アシリベツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 16:26 UTC 版)
厚別川の上流をなす現在の清田区一帯はかつて「アシリベツ」と呼ばれていた。これに「厚別」の漢字を当てた「厚別太」等の表記が古い史料に残されている。語源の諸説のうち、「オヒョウダモの木の川」によると、オヒョウダモはアイヌの服(アットゥシ)を織る繊維を採る木であり、アツシ(厚司)の木とも呼ばれていた。そのため「厚」の字が当てられたとも言う。「厚別」の漢字が当てられた確実な最古の記録は、1879年(明治12年)に、源流に近い滝野に設置された厚別水車機械場(官営製材工場)とされているが、この機械場の詳細は伝わっていない。 アシリベツに道路が通じたのは1857年(安政4年)のことで、現在の銭函と千歳を結ぶ道(札幌越新道(清田区内では現在の国道36号に相当))が拓かれた。この道は、箱館から森、森から室蘭までは航路、そして室蘭から陸路で札幌に至る行程で、渡しを必要とする大きさの川としては、厚別川は豊平川の一つ手前の川だった。年代は不詳だが、遅くとも1870年(明治2年)には厚別川を渡るための駅逓が営まれていた はっきりと記録の残るものとしては、アシリベツへの最初の入植は1873年(明治6年)である。ツキサップ(月寒村)の長岡重治が、現在の清田小学校付近に定住し、「アシリベツ」という地名が用いられるようになった。入植が進むと、アシリベツに「本通」、「北通」、「南通」、「坂上」などの区域がうまれた。これらは地名としては「月寒村アシリベツ本通」のように用いられた。1944年(昭和19年)の字名の整理によって、それぞれ本通は「清田」、北通は「北野」、南通は「真栄」、坂上は「平岡」という瑞祥地名に改称された。1997年(平成9年)に、かつての「アシリベツ」一帯は札幌市豊平区から分区して清田区となった。現在も「アシリベツ」の読みは、川の名前のほか、「厚別(あしりべつ)神社」、「あしりべつ郷土館」などに残る。
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