牧野伸顕とは? わかりやすく解説

まきの‐しんけん【牧野伸顕】

読み方:まきのしんけん

まきののぶあき(牧野伸顕)


まきの‐のぶあき【牧野伸顕】

読み方:まきののぶあき

[1861〜1949政治家鹿児島生まれ。名は「しんけん」とも。大久保利通次男文相外相内大臣などを歴任二・二六事件襲撃され以後引退


牧野伸顕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 14:33 UTC 版)

牧野 伸顕(まきの のぶあき、1861年11月24日文久元年10月22日〉 - 1949年昭和24年〉1月25日)は、日本政治家位階従一位勲等勲一等爵位伯爵。名は「シンケン」と音読みされることもある[1]幼名伸熊(のぶくま)。以前の是利(これとし)[注釈 1]


注釈

  1. ^ 茶谷[2]によると一時是利(これとし)と名乗ったという(1874年 - 1878年)。
  2. ^ ここでいう「(旧)東京大学」は(東京)開成学校の後身で(東京)帝国大学の前身校である。
  3. ^ 河上は牧野の孫吉田健一の師。1940年4月頃には、河上、小林、林房雄を牧野の私宴に招き、主に林の『西郷隆盛』をめぐって歓談。一方で、「思想といふものが餘りにレッテル化して取扱はれるわが文化」の風潮に対して戦うよう、文学者に期待する旨の注文を出している[33]。なお、牧野は幼少時に西郷が大久保家の玄関先を訪ね、大久保家の執事が使い込みをしたことを叱責する様子を目撃している[34]

出典

  1. ^ 牧野伸顕」 『 大辞林 第三版』三省堂、weblio辞書。
  2. ^ 茶谷 2013, pp. 14, 227
  3. ^ 中谷宇吉郎. “牧野伸顕伯の思い出”. www.aozora.gr.jp. 2022年11月23日閲覧。
  4. ^ 第2版,『世界大百科事典』内言及, 『朝日日本歴史人物事典』,『日本大百科全書』(ニッポニカ),『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』,『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』,『百科事典マイペディア』,『精選版 日本国語大辞典』,『旺文社日本史事典 三訂版』,『デジタル大辞泉』,『世界大百科事典』. “牧野伸顕とは”. コトバンク. 2022年11月23日閲覧。
  5. ^ 大蔵省印刷局 [編]. 日本マイクロ写真(編)「授爵敍任及辭令 / - / - / 牧野伸顯外二名」『官報』、1889年11月14日、134 (コマ番号0002.jp2)、doi:10.11501/2945164 
  6. ^ 茶谷 2013, p. 227
  7. ^ 官報|number= 1467」1888年5月23日、2022年11月23日閲覧  国立国会図書館デジタルコレクション。
  8. ^ 「授爵敍任及辭令 / - / - / 牧野伸顯外一名(文部省)」『官報』第2910号、188 (コマ番号0005.jp2)。 
  9. ^ 茶谷 2013, p. 27
  10. ^ 茶谷 2013, pp. 37–42
  11. ^ 『官報』第7307号、明治40年11月5日。
  12. ^ 『官報』第501号、大正3年4月2日。
  13. ^ 茶谷 2013, p. 96
  14. ^ a b 茶谷 2013, p. 106
  15. ^ 茶谷 2013, pp. 158–159
  16. ^ 茶谷 2013, p. 155
  17. ^ 茶谷 2013, p. 207-210
  18. ^ 『朝日新聞』 1949年1月26日
  19. ^ 新聞集成大正昭和編年史刊行会(編)「牧野伸顕氏卜報」『新聞集成昭和編年史』第23-24巻(昭和23-24年度版)、新聞集成大正昭和編年史刊行会、51頁、全国書誌番号:65010082 
  20. ^ a b 茶谷 2013, p. 21
  21. ^ a b 茶谷 2013, p. 19
  22. ^ 茶谷 2013, p. 20
  23. ^ 茶谷 2013, p. 81
  24. ^ 茶谷 2013, p. 98
  25. ^ 茶谷 2013, pp. 117–128
  26. ^ 茶谷 2013, p. 132
  27. ^ 茶谷 2013, p. 189
  28. ^ 茶谷 2013, p. 31
  29. ^ 牧野伸顕『松濤閑談』創元社、1940年、119-125頁。 
  30. ^ a b 茶谷 2013, p. 22
  31. ^ 中村道碩、牧野伸顕、加藤正夫が囲碁殿堂入り(第20回囲碁殿堂表彰)”. 日本棋院 (2023年11月9日). 2024年3月30日閲覧。
  32. ^ 茶谷 2013, p. 179
  33. ^ 河上徹太郎『文學界』1940年5月号後記
  34. ^ 牧野伸顕『松濤閑談』創元社、1940年 pp.141-142
  35. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 故正二位牧野伸顕位階追陞の件」 アジア歴史資料センター Ref.A20040500500 
  36. ^ 『官報』第183号「叙任」1884年2月12日。
  37. ^ 『官報』第907号「賞勲叙任」1886年7月10日。
  38. ^ 「授爵敍任及辭令 / - / - / 牧野伸顯(法制局)」『官報』第1935号、1889年12月9日、227 (コマ番号0002.jp2)、doi:10.11501/2945164 
  39. ^ 『官報』第2531号「叙任及辞令」1891年12月5日。
  40. ^ 『官報』第3152号「叙任及辞令」1893年12月29日。
  41. ^ 『官報』第3476号「叙任及辞令」1895年2月2日。
  42. ^ 『官報』第3753号「叙任及辞令」1896年1月4日。
  43. ^ 『官報』第5005号「叙任及辞令」1900年3月12日。
  44. ^ 『官報』第5848号「叙任及辞令」1902年12月29日。
  45. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
  46. ^ 『官報』第7442号「叙任及辞令」1908年4月21日。
  47. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  48. ^ 『官報』第2431号「叙任及辞令」1920年9月8日。
  49. ^ 『官報』第2726号「敍任及辞令」1921年9月1日。
  50. ^ 『官報』第343号「叙任及辞令」1928年2月22日。
  51. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  52. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  53. ^ 『官報』第4909号「叙任及辞令」1899年11月10日。
  54. ^ 『官報』第5365号「叙任及辞令」1901年5月24日。
  55. ^ 『官報』第6847号「叙任及辞令」1906年4月30日。
  56. ^ 『官報』第7297号「叙任及辞令」1907年10月24日。
  57. ^ 『官報』第7459号「叙任及辞令」1908年5月11日。
  58. ^ 『官報』第505号「叙任及辞令」1914年4月8日。
  59. ^ 『官報』第1872号「叙任及辞令」1918年10月29日。
  60. ^ 『官報』第2893号「叙任及辞令」1922年3月28日。
  61. ^ 『官報』第3079号「叙任及辞令」1922年11月4日。
  62. ^ 『官報』第3208号「叙任及辞令」1923年4月13日。
  63. ^ 『官報』第3523号「叙任及辞令」1924年5月23日。
  64. ^ 『官報』第3801号「叙任及辞令」1925年4月27日。
  65. ^ 『官報』第989号「叙任及辞令」1930年4月19日。
  66. ^ 『官報』第1228号「叙任及辞令」1931年2月4日。
  67. ^ 『官報』第2725号「叙任及辞令」1936年2月4日。
  68. ^ 内大臣伯爵牧野伸顕外三十七名満洲国勲章受領及佩用ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113229300 
  69. ^ 茶谷 2013, pp. 226–231
  70. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、29頁。
  71. ^ 国立国会図書館専門資料部 編『斎藤実関係文書目録』 書類の部 2 (昭和期・日記・伝記資料等)、国立国会図書館、東京〈憲政資料目録 ; 第18〉、1995年3月、170,195頁。全国書誌番号:95066348 ISBN 4-87582-424-6p.170「斎藤内閣・岡田内閣」。p.195、軍縮「57 斎藤実宛抗議文 §(2)牧野内大臣に呈するの書 其一 紫雲荘 昭和五年七月一四日 活版 二枚」「68 奇怪なる牧野内大臣及び鈴木侍従長の行為 昭和五年 謄写 同文二綴」「69 統帥大権干犯、国防破壊に関する内大臣牧野伸顕一派の策動経過 謄写 一綴」。
  72. ^ 猪野三郎監修『第十二版 大衆人事録』(昭和12年)東京・六一四頁
  73. ^ 『歴史REAL 敗者の明治維新』(洋泉社、2018年)
  74. ^ 佐藤朝泰 著 『豪閥 地方豪族のネットワーク』159頁
  75. ^ 茶谷 2013, pp. 6
  76. ^ 茶谷 2013, p. 18
  77. ^ 茶谷 2013, p. 188



牧野伸顕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:22 UTC 版)

二・二六事件」の記事における「牧野伸顕」の解説

牧野伸顕伯爵は、欧米協調主義を採り、かつて内大臣として天皇側近にあったことから襲撃受けた河野寿大尉民間人主体とした襲撃部隊河野以下8人)を指揮し湯河原伊藤旅館の元別館である「光風荘」にいた牧野伸顕前内大臣襲撃した玄関前で乱射された機関銃銃声目覚めた身辺警護皆川義孝巡査は、牧野伯爵裏口から避難させたのち、襲撃部隊に対して拳銃応射し遅滞図った。これにより河野大尉が負傷したが、皆川巡査重傷負った。このとき、牧野伯爵付き添い看護婦であった鈴江皆川巡査抱き起こし後送ようとしたが、皆川巡査は既に身動き取れず、また看護婦負傷していたことから、襲撃部隊放火によって炎上する邸内からの脱出は困難として、看護婦のみを脱出させ、自らは殉職した。なお、このとき重傷負った河野入院余儀なくされ、入院中の3月6日自殺する脱出図った牧野襲撃部隊遭遇したが、旅館従業員牧野を「ご隠居さん」と呼んだために旅館主人家族勘違いした兵士によって石垣抱え下ろされ近隣一般人背負って逃げた。なお襲撃の際、旅館主人岩本亀三および従業員八亀広銃撃受けて負傷している。 なお吉田茂の娘で牧野の孫に当たる麻生和子は、この日牧野尋ねて旅館訪れていた。麻生晩年執筆した著書『父吉田茂』の二・二六事件の章には、襲撃受けてから脱出成功するまでの模様生々しく記されているが、脱出に至る経緯については上の記述とは異なった内容となっている。

※この「牧野伸顕」の解説は、「二・二六事件」の解説の一部です。
「牧野伸顕」を含む「二・二六事件」の記事については、「二・二六事件」の概要を参照ください。

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