開発と洪水の発生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 16:26 UTC 版)
開拓者の記録によれば、1873年(明治6年)に長岡重治がアシリベツに入植した頃は一帯は大森林地帯で、茎の直径が5センチあるフキや大木が生い茂っていた。土地は火山灰地で痩せており、上流では開拓のため木を伐採して焼畑を行ったところ、厚別川が毎年氾濫するようになった。対策として、後年になって白旗山に大規模な植樹がされた。 アシリベツ北通(現在の北野地区)付近では川岸にヤチダモの木が群生していた。ヤチダモは硬く、銃床として適していたため、これを伐採してしまったところ、付近の流路が安定しなくなってしまった。両岸の丘陵には柏が生えていたが、炭焼をするために次々と切り倒された。柏は痩せた乾燥地に生えており、柏を切り倒した跡地は笹も育たない荒地となってしまった。
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