コサキンDEワァオ!とは?

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コサキンDEワァオ!

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/07 00:18 UTC 版)

コサキンDEワァオ!』(コサキンでワァオ!、Kosakin DE Wow![1])は、1981年10月から2009年3月までTBSラジオで放送された、コサキンこと小堺一機関根勤パーソナリティラジオバラエティ番組




  1. ^ http://www.tbs.co.jp/tbsannual/ctbs.html
  2. ^ 会社としては、現在の東京放送ホールディングス。放送局としては、現在のTBSテレビTBSラジオ&コミュニケーションズ
  3. ^ サンケイスポーツ2009年2月3日TBSラジオ「コサキン」27年の歴史に幕、同年2月7日放送分
  4. ^ 例えば小堺の持ち歌である『マージナル』を紹介時に、「マジになるんですよ、小堺一機が。マジになる、『マージナル』小堺一機」という要領であった。
  5. ^ 本人いわく、「予約開始の時点で予約しているにもかかわらず、そのことを忘れて発売開始でまた買ってしまう」とのこと。
  6. ^ a b 「なぜかクラスの女の子がスカートをめくって、中を見せてくれた」「女の子に『今日両親がいないから家に来ない?』と誘われた」「土肥温泉に当時の彼女と行ったが、その後彼女にストーカーまがいの行為をされトラウマとなった」「若手時代、収録の合間に代々木上原の彼女(前述の彼女とは別)の家に行き『何か』があった」など、モテエピソードが多数ネタにされていた。一時期関根は小堺を「恋愛の先輩」と呼んでいた。
  7. ^ 雄犬のライルを溺愛する余り「結婚してくれ」「雌犬になってお前の子犬を産みたい」「松阪牛になってお前に食べられたい」などと言って夫人に「気持ち悪い」と言われる、など。
  8. ^ 参考(2005年1月時点の公式サイトのアーカイブ)
  9. ^ 宇津井が『スーパージャイアンツ』に主演した際、全身タイツを着用した彼の股間が目立っていたことが特にネタにされた。
  10. ^ a b c d e 名前は「ことひろ」と読む。番組初期から、浅井企画の名物マネージャーとして知られていた。ニセ社長の異名は、番組内で車だん吉をネタにしていたところ、川岸がスタジオに直接電話を掛け、社長に成りすましてコサキンを一喝したことによる。その際の川岸の発言「2億年許さん!」は、後に番組本『ら゛』のキャッチコピーに応用され、オビに記載された。
  11. ^ a b エキサイトレビュー (2016年8月23日). “小堺&関根のひどいトークを聞いてきた。新番組「コサキンのラジオごっこ」記者会見”. 2016年8月24日閲覧。
  12. ^ 2016年3月30日放送の『ライオンのごきげんよう』で関根がゲスト出演した際にも、同様のエピソードを語っている。
  13. ^ 「中2の放課後」145ページ。ダウンタウンDXではライルは「腐鮪鯖男(くさりマグロ サバオ)」という名で紹介されているが、これも元々はリスナー投稿ネタで、上野動物園ジャイアントパンダトントン)が産まれたときのコサキン流命名のひとつだった。
  14. ^ 『無理矢理100%』時代、ゲスト出演した明石家さんまに写真ネタを見せた際、「ラジオでわかれへんやないか」「こんなんリスナーかわいそうや、スタジオだけでゲラゲラ笑ろて」「せやから、写真ネタやめぃ!」と終始苦笑交じりでダメ出しされたこともあった。特に「写真ネタやめぃ!」は番組初期の名台詞となり、番組本で写真ネタを収録したコーナー名にまで使われた。
  15. ^ 2017年4月18日に放送された「星野源オールナイトニッポン」にコサキンの二人がゲストとして登場した際、ニッポン放送で「意味ねぇCD大作戦」がコーナーのジングルBGMと合わせて特別に放送された。リスナーから事前にコーナーの概要を説明して募った作品が使用介されている。
  16. ^ 初期は「こんなときに絶対言うのが○○、絶対言わないのが××」というテーマだった。
  17. ^ このバカ発言集が送られてくるたびに、関根は特に「俺、そんなこと言ったっけ?」「これはバカですね。」というフレーズを繰り返していた。
  18. ^ 『快傑アドレナリン』時代では、小堺、関根と電話参加のリスナーが順番に解答する対決形式だった。
  19. ^ a b ここでのイントロクイズは、実際は曲名連想クイズであった。例えば坂本冬美の『火の国の女』のイントロを聴き(歌手名、曲名はこの時点で発表される)、そこから「火の国と言えば熊本県」「熊本県の女性と言えば水前寺清子」「よって正解は『三百六十五歩のマーチ』」と連想しなければならず、正解者が極端に少ないクイズであった。
  20. ^ 飯尾和樹村山ひとしのコンビ。しかし番組内での彼らの不甲斐なさからLa.おかきの番組残留を賭けた「コント4番勝負」が行われ、リスナー投票により'97年4月第1週で降板となった。La.おかき解散後、村山は放送作家やアイドル評論家として活動し、飯尾はずんを結成してコサキンヤング部開始以降に再登場した。
  21. ^ ネタの持ち時間が約2分4秒のため。のちに出演者が「若手」と呼ばれるキャリアで無くなったことから「コサキンヤンガー(younger)部」と改題された。
  22. ^ ルーが「くどいポエム」を朗読するオープニング企画。実際はポエム形式の漫談に近いものであった。1989年2月から1990年4月まで放送された。BGMは実際の「パックインミュージック」のオープニングテーマとサウンドステッカーを使用していた。
  23. ^ a b 午前2時の時報と同時に強制的に始まるコーナーで、眠気覚ましとしてラッキィと一緒に「モンキーダンス」「クラゲダンス」などを踊ろう、という内容。1989年7月から1990年4月まで放送された。
  24. ^ a b 浅井企画の名物マネージャーのひとり。坂上二郎を担当していた。
  25. ^ 小堺は「まぐろがわたいち」と誤読することが多かった。自信を持って「たいちです!」と訂正したことさえあった。
  26. ^ 絶叫マシンでアメリカのキャンプソング「ジャンボリー」を無理矢理歌わされた時の絶叫。
  27. ^ 有川の怖がりぶりは業界内で評判となり、タモリ倶楽部では有川を怖がらせることを目的とした企画が二度行われた。一回目は遊園地の絶叫マシンに乗る企画で、数週後に行われた二回目では芸能界屈指の怪談の語り部(稲川淳二つまみ枝豆)の怪談を聞かせてみよう、という企画だった。このとき一緒に参加したのは金子という当時のタモリの付き人で、有川を「構成作家界の恐がり王」、金子を「付き人界の恐がり王」という肩書きで紹介していた。
  28. ^ “sol caliente”。スペイン語で「灼熱の太陽」という意味で、歌の途中にも同様の日本語詞がある。
  29. ^ 正確には、「僕(冠)の部屋に自分のポスターを貼っておかないと、僕自身が冠二郎であることを忘れてしまう」という話題から、小堺の「もしも部屋にホイットニー・ヒューストンのポスターか貼ってあったら?」という質問に対して、冠が「自分はホイットニーかな、と思ってしまう」と答えたものである。
  30. ^ ムッくんが番組中で語ったところでは、「(岸本加世子に)この曲の話をするとイヤな顔をする」との事。
  31. ^ ささきのあまりにハキハキした英語の発音の為に別名「広東語バージョン」とも呼ばれる。また数多くの水木以外の「マジンガーZ」を歌った歌手の流れから「水木ジョン万次郎バージョン」とも。
  32. ^ a b ラジオパラダイス三才ブックス)1988年3月号 p.116「この曲おしえて!」
  33. ^ コサキンの二代目ディレクターだった門脇がオネエ口調のパーソナリティを務め、"おひつじヒゲ座"から"うおヒゲ座"までの「意味ねぇ」運勢を占う企画。1999年から2000年にかけて放送された。門脇は企画に対して非常に意欲的で、「イエロー・ワールド」も彼による選曲だったという。
  34. ^ 館川が台本を書いていた、コント劇場の名物シリーズ。有川の新婚生活をネタに、虚実を交えたナンセンスな内容となっていた。
  35. ^ 歌詞に「悪役やらせると凄くヤな演技、いつも最後に裏切られ、そして殺されてしまう」とあるため「仁義なき戦い 広島死闘篇」ではないかと思われる。またテレビ時代劇『江戸を斬るIV』第25話では小池演じる目明かしの伝兵衛が十手をちらつかせながらこれとほぼ同じセリフを言うシーンがある。
  36. ^ 同年6月からはテレ朝チャンネルでも放送開始。
  37. ^ 500通の投書のうち50通は、番組開始当初の常連投稿者によるもの。第1回のファンの集いでは、その常連リスナーを会場のリスナーの中から探す企画もあった。
  38. ^ 「寿司屋にて、板前が握った寿司をカウンターに置く前に手で受けとってそのまま食べた」など、数多くのせっかちなエピソードが紹介されていた。
  39. ^ 浅井は番組本「呂゛」「おぴょ」にも同様のメッセージを寄せており、いわゆる天丼ネタの一種であった。
  40. ^ ただし、第1回の準ミスの1人は日本航空インターナショナルに就職が決まっていたため、出演は3回のみだった。
  41. ^ この書籍に先駆けて、同じく三才ブックスから発行のラジオパラダイス1987年6月号にて表紙・巻頭カラー5ページ・本編30ページの大特集が組まれた。この号の売り上げが非常に良好だったことで初めての番組本「ら゛」の発売につながった。内容の一部は「ら゛」のものと重なる部分が多いが、斉藤洋美佐野量子来生えつこのインタビューや、今となっては貴重な宮川匡代のコサキンネタシーン画などが収録された。また、コサキン名物写真ネタが世に出たのも本誌が初である(鳥獣戯画ネタは当時話題になった)。なお、この特集についての発案は編集後記にもあるとおり当時の編集長尾形誠規によるものであり、「ら゛」発売の折には寿司を贈ったりブース外まで番組を見に来ていたこともあった。なお、本号がラジオパラダイスの創刊から休刊までで最大の発行数を記録し、雑誌では異例中の異例で増刷が行われたというエピソードも残っている。




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