丹波・山瀬のパニックTVとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 製品 > 芸術・創作物 > テレビ番組 > 冠番組 > 丹波・山瀬のパニックTVの意味・解説 

丹波・山瀬のパニックTV

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/09 01:46 UTC 版)

丹波・山瀬のパニックTV』(たんば・やませのパニックテレビ)は、1990年1月28日から1991年3月24日まで日本テレビ系列で放送されていた読売テレビ製作のバラエティ番組である。放送時間は毎週日曜 19:00 - 19:30 (日本標準時)。

概要

丹波哲郎山瀬まみが司会を務めていた番組。

当初はトークが主体のトークバラエティ番組で、丹波たちがゲストと当時の中高生たちが関心を寄せていた物事についてトークしていた[1]。しかし、1990年5月6日放送分で「そのまんま東の出前お見合い」という企画を行ったのを皮切りに趣向を変更。以後は「恋人ハント」や「再会」などの企画物がメインになった。

中期までは日本リーバ(後のユニリーバ・ジャパン)の一社提供番組であったが、末期には複数社による提供で放送されていた。

当番組は日本テレビ系列単独加盟局に加え、当時、他系列とのクロスネット局だった青森放送(RAB)・テレビ信州(TSB)・福井放送(FBC)・山口放送(KRY)・テレビ長崎(KTN[2])・テレビ大分(TOS)・テレビ宮崎(UMK)・鹿児島テレビ(KTS)でもキー局との同時ネットで放送された[3]。一方、山形県における放送は、当時テレビ朝日系列とのクロスネット局であった本来の日本テレビ系列局の山形放送(YBC[4])ではなく、編成の都合により当時フジテレビ系列山形テレビ(YTS)で放送されていた。石川県では、NNS系新局であるテレビ金沢(KTK)開局により、1990年4月からネット開始された。

脚注

  1. ^ 朝日新聞朝日新聞社、1990年1月28日。 同日付のテレビ欄に記載の番組解説より。
  2. ^ 1990年9月にNNN脱退のため打ち切り。
  3. ^ ただし、当時のTSB・KTNおよびUMKはNNS非加盟局であった(TSBは当番組終了直後の1991年4月、日本テレビ系フルネット化に合わせてNNS加盟局となった)。
  4. ^ 当番組放送時の日曜19時枠はテレビ朝日系列の同時ネットであった。
日本テレビ系列 日曜 19:00 - 19:30
前番組 番組名 次番組
シティーハンター3
(1989年10月15日 - 1990年1月21日)
丹波・山瀬のパニックTV
(1990年1月28日 - 1991年3月24日)
シティーハンター'91
(1991年4月28日 - 1991年9月22日)
【第11話以降は10月10日にまとめて放送】




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「丹波・山瀬のパニックTV」の関連用語

丹波・山瀬のパニックTVのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



丹波・山瀬のパニックTVのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの丹波・山瀬のパニックTV (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS