開発と特徴とは? わかりやすく解説

開発と特徴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:49 UTC 版)

F-84 (戦闘機)」の記事における「開発と特徴」の解説

F-84設計XP-84として1944年から始まった初飛行1946年2月28日。まず実用試験機YP-84A15製造された後、幾度改設計加えたF-84B空軍採用され226機が発注された。1947年からの部隊配備開始並行してリパブリック社では生産が行われ、約1年間発注機数を納入している。 ジェット時代初期機体らしく、エアインテーク機首配置され主翼オーソドックス直線翼採用した。しかし、細く洗練された胴体によりF-86とほぼ同等速度性能示したとはいえ高高度での機動性F-86劣っており、またエンジン推力が不足気味で「地面離れようとしないあばずれと言われるほど離陸滑走距離が長かった。それでもP-47後継らしく機体強靭さには定評があった。またジェット機としては早い段階空中給油能力付加され1950年9月22日にはターボジェット単座戦闘機として初め空中給油により北大西洋無着陸横断成功している。 最初量産型であるF-84Bは、整備性まつわるトラブル主翼強度不足が判明したため、1952年早々退役しF-84C生産移行したその後改良続けられ最終型となったF-84GF-84F開発遅延を補うために約3,000機が生産された。この型は、単座戦闘機として初め核爆弾搭載可能な戦闘爆撃機でもあった。サンダージェットNATO加盟国中心とした同盟国にも多数供与され1950年代前半航空兵力の一翼担ったまた、1953年結成されサンダーバーズ初代使用機として1955年まで使用された。

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開発と特徴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 06:12 UTC 版)

ルクス (装甲車)」の記事における「開発と特徴」の解説

ルクス開発1964年から開始された。当時西ドイツ陸軍偵察用い装甲車として、第二次世界大戦使用されSd Kfz 231Sd Kfz 234の様な装甲車求め各社要求書出した。これに答えた各社は、共同研究開始したが、ダイムラー・ベンツだけは独自に開発進め最終的にダイムラー・ベンツ開発した車両採用された。 この車両は八輪駆動で、八輪全て操舵が行える上、独立懸架採用し全輪に油圧ショックアブソーバー装備する事により、路上・路外を問わず安定した走行が可能となっている。更に、素早く後退する事を考慮し操縦席前方だけではなく後方向きにも設けられ後方側の操縦席には無線手が座り緊急時には方向転換せず後ろ向いたまま後退する事ができる。走行時に周囲発する騒音抑えられ、特に野外での静粛性優れているその他にも、車体後部スクリューを2基装備し水上でも浮航してある程度活動が行える様になっており、高い機動力を持つ装甲車となっている。 車体は、当時西ドイツ仮想敵国であったワルシャワ条約機構軍が広く使用していたBTR-60BRDM-2などが装備する14.5mm KPVT重機関銃に耐えられる様に避弾経始考慮され車体全体傾斜付けられており、車体前面は20mm砲弾直撃にも耐えられる装甲となっている。 武装は、MK.20 Rh202 20mm機関砲装備し対地は勿論、対空射撃も可能となっている。また、車体全体NBC防護能力付与されている。 こうして開発されルクスは、1968年から試験が行われ、装甲偵察車2型(Sp.Pz.2)として採用の後、1975年から配備開始された。以後1978年生産終了まで408両が生産された。

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開発と特徴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 07:11 UTC 版)

デ・ハビランド バンパイア」の記事における「開発と特徴」の解説

バンパイア開発は、イギリス空軍RAF)が仕様E.6/41を1941年出した事から開始された。ジェット黎明期当時は、それまでレシプロエンジンとは全く異なジェットエンジン搭載するための機体形式がまだ定まっていなかったので様々な形式考案され本機ジェット排気スムーズに後方流し、かつ機体重量軽減を図るため、双ブーム形式後部ジェットエンジン装備した短い胴体尾翼をつなげることにした。後にシービクセンまで受け継がれた双ブームジェット戦闘機始まりである。さらにモスキート培った経験生かし木製合板コクピット周辺構成する素材として使用した原型機1943年9月20日初飛行した。これはグロスター ミーティア初飛行から遅れること約半年であり、本機イギリス2番目のジェット戦闘機となったテスト結果良好イギリス空軍1944年5月に140機の生産・配備決定した続いて1945年には160機が追加発注されたが、第二次世界大戦中既存機体大量生産優先されたため、量産型部隊配備されたのは1946年からとなってしまった。 当初の装備エンジン推力1,225kgのゴブリンIだったが、途中から推力1,410kgのゴブリンII、そして推力1,520kgのゴブリン3に換装された。また与圧キャビン化や水滴風防採用などの改良生産開始から早い段階行われた本機エンジン単発であり、速度性能では双発ミーティアよりも劣っていた。ただしミーティアエンジン配置双発レシプロ戦闘機同様の古めかしいスタイルであり、運動性では双ブーム形式本機の方が上回っていた。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:49 UTC 版)

F-84 (戦闘機)」の記事における「開発と特徴」の解説

リパブリック社設計陣は、XP-84初飛行後から後退翼機の検討進め1947年3月にはアメリカ陸軍航空隊XP-84後退翼版を提案した戦後軍縮最中であり、この提案受け入れられる環境にはなかった。1949年入り陸軍から独立したアメリカ空軍再度提案しYF-96として試作機1機の開発認められた。試作機167日間完成し飛行試験が行われたが搭載エンジンのXJ35の推力不足が原因思うよう速度性能出せず、空軍採用には消極的だった。 しかし、1950年朝鮮戦争勃発戦闘爆撃機大量に必要になったことから、エンジン強化した試作機YF-84F 2機の開発認めた。YF-84Fは燃料搭載量増加のため胴体サンダージェット比し太くした上でエンジン強力なJ65(アームストロング・シドレー サファイアライセンス生産型)に換装し、1950年6月3日初飛行大幅な性能向上を示したため直ち採用された。しかしエンジン不具合により配備1954年までずれ込み朝鮮戦争には間に合わなかった。 後退翼採用エンジン強化により速度性能向上したが、太い胴体大型化した空気取り入れ口によって空気抵抗増加しF-86僅かに上回る程度しか向上しなかった。また重量増加により機動性逆に低下してしまっていた。しかしサンダージェットから受け継いだ搭載量航続性能はさらに高まっており、総合的な性能向上したと言える偵察機型RF-84Fサンダーフラッシュ(Thunderflash)の愛称呼ばれ空気取り入れ口主翼付け根移され再設計された機首合計6台のカメラ設置されたことで外見大きく変化している。 サンダーストリーク偵察機型合わせ3,426機が生産された。この内、約1,600機がサンダージェット運用していた同盟国後継機として供与された。また、サンダーバーズ2代目使用機として1955年から1956年1年間だけ使用された。配備された頃には既にセンチュリーシリーズ代表される超音速ジェット戦闘機登場し始めており、性能面で特に優れている所がないと判断されたため、基本的に対地攻撃機戦闘爆撃機として使用された。1960年代に入ると早くも第一線退いている。なお、サンダーフラッシュギリシャにおいて1991年まで運用されていた。

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MiG-15 (航空機)」の記事における「開発と特徴」の解説

第二次世界大戦後アメリカ合衆国ソビエト連邦占領したドイツ国内から大量先進的航空技術データ、そして開発技術者入手し、それらの技術データ活用した航空機の開発進めた中でもソ連は、戦時中ドイツ研究していた後退翼データ入手したことにより、それまで独自に開発していたジェット戦闘機よりも高性能機体開発できるようになった設計者ミコヤン遠心圧縮式ターボジェットエンジンであるロールス・ロイス ニーン2のサンプルイギリスロールスロイスから入手した。(この時、ミコヤンイギリスロールスロイス社に招かれた時、ビリヤード勝負勝った褒美として購入許可得た上、タービンブレード使用されている合金は製作時に発生する切削くずを靴底吸着させるやり方入手し合金組成分析して解明した後に製造した。)このエンジン無許可コピーして独自改良型RD-45Fとし、機体アメリカイギリス戦闘機対抗するため徹底的に軽量化された。大量生産容易にするため、翼端失速対策として、主翼前縁スラットなどの複雑な機構用いず境界層分離板(ダイバータ)で代用するなど、艤装品なども必要最小限止められ全体的に質実剛健設計となっている。MiG-15量産性が良く軽量な機体による軽快運動性持ち機首に非常に強力な37 mm機関砲(N-37)と23 mm機関砲初期生産型NS-23、NR-23)を搭載する優れた機体となった。またソ連機の特徴で、降着装置荒れた滑走路でも問題なく離着陸出来る非常に頑丈な作りになっている開発急ピッチで進められ1947年には初飛行成功し優れた性能示したため、すぐに大量生産開始された。一方で開発急ぎすぎたために様々な欠陥抱え込むことにもなった。その一つに、高高度飛行高速飛行中に突然、スピン陥るという重大なものがあったが、これに対して速度計エアブレーキ連動してマッハ0.92を超えないようにして対処した。しかし、当時ソ連にはアメリカなどに比べて優れたジェット戦闘機無かった上、欠点補って余りある性能保持していたため、15,000機以上が生産されソ連衛星国友好国東側諸国)にも大量に供与された。欠陥多数開発され改良型徐々に解決されていき、改良型VK-1エンジン搭載し最も多く生産されMiG-15bis (МиГ-15бис) は、当時の大抵の西側戦闘機凌駕する性能発揮した

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/20 08:31 UTC 版)

スーパーマリン シミター」の記事における「開発と特徴」の解説

開発第二次世界大戦終了直後1945年イギリス海軍要求開始された。当時ジェット機試行錯誤段階在りシミター機体軽量化するため降着装置装備せず胴体着陸を行う事も計画案盛り込まれたが、計画煮詰める際にこの要求却下された。やがて、ドイツから後退翼研究データ持ち出されるシミターにも後退翼採用されエリアルール採用した機体は独特のくびれを持っていた。シミター戦闘機攻撃機戦術偵察機として使用できる様に設計され多用艦上機であったその後1951年初飛行し、1958年にはホーカー シーホーク交代する形で部隊配備開始された。

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デ・ハビランド ベノム」の記事における「開発と特徴」の解説

ベノムデ・ハビランド社の前作バンパイア性能向上型として開発され機体で、当初バンパイア FB.8と呼ばれていた。しかし、機体各部再設計改良し変更点多くなったため、開発途中からベノム改名された。バンパイアの双ブーム形式胴体継承しつつ、性能上のためエンジンデ・ハビランド ゴブリンからより強力なデ・ハビランド ゴースト換装し、純然たる直線翼であった主翼前縁なだらかな後退角角度17度)がかかったものになった。また翼端には増槽搭載し航続距離延長図った試作機1949年9月2日初飛行バンパイア比し100 km/h上の速度向上を示したためイギリス空軍採用され1952年から部隊配備開始された。運動性上昇性能優れ機体強度高かったため、バンパイア代わる戦闘爆撃機として使用された。あくまでも本格的な後退翼機が就役するまでの繋ぎとしての性格機体だったが、直線翼ジェット戦闘機としては性能極めて秀で、特に高高度での運動性F-86 セイバーなどの後退翼機を上回っていた。ただし初期型には機体構造的な問題があり、射出座席空調設備装備されていなかったため、後のモデルではこれらの欠点解消され油圧作動式のエルロン導入された。 1950年フランスによってアメリカF-84 サンダージェット併せてNATO標準戦闘機とする案が提唱されイギリス主導の下イギリスフランスイタリア各国2000機以上を生産する計画建てられた。しかし、第2次世界大戦終結後間もないイギリスにはそれだけ生産計画主導する工業力がなく、計画実行目処が立たなかったために実現せず終わったNATO標準戦闘機計画頓挫したものの、イギリス空軍以外にも、バンパイア使用していた各国後継機として採用され各型計1,100機以上が生産された。この他スイスでは、2つの型ライセンス生産された。後継となるホーカー ハンター就役遅れたこともあり、イギリス空軍1962年まで本機使用した。この時点でもまだ戦闘爆撃機として十分通用する性能有していたため、海外では以降使用されスイスでは独自の改修施され1983年まで現役にあったベノムには、バンパイア同様夜間戦闘機型があった。夜間戦闘機型は機首レーダー装備しコクピット並列複座になっていた。原型機1950年8月初飛行した。最初夜間戦闘機型であるNF.2は1953年から部隊配備開始されたが、トラブル多く本格的な配備1955年になり少数生産終わった続いてレーダー高性能のものに換装機体各部改良したNF.3が1955年から配備されたが、1957年にはグロスター ジャベリン交替して退役した

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 21:12 UTC 版)

AMX-10RC」の記事における「開発と特徴」の解説

AMX-10RCは、当時フランス軍装備していたパナールEBR装甲車AMX-13軽戦車代替することを目的として1970年から開発開始され1978年から生産・配備開始された。 主砲当時装甲車としては破格威力持たせるため、CN-105-F2 48口径105mmライフル砲を採用し偵察のみに留まらず対戦車任務までも考慮した設計となっていた。装輪車両としては反動大きすぎるためマズルブレーキ装備された。砲弾38発が搭載されており、内12発が砲塔内に置かれる車体全体構成している素材アルミ合金使用し軽量化図りフロートなどの追加装備無しウォータージェット推進により水上航行も可能である。 装軌式AMX-10P歩兵戦闘車基本コンポーネント共用し設計のため、操行方式にはスキッドステア方式採用しており、曲がりたい方向車輪減速反対側が増速することにより走行操作を行う。このためステアリングのためのスペース要せず車体コンパクト抑えている反面タイヤ消耗激しいという欠点がある。 高性能武装火器管制装置備えた反面この手車両としては複雑すぎ、結果一部主力戦車以上に高価格となったため、輸出は振るわなかった。フランス陸軍調達予定台数削減し、より小型ERC 90装甲車併用している。 装輪自走対戦車砲比較[要出典]16式機動戦闘車11式装輪突撃車AMX-10RCM1128 MGSチェンタウロルーイカット画像 全長8.45 m 8.00 m 6.24 m 6.95 m 7.40 m 8.20 m 全幅2.98 m 3.00 m 2.95 m 2.72 m 3.05 m 2.90m 全高2.87 m 2.10 m 2.60 m 2.64 m 2.73 m 2.80 m 重量26 t 26 t 17 t 18.77 t 26 t 28.8 t 最高速度100 km/h 85 km/h 100 km/h 108 km/h 120 km/h 乗員数4名 3名 4名 主武装52口径105mmライフル105mmライフル48口径105mmライフル51口径105mmライフル52口径105mmライフル62口径76mmライフル砲 副武装12.7mm重機関銃M2×17.62mm機関銃×1 12.7mm重機関銃×17.62mm機関銃×1 12.7mm重機関銃M2×17.62mm機関銃×1 12.7mm重機関銃M2×17.62mm機関銃×1 7.62mm機関銃×2 7.62mm機関銃×2

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開発と特徴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 10:17 UTC 版)

AMX-30」の記事における「開発と特徴」の解説

フランス戦車に関する技術第二次世界大戦での早期占領により途絶してしまい、戦後フランス軍戦時中アメリカ合衆国から供給されM4シャーマン再生産行ったドイツパンターなどを運用しつつ、旧来の自国技術基づいたARL-44やより先進的なAMX-50開発していた。しかし、性能不足や開発の遅れ加え政治的財政的な要因もあり1954年以降アメリカから供給されM47パットン主力として装備していた。それでもフランス新型主力戦車独自開発する道を模索しており、折り良く隣国西ドイツ新型主力戦車開発構想立てていたため共同開発する事となった。この戦車標準戦車呼称され、1957年両国間に協定結ばれた協定では標準戦車対す要求仕様定められ両国別々に開発した戦車試験し性能良好な車両両国採用することとなっていた。この標準戦車には、当時出現し始めた対戦車ミサイル歩兵携帯対戦車兵器への対抗策として機動力求められ装甲防御力それほど求められていなかった。 フランスでは1959年から試作車の製作が始まり、翌1960年には試作車完成し試験開始された。フランス開発した標準戦車試作車両は車高押さえるためにイスパノ・スイザ対向12気筒燃料液冷ディーゼルエンジン採用され目標素早く発見し先手を打つために視察装置重視し車長用の展望塔腰高設計された。 主砲は105mm砲であったが、西ドイツ標準戦車採用した当時西側諸国標準戦車砲となりつつあったイギリスL7A1 105mm砲ではなく独自開発のCN-105-F1 105mm砲を搭載した56口径(約6メートル)という長大砲身を持つこの砲は当初、G弾という特殊なHEAT対戦車榴弾専用であり、ベアリングにより弾頭周囲だけ回転させることで弾道安定させつつ成型炸薬弾性能フル発揮できるという触込みであり、より大型120mm砲を搭載した重戦車であるAMX-50火力面で匹敵するものであった。しかし、L7用のHEAT弾比較してコストが高いうえに構造実質的な弾頭直径小さくなるために威力も劣る(HEAT威力弾頭直径比例)という本末転倒結果となり、結局後にAPFSDS装弾筒付翼安定徹甲弾)も開発され積載された。砲塔内にはエアコンプレッサーブロアー搭載しており、発砲後の排煙装薬残滓排出はこれによる高圧送風行い主砲排煙器装備されていない副武装として主砲並置する形で12.7mm重機関銃改良型B220mm機関砲)を装備する。この機関銃諸外国一般的な戦車同軸機関銃異なり主砲の上下動と同調させる他に、独立して俯仰角を取ることができる(-8~+20独立して動作させた場合は+40まで)。これは、対空射撃使用する事を念頭に置いたためである。また、車長展望塔には7.62mm機関銃装備している。 1962年から標準戦車の西ドイツ・フランス両国イタリア加えた三カ国による共同試験始まりイタリアはこの試験結果から導入する戦車決定するとしていた。同時期にドイツ国内に於いて西ドイツ標準戦車(後のレオパルト1)の試験開始されており、車体総重量ではフランス標準戦車の方が軽かったにも関わらず西ドイツ標準戦車の方が僅かに加速性や速度勝っていた。この試験後、フランス標準戦車AMX-30命名され試験結果満足したフランス陸軍1963年に正式採用決定し西ドイツでも自国標準戦車レオパルト採用決定したため標準戦車構想頓挫してしまった。 この後財政難などによりAMX-30量産1965年までずれ込んだが、以降順調に量産進み1974年まで量産続行された。NATO標準戦車の座はレオパルト奪われたが、スペインでAMX-30EM2としてライセンス生産され、ギリシャキプロスサウジアラビアアラブ首長国連邦カタールベネズエラなどに輸出された。現在も改良重ねられながら使用続けられ後継車であるルクレールと共に配備されている。

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開発と特徴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 07:09 UTC 版)

ホーカー ハンター」の記事における「開発と特徴」の解説

1947年1月航空省発行した仕様書E.38/46のためにシドニー・カムはホーカー P.1052を設計し、これはホーカー シーホークの翼を後退翼修正した機体であった1948年初飛行行ったが、政府や軍に採用されなかった。しかし、シドニー・カムはP.1052の開発生かして昼間ジェット要撃機求め仕様書F.3/48の要求を満たす新たな戦闘機P.1067の開発取りかかった最初に機首エアインテーク配置した試作機製造された。これは速度の向上に繋がったが、エアインテーク主翼根元配した従来の双ブーム式比較した際にレーダー搭載兵装搭載力に劣った結局エアインテーク左右主翼付け根前縁移動し機首レドーム設け風洞試験懸念されダッチロール対策として尾翼配置と形状変更しまとまった機体形状にはP.1067/5の名称がつけられた。。この機体にはロールス・ロイス製のジェットエンジンニーンよりも一回り小さくて出力大きエイヴォン搭載した1951年7月20日エイヴォン Mk.107 エンジン搭載して初飛行した。補給省は初飛行先立つ1950年3月ハンター命名して、生産決定した部隊配備1954年7月からイギリス空軍開始された。政府側からバックアップとして他社エンジン搭載するよう要請受けたため、1952年11月30日にはサファイア搭載した試作機初飛行したが、ホーカー社はエイヴォンこだわりサファイア搭載した量産モデル2種しか製造されなかった。 ハンター機動性良くADEN 30 mm機関砲を4門搭載し火力も強力であった初期型ではトラブル続出したが、改良されエイヴォン搭載したF.4型以降元来堅実かつ頑丈な設計相まって非常に信頼性富んだ機体となった。また機体モジュラー構造取り入れていたことから、古い型でもアップグレード練習機型への改造容易に行えた。 アビオニクスに関しては、機首対空射撃照準用の測距レーダー搭載されているのみであり、夜間荒天時空戦には不向きであったこのためイギリス空軍は、夜間ないし荒天時迎撃担当する全天候戦闘機としてグロスター ジャベリン導入している。 練習機型においては座席並列複座配置採用されたが、この実現のためにコックピット外形大きく左右に膨らむこととなり、試作段階ではコックピット後部激しいバフェッティング(気流剥離)が起こり問題となった。この問題は困難で時間要し当時研究進んでいたエリアルールに基いてコックピット後方から主翼部分にかけての胴体整形することにより、ようやくの解決見た

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開発と特徴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 09:37 UTC 版)

イングリッシュ・エレクトリック キャンベラ」の記事における「開発と特徴」の解説

イギリス空軍第二次世界大戦中1943年からデ・ハビランド モスキートのようなジェット高速爆撃機求めていた。キャンベラ開発1945年イギリス航空省から出され要求仕様B.3/45に始まる。要求内容アブロ ランカスター航続力デハビランド モスキート爆弾搭載量及び軽快性を兼ね備えジェット戦闘機同等それ以上速度高高度性能求めた厳しいものであったイングリッシュ・エレクトリック社は第二次世界大戦ハンドレページ ハンプデンハンドレページ ハリファックス製造行っており、戦後デ・ハビランド バンパイア製造して技術高めてきていた。1944年にはウェストランド・エアクラフトのウィリアム・テディ・ペッターを社に招き仕様B.3/45の開発向けて動き出した。そして、1945年9月航空省計画提出し翌年1月には航空省から試作機製造契約を結ぶところまでこぎ着けた。 高高度性能満たすため、エンジンロールス・ロイス開発中ターボジェットエンジンエイヴォン選定した簡素当時としては一般的な設計は、グロスター ミーティア似ていたが、ミーティア拡大版というわけではなかった。試作機のA.1は、1949年4月29日完成した構想段階では後退翼採用検討されたが、角ばった楕円翼のようなアスペクト比直線翼選ばれた。両翼それぞれの中央埋め込む形でエンジン・ナセルを配しエンジンエイヴォン RA.2を搭載した同年5月13日初飛行し、軽快運動性優れた性能示したエイヴォン製造中止警戒してロールス・ロイス ニーン搭載した試作機製造された。 なお、レーダー照準システム搭載前提として開発されていたことから、試作機搭乗員パイロット航法士の2名だったが、このレーダー照準システム結局実用化されなかったため、量産機では爆撃手が追加搭乗することとなり、機首目視爆撃用のキャノピー追加された。 1949年9月ファーンボロー国際航空ショーお披露目され、名称は最初海外顧客イギリス連邦構成国オーストラリア首都キャンベラにちなんだ。キャンベライギリス空軍引き渡される以前からアメリカオーストラリア興味示していた。 キャンベラ当時のほとんどの戦闘機より優れた性能有しており、特にその高速性と高高度運用能力から迎撃できる戦闘機がほとんどいなかった。後にイギリス空軍配備されホーカー ハンターやブリティッシュファントムでさえ、高高度域でも高い運動性発揮するキャンベラ手強い訓練相手であった。そのためいくつかの記録樹立しており、1955年1957年にはロケットモーター取り付けた改造機が高度世界記録樹立している。

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