夏目漱石 略年譜

夏目漱石

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 23:48 UTC 版)

略年譜

  • 1867年慶応3年)1月5日 - 江戸牛込馬場下横町(現・東京都新宿区喜久井町)に父・夏目小兵衛直克、母・千枝の五男として生まれる。夏目家は代々名主であったが、当時家運が衰えていたため、生後間もなく四谷の古道具屋に里子に出されたものの、すぐに連れ戻される。
  • 1868年明治元年)11月 - 新宿の名主・塩原昌之助の養子となり、塩原姓を名乗る。
  • 1869年(明治2年) - 養父・昌之助、浅草の添年寄となり浅草三間町へ移転。
  • 1870年(明治3年) - 種痘がもとで疱瘡を病み、顔に瘢痕(あばた)が残る[注 7]。「一つ夏目の鬼瓦」という数え歌に作られるほど、痘痕は目立った。
  • 1874年(明治7年) - 養父・昌之助と養母・やすが不和になり、一時喜久井町の生家に引き取られた。浅草寿町戸田学校下等小学第八級(のち台東区立精華小学校。現・台東区立蔵前小学校)に入学。
  • 1876年(明治9年) - 養母が塩原家を離縁され、塩原家在籍のまま養母とともに生家に移った。市ケ谷柳町市ケ谷学校(現・新宿区立愛日小学校)に転校。
11、12歳頃の金之助
大学予備門時代の金之助(1886年)
  • 1884年(明治17年) - 小石川極楽水の新福寺二階に橋本左五郎と下宿。自炊生活をしながら成立学舎に通学。
  • 1885年(明治18年) - 中村是公橋本左五郎ら約10人と猿楽町の末富屋に下宿。
  • 1886年(明治19年)7月 - 腹膜炎のため落第。この落第が転機となり、のち卒業まで首席を通す。中村是公と本所江東義塾の教師となり、塾の寄宿舎に転居。
  • 1887年(明治20年) - 3月に長兄・大助、6月に次兄・栄之助がともに肺病のため死去。急性トラホームを患い、自宅に帰る。夏に初めての富士登山。
  • 1888年(明治21年)
    • 1月 - 塩原家より復籍し、夏目姓に戻る。
    • 7月 - 第一高等中学校予科を卒業。
    • 9月 - 英文学専攻を決意し本科一部に入学。
  • 1889年(明治22年)
    • 1月 - 正岡子規との親交が始まる。
    • 5月 - 子規の『七草集』の批評を書き、初めて“漱石”の筆名を用いる。
  • 1890年(明治23年)
    • 7月 - 第一高等中学校本科を卒業。
    • 9月 - 帝国大学(のちの東京帝国大学)文科大学英文科入学。文部省の貸費生となる。
1891年の金之助。富士登山の記念に撮影
帝国大学時代の漱石(1892年6月)
漱石の松山時代における寓居「愚陀仏庵」
第五高等学校教授時代の漱石
第一高等学校本館玄関前の漱石(1907年2月)
  • 1903年(明治36年)
    • 4月 - 第一高等学校講師になり、東京帝国大学文科大学講師を兼任。
    • 10月 - 三女・栄子誕生。水彩画を始め、書もよくした。
  • 1904年(明治37年)4月 - 明治大学講師を兼任。
  • 1905年(明治38年)1月 - 『吾輩は猫である』を『ホトトギス』に発表(翌年8月まで断続連載)。
    • 12月 - 四女・愛子誕生。
  • 1906年(明治39年)4月 - 『坊っちゃん』を『ホトトギス』に発表。
  • 1907年(明治40年)
    • 1月 - 『野分』を『ホトトギス』に発表。
    • 4月 - 一切の教職を辞し、朝日新聞社に入社。職業作家としての道を歩み始める。
    • 6月 - 長男・純一誕生。『虞美人草』を『朝日新聞』に連載( - 10月)。
    • 9月 - 牛込区早稲田南町7番地に転居。[22]
  • 1908年(明治41年)
    • 1月『坑夫』( - 4月)、6月『文鳥』、7月『夢十夜』( - 8月)、9月『三四郎』( - 12月)を『朝日新聞』に連載。
    • 12月 - 次男・伸六誕生。
  • 1909年(明治42年)3月 - 養父から金を無心され、そのような事件が11月まで続いた。
  • 1910年(明治43年)
    • 3月 - 五女・雛子誕生。
    • 6月 - 胃潰瘍のため内幸町の長与胃腸病院に入院。
    • 8月 - 療養のため修善寺温泉に転地。同月24日夜、大吐血があり、一時危篤状態に陥る。
    • 10月 - 長与病院に入院。
  • 1911年(明治44年)
    • 2月21日 - 文部省からの文学博士号授与を辞退[23]
    • 8月 - 朝日新聞社主催の講演会のために明石、和歌山、堺、大阪に行き、大阪で胃潰瘍が再発し、湯川胃腸病院に入院。
    • 11月29日 - 五女・雛子、原因不明の突然死。のちの漱石の遺体解剖の遠因となる。
  • 1913年大正2年)
    • 1月 - ひどいノイローゼが再発。
    • 3月 - 胃潰瘍再発。5月下旬まで自宅で病臥した。北海道から東京に再転籍する。
「漱石山房」書斎の漱石(1914年)
  • 1914年(大正3年)
  • 1915年(大正4年)
  • 1916年(大正5年)
    • 1月 - リウマチの治療のため、湯ヶ原天野屋の中村是公のもとに転地。
    • 5月 - 『明暗』を『朝日新聞』に連載( - 12月)。
    • 12月9日 - 午後7時前、胃潰瘍により死去。戒名・文献院古道漱石居士。
  • 1984年(昭和59年)11月 - 千円札に肖像が採用される。

注釈

  1. ^ 原武哲『喪章を着けた千円札の漱石―伝記と考証』(笠間書院 2003年 ISBN 978-4305702548)によれば9月19日と推測している。
  2. ^ 当時は学校のあった地名をとって一ツ橋中学ないし一ツ橋尋常中学とも呼ばれた。
  3. ^ 現在の成立学園とは無関係。
  4. ^ スコットランド出身のジェームズ・マードックにかわいがられ、教室以外でも先生の家に招かれて教えられ、「マードックさんは僕の先生だ。……英国人もあんな人許(ばかり)だと結構だが」と野間真綱宛ての書簡に書いたり、マードックの『日本史』に推薦文を書いたりしている(平川祐弘『漱石の師マードック先生』講談社学術文庫 1884年)。
  5. ^ 狩野宛書簡に「洋行中に英国人は馬鹿だと感じて帰つて来た。日本人が英国人を真似ろ\/と云ふのは何を真似ろと云ふのか今以て分からない」と書いている。
  6. ^ 夏目伸六の『父・漱石とその周辺』によれば次のよう。

    ふと眼を開けた父の最期の言葉は、

    「何か喰いたい」
     という、この期に及んで未だに満し得ぬ食欲への切実な願望だったのである。で、早速、医者の計いで一匙の葡萄酒が与えられることになったが、
    「うまい」

     父は最後の望みをこの一匙の葡萄酒のなかに味わって、又静かに眼を閉じたのである。

  7. ^ 彼は其所で疱瘡をした。大きくなつて聞くと、種痘が元で、本疱瘡を誘ひ出したのだといふ話であつた。彼は暗い簾子のうちで転げ廻つた。身の肉を所嫌はず掻きむしつて泣き叫んだ。〉「道草」(39)
  8. ^ 茂木健一郎所蔵。『アナザースカイ』(日本テレビ) 2009年7月3日放映分にて披露。100万円で購入したそうである。
  9. ^ 『硝子戸の中』に関連する記述あり。
  10. ^ 松岡陽子マックレインの息子(米国籍)は、息子(つまり漱石の玄孫)のミドルネームに Soseki と命名した。
  11. ^ 菊池寛との親交が深かったことで、「父・夏目漱石」(文藝春秋社)を発表した。
  12. ^ 門下生が集まれば必ず牛鍋を囲む。羊羹、お汁粉、ケーキなど甘いものが好きで、特にお気に入りは自家製アイスクリームだった。胃弱のためには大量の鶏肉を使ったスープを飲んでいたという。なぜか鳥類のもらい物も多かった。シャモ、カモ、山鳥、キジなどで、知人宅での雁の料理に舌鼓を打ったこともあったらしい(河内一郎『漱石、ジャムを舐める』新潮文庫
  13. ^ 「吾輩は-」には1か月に8缶も舐めたとの記述がある。
  14. ^ 医師の松本健次郎は「漱石非精神病説」を主張している。漱石の精神病説の根拠は熊本の五高を辞職する時に出された神経衰弱の診断書と、妻、夏目鏡子の回想記『漱石の思ひ出』などに描かれた漱石の言動の記述や、同書で東大精神科の呉秀三が、漱石を診断し、鏡子に漱石が病気であると告げたという記述があることであるが、辞職のために、五高に提出した診断書も書いた呉は、漱石が親しい菅虎雄の親友であり、また夏目家の家庭医、尼子四郎とも親しかった。当時、実家に戻っていた、鏡子を、尼子を通した依頼で呉が説得した言葉が、鏡子のなかで漱石が精神病者であるという記憶に変わっていったのではないかと主張している。『漱石の思ひ出』の記述を引用しただけの漱石の病跡学は学問的でないと主張している。『漱石の精神界』松本 健次郎 (著) 金剛出版 (1981/01) ISBN 4772401377
  15. ^ 山下浩初校ゲラを通してみた小宮豊隆の『夏目漱石』を参照。
  16. ^ これより前に漱石が使用した例としては「同時にスコット一派の浪漫派を生まんがために存在した時期である。」(『野分』11章、1907年1月)が最も早い。また翌年の講演『創作家の態度』では「浪漫派」「浪漫主義」の語句が多く用いられている。
  17. ^ 初版は十字屋書店。昭和41年(1966年)に、朝日新聞社で新装再刊。
  18. ^ たとえば押韻の問題について全く踏まえていないなどの問題があるとされる[要出典]
  19. ^ 夏目漱石他著の小説文庫版の巻末参照

出典

  1. ^ a b http://data.bnf.fr/ark:/12148/cb11917438j; 閲覧日: 10 10月 2015.
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  3. ^ a b ファインド・ア・グレイヴ; 閲覧日: 9 10月 2017; 表記名: Soseki Natsume; Find a Grave: 6134221.
  4. ^ a b Internet Speculative Fiction Database; 閲覧日: 9 10月 2017; 表記名: 夏目漱石; ISFDB著者識別子: 212171.
  5. ^ ブロックハウス百科事典; 表記名: Sōseki Natsume; ブロックハウス百科事典オンラインID: natsume-soseki.
  6. ^ 『夏目漱石 人と作品3』 9頁
  7. ^ 『夏目漱石 人と作品3』 9頁
  8. ^ 『夏目漱石 人と作品3』 13頁
  9. ^ 佐古純一郎「夏目漱石と二松學舎」『二松學舎百年史』、1977年、289-291頁。
  10. ^ 夏目漱石は兵役逃れのため北海道に転籍したと聞いたが、そのことについて書かれた本はあるか。 | レファレンス協同データベース
  11. ^ a b 熊本日日新聞社編纂『熊本県大百科事典』熊本日日新聞社、1982年、418頁
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  15. ^ [1]斎藤茂太 「赤いレンガ」 『医学芸術』 昭和57年10月号 斎藤茂吉生誕百年 坪井医院(千代田区神田和泉町1)のウェブサイトへの転載、平成23年11月3日閲覧
  16. ^ 斎藤茂太 『精神科医三代』 中公新書 昭和46年刊
  17. ^ 「ロンドン漱石記念館」が9月で閉館 EU離脱の影響で前倒し
  18. ^ 「漱石記念館、ロンドンで再開 天皇陛下の記帳など公開」朝日新聞デジタル(2019年5月9日)2019年5月18日閲覧。
  19. ^ 明治36年1月28日『官報』第5869号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ2「◯學事 ◯留學生歸朝 文部省外國留學生第五高等學校敎授夏目金之助ハ本月二十日歸朝セリ(文部省)」
  20. ^ 「在籍地の碑」岩内町ホームページ
  21. ^ 『夏目漱石 人と作品』 41頁
  22. ^ 漱石山房:新宿区”. www.city.shinjuku.lg.jp. 2020年11月23日閲覧。
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  24. ^ 官報』第3963号「叙任及辞令」1896年9月11日。
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  26. ^ 『夏目漱石 人と作品3』 9頁
  27. ^ 有限会社サイアン・インターナショナル
  28. ^ Visa TVコマーシャル
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  31. ^ 共同通信2002年12月7日
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  33. ^ 現代に於ける「漱石文化」(『世界の一環としての日本』白揚社、1937年)
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  36. ^ 「思い出るまま(九)師弟と朋党」(『徳田秋聲全集』第22巻、2001年、八木書店)。紅葉の場合、門下生に交替で自宅の玄関番をさせたり、代作をさせたりするなど、徒弟制の性格が強いものであった。
  37. ^ 「夏目先生のこと」(『阿部次郎全集』第13巻、1962年、角川書店)
  38. ^ 『漱石山脈 現代日本の礎を築いた「師弟愛」』 (朝日新聞出版、2018年)
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  64. ^ 『「草枕」変奏曲―夏目漱石とグレン・グールド』及び『漱石とグールド―8人の「草枕」協奏曲』参照
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  72. ^ a b 不朽の名作×人気漫画家!『BLEACH』作者が『地獄変』表紙を描き下ろし”. ORICON NEWS. ORICON (2009年6月18日). 2018年3月14日閲覧。
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  78. ^ にぐるた「「月が綺麗ですね・死んでもいいわ」検証」『にぐるたの物置』
  79. ^ 岐阜県図書館「夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したとされる根拠となる文献はないか。」『レファレンス協同データベース』 国立国会図書館、2014年10月10日






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