連合国軍最高司令官総司令部 影響

連合国軍最高司令官総司令部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 07:35 UTC 版)

影響

犯罪

当時の日本政府は、占領の否定的感覚低減を目してイギリス、アメリカ、オーストラリア軍からなる連合国軍を「進駐軍(しんちゅうぐん)」と称するように報道機関に指導した[注釈 9]

調達庁の資料[23]には、7年間の占領期間中にアメリカ軍兵に殺害された者が2,536人、傷害を負わされた者は3,012人としている。漫画家の手塚治虫も街角で殴り倒された[24]。またアメリカ軍兵に日本人女性が襲われる事件が2万件といわれ、強姦の際に日本の警察官が事実上の見張り役になる場合もあった[25]などと述べる者も一部に見られる。さらにアメリカ軍第8軍は組織的に戦利品を収集・配布していた[26]

これらの犯罪は、占領政策に連合国軍の治外法権が盛り込まれていたため、GHQによって存在自体が隠蔽され、日本はもちろんのこと、本国に於いても刑事裁判に発展することは全くなかった。占領政策が終わってからかなり後になって、日本の歴史研究家たちによってようやくその存在が明らかになった。

文化

日本国民に対しアメリカ文化の浸透を図るべく、アメリカ合衆国の映画の統括配給窓口会社CMPE(Central Motion Picture Exchange)を東京に設立した。このCMPEに一時在籍した淀川長治によれば、「忘れもしないメイヤーという名の支配人は映画より国策に心を砕く、あたかもマッカーサー気取りの中年男だった」そうで、ヨーロッパ映画びいきの記者を試写から締め出したりの傲岸不遜ぶりに、1952年(昭和27年)にこの会社が解体された際には映画関係者たちは喝采を挙げたという。一方の国産映画は、終戦後の焼け野原や進駐軍による支配を示す情景を撮影することが禁じられたため、長い間街頭ロケすらできない状態に置かれた。

子供達の文化媒体であった紙芝居では、「黄金バット」の「髑髏怪人」というキャラクターを「スーパーマン」のような「たくましい金髪碧眼の白人キャラクター」に一時期変更させている。しかしこれは全く支持されることなく無視された。

非軍事化の一環として日本国内の武道剣道など)を統括していた政府の外郭団体である大日本武徳会を解散させ、関係者1,300余名を公職追放した。また、全国に日本刀の提出を命じる刀狩りが行われ、膨大な刀剣類が没収され廃棄された(東京都北区赤羽に集められたことから赤羽刀と呼ばれている)。さらにその矛先は映画界にまで及び、チャンバラ映画が禁止されて嵐寛寿郎片岡千恵蔵ら日本を代表する時代劇俳優が仕事を失った。さらには「丹下左膳余話 百萬両の壺」などの時代劇のフィルムにまではさみが入れられたといわれる。

進駐軍の兵士が利用する『進駐軍クラブ』により最新の英米の文化がもたらされた。日本人立ち入り禁止のクラブも多かったが、給仕や演奏者は日本人を採用する方針がとられた。当時のアメリカではスウィング・ジャズがヒットしており、ジャズができる出演者が採用されたことで生活基盤ができ、日本においてジャズが浸透する下地ともなった[27]。出演者の出演料は日本側の終戦連絡事務局、1949年6月からは特別調達庁より出ていた。各軍政部が日本側に要求を出した結果、日米間で問題になり特別調達庁が演奏家の格付審査を行った。楽器を演奏できる人間が少なかったため軍楽隊出身やクラシック奏者など様々な出自の者が集まった。著名人としては笠置シヅ子ジョージ川口などがいた。これらの音楽文化を題材とした作品としてこの世の外へ クラブ進駐軍などがある。

クラブで提供される酒類は欧米人が好むビールウィスキーであったため需要が急増し、進駐軍向けの非課税酒を製造する大手メーカーは潤った[28]。これに関連し笹の川酒造のような日本酒の酒造会社が需要を見越してウイスキー製造の免許を取得する動きもあった[29]

沖縄ではクラブから大量に発生した空き瓶を利用して琉球ガラスが生まれた。

戦後に行われた学校給食への食糧援助には、アメリカで余剰品となった小麦や脱脂粉乳が充てられ、戦後世代の庶民にパンを主食として食べる食習慣が浸透した[30]。一方、昭和30年代までジャーナリズムや農学者を動員してコメ食を否定するキャンペーンが行われた。その背景には余剰穀物の受け入れ促進と、将来の食品市場の拡大を見越して日本人の食嗜好をより洋風的に変化させる意図があった[30]。進駐軍の基地周辺ではステーキハンバーガーホットドッグなど、アメリカの国民食が庶民にも伝わった[31]


注釈

  1. ^ GHQ(General Headquarters)は総司令部 ・総本部・総本店など軍事以外にも企業など組織の頂上機関の意である。日本では「連合国軍最高司令官総司令部」という意味で使われる事が殆どであるが、日本以外ではその意味で使われる事は殆どなく、「GHQ/SCAP」と呼称するのが一般的である。
  2. ^ 日本教育制度ニ対スル管理政策(昭和二十年十月二十二日連合国軍最高司令部ヨリ終戦連絡中央事務局経由日本帝国政府ニ対スル覚書)、教育及ビ教育関係官ノ調査、除外、認可ニ関スル件(昭和二十年十月三十日連合国軍最高司令部ヨリ終戦連絡中央事務局経由日本帝国政府ニ対スル覚書)等で使用されている。
  3. ^ 同日撮影された3枚のうち、同年9月29日に公開された1枚
  4. ^ 太平洋戦域英語版最高司令官兼太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ元帥の担当戦域にある日本本土への上陸作戦で南西太平洋戦域最高司令官のマッカーサーが陸軍部隊を指揮するために新設されたポスト。マッカーサー自身が最高司令官の南西太平洋戦域と陸軍省直轄のアラスカ軍管区には指揮権が及ばない[7]。1947年にアメリカ軍の再編で統合軍制度となり、極東軍総司令部英語版が設置された際に廃止[8]
  5. ^ ポツダム勅令とも称され、日本国憲法施行後はポツダム政令である。
  6. ^ 共産主義勢力台頭に伴い方針を変更している。さらに、中華民国は、中国地域の統治権を失い、台湾島(現台湾)に亡命した。
  7. ^ 検閲物はGHQの文官プランゲ博士が米国メリーランド大学へ移管して後年にプランゲ文庫として公開されている。
  8. ^ 日本社会党(現在の社会民主党)が結成されたのは1947年11月。
  9. ^ プレスコードによるダブルスピークで、連合国軍将兵の犯罪を「大男」などと報じている。

出典

  1. ^ 連合国軍最高司令部指令:文部科学省”. www.mext.go.jp. 2023年9月4日閲覧。
  2. ^ 連合国軍最高司令官総司令部|アジ歴グロッサリー”. www.jacar.go.jp. 2023年9月4日閲覧。
  3. ^ "United States Initial Post-Surrender Po1icy for Japan", 1945/9/22;For example, SCAPIN-44, SCAPIN-45, SCAPIN-74, SCAPIN-110, SCAPIN-2020.
  4. ^ 降伏文書全文(英文+和訳文)”. 外務省. 2020年8月16日閲覧。
  5. ^ 米国の「初期対日方針」 | 日本国憲法の誕生”. www.ndl.go.jp. 2024年4月6日閲覧。
  6. ^ 日本政府の改正案に関するホイットニー・メモ 1946年2月6日 | 日本国憲法の誕生”. www.ndl.go.jp. 2024年4月6日閲覧。
  7. ^ Ray S. Cline, United States Army in World War II: The War Department: Washington Command Post: The Operations Division, Appendix B: U.S. Army Commanders in Major Theater Commands, December 1941-September 1945
  8. ^ Reports of General MacArthur: MacArthur in Japan: The Occupation: Military Phase, Chapter 3: Command Structure of General Headquarters, FEC
  9. ^ 『英国空軍少将の見た日本占領と朝鮮戦争』P.10 サー・セシル・バウチャー著 社会評論社 2008年
  10. ^ a b c d e 連合国軍最高司令官総司令部”. 国立公文書館アジア歴史資料センター. 2017年10月12日閲覧。
  11. ^ a b マッカーサー記念館所蔵沖縄関係資料の公開”. 沖縄県公文書館. 2017年10月12日閲覧。
  12. ^ P.249, Marx's Revenge:The Resurgence of Capitalism and the Death of Statist Socialism, 著者:Meghnad Desai "The Americans had intended Japan to be an agricultural county, as a punishment for its wartime conduct."https://books.google.co.jp/books?id=RflAloLOg1YC&lpg=PA249&ots=F3nY62PzqJ&dq=The%20Americans%20had%20intended%20Japan%20to%20be%20an%20agricultural%20county%2C%20as%20a%20punishment%20for%20its%20wartime%20conduct.&hl=ja&pg=PA249#v=onepage&q=The%20Americans%20had%20intended%20Japan%20to%20be%20an%20agricultural%20county,%20as%20a%20punishment%20for%20its%20wartime%20conduct.&f=false
  13. ^ 青木冨貴子『昭和天皇とワシントンを結んだ男―「パケナム日記」が語る日本占領』新潮社、2011年5月1日、37-43頁。ISBN 9784103732068 
  14. ^ 矢島翠『ラ・ジャポネーズ―キク・ヤマタの一生』筑摩書房〈ちくま文庫〉、1990年12月1日、245頁。ISBN 9784480024954 
  15. ^ 谷 暎子「占領下の児童書検閲 : 違反に問われた絵本をめぐって」『北星学園大学文学部北星論集』第43巻第1号、北星学園大学北海道札幌市、2005年9月、91-100頁、ISSN 0289-338XNAID 110006195163 
  16. ^ 前坂俊之日本メディア検閲下(下)』(PDF)(レポート)2003年7月http://maesaka.sakura.ne.jp/bk/files/030701_kenetsuge.pdf 
  17. ^ RELATIONS BETWEEN ALLIED FORCES AND THE POPULATION OF JAPAN (PDF)
  18. ^ 「忘れたこと忘れさせられたこと」、江藤淳、文春文庫、H4.1 p248
  19. ^ a b 水間 2013, pp. 41–42
  20. ^ ペルゼル とは - コトバンク
  21. ^ 朝日新聞2008年12月5日夕刊より。柴田は国字ローマ字論の第一人者である。
  22. ^ 阿辻哲次『戦後日本漢字史』新潮社〈新潮選書〉、40頁。ISBN 9784106036682 
  23. ^ 高山正之『サダム・フセインは偉かった』
  24. ^ 高山正之『ジョージ・ブッシュが日本を救った』
  25. ^ 須山幸雄『二・二六青春群像』
  26. ^ 服部一馬、斉藤 秀夫『占領の傷跡―第二次大戦と横浜』有隣堂〈有隣新書〉、1983年6月1日、48頁。ISBN 9784896600568 
  27. ^ 街歩きに出かけよう:Vol.6 進駐軍ジャズの跡を訪ねて - TONTON club
  28. ^ 昭和15年〜昭和23年・戦時下および統制下におけるビール (5)戦後も続いた配給制度|酒・飲料の歴史|キリン歴史ミュージアム|キリン
  29. ^ 東北の新星、安積蒸溜所が誕生 - ウイスキーマガジン
  30. ^ a b 酒井伸雄『日本人のひるめし』吉川弘文館〈読み直す日本史〉、2019年、86-90頁。ISBN 9784642071024 
  31. ^ ハンバーガーの歴史”. 一般社団法人日本ハンバーグ・ハンバーガー協会. 2017年12月4日閲覧。
  32. ^ GHQ/SCAP Records, Civil Information and Education Section (CIE)国立国会図書館
  33. ^ 「北陸震災に救援あつまる」『朝日新聞』、1948年7月1日、2面。
  34. ^ a b 「軍艦で攻めるぞ!」脅しにもケロッとしてペリー提督とやり合った、徳川幕府の交渉力 (2023年7月23日)”. エキサイトニュース (2023年7月23日). 2024年3月31日閲覧。
  35. ^ 降伏式の艦上にペリーが掲げた「星条旗」”. 特定非営利活動法人 世界の国旗・国歌研究協会 (2017年2月24日). 2024年3月31日閲覧。
  36. ^ 新, 小池. “(7ページ目)「なぜアメリカ相手に戦争?」ペリー来航から“88年の怨念”が導いた太平洋戦争の末路とは”. 文春オンライン. 2024年3月31日閲覧。





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