歴史観
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「ヒュー・トレヴァー=ローパー」の記事における「歴史観」の解説
トレヴァー=ローパーの近世ヨーロッパ史研究における主要なテーマは、近代的精神の形成、宗教論争とプロテスタントおよびカトリック諸国の間に生まれた深い亀裂、以上の二つであった。彼はこれらの研究を元に以下のような持論を展開した。ヨーロッパの宗教的な分裂が経済的、政治的、構造的に啓蒙理性の形成を加速させた。同時期に起きたヨーロッパの海外膨張は、そうしたプロセスの中で副次的に起こってきたものに過ぎない。トレヴァー=ローパーの視点では、近世ヨーロッパの枢要なテーマの一つはヨーロッパの膨張である。この膨張とは、トレヴァー=ローパーにとっては植民地の形成による海外膨張を意味するのみならず、ナショナリズム、宗教改革、啓蒙主義の輸出という形での精神・思想上の膨張でもあった。またトレヴァー=ローパーの主張では、16・17世紀に多発した魔女狩りは、成長しつつあった宗派間多元主義に対する反動であり、もとはデジデリウス・エラスムスなどの思想家の持つ理性的な世界観と、宗教改革の生んだ霊的な価値観の対立をその起源とする。 トレヴァー=ローパーは、歴史学は科学ではなく芸術として理解されるべきだと述べ、歴史家にとって成功するうえでの重要な資質は想像力だと断言していた。彼にとって歴史はすべて連続しており、これまでの過去は持続的な進歩でも衰退でもなく、偶然および問題に直面した時に特定の個人が行った特定の選択によって紡がれてきたものに過ぎなかった。トレヴァー=ローパーは歴史において社会的動向の持ったインパクトについてはしばしば認めていたが、彼の考えでは社会的動向は統治者のような個々人の意向で変化するものだった。しかしこのような考え方をもちながら、トレヴァー=ローパーの近世ヨーロッパ史研究は政治史偏重というわけでは決してなく、むしろその時代の政治的、精神的、社会的、宗教的な諸動向の間の相互作用について探求するというものだった。 トレヴァー=ローパーが自分の考えを表明する媒体として好んだのは、本ではなく評論だった。彼の社会史に関する評論は、1950年代から1960年代にかけて、彼自身がその研究手法を採用すると表明したことのないアナール学派、特にフェルナン・ブローデルの影響を受けるようになった。トレヴァー=ローパーはアナール学派の研究を英語圏に紹介するうえで大きな役割を果たした。
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歴史観
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朝鮮民族の源流を檀君朝鮮に求め、朝鮮民族主義歴史学を提唱し、「歴史とは我と非我の闘争である」と植民史観からの脱却を主張した。ただし、現代の歴史学では抗日独立運動の一環としての擬似歴史学であったとの評価が固まっている。 詳細は「朝鮮民族主義歴史学」を参照 また、アナキズムに傾倒して以降は民族主義の主張を弱め、大衆という表現を用いるようになった。この変節について、民族間の争いが歴史を作るのであれば、日本の侵略も正当化できてしまう自己矛盾に気づいたためとの指摘がある。 申の歴史記述は古代史に重点が置かれ、それまでの三韓と新羅中心の歴史観から檀君・夫余・高句麗中心の歴史観へと転換し、その領域を中国東北と遼西にまで拡大し、朝鮮半島に存在したとされる漢四郡は朝鮮半島の外に存在したとか、存在しなかったと主張しており、また百済は近仇首王・東城王時代に遼西と山東の前秦まで攻撃・領有したなどの主張をしており、『宋書』・『梁書』の百済の遼西進出記事、『南斉書』の百済の北魏撃退記事、『旧唐書』の百済関係記事を根拠に百済が近仇首王時代に遼西と北京を奪って遼西郡と晋平郡を設置し、東城王時代に北魏と戦い撃退し、中国の会稽郡付近を支配し、日本全国を属国にしたと主張している。 朝鮮歴代で海を越えて領土を置いたのは百済の近仇首王と東聖王の二代だけである。東城王の時代には近仇首王の時代よりもさらに領土が広かったので、『旧唐書』の百済伝に百済の地理を記録して「西に海を越えて越州に至り、北に海を越えて高句麗に至り、南に海を越えて倭に至る」と記録されているが、越州は今の会稽であるから会稽付近はすべて百済の地であった。……高句麗の国境である遼水の西側-現在の奉天の西側がすべて百済の所有であるから『満洲源流考』に『錦州・義州・愛琿などがすべて百済の地だ』と述べているのはこれを指しているのだ。倭は現在の日本であるから、上に引用した『旧唐書』の二節によれば日本全国が百済の属国になっていたことは疑いの余地はない。百済が上の海外植民地をいつ失ったのかというと聖王の初年に高句麗に敗れ、末年に新羅に敗れて、国の勢いが衰退したので、このときに至って海外の植民地がほとんど没落したのである。 — 『朝鮮上古史』 申の朝鮮民族主義歴史学に影響を受けたアマチュア歴史家団体の、古朝鮮の勢力範囲の主張と、申の主張を、幻想を植えつける偽物の歴史学と批判する歴史学者らと長年に渡り論争を引き起こしている。 申は、「カタカナなどの日本文化はすべて百済人が作った」「古代朝鮮は中国を支配していた」と主張しており、韓国の学者が主張する古代史観は申の影響を受けているため、申の朝鮮民族主義歴史学が韓国の古代史観の源流となり、韓国の学者は、実証的な研究をほとんどせず、申が構築した仮説を鵜呑みにして間違った歴史認識を拡散させているとされる。
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歴史観
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真光の述べる歴史は次のようなものである。スの大神が世界を創造し、神々を作り、ムー大陸に黄人、赤人、白人、青人、黒人の「五色人」という世界人類を作り、神々が天祖、皇祖、人祖をまつった。ムー大陸は陥没し、五色人は世界中に散った。日本はムー大陸の残った山頂で、日本人は五色人のうち黄人の直系の子孫である。万世一系の天皇は世界創造以来の全人類の王統が続いたものである。五色人のうち、南米に上陸しインカ帝国などを作ったのがアメリカ・インディアン、西に向かったのが朝鮮半島、アジア大陸中央、インド、西アジア(ユダヤ)の人々であり、釈迦の教えもイエスの教えも「五色人の血肉の兄弟の教え」である。「全人類が日の本の国に集って、霊的新文明を築く仕組みになっている」という。 真光は大本の神話を継承・発展させている。真光では、人類誕生から天皇制まで、すべて日本が世界の霊的元地と位置づけられている。金沢大学の中村伸浩は、このイメージは、高度経済成長期の日本経済を反映した日本人のアイデンティティの世界的拡大に関係していると想像できると述べている。真光の天皇制は、ムー大陸の実在を主張したジェームズ・チャーチワードや超古代史を記した「竹内文書」の影響を受けており、神武天皇の前に数十代の天皇がいたとされ、現実の天皇制とも記紀神話の天皇制とも異なっている。極端な日本中心主義と、日本のもとで世界民族が共存するというコスモポリタニズムがあるが、世界の把握は象徴的で具体性に欠ける面がある。世界性は儀礼にも反映されており、「立春大祭」は、人種・国境・宗教を超えた「人類の祭り」として、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、アジアの信者も参加する。 中村伸浩は、岡田光玉の国粋主義的言説には、「特有の諧謔とディタッチメント」があり、超古代論のオーディオ・ビジュアル文化的な現代的発展(古代ピラミッド、UFO、ノストラダムス等)の始祖的な存在となっていると述べている。
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歴史観
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金沢大学の中村伸浩は真光の述べる歴史は、スの大神が世界を創造し、神々を作り、ムー大陸に黄人、赤人、白人、青人、黒人の「五色人」という世界人類を作り、神自ら天祖、皇祖、人祖をまつった。ムー大陸は陥没し、五色人は世界中に散った。日本はムー大陸の残った山頂で、日本人は五色人の直系の子孫である。万世一系の天皇は世界創造以来の全人類の王統が続いたものである。五色人のうち、南米に上陸しインカ帝国などを作ったのがアメリカ・インディアン、西に向かったのが朝鮮半島、アジア大陸中央、インド、西アジア(ユダヤ)の人々であり、釈迦の教えもイエスの教えも「五色人の血肉の兄弟の教え」である。「全人類が日の本の国に集って、霊的新文明を築く仕組みになっている」と述べている。 真光は大本の神話を継承・発展させている。眞光では、人類誕生から天皇制まで、すべて日本が世界の中心に位置づけられている。中村伸浩は、このイメージは、高度経済成長期の日本経済を反映した日本人のアイデンティティの世界的拡大に関係していると想像できると述べている。真光の天皇制は、ムー大陸の実在を主張したジェームズ・チャーチワードや超古代史を記した「竹内文書」の影響を受けており、神武天皇の前に数十代の天皇がいたとされ、現実の天皇制とも記紀神話の天皇制とも異なっている。極端な日本中心主義と、日本のもとで世界民族が共存するというコスモポリタニズムがあるが、世界の把握は象徴的で具体性に欠ける面がある。世界性は儀礼にも反映されており、「立春大祭」は、人種・国境・宗教を超えた「人類の祭り」として、ヨーロッパ、アメリカ、オーストアリア、アジアの信者がプラカードや旗をもって入場することから始まる。 中村伸浩は、岡田光玉の国粋主義的言説には、「特有の諧謔とディタッチメント」があり、超古代論のオーディオ・ヴィジュアル文化的な現代的発展(古代ピラミッド、UFO、ノストラダムスの大予言等)の始祖的な存在となっていると述べている。
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歴史観
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歴史観では、ヘーゲルの弁証法とフォイエルバッハの唯物論を採り入れた唯物史観を唱え、下部構造(経済的要因、つまり生産力と生産関係の矛盾)が上部構造(政治体制など)を変化させる動因とした。資本主義の矛盾は、その延命のための帝国主義、第三世界への搾取の激化(従属理論)、政府と金融が独占資本と協調して危機を管理する国家独占資本主義などを生むとした。現在(第一次世界大戦以降)の資本主義は国家独占資本主義であると規定される。 最終的に資本主義はその内在する矛盾によって社会主義革命を誘発し、労働者階級のプロレタリア独裁を経て階級のない共産主義に必然的に至ると考えた。一方、現実には資本主義が未発達または発達途上な段階でも社会主義革命が起きている。旧ソ連、中国、ベトナム、ラオスなどがそうである。
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歴史観
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シュタイナーの7つの人種に基づく根源人種という考えは、ブラヴァツキーによる神智学のテキスト『シークレット・ドクトリン』第2巻のものとほぼ同じである。北極付近の不滅の聖地に生まれたアストラル体の第一根源人種、エーテル体の第二根源人種ハイパーボリア人、物質的身体を持った第三根源人種レムリア人、アトランティス大陸で文明を発達させた第四根源人種アトランティス人、大洪水を逃れたアトランティス王国の聖人たちの導きで誕生した第五根源人種アーリア人、アメリカ大陸で生まれ物質的身体の軛から脱してく第六根源人種パーターラ人、地球における人類進化の最終段階である第七根源人種の7段階があり、現在の支配人種(英語版)は第5根源人種アーリア人であるとされた。
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歴史観
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南善は、「百済も高句麗も新羅も日本に多くの植民地を持っていた」と主張している。論文では、「当時朝鮮人が居住していた境域はかなり広大なもので、松花江を中心に北は黒竜江・興安嶺の向こうまで達し、南は黄河近傍、半島一局を含み数万里の地に、あるいは長山に依って居を定め、あるいは大水をはさんで無数の団部をなして住み、古伝では三千でもって、その数の多いことを形容した」と記述しており、古朝鮮の領域が中国本土まで及んでいたと主張している。 室谷克実は、韓国の学者が主張する古代史観の源流は南善の朝鮮民族主義歴史学であり、韓国の学者は実証的な研究をほとんどせず、南善が構築した仮説を鵜呑みにして間違った歴史認識を拡散させていると主張している。
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歴史観
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ナップの中央委員を務め、自宅を非合法下の日本共産党の秘密集会に提供した。長男が誕生した時もウラジーミル・レーニンやカール・マルクスに因んで「零仁」「丸人」などの名前を提案したほどであった。1933年(昭和8年)10月5日、オルグの実行者として特高に逮捕され、警視庁茅場町警察署にて一週間の留置を受ける。のち不起訴処分を受けて釈放。 1937年(昭和12年)の南京攻略戦では現地を取材しており、南京事件については規模に議論があるとした上で日本軍による虐殺の存在自体には事実であるとする証言をしている。 太平洋戦争中の1941年(昭和16年)には海軍宣伝班としてジャワ作戦に配属された。その際、同じ班には詩人の大木惇夫や漫画家の横山隆一がいた。その後、大木はこの時の経験を基に詩集「海原にありて歌へる」を出版し、その際に大宅が跋文を書いているが、その中で「戦争といふものは実に素晴らしい文化的啓蒙者である」と言っている。また、ジャワの軍政を担当していた今村均を賞賛し、今村が異動でいなくなった途端に大きく変わった、と嘆いている。 なお、戦時中にジャワで自身が乗船する輸送船が撃沈されたとき、「(旧制茨木中学で)泳ぎを習ったおかげで助かった、と旧制茨木中学の七十年記念式典に帰省したとき感謝していた」と中学時代の体育教師だった杉本伝が語っている(『大宅壮一日記』(中央公論社、青地晨編)での編者による解説より)。大宅壮一が在学中の旧制茨木中学では全国に先駆けて学校内に水泳場が設置されていた。 戦後は猿取哲のペンネームで執筆を再開。 1950年(昭和25年)には、週刊誌の企画で三遊亭歌笑と対談したが、直後に歌笑はGHQのジープにはねられ事故死した。なお没するまで週刊誌などで数多くの対談を行った。 イデオロギー的な表現を嫌い、1955年「無思想人宣言」を発表。ただし宗教と偽善者の排撃は終生止めなかった。宗教関係の文章では「出口王仁三郎訪問記」(『文学時代』新潮社1931年1月)「出口王仁三郎と大本弾圧事件」(『中央公論』〔80巻4号〕中央公論社1965年4月号)などがある。大宅の文章は、阿部真之助、高田保と比較され「マクラの真之助、サワリの壮一、オチの保」と言われたこともあるという。 晩年に見聞した中華人民共和国(当時表記は中共)での文化大革命は、幼い紅衛兵が支配者に利用され暴れてまわる様子を「ジャリ革命」と論評した。
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歴史観
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第二次世界大戦における日本軍による従軍慰安婦の強制連行について、「日本政府が発見した資料の中には証拠がなかった」と2016年に否定した。 村山談話および河野談話の見直しに賛成。両談話は、それぞれ「日本政府は過去にアジア諸国を侵略して迷惑をかけたことを謝罪する」「日本政府は日本軍が従軍慰安婦を強制連行したことを謝罪する」という趣旨の、日本国の内閣総理大臣および官房長官による公的な歴史解釈である。 内閣総理大臣の靖国神社参拝に賛成と回答。 アメリカ合衆国議会が「日本政府による慰安婦への謝罪を求める決議」を2007年に審議する直前、松野を含む日本の保守派の国会議員など39名が、「日本軍が慰安婦へ売春を強要したという証拠はない」「慰安婦は『性的奴隷』ではない」という主張を、アメリカの新聞紙での意見広告という形で行った。松野の他には櫻井よしこ、安倍晋三、岸信夫、稲田朋美、高市早苗などが参加した。この決議はアメリカ下院で採択された。その後の2012年にも、松野らは同様の意見広告による主張を行った。
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歴史観
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第二次世界大戦に関して、日本政府は公的な見解として「大日本帝国がアジア諸国へ侵略したことを謝罪する」という内閣総理大臣の談話(村山談話)を踏襲している。これに高市は否定的であり、「村山談話を変更すべき」などと述べた(詳細は後述)。 大日本帝国の慰安婦に関して、日本政府は公的な見解として「大日本帝国および旧日本軍の関与により、朝鮮半島の女性たちを強制連行して尊厳を傷つけたことを謝罪する」という内閣官房長官の談話(河野談話)を表明している。これに高市は否定的であり、「事実に基づく新たな談話を発出するべきだ」などと主張した。 大日本帝国が朝鮮半島の住民を日本へ強制連行したとする見解を否定し、「同じ日本国民としての戦時徴用と呼ぶべきだ」と主張している。 靖国神社への参拝を継続している。もし自民党総裁や内閣総理大臣に就任した場合でも参拝すると表明している。同時に、国立追悼施設(靖国神社問題を避けるための政治色・宗教色を排した施設)の設置構想には強く反対している。 日本とドイツとの国交樹立150周年を記念した2011年の国会決議「日独友好決議」について、高市が所属する自民党および日本会議の議員の多くが「日独の両国を『侵略国』と断罪している」「歴史認識を誤認している」ことに反発し、反対や棄権、退席を行った。日本共産党の機関誌『しんぶん赤旗』によれば、高市も同決議へ反対した。高市は「日独両国が各国との戦争で多大な迷惑をかけるに至り、両国も多くの犠牲を払った」と言明したことや、戦後の「戦争への反省」に言及していることを問題視し、「『戦争権』は、全ての国家に認められた基本権です」などと主張したという。
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歴史観
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ブラヴァツキーは、すべての物は「7つの組」になっており、すべての天体も6つの天体を伴っているとし、地球にも6つの精妙な相棒が存在しているとした。それは意識状態に対応した6つの物質状態に分かれ、地球と合体しており、1から4番まで密度が増すと同時に霊性が減少し、4から7番では精妙さと霊性を取り戻し、最初の状態に戻るという。この天球進化に7つの段階を経て進化するモナド(ここでは一種の生命素)の概念を重ね合わせたものが、「周期(ラウンド)(英語版)」(回期、循環期とも)という宇宙暦である。現在の地球は、地球連鎖の第4周期、第4天球期という最も物質的な期間であるという。モナドは各周期ごとに第4天球期に「人間」の形になり、現在の人類のモナドは、前の3周期で鉱物界、植物界、動物界を巡ってきたのだという。 この現人類の進化について、『シークレット・ドクトリン』の「人類創世記」で「根源人種」として展開されている。ブラヴァツキーは、7つの「根源人種(英語版)」(根幹人種、根人種とも)があるはずであるとし、根源人種をさらに7つの亜人種に、亜人種をさらに7つの分種(または族種)に分けた。 第一根源人種 - 地球が太陽神に知恵を持つ霊的生命体を授けてくれるよう願い、太陽神が七大天使に命じて創らせた。肉体を持たないアストラル体の存在で、出芽によって増え、全周期を通じて存在する永遠の大陸、不可視の非物質的領域である「不滅の聖地」に存在。 第二根源人種 - 肉体を持たずエーテル体の存在で、分裂で増え、北極地方にあったハイパーボリア大陸に存在し、その痕跡がグリーンランドにあるという。 第三根源人種 - 猿のような姿で両性具有・卵生・四本の手と頭部の後ろに目が一つある人種。レムリア大陸に存在。初めて肉体を持つようになり性が分化したことで、性の快楽におぼれて獣とも交わって半獣半人を生み、これにより「堕落」と「楽園追放」が起こったという。 第四根源人種 - 現代人より体が大きく知能の高い優れた人間。レムリア大陸は7千年ほど前に崩壊し、その後大西洋に隆起したアトランティス大陸に生まれた。 第五根源人種 - アトランティス王国の生き残りであるマハトマ、「聖なる教師」たちが選んで進化させ、導いて文明を築かせた、現代の文明を主導する支配人種「アーリア人」。いずれ天変地異が相次ぎ、アメリカ大陸が陥没して滅亡する。 第六根源人種 - パーターラ人。北アメリカ大陸で生まれつつあり、いずれ誕生する大陸で進化する。 第七根源人種 - 完全な霊性の時代に移行し、進化が終了する。 岩本は、つまり現代ではアーリア人こそ「霊的進化」の頂点に立つということである、と説明している。また、この第5期においてもっとも偉大な人物は、秘儀伝授を受けたブッダであり、現代の人間を永遠の真理である「神智」に立ち戻らせるためにやってきたとし、彼は発達した心理能力、すべての前世の知識、限りない善意と叡智など第6期の人間の資質を備えているとした。 大田俊寛は、〈神智学〉の人間の歴史観は、「霊的進化」と「物質的進化」という二種類の進化のラインの交錯が繰り返されるという霊性進化論(英語版)であり、霊的進化に従えば神的存在に近づき、物質進化に導かれれば、悪魔や怪物を含む動物的存在に堕ちていくと解説している。霊的進化の導き手が「大師」「大霊」「天使」といった高級霊で、これに対し物質進化をもくろみ高級霊たちを邪魔する悪しき低級霊(「悪魔」「動物霊」と呼ばれたもの)が存在するとされたと述べている。 また、ブラヴァツキーの「物質文明から精神文明への大転換」が起こるという予言は、ニューエイジやポストモダンの諸思想に広範な影響を与えたという。
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歴史観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/04 02:56 UTC 版)
小説家司馬遼太郎の歴史観や、自由主義史観を歴史の偽造であるとして批判しており、伊藤博文の暗殺事件については、伊藤は東学農民軍の虐殺作戦に最終決定権者として深く介入した人物であるため射殺されたのであって、実行犯の安重根は無罪であると主張している 。 慰安婦問題や竹島問題でも韓国政府の主張を支持しており、韓国の歴史観に従わなければ、日本は世界から孤立すると主張している。
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歴史観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 08:58 UTC 版)
「グナエウス・ポンペイウス・トログス」の記事における「歴史観」の解説
トログスの著書として最も知られている『ピリッポス史』は、紀元前19年から2年の間に書かれたものと想定される。3世紀にはユニアヌス・ユスティヌスにより抄録が作られ、その形で後世に残るが、『ピリッポス史』自体は残っていない。トログスはウェッレイウス・パテルクルス、クルティウス・ルフス、ウァレリウス・マクシムスなどのラテン語の歴史書に引用され、アウグスティヌスやオロシウスなどに参照され、カッシオドルスやイシドールスの文中にも利用された形跡がある。 この歴史書には政治史だけでなく自然誌・民族誌・地誌が含まれており、人間の歴史は自然誌の一部であるという態度がうかがわれる。同じことはヘロドトスやポセイドニオスらギリシア人の歴史家の考え方や、カエサルの『ガリア戦記』やコルネリウス・タキトゥスの『ゲルマニア』などのローマの歴史書の記述に共通すると考えられる。 ローマだけでなく地中海をめぐる世界全体の歴史について、個々の歴史家が記述したことを時代順に、また事態のつながりをたどってまとめたところに、トログスの歴史の特徴がある。これはポリュビオスがその『歴史』(Historiae)の中で自覚的に採用し、ポセイドニオスを通じてトログスが引き継いだものであり、やがては「普遍史 Universalgeschichtsschteibung」としてB・G・ニーブールやJ・G・ドロイゼン、A・v・グートシュミットなどのドイツ史家に復権される視点である。 サルスティウスの影響を受けて、同時代のローマについては悲観的な感想を持ち、ローマは古来の共和制の美質を失いつつあり、没落して次の帝国に取って代わられるのではないか、と考えていた。教会史家ヒェロニムスはトログスの作品を推奨に値する歴史書としてあげ、「帝権の変遷・継承」説はヒェロニムスの年代記によってキリスト教徒に伝えられる。
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「歴史観」の例文・使い方・用例・文例
- 歴史観
- 観念論的な歴史観
歴史・観と同じ種類の言葉
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