夏目漱石
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栄典
作品一覧
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小説
中・長編小説
- 吾輩は猫である(1905年1月 - 1906年8月、『ホトトギス』/1905年10月 - 1907年5月、大倉書店・服部書店)
- 坊つちやん(1906年4月、『ホトトギス』/1907年、春陽堂刊『鶉籠』収録)
- 草枕(1906年9月、『新小説』/『鶉籠』収録)
- 二百十日(1906年10月、『中央公論』/『鶉籠』収録)
- 野分(1907年1月、『ホトトギス』/1908年、春陽堂刊『草合』収録)
- 虞美人草(1907年6月 - 10月、『朝日新聞』/1908年1月、春陽堂)
- 坑夫(1908年1月 - 4月、『朝日新聞』/『草合』収録)
- 三四郎(1908年9 - 12月、『朝日新聞』/1909年5月、春陽堂)
- それから(1909年6 - 10月、『朝日新聞』/1910年1月、春陽堂)
- 門(1910年3月 - 6月、『朝日新聞』/1911年1月、春陽堂)
- 彼岸過迄(1912年1月 - 4月、『朝日新聞』/1912年9月、春陽堂)
- 行人(1912年12月 - 1913年11月、『朝日新聞』/1914年1月、大倉書店)
- こゝろ(1914年4月 - 8月、『朝日新聞』/1914年9月、岩波書店)
- 道草(1915年6月 - 9月、『朝日新聞』/1915年10月、岩波書店)
- 明暗(1916年5月 - 12月、『朝日新聞』/1917年1月、岩波書店)
短編小説・小品
- 倫敦塔(1905年1月、『帝国文学』/1906年、大倉書店・服部書店刊『漾虚集』収録)
- 幻影の盾(1905年4月、『ホトトギス』/『漾虚集』)
- 琴のそら音(1905年7月、『七人』/『漾虚集』収録)
- 一夜(1905年9月、『中央公論』/『漾虚集』収録)
- 薤露行(かいろこう)(1905年9月、『中央公論』/『漾虚集』収録)
- 趣味の遺伝(1906年1月、『帝国文学』/『漾虚集』収録)
- 文鳥(1908年6月、『大阪朝日』/1910年、春陽堂刊『四篇』収録)
- 夢十夜(1908年7月 - 8月、『朝日新聞』/『四篇』収録)
- 永日小品(1909年1月 - 3月、『朝日新聞』/『四篇』収録)
評論・随筆・講演など
- 評論
-
- 文学論(1907年5月、大倉書店・服部書店)
- 文学評論(1909年3月、春陽堂)
- 随筆
- ・ 満韓ところどころ(1909年)
- ・ 韓満所感(1909年)
- 講演
-
- 現代日本の開化(1911年、和歌山県会議事堂/1911年11月、朝日新聞合資会社刊『朝日講演集』収録)
- 私の個人主義(1914年)。他に「道楽と職業」「中味と形式」「文芸と道徳」などがある。
- 紀行
-
- カーライル博物館(1905年、『学鐙』/『漾虚集』収録)
- 満韓ところどころ(1909年10月 - 12月、『朝日新聞』/『四篇』収録)
- 句集・詩集
-
- 漱石俳句集(1917年11月、岩波書店)
- 漱石詩集 印譜附(1919年6月、岩波書店)
- 新体詩
-
- 従軍行(1904年5月、『帝国文学』10巻5号)
- 画
-
- 我輩はお先真っ暗の猫である
- 自作の『吾輩は猫である』のパロディ[注釈 10]。
- 我輩はお先真っ暗の猫である
全集
- 漱石全集(1993年 - 1999年、岩波書店、全28巻・別巻1)。2016年12月より新版刊
- 吾輩は猫である
- 倫敦塔ほか・坊つちやん
- 草枕・二百十日・野分
- 虞美人草
- 坑夫・三四郎
- それから・門
- 彼岸過迄
- 行人
- 心
- 道草
- 明暗
- 小品
- 英文学研究
- 文学論
- 文学評論
- 評論ほか
- 俳句・詩歌
- 漢詩文
- 日記・断片 上
- 日記・断片 下
- ノート
- 書簡 上
- 書簡 中
- 書簡 下
- 別冊 上
- 別冊 中
- 別冊 下
- 総索引
- 漱石言行録
- 漱石文学全集(1982年 - 1983年、集英社、全10巻)
- 夏目漱石全集(1987年 - 1988年、ちくま文庫、全10巻)
- 旧版「夏目漱石全集 筑摩全集類聚」 (筑摩書房、全10巻・別巻1)
- 漱石新聞小説復刻全集(1999年、ゆまに書房、全11巻)
- 漱石雜誌小説復刻全集(2001年、ゆまに書房、全5巻)
- 漱石評論・講演復刻全集(2002年、ゆまに書房、全8巻)
映像化作品
- 吾輩は猫である(1935年、PCL、監督:山本嘉次郎)
- 坊っちゃん(1953年、東宝、監督:丸山誠治)
- こゝろ(1955年、監督:市川崑)
- 三四郎(1955年、監督:中川信夫)
- 坊っちゃん(1958年、監督:番匠義彰)
- 坊っちゃん(1966年、監督:市村泰一)
- 心(1973年、原作「こゝろ」監督:新藤兼人)
- 吾輩は猫である(1975年、監督:市川崑)
- 坊っちゃん(1977年、監督:前田陽一)
- それから(1985年、監督:森田芳光)
- ユメ十夜(2006年、監督:山口雄大)
家族・親族
夏目家
夏目家の系図によると、夏目家の先祖は清和源氏満快流の夏目氏の一族であり、三河国徳川氏の家臣であった夏目吉信(広次)とは先祖夏目国平を同じくする同族に当たる。夏目家の先祖は武田家に仕え、甲斐国八代郡夏目邑を賜わり、それから数代後に武田勝頼が没落したため、当時の当主夏目信頼は武蔵国埼玉郡岩槻邑に移り、太田氏房に仕え、その後岩槻藩を領した高力清長に仕えた[27]。子の氏正は病気のために隠退して郷士となり、豊島郡牛籠村にうつった[27]。1702年(元禄15年)旧暦4月、氏正の子夏目兵衛直情の時、名主に任じられたという[6][27]。ただし渡辺三男は旗本夏目氏や高力氏の系図と比較して世代数が少なすぎることや、通字に連続性がないなど、夏目家系図には不審な点があるとしている[28]。
夏目家は苗字帯刀を許され、奉行所に入る際のみ刀をはずすという待遇を認められていた[28]。現在も新宿区に存在する“夏目坂”は、漱石の父・直克により名付けられた。生誕の地の碑も坂に面している。
家紋(定紋)が“井桁に菊”であることから町名を喜久井町としたのも、直克であった[注釈 11]。なお、漱石自身の家紋は「菊菱」である。これは漱石が長男でないため、分家の証として用いていると考えられる(本家と分家 は違う家紋を用いるのが通常である)。
- 父・直克、母・千枝(ちゑ)に五男一女があり、漱石は五男である。千枝は直克の後妻であり、伊豆橋という新宿の遊女屋の娘だった。『夏目漱石 人と作品3』 11頁によると、「遊女屋は当時はそれほど卑(いや)しい職業とみなされず、一種の社交場とされていた。その家族は店と別に住み、遊芸や茶の湯をして過ごすというふうで、趣味的な生活をしていたのである。しかし直克はやはり世間体を考えに入れた。そこで千枝の姉の嫁入り先の、芝の薩摩藩お出入りの炭問屋高橋長左衛門の妹として結婚したが、表向きは四谷大番町の鍵屋という質屋から嫁いだことにしていた。そのため漱石は、終生母の実家は質屋だと思い込んでいたらしいという。直克と先妻との間に二女(異母姉)がいる。
- 三兄・和三郎(夏目直矩)の孫に、芸能プロダクション経営者でVISAカードのCFで漱石役を演じた夏目太郎(新田太郎)がいる[29][30][31]。
- 三兄・和三郎(夏目直矩)の別の孫に朝日新聞社員(『週刊朝日』副編集長、『アサヒカメラ』編集長、『図書』編集長、『美術図書』編集長などを歴任)の角田秀雄[32]。
- 妻 - 夏目鏡子との間に2男5女。
子供らの生年月日は次のようになっている。
- 明治32年(1899年)5月31日 - 長女 筆子誕生。下記参照。
- 明治34年(1901年)1月26日 - 次女 恒子誕生。江副家に嫁ぐも離婚、昭和11年 (1936年)に病死する。
- 明治36年(1903年)11月3日 - 三女 栄子誕生。生涯独身を貫き母の世話をした。昭和54年 (1979年)に死去する。
- 明治38年(1905年)12月14日 - 四女 愛子誕生。仲地家に嫁ぐ。昭和56年 (1981年)に死去する。
- 明治40年(1907年)6月5日 - 長男 純一誕生。個別記事を参照。
- 明治41年(1908年)12月17日 - 次男 伸六誕生。個別記事を参照。
- 明治43年(1910年)3月2日 - 五女 雛子誕生。明治44年 (1911年)11月29日に1歳で死去。
長男家
長女家
- 長女 - 夏目筆子(作家、1899 - 1989)熊本県出身。日本女子大付属高女卒。本名・筆[34]。
- 娘婿 - 松岡譲(作家、筆子の夫)
- 孫 - 松岡陽子マックレイン(オレゴン大学名誉教授、筆子の次女)[注釈 12]
- 孫 - 半藤末利子(エッセイスト、筆子の四女)
次男家
- 次男 - 夏目伸六(随筆家)[注釈 13]
- 孫 - 夏目沙代子(伸六の長女)
- 孫婿 - 夏目義雄(音楽家、沙代子の夫)
- 曾孫 - 夏目哲郎(音楽プロデューサー、作曲家・編曲家、沙代子の三男)
- 曾孫 - 夏目一人(クリエーター、沙代子の次男)
- 玄孫 - 夏目ひみか(シンガーソングライター、沙代子の長女の娘)
(鏡子の 妹) | 鈴木禎次 | 夏目鏡子 | 夏目漱石 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
夏目伸六 | 夏目純一 | (長女・筆子) | 松岡譲 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(伸六の 長女) | (純一の 長女) | 夏目房之介 | 半藤末利子 | 半藤一利 | 松岡陽子 マックレイン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
夏目一人 | Emi | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注釈
- ^ 原武哲『喪章を着けた千円札の漱石―伝記と考証』(笠間書院 2003年 ISBN 978-4305702548)によれば9月19日と推測している。
- ^ 当時は学校のあった地名をとって一ツ橋中学ないし一ツ橋尋常中学とも呼ばれた。
- ^ 現在の成立学園とは無関係。
- ^ スコットランド出身のジェームズ・マードックにかわいがられ、教室以外でも先生の家に招かれて教えられ、「マードックさんは僕の先生だ。……英国人もあんな人許(ばかり)だと結構だが」と野間真綱宛ての書簡に書いたり、マードックの『日本史』に推薦文を書いたりしている(平川祐弘『漱石の師マードック先生』講談社学術文庫 1884年)。
- ^ 狩野宛書簡に「洋行中に英国人は馬鹿だと感じて帰つて来た。日本人が英国人を真似ろ\/と云ふのは何を真似ろと云ふのか今以て分からない」と書いている。
- ^
この様子ではいつまで嘆願をしていても、とうてい見込がないと思い切った武右衛門君は突然かの偉大なる頭蓋骨を畳の上に圧しつけて、無言の裡に暗に訣別の意を表した。主人は「帰るかい」と云った。武右衛門君は悄然として薩摩下駄を引きずって門を出た。可愛想に。打ちゃって置くと巌頭の吟でも書いて華厳滝から飛び込むかも知れない。
「しかし愚じゃないか、知りもしないところへ、いたずらに艶書を送るなんて、まるで常識をかいてるじゃないか」
「いたずらは、たいがい常識をかいていまさあ。救っておやんなさい。功徳になりますよ。あの容子じゃ華厳の滝へ出掛けますよ」 - ^ 夏目漱石『草枕』新潮社、昭和25年11月25日 1950、155-156頁。
昔し巌頭の吟を遺して、五十丈の飛瀑を直下して急湍に赴いた青年がある。余の視るところにては、彼の青年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと思う。死そのものは洵に壮烈である、ただその死を促がすの動機に至っては解しがたい。されども死そのものの壮烈をだに体し得ざるものが、いかにして藤村子の所作を嗤い得べき。彼らは壮烈の最後を遂ぐるの情趣を味い得ざるが故に、たとい正当の事情のもとにも、とうてい壮烈の最後を遂げ得べからざる制限ある点において、藤村子よりは人格として劣等であるから、嗤う権利がないものと余は主張する。
- ^ 夏目伸六の『父・漱石とその周辺』によれば次のよう。
ふと眼を開けた父の最期の言葉は、
「何か喰いたい」
という、この期に及んで未だに満し得ぬ食欲への切実な願望だったのである。で、早速、医者の計いで一匙の葡萄酒が与えられることになったが、
「うまい」
父は最後の望みをこの一匙の葡萄酒のなかに味わって、又静かに眼を閉じたのである。
- ^ 彼は其所で疱瘡をした。大きくなつて聞くと、種痘が元で、本疱瘡を誘ひ出したのだといふ話であつた。彼は暗い簾子のうちで転げ廻つた。身の肉を所嫌はず掻きむしつて泣き叫んだ。〉「道草」(39)
- ^ 茂木健一郎所蔵。『アナザースカイ』(日本テレビ) 2009年7月3日放映分にて披露。100万円で購入したそうである。
- ^ 『硝子戸の中』に関連する記述あり。喜久井町#地名の由来参照。
- ^ 松岡陽子マックレインの息子(米国籍)は、息子(つまり漱石の玄孫)のミドルネームに Soseki と命名した。
- ^ 菊池寛との親交が深かったことで、「父・夏目漱石」(文藝春秋社)を発表した。
- ^ 門下生が集まれば必ず牛鍋を囲む。羊羹、お汁粉、ケーキなど甘いものが好きで、特にお気に入りは自家製アイスクリームだった。胃弱のためには大量の鶏肉を使ったスープを飲んでいたという。なぜか鳥類のもらい物も多かった。シャモ、カモ、山鳥、キジなどで、知人宅での雁の料理に舌鼓を打ったこともあったらしい(河内一郎『漱石、ジャムを舐める』新潮文庫)
- ^ 「吾輩は-」には1か月に8缶も舐めたとの記述がある。
- ^ 医師の松本健次郎は「漱石非精神病説」を主張している。漱石の精神病説の根拠は熊本の五高を辞職する時に出された神経衰弱の診断書と、妻、夏目鏡子の回想記『漱石の思ひ出』などに描かれた漱石の言動の記述や、同書で東大精神科の呉秀三が、漱石を診断し、鏡子に漱石が病気であると告げたという記述があることであるが、辞職のために、五高に提出した診断書も書いた呉は、漱石が親しい菅虎雄の親友であり、また夏目家の家庭医、尼子四郎とも親しかった。当時、実家に戻っていた、鏡子を、尼子を通した依頼で呉が説得した言葉が、鏡子のなかで漱石が精神病者であるという記憶に変わっていったのではないかと主張している。『漱石の思ひ出』の記述を引用しただけの漱石の病跡学は学問的でないと主張している。『漱石の精神界』松本 健次郎 (著) 金剛出版 (1981/01) ISBN 4772401377
- ^ 山下浩、初校ゲラを通してみた小宮豊隆の『夏目漱石』 を参照。
- ^ これより前に漱石が使用した例としては「同時にスコット一派の浪漫派を生まんがために存在した時期である。」(『野分』11章、1907年1月)が最も早い。また翌年の講演『創作家の態度』では「浪漫派」「浪漫主義」の語句が多く用いられている。
- ^ 初版は十字屋書店。昭和41年(1966年)に、朝日新聞社で新装再刊。
- ^ たとえば押韻の問題について全く踏まえていないなどの問題があるとされる[要出典]。
- ^ 夏目漱石他著の小説文庫版の巻末参照
出典
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- ^ a b Internet Speculative Fiction Database; 閲覧日: 9 10月 2017; 表記名: 夏目漱石; ISFDB著者識別子: 212171.
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- ^ 『夏目漱石 人と作品3』 13頁
- ^ 佐古純一郎「夏目漱石と二松學舎」『二松學舎百年史』1977年、289-291頁。
- ^ 夏目漱石は兵役逃れのため北海道に転籍したと聞いたが、そのことについて書かれた本はあるか。|レファレンス協同データベース
- ^ 堀 啓子『日本近代文学入門-12人の文豪と名作の真実』中央公論新社、2019年8月20日、129頁。ISBN 9784121025562。
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- ^ [1]斎藤茂太 「赤いレンガ」 『医学芸術』 昭和57年10月号 斎藤茂吉生誕百年 坪井医院(千代田区神田和泉町1)のウェブサイトへの転載、平成23年11月3日閲覧
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- ^ 「ロンドン漱石記念館」が9月で閉館 EU離脱の影響で前倒し
- ^ 「漱石記念館、ロンドンで再開 天皇陛下の記帳など公開」 朝日新聞(2019年5月9日)2019年5月18日閲覧。
- ^ 明治36年1月28日『官報』第5869号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ2「◯學事 ◯留學生歸朝 文部省外國留學生第五高等學校敎授夏目金之助ハ本月二十日歸朝セリ(文部省)」
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- ^ 漱石の肉筆を後世へ!漱石文庫デジタルアーカイブプロジェクト(東北大学附属図書館 2019/11/05 公開) - Readyfor
- ^ 『「草枕」変奏曲―夏目漱石とグレン・グールド』及び『漱石とグールド―8人の「草枕」協奏曲』参照
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- ^ a b 川島幸希『140字の文豪たち』 秀明大学出版会 2020年
- ^ 小田島雄志「珈琲店のシェイクスピア」晶文社、1978年、236ページ
- ^ 豊田有恒「あなたもSF作家になれるわけではない」 徳間書店、1979年
- ^ にぐるた「「月が綺麗ですね・死んでもいいわ」検証」『にぐるたの物置』
- ^ 岐阜県図書館「夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したとされる根拠となる文献はないか。」『レファレンス協同データベース』 国立国会図書館、2014年10月10日
夏目漱石と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
歌人 |
櫻井ゆか 水原紫苑 夏目漱石 五所平之助 米澤家州春 |
日本の小説家 |
橘善男 北村寿夫 夏目漱石 金蓮花 熊谷達也 |
俳人 |
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東京大学の教員 |
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日本の文学研究者 |
新島繁 島村輝 夏目漱石 篠原昌彦 横山貞子 |
早稲田大学の教員 |
齋藤純一 上里一郎 夏目漱石 金泳三 高橋則夫 |
明治時代の人物 |
長岡護全 柴田承桂 夏目漱石 島田一郎 坪野平太郎 |
日本の文芸評論家 |
酒井英行 桶谷秀昭 夏目漱石 小宮豊隆 福田和也 |
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