シーズン1「エカテリーナ」とは? わかりやすく解説

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シーズン1「エカテリーナ」

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エカテリーナ (テレビドラマ)」の記事における「シーズン1「エカテリーナ」」の解説

2014年11月放送。全10話物語の舞台1744年から1762年まで。 18世紀ヨーロッパ新興国だった北方大国ロシア帝国では、帝位を巡る血塗られた権力抗争繰り返されていた。 折しも時の女帝エリザヴェータは、父・ピョートル大帝実兄イヴァン5世ひ孫にあたる先帝イヴァン6世クーデターロシア語版)で追放し皇位簒奪していた。独身子供のいなかったエリザヴェータは、ドイツ貴族嫁いだ姉・アンナ息子であるピョートル・フョードロヴィチを後継者選び皇太子妃にはドイツ弱小貴族の娘・ゾフィー白羽の矢立てロシア呼び寄せるその道中、ゾフィー乗る馬車転倒するという事故が起き助け駆けつけたセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・サルトゥイコフ公爵一目惚れしてしまうというハプニング起きる。しかし、ロシアにやって来た彼女を待ち受けていたのは宮廷渦巻く数々陰謀と、皇太子・フョードロヴィチとの愛の無い結婚であったゾフィー結婚に際してロシア正教改宗しエカテリーナ改名ロシア溶け込もう努力した。ところが、夫のフョードロヴィチは音楽好きである一方子供のような兵隊遊び熱中する変わり者だった。しかも、「もし後継者生まれた自分用済みとなって殺されるではないか」と恐れ7年間もエカテリーナとの結婚生活から逃げていた。 なかなか跡継ぎ恵まれない皇太子エリザヴェータ苛立ちエカテリーナに対して愛人持ってでも後継者を産むよう」暗に勧めた。そして、エカテリーナ相手選ばれたのはあのサルトゥイコフ公爵だった。エカテリーナはたちまち夢中になって不倫に陥った。 そしてエカテリーナ第一子パーヴェルやっとの思いで産むが、皇位継承者手ずから育てよう待ち構えていたエリザヴェータパーヴェル奪い取られてしまう。その上、サルトゥイコフもエリザヴェータ命令ロシアから去ってしまい、全て奪われエカテリーナ号泣したその後若きポーランド公使ポニャトフスキ公爵親しくなったエカテリーナ彼の子妊娠するが、その子は僅か2歳亡くなってしまう。 悲しみの中、エカテリーナはフョードロヴィチとともにイズマイロフスキー近衛連隊大佐連隊長)となる。赴任早々連隊将校であるオルロフ家出身グリゴリー・グリゴリエヴィチ・オルロフ中尉逮捕される事件が起こるが、エカテリーナ彼の窮地救ってオルロフ一族から信頼を得、折から起こったプロイセン戦争活躍し英雄として帰国した彼を新たな愛人迎え、後に男子アレクセイロシア語版)を出産する。 やがてエリザヴェータ崩御皇帝ピョートル3世として皇位継承したフョードロヴィチはエカテリーナ追放し愛妾リーザ皇后迎えようとする。リーザが子を産めばパーヴェル廃嫡され、イヴァン6世のように牢獄一生幽閉されるのではないかと強い危機感持ったエカテリーナオルロフ一族らの支援受けてクーデターロシア語版)を敢行逃亡したフョードロヴィチを退位させ、自らが皇帝エカテリーナ2世として即位するであった

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シーズン1 「エカテリーナ(Екатерина)」(2014年放送)

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エカテリーナ (テレビドラマ)」の記事における「シーズン1エカテリーナ(Екатерина)」(2014年放送)」の解説

1744年ロシア帝国開いたピョートル大帝を父に持つ女帝エリザヴェータ・ペトロヴナは甥の皇太子ピョートル・フョードロヴィチのお妃候補として、ドイツ出身貴族の娘で14歳のゾフィー・アウグステ・フレデリーケを迎える。 ゾフィー1年に及ぶ教育受けてロシア語猛勉強し、皇太子妃選ばれるべく努力するが、宮廷には皇太子妃フランスから迎えようと暗躍する一大勢力があり、その勢力買収されエリザヴェータ付き侍医イヴァン・ヘルマン・レストック伯爵ゾフィー食事毒を盛る暗殺未遂事件まで起こる有様であった。さらに、ゾフィー随行してロシア来ていた母親ヨハンナプロイセン通じている事が発覚しゾフィー立場危うくなるなど様々な困難があったが、それらの苦難乗り越え1745年ロシア正教改宗してエカテリーナ・アレクセーエヴナ(Екатерина Алексеевна)と改名し、フョードロヴィチと結婚する幸せな結婚夢見ていたエカテリーナ以前ヨハンナから「500年続くわが家系で愛のある結婚をした女性1人もいない」と見下され、「それなら私が最初女性になる」と反発していたが、間もなく母親言葉現実になった事を知る。元からフョードロヴィチはプロイセン国王フリードリヒ2世憧れて兵隊人形遊びプロイセン閲兵式真似事うつつを抜かす変わり者で、エカテリーナ関心を示さなかったのだ。そこでエカテリーナはなんとか彼の気を引こうと、わざわざ街に赴き、高価な兵隊人形揃い手に入れてプレゼントするなどの努力をしていたのだが、結婚後も彼の態度は変わらなかった。それどころ子供出来ること恐れてエカテリーナとの閨事拒絶した権謀術数渦巻く宮廷にあってエカテリーナ哲学科学軍事学への造詣深めるが、世継ぎを産む事こそが皇太子妃にとって第一義務であるため、エカテリーナ苦悩深めてゆく。だが、フョードロヴィチの方に理由があった。先代皇帝イヴァン6世エリザヴェータ起こしたクーデターロシア語版)によって牢獄幽閉されており、エカテリーナ世継ぎを産めば既にフョードロヴィチを見放しているエリザヴェータにより用済みにされ、イヴァンのように投獄される事を怖れているのであった好きな音楽子供のような遊びは、エリザヴェータ人生変えられた不満、恐怖孤独紛らわせるものだったのだろう。それでもようやく心が通じ合いかけたその時にフョードロヴィチは天然痘罹患しエリザヴェータでさえ気を失う程の醜い容貌になってしまう。思わず後ずさりしたものの、何とか彼を愛そう近寄ってきたエカテリーナにフョードロヴィチは欺瞞感じ取ったのか、いきなり彼女を殴り硬く心を閉ざす。そこへ追い打ちをかけるように父親訃報届きエカテリーナ号泣し崩れ落ちる。それは彼女の心の中で何かが壊れた瞬間であった7年月日流れ一向に懐妊気配が無い事にしびれを切らしたエリザヴェータエカテリーナ問い質し、彼女が処女のままである事を知る。エリザヴェータ驚き呆れ、「今夜仮面舞踏会。そこでは奇妙な事が起こるだろう」とエカテリーナ愛人持って子供を産めと暗に示す。その仮面舞踏会エカテリーナはセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・サルトゥイコフ公爵再会する。彼はかつてロシア入りしたエカテリーナ母娘迎え遣わされた際、横転事故起こした馬車から彼女を助け出した経緯があり、その時皇太子自ら迎え来てくれたと勘違いしたエカテリーナ一目惚れした美男である。エカテリーナ自室ノートにこっそりと"люблю?Я люблю!"(愛してる?愛してるわ!と書き記すのだった。しかしサルトゥイコフは名うて猟色家で、この時既にアナスタシアという女性と結婚していたのであるエリザヴェータ一方で、フョードロヴィチが愛人たちとの間に子供出来ていないかと秘密警察諜報局)長官アレクサンドル・イヴァノヴィチ・シュヴァーロフ伯爵英語版ロシア語版)に調査させようとしたのだが、シュヴァーロフのその場での返答耳を疑った。フョードロヴィチは”女官女優を裸にし、銃を持たせて軍隊式の行進をさせては罰して喜ぶのみで、性的な行為一切無い”と言うのだ。何故今まで知らせなかったのか、フョードロヴィチは異常者なのか、とエリザヴェータは怒るが、傍らで話を聞いていた侍医包茎原因ではないかと言う。ならばその手術を今すぐ行え命じ逃げ回るフョードロヴィチに無理矢理手術受けさせる手術甲斐あってフョードロヴィチは庭園女性戯れていたが、そこにエカテリーナ現れ拳銃突きつける。この拳銃エカテリーナ謁見した陸軍重鎮・ステパン・フョードロヴィチ・アプラクシン(英語版ロシア語版陸軍元帥持参した拳銃セット中にあったものをエカテリーナ借り受けたのだったそれぞれ事情変わりつつあったが、二人険悪な関係は修復不可であったその頃エリザヴェータ体調決し芳しいものとはいえなかった。先の仮面舞踏会尿路結石激痛襲われ失神して以来体調不良続いていたのである後継者誕生を見る前に自身命が尽きるのではと危惧したエリザヴェータイヴァン宮殿目と鼻の先ペトロパヴロフスク要塞監獄から、さらに警戒厳しシュリッセリブルク要塞監獄移し乳母とも引き離した。しかしそれから1年待てど暮らせど懐妊報せが無い事に業を煮やし、年が明けた1754年1月、先だっての仮面舞踏会エカテリーナ満更でもない雰囲気醸していたサルトゥイコフを呼びつけ、「エカテリーナの事をどう思う?」と話を始めた。 そしてある日、サルトゥイコフはエカテリーナ馬車遠乗りに連れ出した雪原を走る馬車の中で、サルトゥイコフは初め出会った時の話をし、「あなたの勘違い本当なら良かったのに」と甘く巧みに言い寄る。恋の手練であるサルトゥイコフの言葉エカテリーナ陶然とさせ、馬車はあの事故時に立ち寄った宿へ着く。エカテリーナ初めての恋に胸をときめかせ一夜共にする明くる日エリザヴェータはシュヴァーロフから「エカテリーナとサルトゥイコフが関係を持った」と報告を受ける。実は二人訪れた宿にはシュヴァーロフの手下が宿泊客扮して待ち構えていて、その手下からの報告エリザヴェータ又聞きしたのだった。事が上手く運んだことに満足したエリザヴェータ寵臣のアレクセイ・グリゴリエヴィチ・ラズモフスキー(英語版ロシア語版伯爵に、「1月20日に関係を持ったということは生まれるのは9月20日になるだろう。善後策どうすればよいか?」と問う。ラズモフスキーは「(生まれる子は)エカテリーナとフョードロヴィチの子ということにしなければならない。フョードロヴィチをけしかけてエカテリーナと床を一緒にさせるべきだ」と進言する。 ある晩、サルトゥイコフとの密会済ませて寝室戻ったエカテリーナは、ベッドにフョードロヴィチが横になっていたのを見て驚く。フョードロヴィチはエリザヴェータから脅されたので数日間一緒にいるつもりだとエカテリーナ告げる。やがてエカテリーナ懐妊し1754年9月20日待望男児パーヴェル・ペトロヴィチ大公(後のパーヴェル1世)を出産する。 しかし、エカテリーナ産んだパーヴェルは誰よりも世継ぎ誕生待ち望んでいたエリザヴェータ奪い取られてしまう。エリザヴェータエリザヴェータで、パーヴェルを「未来ロシア皇帝である!」と宣言して悦に入っていた。そしてエカテリーナ出産直後の体を押してエリザヴェータ元に向かうが、エリザヴェータエカテリーナネックレス褒美として与えた だけで、パーヴェルを胸に抱くことすら許そうとはしなかった。それならばと、フョードロヴィチに「息子取り返して!」と懇願するのだが、フョードロヴィチは「そんな格好で来るな!」と嫌悪感あらわにエカテリーナ冷たくあしらった。 夫からも冷酷に突き放され涙に暮れながら私室戻ったところ、そこにはサルトゥイコフがいて、エカテリーナ別れを告げる。サルトゥイコフはエリザヴェータ命令ロシア大使としてハンブルク駐在することになったと言う。「どうしてそんな事が出来るの?」と泣くエカテリーナにサルトゥイコフは「私は臣下 なのですと言い置いて行かないで、と取りすがるエカテリーナ残して立ち去った。サルトゥイコフの酷いともいえる態度に、エカテリーナは床に倒れたまま号泣するのだった。 それから2年後プロイセンザクセン侵略皮切りに七年戦争勃発したヨーロッパプロイセン女帝マリア・テレジア君臨するオーストリア二分されたこの戦争ロシア参戦すべきか、御前会議では宰相首相)兼外相 のアレクセイ・ペトロヴィチ・ベストゥージェフ伯爵とアプラクシン元帥とが対立する。他の重臣たちは中立維持すべきだと進言するが、エリザヴェータオーストリア側に立って参戦することを決めオーストリアマリア・テレジアフランス国王ルイ15世公妾ポンパドゥール夫人書簡を送るよう命じる。 一方宮廷ではパーヴェル聖名祝日を祝う盛大な宴が催されることになった産んだその日以来一度パーヴェル会わせて貰えなかったエカテリーナ参加しよう意気込むが、シュヴァーロフはエカテリーナ先にロシア駐在プロイセン大使ドイツ語版)・アクセル・フォン・マーデフェルト男爵表敬訪問受けたことを追及し、「陛下エリザヴェータ)の命で大公妃エカテリーナ)の参加禁じられています」とけんもほろろに言い渡して立ち去っていく。そこでエカテリーナはベストゥージェフ宰相頼み込んで共に式が行われるペテルゴフ離宮に向かう。 式場では子供らしく大暴れするパーヴェルエリザヴェータ手を焼いていた。エリザヴェータ匙を投げ、「父親が誰なのかわからなくなってきた」と嘆息する一方のフョードロヴィチは全く乗り気でなく、侍従に不満をぶつけながら渋々参列したのだが、初め会ったパーヴェル飛びつかれると父親としての愛情目覚め戸惑いながらも兵隊おもちゃ優しく遊んでやるのだった並んで歩く後ろ姿瓜二つで、エリザヴェータも満足そう眼差し向けているところにエカテリーナ現れ初めての親子集いとなる。一方エカテリーナ連れてきたベストゥージェフはエリザヴェータから咎められるが、陛下のお優しい心を忖度しての行動だったと釈明し許される。宴が終わり、「ママ行かないで」と手を離さないパーヴェルエカテリーナは「いつか必ず一緒に暮らせるから」と涙をこらえて約束する。しかしエリザヴェータパーヴェル両親忘れるように仕向けるのだったその後エリザヴェータラズモフスキー密かに結婚式挙げパーヴェル即位するまでの間、フョードロヴィチに代わって皇帝になって欲しいと打ち明けるロマノフ家一員ではないラズモフスキー驚き固辞するが、エリザヴェータによるこの後継者指名皇帝一存後継者指名する権利認められていた帝位継承法(ロシア語版)に基づいたものであり、帝国行く末憂い考え倦ねた末の願いだった。 それから間もなくエリザヴェータパーヴェル皇位継承者定め宣言発するとともにドイツ統一目論むプロイセン宣戦布告する。当時世界情勢風雲急を告げており、フランス長年仇敵であるオーストリア和解して軍事同盟を結ぶという奇策世界驚かせプロイセンイギリス同盟結んでいた。ヨーロッパでフランスイギリス対立構造新大陸ムガル帝国統治下のインドなどといった世界各地波及しフレンチ・インディアン戦争プラッシーの戦いなどに代表されるような全面戦争繰り広げていた。プロイセン孤立化を狙うオーストリアロシアポーランドとも同盟を結び、プロイセンへの圧迫強めていた。 そんな中エカテリーナはベストゥージェフ宰相からペテルブルク駐在ポーランド公使として赴任してきたスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ公爵紹介されるイギリス友好関係を持つポーランド将来国王エカテリーナ親しくなればロシア国益叶うというのがベストゥージェフ宰相思惑であった。 ハンサムで軽薄なポニャトフスキ稚拙な恋文エカテリーナ送り強引に彼女の部屋入り込んで関係を持つ。一夜明けメイドアリーナ朝食持って来た際、エカテリーナは彼女がシュヴァーロフの指揮下にある秘密警察スパイだと見破りポニャトフスキとの事をシュヴァーロフに報告するのかと遠回しに問うが、アリーナ答えらしい答えをしない。そして、まだ寝ていたポニャトフスキエカテリーナは「いとしい友」と呼びかけ、「コーヒー飲んで元気を出して」と笑顔見せると、彼は「コーヒーいらない新鮮なキュウリみたいに元気さ」 とエカテリーナの手を引く。エカテリーナポニャトフスキに「私のキュウリさん」という愛称をつけ、嬌声をあげながら抱き合うのだった。そんな2人様子エカテリーナ寝室隣接した隠し部屋の穴から目撃していたシュヴァーロフの手下はポニャトフスキが誰であるかわからず、キュウリ氏の名で上司報告したが「相手の男の名前もわからんのか?上(シュヴァーロフ)に報告上げられない!」と激怒される。 一方、シュヴァーロフもアリーナに何故報告しない、と問いただすアリーナは「細かな報告必要ないとおっしゃったじゃないですか、ただの発散です」と答える。その後、シュヴァーロフからエカテリーナポニャトフスキが関係を持ったことを伝えられエリザヴェータだが、あまり関心示そうとはせず、とりあえ二人泳がせることにする。 ある日の夜、寝室ポニャトフスキセックス楽しんでいたエカテリーナの下にフョードロヴィチが突然尋ねてくる。不意を突かれエカテリーナは「眠っていて起きるのが遅れた」と述べて取り繕う。フョードロヴィチは「パーヴェル軍事教練に連れ出してみたが、パーヴェルには軍人としての素質があるようだ。しかし、パーヴェル教育係はそれに気づいていない。そこで一つ叔母さんエリザヴェータ)に話をして欲しい」と言い出す。これに対してエカテリーナは「私たちパーヴェル両親よ。陛下に話をするのならあなたも一緒にするべきよ?」と答える。フョードロヴィチが去った後、会話盗み聞きしていたポニャトフスキから「フョードロヴィチは面倒見のいい父親のようだと言われエカテリーナだが、「場違いなはやめてちょうだい!」と愚痴をこぼすのだった翌年3月エリザヴェータエカテリーナ呼びつけ、「"怠け者気取り屋"の愛人持って夫がいることを忘れたのか!」と注意するエカテリーナは「夫が妻の存在忘れている」と反論するが、エリザヴェータポニャトフスキ帰国させたと告げる。「私がずっと辛抱するとでも思った?」と言うエリザヴェータエカテリーナは「私も辛抱してます。息子取り上げられても微笑んでいるし、お辞儀して気も遣っている。全て奪われて私の人生無意味。それもこれも全て陛下責任ですよ?」と、積もる不満を棘のある笑顔初めて口にした。 エリザヴェータから反抗的なエカテリーナ修道院に送るべきかと相談受けたラズモフスキーは、まず夫妻仲直りさせるべきだと言い戦争続いていることから彼らを近衛連隊大佐連隊長)に任命するよう進言するエリザヴェータは早速、フョードロヴィチにイズマイロフスキー近衛連隊への服務申し渡しエカテリーナ同行させよと命じる。プロイセン贔屓のフョードロヴィチはあまり乗り気ではないが、エリザヴェータ思惑などお構いなしにフョードロヴィチを差し置いて軍部良好な関係を築こうとしていたエカテリーナには大きな転機となった。 イズマイロフスキー近衛連隊赴任したエカテリーナ連隊将校であり、ボクシング名手であるオルロフ家出身グリゴリー・グリゴリエヴィチ・オルロフ中尉興味を持つ。ところが、そこに秘密警察係官たちが押し掛けオルロフ逮捕申し渡す。「いったい何事なの?」と問いただすエカテリーナたちに係官は「秘密警察長官シュヴァーロフ伯爵命令だ!」と応じオルロフペトロパヴロフスク要塞監獄連行していく。 まるで自分近衛連隊赴任待っていたかのような逮捕劇のいきさつ知ろうとしたエカテリーナはイズマイロフスキー近衛連隊実務取り仕切る副官に話を聞く。それによると、オルロフ女たらし知られており、この時既に何人かの愛人持っていた。ところが、そのうち一人がシュヴァーロフの愛人だった。そこでオルロフはシュヴァーロフに決闘申し込んだ実現せず殴り合いになったという。一見他愛もない事件のように見えるが、愛人奪われたシュヴァーロフは秘密警察長官立場悪用しオルロフ逮捕命じたのである泣く子も黙る秘密警察長官シュヴァーロフが被害者であることに驚き隠せないエカテリーナオルロフ人物像聞き出そうとする。エカテリーナ問い答えた副官の話によると、オルロフ7年前に近衛連隊入隊した将校周囲評判もよく、部下からも慕われているという。オルロフ近衛連隊必要な指揮官だと判断したエカテリーナはフョードロヴィチに「中尉助けてあげましょうよ」と持ちかける。フョードロヴィチはシュヴァーロフを敵に回すことになる釈放要求が通るのか疑心暗鬼だったが、エカテリーナは「私に任せて」と自信ありげに答えのだったエカテリーナはベストゥージェフ宰相の元を訪ね、「昨日、私の連隊将校些細な理由秘密警察逮捕されしまいました間もなく戦争が始まるというのに、イズマイロフスキー近衛連隊司令官右腕とも頼む将校牢屋入れられ動揺きたしてしまったのです」という理由こしらえ何とかして欲しいと口添え依頼する。ベストゥージェフ宰相は「シュヴァーロフの仕業ですな」と事件知っており、エカテリーナ依頼応じる。そして、釈放通知使者としてアプラクシン元帥指名し、シュヴァーロフの下に送り込む。シュヴァーロフは最初首を縦に振ろうとはしなかったが、アプラクシン元帥恫喝屈して釈放同意する晴れて自由の身となったオルロフエカテリーナ伴い要塞の砦の上で「ペテルブルクよ!俺は自由だ!」と雄叫び上げ、「この祝砲妃殿下エカテリーナ)に捧げますと言って祝砲放つ豪放磊落オルロフエカテリーナ新鮮な面持ち見上げのだった数日後出征目前控えたイズマイロフスキー近衛連隊将校たちはエカテリーナ宮廷女官たちが用意した餞別の品を受け取る。オルロフを自由の身にしてみせたエカテリーナオルロフ家の四兄弟紹介され個人的な忠誠誓われるエカテリーナオルロフ対し、「絶対に生きて帰ってきて欲しい。勝手に戦死するのは許さないわ。あなたは私に命を救われた以上、もう私のものだから」と言葉投げかけるが、オルロフは「一度出征してしまったら生きて帰れる保証はない。老い若きも、優れた者も劣った者もみな戦場赴くしかないのだから」と返事するのがやっとだった。 春になり、エリザヴェータ全軍リガ集結させた上でプロイセン攻撃するよう命じオルロフたちイズマイロフスキー近衛連隊東プロイセン侵攻する。一方ロシアオーストリア側に立って参戦したことを知ったフリードリヒ2世イギリス援軍欲していたが、それには口実必要だった。そこでフリードリヒ幽閉されているイヴァン6世釈放要求しロシア揺さぶりをかける。激し議論の末、御前会議ではイヴァン6世処刑決議する。エリザヴェータシュリッセリブルク監獄に自ら足を運び壁の穴から見た彼は、唯一優しくしてくれた乳母から引き離され孤独余り錯乱の中で成長していた。そこでエリザヴェータ看守たちに対して釈放勅令出された時や廃帝救出目論みがあれば即刻彼を殺害せよというこれまでの命令引き続き守り、そして他の者が帝位就いたらその者にも報告送れ命じるに留めた。しかし、エリザヴェータはその直後監獄内で心臓発作起こし、床に臥せってしまう。 容態深刻なもので、このまま崩御すれば自動的に皇太子フョードロヴィチが即位しプロイセン和睦し戦線離脱するのは時間の問題だった。危機感募らせたベストゥージェフ宰相は幼いパーヴェル即位させ、ポニャトフスキの子供を妊娠していたエカテリーナ摂政にするクーデター計画エカテリーナに話す。またはエカテリーナ17歳になっているイヴァン6世結婚して女帝になるという方法もあると示す。どちらにしてもフョードロヴィチはどうなるのかと問うエカテリーナにベストゥージェフは「彼は生きられない」と返答したため、エカテリーナ計画関わる事を拒否する。そしてフョードロヴィチと話し合いを持つのだが、パーヴェル連れてロシアを去ると言うエカテリーナにフョードロヴィチは、好きにすれば良いパーヴェル連れて行く事は許さないと言う俺の子だから、と言う彼にエカテリーナが「あなたの子じゃないわ!と言ったところフョードロヴィチは激昂しエカテリーナ後頭部に石の彫刻投げつけて気を失わせる。 ところが、エリザヴェータ奇跡的に快方向かいラズモフスキーをはじめ周囲安堵するのだが、プロイセン軍との戦い勝利したばかりのアプラクシン元帥突如として撤退開始プロイセンと裏で繋がっているのではないか疑われた事からクーデター計画露見するエカテリーナからの密書おぼしき手紙を大忙ぎで処分して証拠隠滅図ったベストゥージェフ宰相やアプラクシン元帥逮捕され秘密警察による取り調べを受ける。この時、アプラクシン元帥拷問を受けるが激しく抵抗し混乱の中でシュヴァーロフに刺殺される。 シュヴァーロフたちはクーデター加担したとしてエカテリーナ逮捕画策するが、エリザヴェータ直々にエカテリーナ詰問すると言って引き取るエカテリーナはベストゥージェフ宰相接触したことは認めるが、クーデターに関して説明受けただけで深く関与していないと弁明しエリザヴェータエカテリーナ無罪放免にすることを決める。こうして、エカテリーナ生涯最大危機乗り越えるのだが、その代償大きいものがあった。ベストゥージェフ宰相更迭され、副宰相政敵のミハイル・イラリオノヴィチ・ヴォロンツォフ伯爵後任宰相任命されたからだ。12月エカテリーナポニャトフスキとの娘・アンナロシア語版ポーランド語版)を出産エリザヴェータ女児であった事を喜びドレスを沢山作って着せてあげようと言って母娘祝福するのだった1760年アンナはわずか2歳亡くなってしまう。深い悲しみ沈みながらエカテリーナ戦地赴いたオルロフの無事を、我が子冥福と共に神に祈っていた。そのオルロフツォルンドルフの戦い英雄的な活躍をして負傷したという報せを耳にしてエカテリーナはようやく立ち直りオルロフ戦傷癒やすための特別休暇与えられ帰還した際に再会し馬車の中で関係を持つ。今まで愛人とは違うものをオルロフ見出したのか、エカテリーナオルロフ息子産みたいと望むほど、オルロフ溺れていた。しかし、その事実を察知したシュヴァーロフがエリザヴェータ報告エカテリーナ愛人を持つ事を嫌うようになったエリザヴェータの命により、オルロフは東プロイセン・ケーニヒスベルクの前線へ送られることになる。 その頃、フョードロヴィチはエリザヴェータ・ロマノヴナ・ヴォロンツォヴァ(通称リーザ)という、エカテリーナ侍女として父親ヴォロンツォフ伯爵によって宮殿に連れて来られた足の悪い娘と出会った孤独恐れ中にいた彼は、同じよう孤独抱えていたリーザ共感し合ったリーザはフョードロヴィチを理解し戦闘遊びに本気で付き合い、共に楽しむのだった初めての恋だった。一夜を共にした翌朝、フョードロヴィチは侍従ありったけの花を買ってくるよう命じる。リーザを妻と呼び、実に幸せそうな笑顔見せていた彼をエリザヴェータ呼びつけるリーザについて質問する中でエリザヴェータが足の不自由な彼女を揶揄するような動作したためリーザ一途に愛するフョードロヴィチは「叔母さんが死ぬのを待ってる。死んだ大喜びだ!」などとと凄まじい暴言を吐く。それどころ司教祈り捧げている最中エリザヴェータの前で大声笑い出し正教会侮辱するのだった。 それから間もなくエカテリーナ第三子となるオルロフの子供を妊娠したことに気づく。しかし、その事実は固く伏せられることになる。時を同じくして、病気がちだったエリザヴェータ病状悪化死の床エリザヴェータ手を取るラズモフスキーに「カール・アウグスト」とうわ言のように語りかけ涙を流す。カール・アウグストエリザヴェータ若き日婚約者で、エリザヴェータ婚約指輪嵌めようとしたその時倒れそのまま亡くなったという。直後エリザヴェータラズモフスキー帝位を譲ると発言、それを聞いたフョードロヴィチは「うわ言だ」と吐き捨てるラズモフスキーも「うわ言です」と同意する。そして1761年12月25日エカテリーナはじめとする側近たちの祈り虚しくエリザヴェータ崩御エリザヴェータ最期看取ったラズモフスキーエカテリーナやフョードロヴィチ、女官たち居並ぶ重臣たちに向かって、「専制君主たる女帝陛下エリザヴェータ・ペトロヴナは天に召された」と女帝崩御公表する重苦しい空気の中、一直線リーザ元へ向かったフョードロヴィチは「(エリザヴェータが)死んだぞ!」と大喜びし、「もう誰も俺たちの邪魔を出来ない」と叫んでリーザ熱烈に抱き合うのだった一方エリザヴェータ発言受けて側近たちは後継者指名遺書探すが見つからないラズモフスキー本人知らぬと言い皇位継承者変更行われなかった。 エリザヴェータ崩御伴って皇太子フョードロヴィチは皇帝ピョートル3世として即位しエカテリーナ皇后となる。しかし、戴冠式日程もまだ決まらぬうちにピョートルプロイセンとの単独講和踏み切り多大な犠牲者出して占領した領土手放してしまう。軍部激しく反発するが、皇帝即位し得意の絶頂にあるピョートル次々と独善的な政策打ち出して行く。自身肖像刻まれ通貨発行して悦に入ったかと思えば自身養育係がデンマーク人で気に食わなかったという理由だけで同盟国であったデンマーク宣戦布告し、さらに、個人的に心酔しているプロイセン式の軍制度の導入や、エリザヴェータによる自らへの監視嫌悪していた秘密警察解体など、急進的な改革断行しようとして混乱を招く。また、エカテリーナ辟易していたピョートルリーザエカテリーナ代えて皇后にすることを企て邪魔者しかないエカテリーナ露骨に侮辱する。そして、ピョートルエカテリーナとの離婚リーザとの再婚承認ロシア正教会求めるが、正教会は「皇后陛下エカテリーナ)との離婚どもってのほかである」としてこれを拒否する激怒したピョートル正教会対す締め付けとして教会資産国有化という強硬手段を取ると脅した上、リーザとの結婚式6月29日ルター派流儀執り行う宣言した。これは国教ロシア正教会からルター派教会すげ替えようとするものであり、敬虔な正教徒たちの民心を失うものでもあった。 1762年4月11日ユリウス暦)、ペテルブルク市内起きた火事ピョートル釘付けになっている隙にエカテリーナオルロフとの息子アレクセイロシア語版)を出産赤子エカテリーナ付きのメイド・マトリョーナと夫で侍従ピーメン連携プレー宮廷から連れ出される。 その翌日ピョートルから呼び出されエカテリーナロシアから去るよう命じられるパーヴェルは、と問うエカテリーナピョートルは「リーザ世継ぎ産んでくれる」と言い、さらに、「イヴァンのように牢獄幽閉されるのか?」との問いには何も答えなかった。その上でエカテリーナ連れて行く事は許さぬと言う。強い危機感抱いたエカテリーナ宮殿から脱出、シュヴァーロフの手下によって逮捕されそうになったが、オルロフと弟の近衛連隊大尉アレクセイ・グリゴリエヴィチ・オルロフらが駆けつけ応戦し辛くも逮捕免れるエカテリーナオルロフ息子アレクセイ対面させるオルロフエカテリーナ息子に「アレクセイ」と命名したのが気に入らず命名するのは父親権利だとして「イヴァン」と命名しようとしたが、結局はエカテリーナ屈して引き下がるオルロフ早くもエカテリーナとの間に第二子望んでいたが、ピョートル仕打ち激怒したエカテリーナクーデター決意しオルロフに「今は子作り時じゃないわ。クーデター起こしてやる。軍部は私の味方につくのかしら?」と問う。軍部ピョートルプロイセンとの単独講和踏み切ったことへの反発が強いはずだと返すオルロフだが、クーデター起こすのは正規軍帰国した後にしようと発言したところ、エカテリーナは「正規軍待っていたらピョートル先手打たれ修道院入れられてしまうわよ!」と反発する。それでもオルロフは「絶対にエカテリーナを)投獄させはしない!俺に任せろ!」と息巻くほど強気姿勢だった。エカテリーナやむなく、「とりあえ待ちましょう。しかし長く待てないわよ!」と釘を差すのだった一方ロシアプロイセン単独講和したことで対プロイセン戦争劇的な結末迎える。それまで西部戦線ではフランスオーストリア東部戦線ではロシア攻撃直面していたプロイセンロシアとの講和二正面作戦終わり東部戦線にいた部隊西部戦線投入して勝利しフリードリヒ勝者として戦争終えた。そして、ロシア国内ではピョートル急進的かつ社会実態無視した改革による混乱続き民心動揺エカテリーナへの期待高まりつつあった。 2ヶ月後正規軍帰国したため、エカテリーナはイズマイロフスキー近衛連隊将校たちを召集する。わずか100人ばかりの将校従えてクーデターロシア語版)を起こし、「神の恩寵の下、公正公平にロシア統治する決意告げる。ドイツ生まれであるにも関わらずピョートルよりもロシア人らしく振る舞ってきたエカテリーナ覚悟共鳴した連隊将校たちはエカテリーナの「共に立ち上がる者は前へ!」という呼びかけ呼応して整列しエカテリーナへの忠誠を誓う。将校たちが自分についてきてくれたことが嬉しかったのか、エカテリーナの瞳からは一筋の涙があふれ出るであった。そして、神に祈り捧げながら十字を切っていたエカテリーナオルロフの「お時間です、陛下。」という呼びかけ受けて動き出す1762年6月28日ユリウス暦)、エカテリーナ遂にクーデター敢行ピョートル宗教政策への不満を募らせていたロシア正教会エカテリーナロシア皇帝として認めたピョートル反撃出ようとするが、軍部ことごとくエカテリーナ味方についた上、秘密警察解体したことによって対応が後手回っていた。ピョートルはシュヴァーロフの責任追及するが、逆にシュヴァーロフから「秘密警察廃止したのは陛下ではないですか?」と切り返されるオラニエンバウム遊戯要塞逃亡したピョートルだが、最終的には自らの愚かさ気づき配下兵士たち武装解除命じた後に身柄拘束される一方血を流すことなく宮廷占拠したエカテリーナエリザヴェータによる後継者指名遺書探し求める一向につからないオルロフからピョートル置き忘れていった皇帝封蝋印璽受け取りロシア皇帝として最初に発する勅令(ウカース)(英語版ロシア語版)(Указ)をどうするのかと問われエカテリーナは「やはりあそこだわ」と呟くとオルロフ兄弟従えてエリザヴェータ生前執務室として使っていた部屋に向かう。 エリザヴェータ執務室にたどり着いたエカテリーナたちが目にしたのは、書類蝋燭の火に当てて焼却していたラズモフスキーの姿だった。それを見咎めたアレクセイ・オルロフ大尉開口一番、「寒いんですか?伯爵。」と発言するエカテリーナ向かって陛下」と呼びかけラズモフスキー対しエカテリーナは「伯爵長い間お世話になりました。」と返すその場雰囲気から遺書隠し通して無駄だ悟ったラズモフスキーは「お探し物はこれですか?もはや何の価値もない紙切れですので・・・。」と言いながらエカテリーナ遺書差し出す。 遺書には、エリザヴェータ死後の帝位について「わが夫アレクセイ・ラズモフスキー伯爵次の皇帝にする」と書かれてあり、ラズモフスキー自身も「念のため言っておくが、その遺書本物だ」と述べていた。こうして、エリザヴェータラズモフスキー結婚していたこと、ラズモフスキー皇位継承者だった事実と「エリザヴェータうわ言」として処理されていた遺言存在明らかになる。しかし、遺書秘匿していた理由問われても何も答えようとしないラズモフスキー態度圧倒されエカテリーナは「(遺書を)燃やしてもいいわよ」と伝えると、その命令通りラズモフスキー遺書焼却してしまった。そしてエカテリーナラズモフスキーに「伯爵宮廷に残る気はないの?」と尋ねるが、宮廷未練がなかったラズモフスキー引退して領地帰りたい申し出るエカテリーナ承諾し、「あなたが何もしなければ私たち友人だから」と伝える。謝意述べたラズモフスキーエカテリーナ一つだけ約束して欲しことがあると言いピョートル助命訴える。エカテリーナから理由問われラズモフスキーは、時に残酷な人間だったエリザヴェータでさえ、20年治世誰一人として処刑することはなかった。そのおかげで幽閉されているイヴァン未だに生き永らえているからだと理由述べる。「イヴァン・アントノヴィチの人生悲惨極みです」と語ったエカテリーナピョートル助命すると約束するが、「軍部何を言い出すか分からない」というオルロフ捨て台詞聞いたラズモフスキーピョートル殺される運命にあることを悟るのだったペテルブルク送還され、夏宮殿内劇場軟禁されピョートルリーザだが、馬に乗ったまま室内侵入してきたオルロフ兄弟によってリーザとも引き離されてしまう。一人残されピョートルオルロフの言うがままにエカテリーナ皇帝になったことを承認する文言盛り込まれ退位宣言を書かされ、リーザはどうなるのかと問い質すオルロフの弟・アレクセイピョートルからリーザ妊娠していないという返答引き出すと、リーザ宮廷から追放して嫁に出すと宣言する。それでも食い下がるピョートル対しアレクセイは「(リーザとの結婚は)無理!」と吐き捨てる。「口を慎め!」とたしなめるオルロフ対しアレクセイは「陛下プロイセンとの単独講和によって、これまで戦ってきた将兵犠牲台無しにした。ゲーム感覚でな!」と、積もり積もった不満を吐露する。その不満を聞かされピョートルは自らの未熟さ改め思い知らされるのだった一方エカテリーナシュリッセリブルク要塞監獄に赴き、廃帝イヴァン面会するのだが、狂人になっているとされ、言葉知らないはずのイヴァンが突然話しかけてきた。乳母 から貰った聖書暗記していると言い、「優しい魔法使いがくれた」と、かつてフョードロヴィチからもらった古びた兵隊人形見せのだった人形をくれた彼のために毎日祈っているが、今日からあなた(エカテリーナ)のためにも祈ると言い、「見たいいつになったらここから出してくれるのか?」と問う彼にエカテリーナは「いつか必ず」と答えてその場後にする面会終えたエカテリーナ看守たちから「秘密の囚人」と呼ばれていた イヴァン釈放させようものなら即効殺せというエリザヴェータ命令解除すべきかと看守から問われ、「命令そのままで。」と命ずる。しかし、別の看守から「『秘密の囚人』をどうなさいますか?」と再度問われたため、その看守に対しては「良心に従って行動するように」と命じて立ち去った数日後バイオリン演奏していたピョートルアレクセイによって絞殺される。時を同じくして、シュリッセリブルク要塞監獄幽閉されていたイヴァンにはエカテリーナから釈放命令出されるが、”釈放通知届いた即刻殺害せよ”というエリザヴェータ命令継続して守れエカテリーナから命ぜられていた看守によって殺害されるまた、ハンブルクにいたサルトゥイコフが帰国して復縁求めるが、アレクセイ揺り籠揺らしていたエカテリーナは「7年遅すぎよ!あなた"臣下"でしょ?"臣下"は命令に従うものよ!」 と険のある言葉拒絶し、サルトゥイコフは黙って立ち去っていく。なお、アレクセイこの後オルロフ家を介して、シュクーリンという夫婦預けられるかくして1762年9月22日ユリウス暦)。自分立場脅かしうる邪魔者ことごとく葬り去られたことで、自分の血をすべてロシア人の血と入れ替えてほしいと念じたほどにロシア溶け込もうとした エカテリーナはついにロシア帝国玉座皇帝の冠を射止め皇帝として長大称号帯びることになった

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