まんざらでもない
「まんざらでもない」とは、「必ずしも言語道断というわけではない、むしろ、どちらかといえば良い、あるいはかなり良い」という意味で用いられる表現である。
「まんざらでもない」は漢字では「満更でもない」と表記されるが、これは当て字である。そのためもあってか「まんざらでもない」とひらがな表記されることの方が多い。
「まんざらでもない」とは・「まんざらでもない」の意味
「まんざらでもない」は、必ずしも難色を示すわけではない、むしろ好感触である、という趣旨の表現である。典型的には、「表向きは不服そうであり(喜んでいるそぶりは見せず)消極的に振る舞っているが、本心ではそこまで嫌がっておらず、あるいはむしろ積極的に関わりたいと思っている」ような様子を指す。直接的に喜びを表現したくないときの、遠まわしな肯定表現としてよく使用される。たとえば恋愛に関して、「ある異性が自分に好意を抱いている」という噂がたち、それを当人が耳にしたとすれば、悪い気はしないものである。しかし表立って浮かれてはしゃぐ者は多くはあるまい。そのような「嬉しいとは表には出さないが内心は嬉しい」ような状況が「まんざらでもない」ということである。
「まんざらだ」とはいわない
「まんざら(満更)」は、もっぱら「まんざらでもない」あるいは「まんざら~というわけではない」というような、否定表現を伴う言い回しにで用いられる。「まんざらだ」「まんざら~である」という言い方はしない。「まんざらでもない」の語源・由来
「まんざら」という言葉の語源・由来は、定かでない。不詳である。一説には「真更(まっさら)」という言葉が変化して「まんざら」になったという。この場合「まんざらでもない」は「新品ではない・真新しくはない」という意味に基づいていることになるが、今日の「まんざらでもない」の意味とは明快な脈絡が見出し難い。
「まんざらでもない」の熟語・言い回し
まんざらでもない顔
「まんざらでもない顔」とは、「悪い気はしない」あるいは「内心では嬉しい」といった感情を、大っぴらには表に出さないようにしていても、ちょっと表情に漏れ出ているようなさまを表現する言い回しである。満更でもなさそう
「満更でもなさそう」とは、口に出す言葉は否定的だが、実際の態度や表情が異なって見える人を、第三者が表現する際に使用する言い回しである。本人は、口先では迷惑そうにしたり嫌がったりする素振りを見せているが、その表情はむしろ嬉しそうだったり、あるいは挙動が浮かれているようだったりすると、傍目には「満更でもなさそう」だなと思える。
たとえば、他薦によって学級委員に任命された者が、「困ったな~」とは言いながら(固辞する気配はなく)やる気まんまんそうな気配を見せている場合。あるいは、テストの点が良かったことを褒めたら当人は「ぜんぜん大したことはない」と言いつつやっぱり嬉しそうにしている場合。こうした状況は「まんざらでもなさそうだ」と表現しうる。
まんざらでもなかった
「まんざらでもなかった」とは、「まんざらでもない」に過去の助動詞「た」を付けた表現である。過去の時点において「まんざらでもない」と感じていた、ということを後から振り返って記述する場合の表現形式として用いられることがある。まんざらでもない
まんざらでもない(満更でもない)とは、「必ずしも全くダメというわけではない」と述べる体裁で、「それほど悪くない」「結構いい」あるいは「非常にご満悦」といった意味合いを表現する言い回し。
とりわけ「表向きは不服・不満であるかのように装っておきながら、内心では歓喜に満ちており、それが表情や態度ににじみ出ている」ような様子を形容する表現として、「まんざらでもなさそうだ」といった表現が用いられることが多い。
「まんざらでもない」の他にも「まんざら嫌というわけでもない」「まんざら捨てたもんじゃない」といった言い回しはよく用いられる。
「まんざら」は副詞で、主に否定語を伴って用いられる。否定の意味を強調したり、否定の意味を弱めたり、あるいは否定とは逆の(積極的肯定の)意味合いを示したりする。
「まんざらではない」とはいわない。これは日本語として自然でない。
「まんざらでもある」とはいわない。これは日本語として自然でない。
「まんざらでもない」のように、「ダメではない」と否定する形で「良い」と表現する修辞技法を、緩叙法という。ちなみに「やぶさかではない(吝かではない)」も緩叙法を使った表現であり、これは「やりたくないわけではない」と述べて「やりたい」「喜んでやります」という趣旨を表現する言い回しである。
満更でもないと同じ種類の言葉
無いに関連する慣用句 | 類がない 付きもない 満更でもない 此の上無い 容赦無く |
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