クイズ世界はSHOW by ショーバイ!! クイズルールの変遷

クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 09:10 UTC 版)

クイズルールの変遷

『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』時代初期-中期(逸見店長時代-店長代理時代)

解答者席にテレビモニターの「ミリオンスロット」と呼ばれるスロットマシンを設置。問題ごとに解答者がスロットの回転をストップボタンを押して止め「ショーバイマネー」(得点)を決定、正解で表示されたショーバイマネーを得点分として獲得できる(ただし、筆記クイズでは不正解だが、正解に近い解答の場合は逸見の裁量により、出したショーバイマネーの半額、または1萬などが与えられたことがあった)。そのため、この番組の大きな特徴として「同じ問題に正解しても獲得するショーバイマネーが異なる」という点が挙げられる。スロットは筆記クイズの場合はシンキングタイム後に行われ[注 5]、早押しクイズの場合はクイズの出題直前に行われた。このミリオンスロットのシステムはタイトーが制作した。またスロットは下から上に向かって回転する

最終問題の「ラストクイズ」は、正解者のみが司会者席のミリオンスロットを使用して「ラストスロット」に挑戦する。ラストスロットには、解答者席にある出目の他に「100萬」が加わっている。そのため、たとえそれまで1問も正解していなくてもラストクイズのみの正解でゴールドプレート獲得のチャンスがあった。また、正解者が2人以上いる場合はそれまで獲得していたショーバイマネーの低い順にスロットを回したため、例えばトップが90萬で「あと10萬を出せばゴールドプレート獲得」という局面になっても、他の解答者が横取り40萬を出してゴールドプレート獲得を阻止し、逆転で売り上げNO.1となるケースもあった。また、ラストスロットには途中から出すとそれまでのショーバイマネーが全て没収される「破産」の出目も加えられ、売り上げトップでラストクイズに正解した解答者が破産を出して自滅したケースもあった。

売り上げ合計が100萬に達した解答者が出なかった場合、合計金額が最も多かった解答者は「売り上げNo.1」となり、ナゲット金貨1988年10月 - 1989年3月)や中国政府発行のパンダ金貨(1989年4月 - 1990年8月)、三菱金属→三菱マテリアルゴールドバー(1990年9月 - 最終回)などの賞品が授与された。

さらに、売り上げが100萬に到達した時点で番組特製・時価100万円相当の純金製「ゴールドプレート」(表面に番組のロゴが刻印されてケースに収められている)が贈られ、ゴールドプレートの獲得を解答者の目標としていた。なお、仮に売り上げが200萬に達するとゴールドプレートが2枚贈られるルールもあったが、達成者はいなかった。

また、1994年1月19日放送分からは、売り上げが80萬以上100萬未満の解答者全員に、協賛航空会社であるJALの「ひとっ旅クーポン[注 6]が副賞として贈呈されるようになった。

解答者は、番組開始当初は5人であったが、1992年7月8日放送分で6人に増設された。

得点(売り上げ)単位は「」で、ミリオンスロットの出目は当初、「5萬」「10萬」「20萬」「30萬」「50萬」の5種類。司会者席には、これらに加えて「100萬」が存在した(番組開始当初は通常のミリオンスロットにも「100萬」が存在したが、すぐに削除された)。後に以下の出目が追加された。

  • 横取り40萬:1991年4月3日放送の『4月は人気番組でSHOW by ショーバイ!!』より導入された出目。この出目で正解すると他の解答者1名から40萬を横取りして自分のショーバイマネーにすることができる。指名された解答者はショーバイマネーを表示する電光掲示板のライトが効果音とともに点灯し、横取り行為終了後に消える。ショーバイマネーを40萬以上持っている解答者がいない場合、導入当初はその時点で獲得しているショーバイマネー分しかもらえないルールで、途中から逸見がポケットマネーから不足分を出していたが、1992年1月15日放送分で視聴者からポケットマネー廃止を求める手紙(2通)が届いた事を挙げ、結局当初のルールに戻された[注 7]。また、1994年3月16日に福澤が2代目店長に就任するまでは、売り上げ100萬以上達成者からは横取りが不可能だった。
  • 破産1992年9月16日放送分より司会者席のミリオンスロットに導入された出目。この出目を出すと、それまで獲得していたショーバイマネーが全て没収されて0になる。ちなみに逸見店長時代から店長代理時代は涙付きで回転しており、この出目を出すと、涙と「破産」の文字が点滅する状態だったが、福澤が2代目店長に就任してからは涙の出ていない状態で回転しており、この出目を出すと涙のみ点滅するという状態に変わった。
    1992年9月16日放送分から1994年4月13日放送分までの通常放送では、破産を出した解答者のショーバイマネーをラストクイズ不正解の解答者全員に等分した金額が与えられていた[注 8]。この分配制度はレギュラー版でのみ適応し、特番では行われなかった。
    破産を出して没収されたショーバイマネー最高額は、通常放送では1994年3月16日放送の『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!新装開店スペシャル』で清水圭が破産を出した際に没収された150萬、『スーパークイズスペシャル』では1994年10月5日放送の『秋は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシク特ホウ王国』で『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』チームの山城新伍が破産を出した際に没収された390萬、特番では1993年12月29日放送の『クイズ年末はSHOW by ショーバイ!!』で山城チームの高田純次が破産を出した際に没収された1110萬である。

『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』時代後期(福澤店長時代初期)

2代目司会者に福澤が就任した1994年3月16日の放送から「ミリオンスロット」が「スーパーミリオンスロット」にバージョンアップし、解答者席のミリオンスロットにも「100萬」が出るようになった。また、新ルールとして「ショーバイマネーマイナス制」が導入され、横取り40萬で正解した場合、40萬以上持っていない解答者からも40萬分を横取りできるようになった(横取りされた解答者は不足分がマイナスで表示される)。また横取り40萬で正解した場合、逸見店長時代には不可能だった売り上げ100萬以上達成者からの横取りも可能になり、それに伴いゴールドプレート獲得の条件も最終的にショーバイマネーが100萬以上でないと獲得出来ないルールに変更された。新セットになってからはシンキングタイム時、スーパーミリオンスロット回転時に得点ボードの電光掲示板、電卓を模したバックのランプ、ミリオンスロット縁のランプが点滅するようになった(のちにシンキングタイム時は電卓ボタンを模したランプのみ点滅)。スーパーミリオンスロットには新たに以下の出目が追加された。

  • 差し上げ25萬:この出目で不正解になると、他の解答者1名に自分が獲得しているショーバイマネーを25萬あげなければならない。25萬以下しか持っていない場合は横取り40萬同様、25萬分あげて不足分はマイナスで表示された。また、横取り40萬を出して正解した解答者と差し上げ25萬を出して不正解だった解答者が同時にいる場合は、差し上げを先に処理した後に誰から横取りするかを決めさせた。
    • 同年9月14日放送の『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!200回記念スペシャル』から差し上げ制度が廃止されて、ただの25萬となった。また、1994年3月30日に放送された番組対抗特番『春は人気番組で!!SHOW by ショーバイ世界まる見えマジカル頭脳で笑ってヨロシク』では司会者席のみがスーパーミリオンスロットになったが、正解者しか叩かないので差し上げのルールは関係ない為、出現しても特に説明されなかった。
  • 200萬:司会者席のミリオンスロットにのみ追加された出目。売り上げが0以上の状態で出せばゴールドプレート2枚獲得のチャンス、また、売り上げがマイナスからでもこの出目を出せばゴールドプレート獲得の可能性がある。
    • 但し、『クイズ世界は……』時代のラストスロットでこの200萬が出たことは一度も無く、この出目によって逆転でゴールドプレートを獲得したというケースは無かった。司会者席のスロットで200萬の出目が出たのは『新装開店!』になってからの1994年11月30日放送分の1回のみで、出したのは「迷って選んで3択クイズ」のコーナーで解答者に代わって挑戦した福澤朗であった。

ラストスロットで破産を出した場合のショーバイマネーの分配が行われたのはリニューアル初回の3月16日放送分のみで、以降は分配制度は廃止され、破産を出した解答者の売り上げが0になるのみとなった[注 9]

また、副賞のひとっ旅クーポンの獲得条件が売り上げ80萬から10萬アップして90萬になった[注 10]

また、横取り40萬を出した解答者が売り上げ100萬を超えている解答者から横取りしてゴールドプレート獲得を阻止した場合、横取りした解答者にひとっ旅クーポンが与えられるルールが告げられたことがあるが、実行はされなかった[注 11]

『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』時代(福澤店長時代中期)

1994年10月19日放送分から番組タイトルが『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』から『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』になり、解答者は2人1組のペア×5枠の10人制となった(厳密には1994年9月14日放送の『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!200回記念スペシャル』からペア制になった)。ペアの組み合わせは、当初は「席決めカルタ」で決められていたが、1995年3月1日放送分からはあらかじめ決められた組み合わせとなった。改題と同時に、商売以外の話題やエピソードから出題されるクイズや、ミリオンスロットを使用しないクイズが増え、売り上げ100萬到達の賞品であるゴールドプレートも廃止された。賞品はラストクイズである「スーパージャックポットクイズ」にピタリ正解した場合のみ、それまでの売り上げと同額の純金、ならびにクイズで使用された器に入っている硬貨を器ごと獲得できるというものになった。これにより、それまでの売り上げが2位以下の解答者でもスーパージャックポットクイズにピタリ正解すれば優勝者扱いとなり、本来の売り上げNo.1の解答者は負け扱いとされるので、スーパージャックポットクイズがラストスロットにかわる番組の山場となった。一方で、司会者席にあるミリオンスロットは福澤が行う「ひとりスーパーミリオンスロット」や後に司会に加わる久本雅美が行う「マチャミリオンスロット」を除いて、ほとんど使用されなくなった。

1995年1月18日放送分からは久本がレギュラー解答者から司会に昇格し、福澤・渡辺を含めて司会陣は3人体制となった。

1995年2月1日放送分から時間短縮のために横取り40萬制度も事実上廃止された。このあともミリオンスロットに横取り40萬の出目は存在し、止まって正解した場合は横取り行為を行っていたが、放送ではカットされていた。

また、ショーバイマネーのインフレ化も起こり、解答者席のスーパーミリオンスロットは『クイズ世界は』時代には滅多に出なかった100萬の出目[注 12]の出現率が大幅にアップして2組同時に100萬が出ることすら当たり前になり、さらにはミリオンスロットを使わず正解すれば無条件に100萬が得られるクイズが増えるなどして、『クイズ世界は』時代の通常放送では考えられなかった売り上げ300萬や500萬などが当たり前になった。

『新装開店!SHOW by ショーバイ2』時代(福澤店長時代後期)

1995年10月18日放送分より、番組タイトルが『新装開店!SHOW by ショーバイ!!』から『新装開店!SHOW by ショーバイ2』となってからは、解答者8人制の個人戦となり、番組開始当初からの名物であったミリオンスロットが廃止された。改名当初はさまざまなタイプのクイズを出題したが、2択クイズである「ギャンブルタイム」が登場するとそれをメインとした内容となった。「ギャンブルタイム」では、お色気路線の問題や出演者のゲーム対決の勝敗を予想する問題など、変り種の問題も数多く出題された。そして、1996年4月10日放送分からは体を使ったゲームが登場するなど、当初の番組趣旨である「商売」からはかけ離れた内容が多くなったが、商売を題材にしたクイズは一応出題されていた。

ギャンブルタイム導入によりさらにショーバイマネーのインフレが起こる。通常放送で獲得したショーバイマネーの最高額は1995年12月6日放送分で清水圭が獲得した2740萬。当時はショーバイマネーを表示する電光掲示板が3桁だったため、番組内では999萬であった。このことを受けて、翌1996年1月10日放送分より電光掲示板が4桁表示になった。

最低額は1996年3月13日放送分のジミー大西が記録した-700萬。


注釈

  1. ^ この時は病名を穿孔性十二指腸潰瘍と偽って公表した。
  2. ^ 内村が出演していた『ザ・ワイドショー』の劇中のシーンとして使用するため、オープニングから1問目終了まで同作の役名、村上維知夫として出演した。劇中に使用しない2問目からは内村本人として出演。
  3. ^ この回は、山瀬まみが野沢直子に代わる新レギュラー解答者となった最初の回でもある。
  4. ^ ただし、ミリオンスロットに表示されている番組タイトルは『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』のままだった。
  5. ^ 初回は全員の解答の後に行われた。また、BGMは開始から数回は司会者の絵から解答者の絵になってBGMが流れたが、後に司会者の絵の切り替えと同時に流れた。
  6. ^ 香港など、決まった観光地に旅行ができる旅行券
  7. ^ 第1問目において、正解者は山城新伍と高田純次の2人だけだった。山城は横取り40萬、高田は10萬を出して正解したが、横取りの処理の時点でショーバイマネーを持っているのは高田だけであり、この結果、山城は高田の持っている10萬しかもらえなかった。
  8. ^ 不正解の解答者数で割り切れない時は、店長のポケットマネーを追加して切り上げる。例えば不正解の解答者が4名で、70萬の解答者が破産を出した場合、分配金は70÷4=17.5となるため、ポケットマネーの追加により、4名は18萬を獲得できる。
  9. ^ 分配制度が廃止された旨は放送上、明確な説明が無かった。リニューアル後3回目の1994年4月20日放送分にて蛭子能収が破産を出しているが分配は行われず、以降は破産が出ても分配が行われることが無かった。
  10. ^ 但し途中から、90萬を突破した解答者がいても放送上ひとっ旅クーポン授与の旨に言及されなくなっており、賞品としていつ廃止されたのか不明。90萬を突破した解答者へのひとっ旅クーポン授与シーンが放送されたのは1994年4月13日放送分のみ。
  11. ^ 1994年6月8日放送分にて清水アキラがラストクイズまでに120萬を獲得しており、ラストクイズに正解した川島なお美がラストスロットで横取り40萬を出した際に、清水から横取りすれば「勇気ある横取り」としてひとっ旅クーポンを与える旨が伝えられたが、川島は結局清水からは取らずに山城から横取りした。
  12. ^ 『クイズ世界は』時代、売り上げ100萬達成でのゴールドプレート獲得を目指すルールの下で解答者席のスーパーミリオンスロットに100萬が出たのは、半年間の放送の中で3回のみ。
  13. ^ オープニングの挨拶も逸見の後に山城が「オーナー」「取締役」などと自称していた。
  14. ^ この際、大番頭代理は明石家さんまが務めたが、チームのメンバーからはさんまがキャプテンのように扱われていた。
  15. ^ この場合、18:00からの『NNNニュースプラス1』は18:30までの短縮放送となった(18:00 - 18:20頃が全国ネット・18:20頃以降がローカル枠という形が取られた)。
  16. ^ 優勝チームの中で誰がゴールドプレートを持ち帰るかをミリオンスロットを叩いて決めている様子が、本編終了後の提供バックで放送されたことがある。
  17. ^ 例として、1994年年末の特番では200万円相当の金塊。番組内では「200万円のゴールドプレート」と紹介されたが、長らく使われた100万円のゴールドプレートのように独自のデザインが施されている訳ではなく、所謂「金の延べ棒」であった。
  18. ^ 通常は正解に関係する映像が流れるが、時によっては本当にヒントになるか分からないものも多かった。中には、字幕表示で正解の文言(一部伏字)が流れ、その伏せられた部分を答えるという事例もあった。
  19. ^ 連続ではないが、レギュラー回では「超ウルトライントロヒント」が1問につき2度流れたことがある。
  20. ^ 入札額より多い売上を持っていない場合はショーバイマネーを前借りし、正解してショーバイマネーを得た際に返済した(実例として、田中義剛が売上0でありながら20萬で落札し、その後正解で獲得した20萬で返済)。
  21. ^ 『笑ってヨロシク SHOW by ショーバイ!!』や番組対抗特番ではパートナーだった野沢直子がこの方法で解答していた。
  22. ^ なお、1991年3月27日放送、1992年3月25日放送の『クイズ春満開SHOW by ショーバイ!!』では「新伍のウソつき4択」として出題されたこともある。
  23. ^ 当初は500円玉のみ。後に100円玉、10円玉なども使われるようになる。
  24. ^ 当初は右から左へ横にスライドするシャッターを手動で動かして隠した。ラストクイズとして再登場した際に自動で各桁を隠すシャッターが下りるようになった。
  25. ^ スーパージャックポットマシーンは「硬貨をいくら放出したか」をカウントしているので、実際には器に収まらなかった分の硬貨も含めていくら放出されたかを当てることになる。
  26. ^ シャッターが手動式の頃は、左から右に開けて大きい位の数字から発表した。
  27. ^ 当時は500円玉しか使用していなかったので、枚数にして20枚までの差。
  28. ^ 但し、この時正解した羽野晶紀はこの時点での売り上げが0だったので、本来は2倍しても0のままだが、おまけとして5萬が与えられた。
  29. ^ 該当者は高田純次だったが、その時点での売り上げは0だったので結果として変動なし。
  30. ^ 正解発表の際に「オープン ザ・キロー(kg)!」と叫んだり、一部BGMもスーパージャックポットクイズと同様の物が使われたりなど、随所に名残が見られていた。
  31. ^ 一例として、テーマが「口でかせぐ商売」の回(1993年4月28日放送分)ではに因んでトランペットがま口掃除機の製造工程が出題された。稀にテーマと無関係のものが出題されることもあり、その場合はクイズの前に逸見から告知があった。
  32. ^ 特番において立川志の輔が早押しのコーナーの司会をする際には「何を作っているのでしょうか?」と違った言い回しの掛け声を発していた。
  33. ^ 1994年春・秋共に、一軍席決め早押しの段階では福澤は登場していなかった。
  34. ^ 1991年9月30日まで、テレビ朝日系列にも加盟。
  35. ^ 1993年3月31日まで、テレビ朝日系列にも加盟。
  36. ^ 開局から1991年3月31日まで、テレビ朝日系列にも加盟。(当時はNNS非加盟)
  37. ^ テレビ朝日系列とのクロスネット局であった時代は、非放送であった。のちに土曜午後または平日15時台に不定期に放送されていたが、長野朝日放送が開局した1991年4月から番組終了までは、同時ネットで放送された。
  38. ^ 1989年3月までは日本テレビ系単独加盟局であり、1989年4月以降はテレビ朝日系列(サブ)とのクロスネット局ではあるが、テレビ朝日系列の一般番組供給部門には非加盟で、放送終了後の2024年現在も、日本テレビの公式ウェブサイト上でも単独ネット扱い。
  39. ^ 1993年9月30日まで、テレビ朝日系列にも加盟。
  40. ^ 1990年9月30日まで、日本テレビ系列にも加盟。(但し、NNSは非加盟)
  41. ^ フジテレビ系フルネット局になった1990年10月 - 1991年3月は時差ネットで放送。
  42. ^ 1993年9月までは、日本テレビ系列とフジテレビ系列とテレビ朝日系列のクロスネット。
  43. ^ 金曜夕方または土曜15:00から放送されていたが、大分朝日放送(OAB)が開局した1993年10月からは、水曜日のプライムタイムが日本テレビ系列の同時ネットとなったため、番組終了までの3年間は、同時ネットで放送された。
  44. ^ 不定期放送ののち1996年3月まで火曜20時台に放送されていた。
  45. ^ 1994年3月31日まで、日本テレビ系列にも加盟。
  46. ^ 同じく当時日テレアナウンサーであった永井美奈子、藪本雅子と共にDORAとして解答者側にも出演歴あり。
  47. ^ 国立国会図書館サーチでは、“金儲けの達人 : クイズ世界はshow byショーバイ!スタッフ特別編集”と表記[3]
  48. ^ a b c のちのタカラトミー

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