シーズン1「エカテリーナ」
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「エカテリーナ (テレビドラマ)」の記事における「シーズン1「エカテリーナ」」の解説
2014年11月放送。全10話。 物語の舞台は1744年から1762年まで。 18世紀、ヨーロッパの新興国だった北方の大国・ロシア帝国では、帝位を巡る血塗られた権力抗争が繰り返されていた。 折しも、時の女帝・エリザヴェータは、父・ピョートル大帝の実兄・イヴァン5世のひ孫にあたる先帝・イヴァン6世をクーデター(ロシア語版)で追放し、皇位を簒奪していた。独身で子供のいなかったエリザヴェータは、ドイツ貴族に嫁いだ姉・アンナの息子であるピョートル・フョードロヴィチを後継者に選び、皇太子妃にはドイツの弱小貴族の娘・ゾフィーに白羽の矢を立て、ロシアに呼び寄せる。 その道中、ゾフィーが乗る馬車が転倒するという事故が起き、助けに駆けつけたセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・サルトゥイコフ公爵に一目惚れしてしまうというハプニングが起きる。しかし、ロシアにやって来た彼女を待ち受けていたのは宮廷に渦巻く数々の陰謀と、皇太子・フョードロヴィチとの愛の無い結婚であった。 ゾフィーは結婚に際してロシア正教に改宗してエカテリーナと改名、ロシアに溶け込もうと努力した。ところが、夫のフョードロヴィチは音楽好きである一方、子供のような兵隊遊びに熱中する変わり者だった。しかも、「もし後継者が生まれたら自分は用済みとなって殺されるのではないか」と恐れ、7年間もエカテリーナとの結婚生活から逃げていた。 なかなか跡継ぎに恵まれない皇太子にエリザヴェータは苛立ち、エカテリーナに対して「愛人を持ってでも後継者を産むよう」暗に勧めた。そして、エカテリーナの相手に選ばれたのはあのサルトゥイコフ公爵だった。エカテリーナはたちまち夢中になって不倫に陥った。 そしてエカテリーナは第一子・パーヴェルをやっとの思いで産むが、皇位継承者を手ずから育てようと待ち構えていたエリザヴェータにパーヴェルを奪い取られてしまう。その上、サルトゥイコフもエリザヴェータの命令でロシアから去ってしまい、全てを奪われたエカテリーナは号泣した。 その後、若きポーランド公使のポニャトフスキ公爵と親しくなったエカテリーナは彼の子を妊娠するが、その子は僅か2歳で亡くなってしまう。 悲しみの中、エカテリーナはフョードロヴィチとともにイズマイロフスキー近衛連隊の大佐(連隊長)となる。赴任早々、連隊の将校であるオルロフ家出身のグリゴリー・グリゴリエヴィチ・オルロフ中尉が逮捕される事件が起こるが、エカテリーナは彼の窮地を救ってオルロフ一族から信頼を得、折から起こった対プロイセン戦争で活躍し、英雄として帰国した彼を新たな愛人に迎え、後に男子・アレクセイ(ロシア語版)を出産する。 やがてエリザヴェータは崩御、皇帝ピョートル3世として皇位を継承したフョードロヴィチはエカテリーナを追放し、愛妾のリーザを皇后に迎えようとする。リーザが子を産めばパーヴェルは廃嫡され、イヴァン6世のように牢獄に一生幽閉されるのではないかと強い危機感を持ったエカテリーナはオルロフ一族らの支援を受けてクーデター(ロシア語版)を敢行、逃亡したフョードロヴィチを退位させ、自らが皇帝エカテリーナ2世として即位するのであった。
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シーズン1 「エカテリーナ(Екатерина)」(2014年放送)
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「エカテリーナ (テレビドラマ)」の記事における「シーズン1 「エカテリーナ(Екатерина)」(2014年放送)」の解説
1744年、ロシア帝国を開いたピョートル大帝を父に持つ女帝エリザヴェータ・ペトロヴナは甥の皇太子ピョートル・フョードロヴィチのお妃候補として、ドイツ出身の貴族の娘で14歳のゾフィー・アウグステ・フレデリーケを迎える。 ゾフィーは1年に及ぶ教育を受けてロシア語を猛勉強し、皇太子妃に選ばれるべく努力するが、宮廷には皇太子妃をフランスから迎えようと暗躍する一大勢力があり、その勢力に買収されたエリザヴェータ付きの侍医イヴァン・ヘルマン・レストック伯爵がゾフィーの食事に毒を盛る暗殺未遂事件まで起こる有様であった。さらに、ゾフィーに随行してロシアに来ていた母親のヨハンナがプロイセンと通じている事が発覚し、ゾフィーの立場が危うくなるなど様々な困難があったが、それらの苦難を乗り越え、1745年、ロシア正教に改宗してエカテリーナ・アレクセーエヴナ(Екатерина Алексеевна)と改名し、フョードロヴィチと結婚する。 幸せな結婚を夢見ていたエカテリーナは以前ヨハンナから「500年続くわが家系で愛のある結婚をした女性は1人もいない」と見下され、「それなら私が最初の女性になる」と反発していたが、間もなく母親の言葉が現実になった事を知る。元からフョードロヴィチはプロイセン国王・フリードリヒ2世に憧れて兵隊の人形で遊び、プロイセン式閲兵式の真似事にうつつを抜かす変わり者で、エカテリーナに関心を示さなかったのだ。そこでエカテリーナはなんとか彼の気を引こうと、わざわざ街に赴き、高価な兵隊人形の揃いを手に入れてプレゼントするなどの努力をしていたのだが、結婚後も彼の態度は変わらなかった。それどころか子供が出来ることを恐れて、エカテリーナとの閨事を拒絶した。 権謀術数渦巻く宮廷にあって、エカテリーナは哲学や科学、軍事学への造詣を深めるが、世継ぎを産む事こそが皇太子妃にとって第一の義務であるため、エカテリーナは苦悩を深めてゆく。だが、フョードロヴィチの方にも理由があった。先代の皇帝・イヴァン6世はエリザヴェータが起こしたクーデター(ロシア語版)によって牢獄に幽閉されており、エカテリーナが世継ぎを産めば既にフョードロヴィチを見放しているエリザヴェータにより用済みにされ、イヴァンのように投獄される事を怖れているのであった。好きな音楽と子供のような遊びは、エリザヴェータに人生を変えられた不満、恐怖や孤独を紛らわせるものだったのだろう。それでもようやく心が通じ合いかけたその時にフョードロヴィチは天然痘に罹患し、エリザヴェータでさえ気を失う程の醜い容貌になってしまう。思わず後ずさりしたものの、何とか彼を愛そうと近寄ってきたエカテリーナにフョードロヴィチは欺瞞を感じ取ったのか、いきなり彼女を殴り、硬く心を閉ざす。そこへ追い打ちをかけるように父親の訃報が届き、エカテリーナは号泣し、崩れ落ちる。それは彼女の心の中で何かが壊れた瞬間であった。 7年の月日が流れ、一向に懐妊の気配が無い事にしびれを切らしたエリザヴェータはエカテリーナに問い質し、彼女が処女のままである事を知る。エリザヴェータは驚き呆れ、「今夜は仮面舞踏会。そこでは奇妙な事が起こるだろう」とエカテリーナに愛人を持って子供を産めと暗に示す。その仮面舞踏会でエカテリーナはセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・サルトゥイコフ公爵と再会する。彼はかつてロシア入りしたエカテリーナ母娘を迎えに遣わされた際、横転事故を起こした馬車から彼女を助け出した経緯があり、その時、皇太子自ら迎えに来てくれたと勘違いしたエカテリーナが一目惚れした美男である。エカテリーナは自室でノートにこっそりと"люблю?Я люблю!"(愛してる?愛してるわ!)と書き記すのだった。しかしサルトゥイコフは名うての猟色家で、この時既にアナスタシアという女性と結婚していたのである。 エリザヴェータは一方で、フョードロヴィチが愛人たちとの間に子供が出来ていないかと秘密警察(諜報局)長官アレクサンドル・イヴァノヴィチ・シュヴァーロフ伯爵(英語版、ロシア語版)に調査させようとしたのだが、シュヴァーロフのその場での返答に耳を疑った。フョードロヴィチは”女官や女優を裸にし、銃を持たせて軍隊式の行進をさせては罰して喜ぶのみで、性的な行為は一切無い”と言うのだ。何故今まで知らせなかったのか、フョードロヴィチは異常者なのか、とエリザヴェータは怒るが、傍らで話を聞いていた侍医は包茎が原因ではないかと言う。ならばその手術を今すぐ行えと命じ、逃げ回るフョードロヴィチに無理矢理手術を受けさせる。手術の甲斐あってフョードロヴィチは庭園で女性と戯れていたが、そこにエカテリーナが現れて拳銃を突きつける。この拳銃はエカテリーナに謁見した陸軍の重鎮・ステパン・フョードロヴィチ・アプラクシン(英語版、ロシア語版)陸軍元帥が持参した拳銃セットの中にあったものをエカテリーナが借り受けたものだった。それぞれ事情は変わりつつあったが、二人の険悪な関係は修復不可能であった。 その頃、エリザヴェータの体調は決して芳しいものとはいえなかった。先の仮面舞踏会で尿路結石の激痛に襲われて失神して以来、体調不良が続いていたのである。後継者の誕生を見る前に自身の命が尽きるのではと危惧したエリザヴェータはイヴァンを宮殿の目と鼻の先のペトロパヴロフスク要塞監獄から、さらに警戒の厳しいシュリッセリブルクの要塞監獄に移し、乳母とも引き離した。しかしそれから1年、待てど暮らせど懐妊の報せが無い事に業を煮やし、年が明けた1754年1月、先だっての仮面舞踏会でエカテリーナと満更でもない雰囲気を醸していたサルトゥイコフを呼びつけ、「エカテリーナの事をどう思う?」と話を始めた。 そしてある日、サルトゥイコフはエカテリーナを馬車で遠乗りに連れ出した。雪原を走る馬車の中で、サルトゥイコフは初めて出会った時の話をし、「あなたの勘違いが本当なら良かったのに」と甘く巧みに言い寄る。恋の手練であるサルトゥイコフの言葉はエカテリーナを陶然とさせ、馬車はあの事故の時に立ち寄った宿へ着く。エカテリーナは初めての恋に胸をときめかせ、一夜を共にする。 明くる日、エリザヴェータはシュヴァーロフから「エカテリーナとサルトゥイコフが関係を持った」と報告を受ける。実は二人が訪れた宿にはシュヴァーロフの手下が宿泊客に扮して待ち構えていて、その手下からの報告をエリザヴェータは又聞きしたのだった。事が上手く運んだことに満足したエリザヴェータは寵臣のアレクセイ・グリゴリエヴィチ・ラズモフスキー(英語版、ロシア語版)伯爵に、「1月20日に関係を持ったということは、生まれるのは9月20日になるだろう。善後策はどうすればよいか?」と問う。ラズモフスキーは「(生まれる子は)エカテリーナとフョードロヴィチの子供ということにしなければならない。フョードロヴィチをけしかけてエカテリーナと床を一緒にさせるべきだ」と進言する。 ある晩、サルトゥイコフとの密会を済ませて寝室に戻ったエカテリーナは、ベッドにフョードロヴィチが横になっていたのを見て驚く。フョードロヴィチはエリザヴェータから脅されたので数日間一緒にいるつもりだとエカテリーナに告げる。やがてエカテリーナは懐妊し、1754年9月20日、待望の男児パーヴェル・ペトロヴィチ大公(後のパーヴェル1世)を出産する。 しかし、エカテリーナが産んだパーヴェルは誰よりも世継ぎの誕生を待ち望んでいたエリザヴェータに奪い取られてしまう。エリザヴェータはエリザヴェータで、パーヴェルを「未来のロシア皇帝である!」と宣言して悦に入っていた。そしてエカテリーナは出産直後の体を押してエリザヴェータの元に向かうが、エリザヴェータはエカテリーナにネックレスを褒美として与えた だけで、パーヴェルを胸に抱くことすら許そうとはしなかった。それならばと、フョードロヴィチに「息子を取り返して!」と懇願するのだが、フョードロヴィチは「そんな格好で来るな!」と嫌悪感もあらわにエカテリーナを冷たくあしらった。 夫からも冷酷に突き放され、涙に暮れながら私室に戻ったところ、そこにはサルトゥイコフがいて、エカテリーナに別れを告げる。サルトゥイコフはエリザヴェータの命令でロシアの大使としてハンブルクに駐在することになったと言う。「どうしてそんな事が出来るの?」と泣くエカテリーナにサルトゥイコフは「私は臣下 なのです」と言い、置いて行かないで、と取りすがるエカテリーナを残して立ち去った。サルトゥイコフの酷いともいえる態度に、エカテリーナは床に倒れたまま号泣するのだった。 それから2年後、プロイセンのザクセン侵略を皮切りに七年戦争が勃発した。ヨーロッパがプロイセンと女帝・マリア・テレジアが君臨するオーストリアに二分されたこの戦争にロシアも参戦すべきか、御前会議では宰相(首相)兼外相 のアレクセイ・ペトロヴィチ・ベストゥージェフ伯爵とアプラクシン元帥とが対立する。他の重臣たちは中立を維持すべきだと進言するが、エリザヴェータはオーストリア側に立って参戦することを決め、オーストリアのマリア・テレジアとフランス国王・ルイ15世の公妾・ポンパドゥール夫人に書簡を送るよう命じる。 一方、宮廷ではパーヴェルの聖名祝日を祝う盛大な宴が催されることになった。産んだその日以来、一度もパーヴェルに会わせて貰えなかったエカテリーナは参加しようと意気込むが、シュヴァーロフはエカテリーナが先にロシア駐在のプロイセン大使(ドイツ語版)・アクセル・フォン・マーデフェルト男爵の表敬訪問を受けたことを追及し、「陛下(エリザヴェータ)の命で大公妃(エカテリーナ)の参加は禁じられています」とけんもほろろに言い渡して立ち去っていく。そこでエカテリーナはベストゥージェフ宰相に頼み込んで共に式が行われるペテルゴフの離宮に向かう。 式場では子供らしく大暴れするパーヴェルにエリザヴェータが手を焼いていた。エリザヴェータは匙を投げ、「父親が誰なのかわからなくなってきた」と嘆息する。一方のフョードロヴィチは全く乗り気でなく、侍従に不満をぶつけながら渋々参列したのだが、初めて会ったパーヴェルに飛びつかれると父親としての愛情に目覚め、戸惑いながらも兵隊のおもちゃで優しく遊んでやるのだった。並んで歩く後ろ姿は瓜二つで、エリザヴェータも満足そうな眼差しを向けているところにエカテリーナが現れ、初めての親子の集いとなる。一方、エカテリーナを連れてきたベストゥージェフはエリザヴェータから咎められるが、陛下のお優しい心を忖度しての行動だったと釈明して許される。宴が終わり、「ママ、行かないで」と手を離さないパーヴェルにエカテリーナは「いつか必ず一緒に暮らせるから」と涙をこらえて約束する。しかしエリザヴェータはパーヴェルに両親を忘れるように仕向けるのだった。 その後、エリザヴェータはラズモフスキーと密かに結婚式を挙げ、パーヴェルが即位するまでの間、フョードロヴィチに代わって皇帝になって欲しいと打ち明ける。ロマノフ家の一員ではないラズモフスキーは驚き固辞するが、エリザヴェータによるこの後継者指名は皇帝の一存で後継者を指名する権利が認められていた帝位継承法(ロシア語版)に基づいたものであり、帝国の行く末を憂いて考え倦ねた末の願いだった。 それから間もなく、エリザヴェータはパーヴェルを皇位継承者と定める宣言を発するとともにドイツ統一を目論むプロイセンに宣戦布告する。当時、世界情勢は風雲急を告げており、フランスは長年の仇敵であるオーストリアと和解して軍事同盟を結ぶという奇策で世界を驚かせ、プロイセンはイギリスと同盟を結んでいた。ヨーロッパでのフランスとイギリスの対立構造は新大陸やムガル帝国統治下のインドなどといった世界各地に波及し、フレンチ・インディアン戦争やプラッシーの戦いなどに代表されるような全面戦争を繰り広げていた。プロイセンの孤立化を狙うオーストリアはロシアやポーランドとも同盟を結び、プロイセンへの圧迫を強めていた。 そんな中、エカテリーナはベストゥージェフ宰相からペテルブルク駐在のポーランド公使として赴任してきたスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ公爵を紹介される。イギリスと友好関係を持つポーランドの将来の国王とエカテリーナが親しくなればロシアの国益に叶うというのがベストゥージェフ宰相の思惑であった。 ハンサムで軽薄なポニャトフスキは稚拙な恋文 をエカテリーナに送り、強引に彼女の部屋に入り込んで関係を持つ。一夜明け、メイドのアリーナが朝食を持って来た際、エカテリーナは彼女がシュヴァーロフの指揮下にある秘密警察のスパイだと見破り、ポニャトフスキとの事をシュヴァーロフに報告するのかと遠回しに問うが、アリーナは答えらしい答えをしない。そして、まだ寝ていたポニャトフスキにエカテリーナは「いとしい友」と呼びかけ、「コーヒーを飲んで元気を出して」と笑顔を見せると、彼は「コーヒーはいらない。新鮮なキュウリみたいに元気さ」 とエカテリーナの手を引く。エカテリーナもポニャトフスキに「私のキュウリさん」という愛称をつけ、嬌声をあげながら抱き合うのだった。そんな2人の様子をエカテリーナの寝室に隣接した隠し部屋の穴から目撃していたシュヴァーロフの手下はポニャトフスキが誰であるかわからず、キュウリ氏の名で上司に報告したが「相手の男の名前もわからんのか?上(シュヴァーロフ)に報告を上げられない!」と激怒される。 一方、シュヴァーロフもアリーナに何故報告しない、と問いただすがアリーナは「細かな報告は必要ないとおっしゃったじゃないですか、ただの発散です」と答える。その後、シュヴァーロフからエカテリーナとポニャトフスキが関係を持ったことを伝えられたエリザヴェータだが、あまり関心を示そうとはせず、とりあえず二人を泳がせることにする。 ある日の夜、寝室でポニャトフスキとセックスを楽しんでいたエカテリーナの下にフョードロヴィチが突然尋ねてくる。不意を突かれたエカテリーナは「眠っていて起きるのが遅れた」と述べて取り繕う。フョードロヴィチは「パーヴェルを軍事教練に連れ出してみたが、パーヴェルには軍人としての素質があるようだ。しかし、パーヴェルの教育係はそれに気づいていない。そこで一つ、叔母さん(エリザヴェータ)に話をして欲しい」と言い出す。これに対してエカテリーナは「私たちはパーヴェルの両親よ。陛下に話をするのならあなたも一緒にするべきよ?」と答える。フョードロヴィチが去った後、会話を盗み聞きしていたポニャトフスキから「フョードロヴィチは面倒見のいい父親のようだ」と言われたエカテリーナだが、「場違いな話はやめてちょうだい!」と愚痴をこぼすのだった。 翌年3月、エリザヴェータはエカテリーナを呼びつけ、「"怠け者で気取り屋"の愛人を持って夫がいることを忘れたのか!」と注意する。エカテリーナは「夫が妻の存在を忘れている」と反論するが、エリザヴェータはポニャトフスキを帰国させたと告げる。「私がずっと辛抱するとでも思った?」と言うエリザヴェータにエカテリーナは「私も辛抱しています。息子を取り上げられても微笑んでいるし、お辞儀して気も遣っている。全てを奪われて私の人生は無意味。それもこれも全て陛下の責任ですよ?」と、積もる不満を棘のある笑顔で初めて口にした。 エリザヴェータから反抗的なエカテリーナを修道院に送るべきかと相談を受けたラズモフスキーは、まず夫妻を仲直りさせるべきだと言い、戦争も続いていることから彼らを近衛連隊の大佐(連隊長)に任命するよう進言する。エリザヴェータは早速、フョードロヴィチにイズマイロフスキー近衛連隊への服務を申し渡し、エカテリーナも同行させよと命じる。プロイセン贔屓のフョードロヴィチはあまり乗り気ではないが、エリザヴェータの思惑などお構いなしにフョードロヴィチを差し置いて軍部と良好な関係を築こうとしていたエカテリーナには大きな転機となった。 イズマイロフスキー近衛連隊に赴任したエカテリーナは連隊の将校であり、ボクシングの名手であるオルロフ家出身のグリゴリー・グリゴリエヴィチ・オルロフ中尉に興味を持つ。ところが、そこに秘密警察の係官たちが押し掛け、オルロフに逮捕を申し渡す。「いったい何事なの?」と問いただすエカテリーナたちに係官は「秘密警察長官シュヴァーロフ伯爵の命令だ!」と応じ、オルロフをペトロパヴロフスク要塞監獄に連行していく。 まるで自分の近衛連隊赴任を待っていたかのような逮捕劇のいきさつを知ろうとしたエカテリーナはイズマイロフスキー近衛連隊の実務を取り仕切る副官に話を聞く。それによると、オルロフは女たらしで知られており、この時既に何人かの愛人を持っていた。ところが、そのうちの一人がシュヴァーロフの愛人だった。そこでオルロフはシュヴァーロフに決闘を申し込んだが実現せず、殴り合いになったという。一見、他愛もない事件のように見えるが、愛人を奪われたシュヴァーロフは秘密警察長官の立場を悪用してオルロフの逮捕を命じたのである。 泣く子も黙る秘密警察の長官シュヴァーロフが被害者であることに驚きを隠せないエカテリーナはオルロフの人物像を聞き出そうとする。エカテリーナの問いに答えた副官の話によると、オルロフは7年前に近衛連隊に入隊した将校で周囲の評判もよく、部下からも慕われているという。オルロフを近衛連隊に必要な指揮官だと判断したエカテリーナはフョードロヴィチに「中尉を助けてあげましょうよ」と持ちかける。フョードロヴィチはシュヴァーロフを敵に回すことになる釈放要求が通るのか疑心暗鬼だったが、エカテリーナは「私に任せて」と自信ありげに答えるのだった。 エカテリーナはベストゥージェフ宰相の元を訪ね、「昨日、私の連隊の将校が些細な理由で秘密警察に逮捕されてしまいました。間もなく戦争が始まるというのに、イズマイロフスキー近衛連隊は司令官の右腕とも頼む将校を牢屋に入れられ、動揺をきたしてしまったのです」という理由をこしらえ、何とかして欲しいと口添えを依頼する。ベストゥージェフ宰相は「シュヴァーロフの仕業ですな」と事件を知っており、エカテリーナの依頼に応じる。そして、釈放通知の使者としてアプラクシン元帥を指名し、シュヴァーロフの下に送り込む。シュヴァーロフは最初、首を縦に振ろうとはしなかったが、アプラクシン元帥の恫喝に屈して釈放に同意する。晴れて自由の身となったオルロフはエカテリーナを伴い、要塞の砦の上で「ペテルブルクよ!俺は自由だ!」と雄叫びを上げ、「この祝砲を妃殿下(エカテリーナ)に捧げます」と言って祝砲を放つ。豪放磊落なオルロフをエカテリーナは新鮮な面持ちで見上げるのだった。 数日後、出征を目前に控えたイズマイロフスキー近衛連隊の将校たちはエカテリーナや宮廷女官たちが用意した餞別の品を受け取る。オルロフを自由の身にしてみせたエカテリーナはオルロフ家の四兄弟を紹介され、個人的な忠誠を誓われる。エカテリーナはオルロフに対し、「絶対に生きて帰ってきて欲しい。勝手に戦死するのは許さないわ。あなたは私に命を救われた以上、もう私のものだから」と言葉を投げかけるが、オルロフは「一度出征してしまったら生きて帰れる保証はない。老いも若きも、優れた者も劣った者もみな戦場に赴くしかないのだから」と返事するのがやっとだった。 春になり、エリザヴェータは全軍をリガに集結させた上でプロイセンを攻撃するよう命じ、オルロフたちイズマイロフスキー近衛連隊は東プロイセンに侵攻する。一方、ロシアがオーストリア側に立って参戦したことを知ったフリードリヒ2世はイギリスの援軍を欲していたが、それには口実が必要だった。そこでフリードリヒは幽閉されているイヴァン6世の釈放を要求し、ロシアに揺さぶりをかける。激しい議論の末、御前会議ではイヴァン6世の処刑を決議する。エリザヴェータがシュリッセリブルク監獄に自ら足を運び、壁の穴から見た彼は、唯一優しくしてくれた乳母から引き離され、孤独の余り錯乱の中で成長していた。そこでエリザヴェータは看守たちに対して、釈放の勅令が出された時や廃帝救出の目論みがあれば即刻彼を殺害せよというこれまでの命令を引き続き守り、そして他の者が帝位に就いたらその者にも報告を送れと命じるに留めた。しかし、エリザヴェータはその直後、監獄内で心臓発作を起こし、床に臥せってしまう。 容態は深刻なもので、このまま崩御すれば自動的に皇太子フョードロヴィチが即位し、プロイセンと和睦して戦線を離脱するのは時間の問題だった。危機感を募らせたベストゥージェフ宰相は幼いパーヴェルを即位させ、ポニャトフスキの子供を妊娠していたエカテリーナを摂政にするクーデターの計画をエカテリーナに話す。またはエカテリーナが17歳になっているイヴァン6世と結婚して女帝になるという方法もあると示す。どちらにしてもフョードロヴィチはどうなるのかと問うエカテリーナにベストゥージェフは「彼は生きられない」と返答したため、エカテリーナは計画に関わる事を拒否する。そしてフョードロヴィチと話し合いを持つのだが、パーヴェルを連れてロシアを去ると言うエカテリーナにフョードロヴィチは、好きにすれば良いがパーヴェルを連れて行く事は許さないと言う。俺の子だから、と言う彼にエカテリーナが「あなたの子供じゃないわ!」と言ったところフョードロヴィチは激昂し、エカテリーナの後頭部に石の彫刻を投げつけて気を失わせる。 ところが、エリザヴェータが奇跡的に快方に向かい、ラズモフスキーをはじめ周囲は安堵するのだが、プロイセン軍との戦いに勝利したばかりのアプラクシン元帥が突如として撤退を開始、プロイセンと裏で繋がっているのではないかと疑われた事からクーデター計画が露見する。エカテリーナからの密書とおぼしき手紙を大忙ぎで処分して証拠隠滅を図ったベストゥージェフ宰相やアプラクシン元帥は逮捕され、秘密警察による取り調べを受ける。この時、アプラクシン元帥は拷問を受けるが激しく抵抗し、混乱の中でシュヴァーロフに刺殺される。 シュヴァーロフたちはクーデターに加担したとしてエカテリーナの逮捕を画策するが、エリザヴェータは直々にエカテリーナを詰問すると言って引き取る。エカテリーナはベストゥージェフ宰相と接触したことは認めるが、クーデターに関しては説明を受けただけで深く関与していないと弁明し、エリザヴェータもエカテリーナを無罪放免にすることを決める。こうして、エカテリーナは生涯で最大の危機を乗り越えるのだが、その代償は大きいものがあった。ベストゥージェフ宰相は更迭され、副宰相で政敵のミハイル・イラリオノヴィチ・ヴォロンツォフ伯爵が後任の宰相に任命されたからだ。12月、エカテリーナはポニャトフスキとの娘・アンナ(ロシア語版、ポーランド語版)を出産、エリザヴェータは女児であった事を喜び、ドレスを沢山作って着せてあげようと言って母娘を祝福するのだった。 1760年、アンナはわずか2歳で亡くなってしまう。深い悲しみに沈みながらエカテリーナは戦地に赴いたオルロフの無事を、我が子の冥福と共に神に祈っていた。そのオルロフがツォルンドルフの戦いで英雄的な活躍をして負傷したという報せを耳にしてエカテリーナはようやく立ち直り、オルロフが戦傷を癒やすための特別休暇を与えられて帰還した際に再会し、馬車の中で関係を持つ。今までの愛人とは違うものをオルロフに見出したのか、エカテリーナはオルロフの息子を産みたいと望むほど、オルロフに溺れていた。しかし、その事実を察知したシュヴァーロフがエリザヴェータに報告、エカテリーナが愛人を持つ事を嫌うようになったエリザヴェータの命により、オルロフは東プロイセン・ケーニヒスベルクの前線へ送られることになる。 その頃、フョードロヴィチはエリザヴェータ・ロマノヴナ・ヴォロンツォヴァ(通称・リーザ)という、エカテリーナの侍女として父親のヴォロンツォフ伯爵によって宮殿に連れて来られた足の悪い娘と出会った。孤独と恐れの中にいた彼は、同じように孤独を抱えていたリーザと共感し合った。リーザはフョードロヴィチを理解し、戦闘遊びに本気で付き合い、共に楽しむのだった。初めての恋だった。一夜を共にした翌朝、フョードロヴィチは侍従にありったけの花を買ってくるよう命じる。リーザを妻と呼び、実に幸せそうな笑顔を見せていた彼をエリザヴェータが呼びつける。リーザについて質問する中でエリザヴェータが足の不自由な彼女を揶揄するような動作をしたため、リーザを一途に愛するフョードロヴィチは「叔母さんが死ぬのを待ってる。死んだら大喜びだ!」などとと凄まじい暴言を吐く。それどころか司教が祈りを捧げている最中にエリザヴェータの前で大声で笑い出し、正教会を侮辱するのだった。 それから間もなく、エカテリーナは第三子となるオルロフの子供を妊娠したことに気づく。しかし、その事実は固く伏せられることになる。時を同じくして、病気がちだったエリザヴェータの病状が悪化。死の床でエリザヴェータは手を取るラズモフスキーに「カール・アウグスト」とうわ言のように語りかけ涙を流す。カール・アウグストはエリザヴェータの若き日の婚約者で、エリザヴェータに婚約指輪を嵌めようとしたその時に倒れ、そのまま亡くなったという。直後、エリザヴェータはラズモフスキーに帝位を譲ると発言、それを聞いたフョードロヴィチは「うわ言だ」と吐き捨てる。ラズモフスキーも「うわ言です」と同意する。そして1761年12月25日、エカテリーナをはじめとする側近たちの祈りも虚しく、エリザヴェータは崩御。エリザヴェータの最期を看取ったラズモフスキーはエカテリーナやフョードロヴィチ、女官たちや居並ぶ重臣たちに向かって、「専制君主たる女帝陛下エリザヴェータ・ペトロヴナは天に召された」と女帝の崩御を公表する。 重苦しい空気の中、一直線にリーザの元へと向かったフョードロヴィチは「(エリザヴェータが)死んだぞ!」と大喜びし、「もう誰も俺たちの邪魔を出来ない」と叫んでリーザと熱烈に抱き合うのだった。一方、エリザヴェータの発言を受けて側近たちは後継者指名の遺書を探すが見つからない。ラズモフスキー本人も知らぬと言い、皇位継承者の変更は行われなかった。 エリザヴェータの崩御に伴って皇太子フョードロヴィチは皇帝ピョートル3世として即位し、エカテリーナは皇后となる。しかし、戴冠式の日程もまだ決まらぬうちにピョートルはプロイセンとの単独講和に踏み切り、多大な犠牲者を出して占領した領土を手放してしまう。軍部は激しく反発するが、皇帝に即位し、得意の絶頂にあるピョートルは次々と独善的な政策を打ち出して行く。自身の肖像が刻まれた通貨を発行して悦に入ったかと思えば、自身の養育係がデンマーク人で気に食わなかったという理由だけで同盟国であったデンマークに宣戦布告し、さらに、個人的に心酔しているプロイセン式の軍制度の導入や、エリザヴェータによる自らへの監視で嫌悪していた秘密警察の解体など、急進的な改革を断行しようとして混乱を招く。また、エカテリーナに辟易していたピョートルはリーザをエカテリーナに代えて皇后にすることを企て、邪魔者でしかないエカテリーナを露骨に侮辱する。そして、ピョートルはエカテリーナとの離婚やリーザとの再婚 の承認をロシア正教会に求めるが、正教会は「皇后陛下(エカテリーナ)との離婚などもってのほかである」としてこれを拒否する。激怒したピョートルは正教会に対する締め付けとして教会資産の国有化という強硬手段を取ると脅した上、リーザとの結婚式を6月29日にルター派の流儀で執り行うと宣言した。これは国教をロシア正教会からルター派の教会にすげ替えようとするものであり、敬虔な正教徒たちの民心を失うものでもあった。 1762年4月11日(ユリウス暦)、ペテルブルク市内で起きた火事にピョートルが釘付けになっている隙にエカテリーナはオルロフとの息子・アレクセイ(ロシア語版)を出産、赤子はエカテリーナ付きのメイド・マトリョーナと夫で侍従のピーメンの連携プレーで宮廷から連れ出される。 その翌日、ピョートルから呼び出されたエカテリーナはロシアから去るよう命じられる。パーヴェルは、と問うエカテリーナにピョートルは「リーザが世継ぎを産んでくれる」と言い、さらに、「イヴァンのように牢獄に幽閉されるのか?」との問いには何も答えなかった。その上でエカテリーナが連れて行く事は許さぬ、と言う。強い危機感を抱いたエカテリーナは宮殿から脱出、シュヴァーロフの手下によって逮捕されそうになったが、オルロフと弟の近衛連隊大尉アレクセイ・グリゴリエヴィチ・オルロフらが駆けつけて応戦し、辛くも逮捕を免れる。 エカテリーナはオルロフに息子・アレクセイを対面させる。オルロフはエカテリーナが息子に「アレクセイ」と命名したのが気に入らず、命名するのは父親の権利だとして「イヴァン」と命名しようとしたが、結局はエカテリーナに屈して引き下がる。オルロフは早くもエカテリーナとの間に第二子を望んでいたが、ピョートルの仕打ちに激怒したエカテリーナはクーデターを決意し、オルロフに「今は子作りの時じゃないわ。クーデターを起こしてやる。軍部は私の味方につくのかしら?」と問う。軍部はピョートルがプロイセンとの単独講和に踏み切ったことへの反発が強いはずだと返すオルロフだが、クーデターを起こすのは正規軍が帰国した後にしようと発言したところ、エカテリーナは「正規軍を待っていたらピョートルに先手を打たれて修道院に入れられてしまうわよ!」と反発する。それでもオルロフは「絶対に(エカテリーナを)投獄させはしない!俺に任せろ!」と息巻くほど強気の姿勢だった。エカテリーナはやむなく、「とりあえず待ちましょう。しかし長くは待てないわよ!」と釘を差すのだった。 一方、ロシアがプロイセンと単独講和したことで対プロイセン戦争は劇的な結末を迎える。それまで、西部戦線ではフランスとオーストリア、東部戦線ではロシアの攻撃に直面していたプロイセンはロシアとの講和で二正面作戦が終わり、東部戦線にいた部隊を西部戦線に投入して勝利し、フリードリヒは勝者として戦争を終えた。そして、ロシア国内ではピョートルの急進的かつ社会の実態を無視した改革による混乱が続き、民心は動揺。エカテリーナへの期待が高まりつつあった。 2ヶ月後、正規軍が帰国したため、エカテリーナはイズマイロフスキー近衛連隊の将校たちを召集する。わずか100人ばかりの将校を従えてクーデター(ロシア語版)を起こし、「神の恩寵の下、公正公平にロシアを統治する」決意を告げる。ドイツ生まれであるにも関わらず、ピョートルよりもロシア人らしく振る舞ってきたエカテリーナの覚悟に共鳴した連隊の将校たちはエカテリーナの「共に立ち上がる者は前へ!」という呼びかけに呼応して整列し、エカテリーナへの忠誠を誓う。将校たちが自分についてきてくれたことが嬉しかったのか、エカテリーナの瞳からは一筋の涙があふれ出るのであった。そして、神に祈りを捧げながら十字を切っていたエカテリーナはオルロフの「お時間です、陛下。」という呼びかけを受けて動き出す。 1762年6月28日(ユリウス暦)、エカテリーナは遂にクーデターを敢行。ピョートルの宗教政策への不満を募らせていたロシア正教会はエカテリーナをロシア皇帝として認めた。ピョートルは反撃に出ようとするが、軍部はことごとくエカテリーナの味方についた上、秘密警察を解体したことによって対応が後手に回っていた。ピョートルはシュヴァーロフの責任を追及するが、逆にシュヴァーロフから「秘密警察を廃止したのは陛下ではないですか?」と切り返される。オラニエンバウムの遊戯要塞に逃亡したピョートルだが、最終的には自らの愚かさに気づき、配下の兵士たちに武装解除を命じた後に身柄を拘束される。 一方、血を流すことなく宮廷を占拠したエカテリーナはエリザヴェータによる後継者指名の遺書を探し求めるが一向に見つからない。オルロフからピョートルが置き忘れていった皇帝の封蝋印璽を受け取り、ロシア皇帝として最初に発する勅令(ウカース)(英語版、ロシア語版)(Указ)をどうするのかと問われたエカテリーナは「やはりあそこだわ」と呟くとオルロフ兄弟を従えてエリザヴェータが生前、執務室として使っていた部屋に向かう。 エリザヴェータの執務室にたどり着いたエカテリーナたちが目にしたのは、書類を蝋燭の火に当てて焼却していたラズモフスキーの姿だった。それを見咎めたアレクセイ・オルロフ大尉は開口一番、「寒いんですか?伯爵。」と発言する。エカテリーナに向かって「陛下」と呼びかけたラズモフスキーに対し、エカテリーナは「伯爵。長い間お世話になりました。」と返す。その場の雰囲気から遺書を隠し通しても無駄だと悟ったラズモフスキーは「お探し物はこれですか?もはや何の価値もない紙切れですので・・・。」と言いながらエカテリーナに遺書を差し出す。 遺書には、エリザヴェータの死後の帝位について「わが夫アレクセイ・ラズモフスキー伯爵を次の皇帝にする」と書かれてあり、ラズモフスキー自身も「念のために言っておくが、その遺書は本物だ」と述べていた。こうして、エリザヴェータがラズモフスキーと結婚していたこと、ラズモフスキーが皇位継承者だった事実と「エリザヴェータのうわ言」として処理されていた遺言の存在が明らかになる。しかし、遺書を秘匿していた理由を問われても何も答えようとしないラズモフスキーの態度に圧倒されたエカテリーナは「(遺書を)燃やしてもいいわよ」と伝えると、その命令通りにラズモフスキーは遺書を焼却してしまった。そしてエカテリーナはラズモフスキーに「伯爵。宮廷に残る気はないの?」と尋ねるが、宮廷に未練がなかったラズモフスキーは引退して領地に帰りたいと申し出る。エカテリーナは承諾し、「あなたが何もしなければ私たちは友人だから」と伝える。謝意を述べたラズモフスキーはエカテリーナに一つだけ約束して欲しいことがあると言い、ピョートルの助命を訴える。エカテリーナから理由を問われたラズモフスキーは、時に残酷な人間だったエリザヴェータでさえ、20年の治世で誰一人として処刑することはなかった。そのおかげで幽閉されているイヴァンは未だに生き永らえているからだと理由を述べる。「イヴァン・アントノヴィチの人生は悲惨の極みです」と語ったエカテリーナはピョートルを助命すると約束するが、「軍部が何を言い出すか分からない」というオルロフの捨て台詞を聞いたラズモフスキーはピョートルが殺される運命にあることを悟るのだった。 ペテルブルクに送還され、夏宮殿内の劇場に軟禁された ピョートルとリーザだが、馬に乗ったまま室内に侵入してきたオルロフ兄弟によってリーザとも引き離されてしまう。一人残されたピョートルはオルロフの言うがままにエカテリーナが皇帝になったことを承認する文言が盛り込まれた退位宣言を書かされ、リーザはどうなるのかと問い質す。オルロフの弟・アレクセイはピョートルからリーザは妊娠していないという返答を引き出すと、リーザは宮廷から追放して嫁に出すと宣言する。それでも食い下がるピョートルに対し、アレクセイは「(リーザとの結婚は)無理!」と吐き捨てる。「口を慎め!」とたしなめるオルロフに対し、アレクセイは「陛下はプロイセンとの単独講和によって、これまで戦ってきた将兵の犠牲を台無しにした。ゲーム感覚でな!」と、積もり積もった不満を吐露する。その不満を聞かされたピョートルは自らの未熟さを改めて思い知らされるのだった。 一方、エカテリーナはシュリッセリブルク要塞監獄に赴き、廃帝イヴァンと面会するのだが、狂人になっているとされ、言葉も知らないはずのイヴァンが突然話しかけてきた。乳母 から貰った聖書を暗記していると言い、「優しい魔法使いがくれた」と、かつてフョードロヴィチからもらった古びた兵隊の人形を見せるのだった。人形をくれた彼のために毎日祈っているが、今日からあなた(エカテリーナ)のためにも祈ると言い、「鳥が見たい。いつになったらここから出してくれるのか?」と問う彼にエカテリーナは「いつか必ず」と答えてその場を後にする。面会を終えたエカテリーナは看守たちから「秘密の囚人」と呼ばれていた イヴァンを釈放させようものなら即効殺せというエリザヴェータの命令を解除すべきかと看守から問われ、「命令はそのままで。」と命ずる。しかし、別の看守から「『秘密の囚人』をどうなさいますか?」と再度問われたため、その看守に対しては「良心に従って行動するように」と命じて立ち去った。 数日後、バイオリンを演奏していたピョートルはアレクセイによって絞殺される。時を同じくして、シュリッセリブルク要塞監獄に幽閉されていたイヴァンにはエカテリーナから釈放命令が出されるが、”釈放通知が届いたら即刻殺害せよ”というエリザヴェータの命令を継続して守れとエカテリーナから命ぜられていた看守によって殺害される。また、ハンブルクにいたサルトゥイコフが帰国して復縁を求めるが、アレクセイの揺り籠を揺らしていたエカテリーナは「7年遅すぎよ!あなた"臣下"でしょ?"臣下"は命令に従うものよ!」 と険のある言葉で拒絶し、サルトゥイコフは黙って立ち去っていく。なお、アレクセイはこの後オルロフ家を介して、シュクーリンという夫婦に預けられる。 かくして、1762年9月22日(ユリウス暦)。自分の立場を脅かしうる邪魔者がことごとく葬り去られたことで、自分の血をすべてロシア人の血と入れ替えてほしいと念じたほどにロシアに溶け込もうとした エカテリーナはついにロシア帝国の玉座と皇帝の冠を射止め、皇帝としての長大な称号を帯びることになった。
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