鶴瓶上岡パペポTV
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『鶴瓶・上岡パペポTV』(つるべ・かみおか パペポテレビ、英字表記:TSURUBE KAMIOKA PA-PE-PO TELEVISION)は、読売テレビ制作で、1987年4月15日未明から1998年4月1日未明まで放送されていたトーク番組である。番組は日本テレビをはじめ一部地域にもネットされていた。
注釈
- ^ ただし、通常の放送枠ではなく日中に放送された。
- ^ 観覧希望者は朝に整理券を受け取り一度解散して、夕方に再集合していた。なお、収録日に関して番組後期はエンディングで日程の案内が表示され、その後讀賣テレビのみローカルで次週の収録の実施と整理券の配布時間の案内が表示されていた。
- ^ こちらは同じ上岡が司会の『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』(フジテレビ)で突然発表された。ただし、1991年の新春SPだけは放送された。
- ^ これは東京タワーに設置してあるアンテナのメンテナンスのため、月・火が早終了のためだった。
- ^ ただし当日のものではなく、原則1週遅れでの放送であった。
- ^ 当然、当該発言は口元、または頭部全体をマル禁(赤地に白枠で丸囲みした「禁」)のスーパーで覆われ、音声もパトカーのサイレンの音でかき消していた。なお、マル禁を使うようになったのは放送開始から1年半が過ぎた1988年秋からで、それまでは音声カットや口の部分を黒く塗り潰す処理だけだった。
- ^ 1回目の新春スペシャル直前に放送されたフジテレビ制作の1987年 - 1988年の回は鶴瓶が総合司会の一員だった。
- ^ 1990年、1993年を除く(1990年は1月最初の通常放送に出演)。
- ^ 前者は「SPECIAL FOUR DAYS」、後者は「名作復活祭」の副題がついていた。
- ^ 1988年新春スペシャル、1988年6月3日放送分を除く
- ^ 読売テレビエリアのみのローカルスポンサーだったため、実質的には同局サービスエリア内の事業を行っていた当時の近畿郵政局がスポンサーだった。
- ^ 広島テレビでは、加美乃素本舗の1社提供または同社を筆頭とした複数社提供での放送だった。
- ^ 1993年4月 - 1994年3月及び1998年1月 - 3月は中止されていた。
- ^ 1988年3月21日 - 27日。
- ^ 1989年10月3日・1992年5月13日。
- ^ 1992年5月25日。武道館でこういったトーク・イベントは初だった。
- ^ 1996年9月28日。
- ^ このときの新聞の見出しには「救急車ピーポーパーペーポー」と書かれていた
- ^ この「長居パニック」は、結局後の「JAPAN TOUR」に決着が持ち越され、大阪城ホールと武道館を含めて上岡が1勝した以外は鶴瓶が全て勝利した。
- ^ 大相撲の約1万人に対し、当イベントは約2万人もの観客が来場した。番組中の公表による数値。
- ^ 当時はヘアヌードの解禁が話題となっていたこともあり、それに便乗したアイデアと言われている。
- ^ アオリは、「初公開! トクオの性日記」「お尻にモグラを飼う男出現。」「スクープ 浪花座に聖徳太子出演か!!!」「悲惨、実父の一家皆殺し計画」「緊急特集 10年後の日本を考える!」「完全独白。ボクのヰタセクスアリス」。
出典
- ^ 日本民間放送連盟編「これぞローカル番組 在阪・在名テレビ10局」『月刊民放』第18巻第7号、日本民間放送連盟、1988年7月1日、13頁、NDLJP:3471031/7。
- ^ “第25回ギャラクシー賞受賞作品”. 放送批評懇談会. 2014年11月14日閲覧。
- ^ マイケル宮内『笑えるけど超ヤバい! テレビ放送事故&ハプニング』、p110-p111、廣済堂出版、2007年7月、ISBN 978-4-331-51243-2。
- ^ 『北日本新聞』1990年4月2日、1995年9月11日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『テレビ金沢開局10年誌』(2000年3月、テレビ金沢発行)60ページ。
- ^ 『北日本新聞』1997年4月1日付朝刊、テレビ欄。
- ^ a b 出典:山陽新聞1988年10月7日付朝刊24面テレビ欄
LIVE PAPEPO 鶴+龍
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「鶴瓶上岡パペポTV」の記事における「LIVE PAPEPO 鶴+龍」の解説
番組プロデューサーの白岩久弥が吉本興業系の番組制作会社「ワイズビジョン」へ出向することとなったため、「パペポTV」は1998年3月で一旦終了するが、3ヵ月後の同年7月7日から、パペポの作家である疋田哲夫と末期に白岩と共同でプロデューサーを担当していた松下泰紀を中心とした布陣で、収録体制を一新した新番組『LIVE PAPEPO 鶴+龍』を開始し、30分番組として復活した。 放送時間は当初火曜深夜24:50 - 25:20で、1999年4月から『DO-YA』枠の土曜深夜24:55 - 25:25に枠移動した。関東・日本テレビでは「パペポTV」と同じ金曜深夜26:15 - 26:45の枠で放送された。なお、パペポTVをネットしていた局がすべてこちらもネットした訳ではなかった。 こちらはスタジオではなく全国各地の観光地などでのゲリラ的収録を敢行した(ただ「いつ、どこで収録します」という告知は番組終わりでなされていた)。収録会場は主に京阪神地区の中から選ばれ、1回で2本分(60分)収録するスタイルが基本となっていたが、数回に1回の割合で関東や中部など、番組が放送されているその他地域への遠征も行われていた。また、ごく稀に3週に分けて放送された回もあった。 2000年3月25日、上岡の芸能界引退に伴い最終回を迎えた。最終回は読売テレビ本社第1スタジオに初代セットを再現し、「パペポTV」当時の収録スタイルで番組を進行。収録を見に訪れたファンの人数は第1スタジオの収容人数である約600人を大幅に超える1,000人超にものぼったため、急遽第2スタジオとロビーにライブビューイング席を設けて対応した。収録途中にゲストとして島田紳助が登場。その後、『痛快!明石家電視台』(毎日放送)の収録を終えた明石家さんま、間寛平、村上ショージも花束を持って駆けつけ、120分のスペシャル版として放送された(実際は収録開始前に上映された『パペポTV』時代のトークの総集編と最終回のオープニングトークで構成された30分の「第一部」と本編部分のみで構成された90分の「第二部」の二部構成で、一部と二部の間には中断番組として12分間『読売新聞は~い朝刊』(日本テレビ制作)が挿入された。そのため、日本テレビを含むネット局では30分に編集し直した短縮版が放送された)。これをもって『パペポ』は13年間の歴史に幕を下ろした。
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