クリスチャン・ポラック 著\石塚里奈、伊藤直子他 訳『絹と光 知られざる日仏交流100年の歴史 江戸時代~1950年代』(アシェット婦人画報社、2002年) ISBN 4-573-06210-6
  • 立川京一『第二次世界大戦とフランス領インドシナ 「日仏協力」の研究』(彩流社、2000年) ISBN 4-88202-644-9
  • 竹下節子『アメリカに「NO」と言える国』(文春新書、2006年) ISBN 4-16-660491-0

関連項目

外部リンク


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