日什とは? わかりやすく解説

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にちじゅう〔ニチジフ〕【日什】

読み方:にちじゅう

1314〜1392]南北朝時代日蓮宗の僧。会津の人。妙満寺派(今の顕本法華宗)の祖。通称玄妙阿闍梨(あじゃり)。比叡山学び天台僧となる。66歳のとき日蓮著書読み日蓮宗帰した京都妙満寺建立。著「治国策」など。


日什

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/17 13:53 UTC 版)

日什
1314年 - 1392年
玄妙阿闍梨
生地 陸奥国
没地 陸奥国
宗派 顕本法華宗
寺院 妙満寺
慈遍
弟子 日仁
妙国寺
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日什(にちじゅう、正和3年4月28日1314年6月11日〉 - 明徳3年2月28日1392年3月22日〉)は、南北朝時代法華宗顕本法華宗の開祖。陸奥国の出身。号は玄妙阿闍梨。幼名は玉千代丸、後に権太夫国重と名乗る。

略歴

1314年(正和3年)陸奥国会津黒川で誕生する。父は鎌倉出身の石堂覚知[1]、母は蘆名盛宗の娘、清玉姫。

1333年(正慶2年)比叡山に登り天台宗慈遍卜部兼好の兄)を師として出家する。名を玄妙と改める。

1352年(文和元年)延暦寺の学頭となる。

1372年(応安5年)会津領主の蘆名直盛の招きにより、現・羽黒山湯上神社の別当寺・羽黒山東光寺(廃寺)の住職となる。

1380年(康暦2年)日蓮宗弘法寺に帰伏する。その後、名を日什と改め前述の帰伏を破棄。

1381年(永徳元年)帝都弘通のため上洛する。関白らと対面し、これを通じて後円融天皇へ上奏し、「二位僧都」の位と「洛中弘法の綸旨」を賜る。

1382年(永徳2年)足利氏満へ諌暁する。本興寺の住持となる。

本光寺を創建する。

1383年(永徳3年)玄妙寺を創建する。

1389年(康応元年)日什は妙満寺を建立し、日什門流という一派を興す。

1391年(明徳2年)足利義満へ諌暁する。

1392年(明徳3年)日什は入滅する。

参考文献

  • 鷲尾順敬『日本仏家人名辞書』光融館、1903年、946頁。NDLJP:816939/684  日什の項(近代デジタルライブラリー上では684コマ)

脚注

  1. ^ 石堂氏の一族か[要出典]



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