八十一号作戦とは? わかりやすく解説

八十一号作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 06:38 UTC 版)

ビスマルク海海戦」の記事における「八十一号作戦」の解説

十八作戦次に行われた輸送作戦を八十一号作戦という。八十一号作戦は、日本陸軍第十八軍(司令官安達二十三陸軍中将麾下第二十師団第四十一師団第五十一師団をもって東部ニューギニア要所ラエサラモアマダンウェワク)を増強する作戦である。作戦立案した第八方面軍参謀杉田一次陸軍大佐によれば「八は縁起がよいというので、八十一号作戦と名付けた」と回想している。第八方面軍参謀長吉原矩陸軍中将は「マダン上陸するのでは、ダンピール棄てることになるので、一か八かラエ強行上陸決定した」と回想している。 八十一号作戦は三段階の作戦構成されていた。陸軍41師団ニューギニア中部北岸ウェワク輸送する「丙号輸送」(海軍呼称は「丙三号作戦」)(2月下旬)。陸軍51師団ラエ輸送船団をもって輸送する『八十一号作戦ラエ輸送』(本項目)。陸軍第20師団師団長青木重誠陸軍中将)をニューギニア島北岸マダン輸送する作戦である。 ケ号作戦ガダルカナル島撤収作戦完了後の2月8日連合艦隊は電令作第477号により「(一~三、略)四 南東方面部隊ハ「カ」号作戦続行スルト共ニ陸軍協力カニ東部ニューギニヤ」ノ戦略態勢強化スベシ」と命じた。翌9日第八方面軍南東方面艦隊ニューギニア方面作戦について研究開始した2月13日第八方面軍南東方面部隊間に八十一号作戦に関する現地協定結ばれる。「八十一号作戦」の呼称名は、この現地協定決定したとされる同時に航空作戦に関して現地協定がむすばれた。2月20日第八方面軍司令官今村均陸軍中将トラック泊地戦艦大和連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将訪ね南東方面における陸海軍作戦計画について協議した第八方面軍報告をうけた大本営陸軍部は、大本営海軍部に改めニューギニア方面への作戦協力もとめた要求には「 「ラエ」「サラモア地区得失ハ「ニューギニヤ作戦遂行能否左右スヘク陸海軍スル手段ヲ尽シテ之ヲ確保スヘキ情況判断立脚シ、差当リ三月三日ラエ上陸ニ先チ(二月下旬)一部兵力資材駆逐艦輸送敢行スル如ク、両統帥部ハ現地艦隊、軍ヲ指導ス」という項目も含まれていた。 2月21日第八艦隊司令部第八方面軍第十軍・船部隊第八艦隊南東方面艦隊指揮官参謀集まり作戦会議開かれた現地上級部隊第八方面軍南東方面部隊)の協定に基づき実施部隊日本陸軍第18軍司令官安達二十三陸軍中将、第51師団長中野英光陸軍中将、第6飛行団長板義一陸軍中将〉、日本海軍第八艦隊司令長官三川軍一海軍中将第二十一航空戦隊司令官市丸利之助海軍少将第三水雷戦隊司令官木村昌福海軍少将〉)間で「八十一号作戦ラエ輸送」について現地協定結ばれる22日方面軍命令により第十軍司令官は猛作命甲第157号を発令しラエ輸送発令した24日第五十一師団長五一師作命甲第59号を発令しラエ上陸作戦について下達した。 八十一号作戦の最大課題は、船団航空護衛であった当時南東方面においてはニューギニア方面補給輸送掩護日本陸軍が、南東方面全域での洋上作戦ソロモン諸島方面航空作戦日本海軍分担であった1月3日中央陸海軍協定による)。第八方面軍協議した田辺盛武参謀次長2月上旬報告の中で「輸送掩護ノ為ノ航空兵力ハメテ貧弱ニシテ此ノ上トモ兵員船団損耗ヲ小ナラシムル為作戦指導ニ関シ苦慮セラレアリ 殊ニ51D主力直接ラエ上陸海軍ノ最モ強力ナル支援ヲ得サル限リ損害ハ少クトモ 二分ノ一 ニ上ルモノト推算セラレアリ」と懸念している。日本陸軍航空戦力では輸送船団安全な航海不可であった。そこで作戦協定により、日本陸軍(司偵5、戦闘機60、軽爆45)と日本海軍戦闘機60陸攻20艦攻8〈瑞鳳〉、艦爆10五八海軍航空隊〉、10九五八海航空隊〉)という航空戦力投入する。だが「陸軍戦闘機60」は希望的数字であった九九式双発軽爆撃機主力とする第六飛行師団師団長板花義一陸軍中将)は、一〇〇式司令部偵察機による偵察実施つづいてワウブナ方面攻撃を行う。2月中旬時点での実動戦力九九双軽16であった日本海軍側は、一式陸上攻撃機連合軍飛行場に対して航空撃滅戦を実施した。だが日本海軍が同方面航空兵力を半分集結させても、戦闘機60艦爆10陸攻20水上機10程度だったという。ブナ20日に7機、21日に3機)、ポートモレスビー21日に4機)、ラビ22日に7機、27日に2機)に対しそれぞれ夜間爆撃をおこなう。また輸送船団8隻を護衛するには戦闘機200が必要とされたが、同方面日本陸軍戦闘機一式戦闘機)は2月時点で約50機しかなく、陸軍側は連合艦隊零式艦上戦闘機派遣依頼するトラック在泊の第一航空戦隊瑞鶴瑞鳳)よりカビエン進出していた瑞鳳飛行機隊が、今度ウェワク進出して作戦協力することになった連合艦隊は、第八十一号作戦協力するのは瑞鳳飛行機隊だけで十分だ判断している。航空撃滅戦の効果疑わしかったが、2月初旬ガダルカナル島撤退作戦から「航空撃滅戦の成果あがらない場合でも、輸送掩護に力を注げば輸送作戦成功見込みは十分ある」との戦訓得られており、第八十一号作戦ラエ輸送実施することになった詳細は「ラエ・サラモアの戦い#ワウ戦い」を参照 現地では1月27日岡部支隊ワウ侵攻していたが連合軍増援部隊撃退され2月中旬までに撤退していた。丙三号輸送部隊ウェワク輸送に関しては、2月20日から26日にかけて第四十一師団師団長阿部平輔陸軍中将)約1万3600名の陸兵輸送物件揚陸成功した。丙三号輸送作戦第九戦隊司令官岸福治少将指揮する軽巡洋艦2隻(大井、北上)、駆逐艦複数隻、輸送船11隻でおこなわれ第一航空戦隊飛行機隊がウェワク飛行場進出して上空援護おこなった上陸部隊は、先にウェワク上陸していた第二十師団第二特別根拠地隊海軍と共に飛行場構築拡張任務開始した。また潜水艦によるラエ輸送も、2月10日から23日にかけて複数実施された。潜水艦搭載できる物資人員数限られており、最小限輸送であった本作当時南東方面日本海軍指揮していたのは南東方面艦隊第十一航空艦隊司令長官草鹿任一中将であった南東方面艦隊前年12月24日新編司令長官草鹿任一中将は、基地航空部隊第十一航空艦隊基幹)と外南洋部隊第八艦隊および連合艦隊他からの増援部隊から成る南東方面部隊指揮官であり、南東方面日本海軍最高責任者であった当時南東方面には外南洋部隊指揮官三川軍一中将第八艦隊司令長官)の指揮の下、木村昌福第三水雷戦隊司令官外南洋部隊増援部隊指揮官)の外南洋部隊増援部隊展開していた。 第三水雷戦隊司令官木村昌福少将護衛部指揮官とする駆逐艦8隻(第11駆逐隊白雪〉、第19駆逐隊浦波敷波〉、第8駆逐隊朝潮荒潮〉、第9駆逐隊朝雲〉、第16駆逐隊時津風雪風〉)、輸送船8隻(陸軍輸送船大井川丸英語版)、太明丸(英語版)、建武丸(英語版)、帝洋丸(英語版)、愛洋丸(英語版)、神愛丸(英語版)、旭盛丸(英語版)、海軍運送艦野島)の船団編成された。輸送人員は、猛作命甲第157乗船区分表によれば5,916名、南東太平洋方面関係電報によれば6,912名、井本方面軍参謀業務日誌によれば約7,500であった軍需品は約9,300立米不沈ドラム缶1500本、大発動艇40隻を搭載した航空燃料建武丸に搭載し、他の輸送船の安全を確保した同船上空警戒は、海軍側は第二十一航空戦隊(司令官市丸利之助少将)が戦闘機全部掌握して実施したニューブリテン島ラバウルニューアイルランド島カビエンの第204空や第253空および空母瑞鳳航空隊零戦合計60機以上、陸軍側は第6飛行団長板義一陸軍中将指揮下の陸軍戦闘機60機以上が担当する船団直掩戦闘機隊は、時間帯によって陸軍海軍交互に交代する予定であった作戦実施にあたり木村昌福少将三水司令官2月14日発令)は本来の第三水雷戦隊旗艦軽巡洋艦川内)から白雪駆逐艦白雪(第11駆逐隊)に座乗した。各駆逐艦にも陸軍兵と補給物資搭載指示がなされ、小発動艇折畳み式舟艇積み込んだ作戦参加した駆逐艦対空装備はすべて機銃程度で、対空砲火不備作戦失敗後の戦訓でも失敗一因指摘されている。輸送船8隻の対空装備駆逐艦大同小異で、こちらも十分とはいえなかった。 日本軍の作戦では、2月28日3月1日午前0時0分)にラバウル出航し3月3日夕刻ラエ到着揚陸予定であった日本陸軍船舶部隊ラエ先行し事前に揚陸準備をおこなう。同時に航空戦力空爆により弱体化させる計画であり、夜間爆撃ラビ及びポートモレスビーに対して行われたが、前述のように航空戦力過少天候不良により不十分であった。またラバウル本拠地を置く日本軍基地航空隊第十一航空艦隊司令長官草鹿任一中将南東方面艦隊司令長官兼務〕)は、3月3日当日重巡青葉雷撃訓練を行うような状態だった。 大本営陸軍部ニューギニア方面作戦およびラエ・サラモア地区得失を非常に重要視しており、「陸海軍あらゆる手段尽して之を確保すべき」と決意していた。護衛部隊の第三水雷戦隊参謀であった半田仁貴知少佐は、八十一号作戦計画担当であった第八艦隊作戦参謀神重徳大佐海軍兵学校48期)に「この作戦は敵航空戦力によって全滅されるであろうから、中止してはどうか」と申し入れたが、神大佐から「命令だから全滅覚悟でやってもらいたい」と回答されたという。その作戦立案した第八方面軍南東方面艦隊第十一航空艦隊第八艦隊)の当事者は、成功率四分六分、あるいは五分五分程度とみていた。とくに第八艦隊長官三川軍一中将参謀長大西新蔵少将参謀神重徳大佐)では「直衛機を信頼して理な輸送作戦計画するのは根本的に誤りである」と判断していた。軍令部は「輸送船半分損害はあるかもしれぬ」と判断している。八十一号作戦を立案した第八方面軍は、ラエ輸送成功率40パーセントから50パーセントとみていた。だがマダン揚陸ではラエまでの移動時間がかかり、またラエ・サラモア地区陸軍早急に支援しなくてはならないため、冒険的作戦ながら実施することになったこのように本作戦はラエ輸送作戦主張する日本陸軍と、マダンもしくはウェワク輸送主張した日本海軍連合艦隊)の、妥協産物であった出撃の前、陸海軍指揮官幕僚ラバウル祝宴開いて壮途祝した野島艦長松本太郎大佐第8駆逐隊司令佐藤康夫大佐に「生還望めない作戦なので骨だけは拾ってほしい」と頼むと、佐藤大佐は「自分座乗する『朝潮』が護衛する限り大丈夫だ。『野島』の乗組員は必ず生きて連れて帰る」と返した。 @media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output 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.thumb{background:#fff!important} 駆逐艦白雪 駆逐艦雪風 駆逐艦朝潮 海軍運送艦野島

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