夏目漱石 その他

夏目漱石

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 23:48 UTC 版)

その他

漱石と病気

漱石は、歳を重ねるごとに病気がちとなり、肺結核トラホーム神経衰弱糖尿病、命取りとなった胃潰瘍まで、多数の病気を抱えていた。『硝子戸の中』のように直接自身の病気に言及した作品以外にも、『吾輩は猫である』の苦沙弥先生が胃弱だったり、『明暗』が痔の診察の場面で始まっていたりするなど、小説にも自身の病気を下敷きにした描写がみられる。「秋風やひびの入りたる胃の袋」など、病気を題材にした句も多数ある。

酒は飲めなかったが、胃弱であるにもかかわらずビーフステーキ中華料理などの脂っこい食事を好んだ[注 12]。大の甘党で、療養中には当時貴重品だったアイスクリームを欲しがり、ついには家族に無断で業務用アイスクリーム製造機を取り寄せ、妻と大喧嘩になったこともある。当時出回り始めたジャムもお気に入りで、毎日のように舐め、医師に止められるほどだったという[注 13]

胃弱が原因で頻繁に放屁をしたが、その音が破れ障子に風が吹きつける音にそっくりだったことから、「破障子」なる落款を作り、使用していたことがある。

また、漱石は天然痘(疱瘡)にかかっており、自分の容姿に劣等感を抱いていた。しかし当時は写真家が修正を加えることがよく行われており、今残っている写真には漱石が気にしていた「あばた」の跡が見受けられない。

精神医学上の研究対象

漱石は、神経衰弱やうつ病あるいは統合失調症を患っていたとされている[注 14][52]。このことが当時のエリート層の一員であり、最上級のインテリでもあった漱石の生涯および作品に対していかに影響を及ぼしているのかが、精神医学者の病跡学上の研究対象となっており、実際にこれを主題としたいくつかの学術論文が発表されている。

漱石と鷗外

望まれぬ末子として江戸の町方名主の家に生まれ、薄幸な少年時代を過した漱石が反官的(国家に反抗する姿勢)な態度を貫いたことに対して、津和野藩典医の長男として早くから家族中の期待と愛情により育てられた森鷗外は死ぬまで大日本帝国陸軍をはじめ国家官僚の職を歴任し、官側の人間であり続けた、という対照がある。夏目漱石は「余裕派」、森鷗外は「高踏派」と呼ばれた。

しかし、その一方では二人とも「自然主義文学の姿勢」とははっきりした距離を保ちながら洋の東西を問わぬ広い知識をもって文学活動を進め、歪んでいく近代化における価値観の主流においても自分たちの認識をしっかりと見据え、後続の文学世代に相応の影響を与えた。

なお、鷗外が1890年から1年ほど過ごし、『文づかひ』などを執筆した千駄木の邸宅は、後にロンドンより帰国した漱石が1903年から約3年居住して『吾輩は猫である』を著した場所でもあったが、現在、同邸は愛知県犬山市博物館明治村に移築保存されている[53]

神格化

「晩年の漱石は修善寺の大患を経て心境的な変化に至った」とは、のちの多くの批評家・研究家によって語られた論評である。また、この心境を表す漱石自身の言葉として「則天去私」という語句が広く知られ、『広辞苑』にも紹介されている。しかしながら、この「則天去私」という語は漱石自身が文章に残したわけではなく、漱石の発言を弟子たちが書き残したものであり、その意味は必ずしも明確ではない。

この点については、小宮豊隆の書いたもの、とりわけ『夏目漱石』(1938)も改めて精査する必要がある[注 15]

留学時の指導教授探し

熊本在住の英国人宣教師グレース・ノットの母親と親しくなり、また渡航の船でも相談していることは彼の日記にある[要出典]

言葉遊びと造語

漱石の作品には、順序の入れ替え、当て字など言葉遊びの多用が見られる。漱石以前に使った形跡が見られない造単語や一般的に使われている漢字とは異なる別種の綴りがある。現在、下記の「浪漫」「沢山」のように一般用語化されたものも多いが、漢字検定の上級問題として用いられることも多い。

  • 単簡(簡単)
  • 笑談(冗談)
  • 八釜しい(やかましい)
  • 非道い(ひどい)
  • 浪漫(ロマン)
  • 沢山(たくさん)
  • 月並み(つきなみ)[54]東大予備門時代の同窓生正岡子規が旧派が毎月の一日に行う句会を「月並俳句」と呼んだことから。転じて「ありきたりで面白みに欠けるもの」という意味として定着。
  • 案排(あんばい)[55]普通は「塩梅」や「案配」と書く。ATOKなどのワープロで変換しても候補として出てこない。
  • 烈敷(はげしく)[56]普通は「激しく」。そもそも引用元の「坑夫」は「鉱夫」と書くのが普通。

「兎に角」(とにかく)のように一般的な用法として定着したものもあると言われている。しかし、漱石が生きた時代は現在では使われない当て字が多く用いられており、たとえば「バケツ」を「馬尻」と書くのも当時としてはごく一般的であり、「単簡」などは当時の軍隊用語であるなど、漱石固有の当て字や言葉遊びであるということは、漱石以前の全ての資料を確認しない限り、確定はできない。

「新陳代謝」「反射」「無意識」「価値」「電力」「肩が凝る」などは漱石の造語であると言われているが、実際には漱石よりも古い用例がある。一例としては、漱石が「肩が凝る」という言葉を作ったとする説があるが、18世紀末頃(江戸時代後期)からの歌舞伎滑稽本に用例が見られる。学術的に「漱石の造語」であると言える言葉はまだ一語も確認されていないが、「浪漫」については『教育と文芸』中に「適当の訳字がないために私が作って浪漫主義として置きました」との記述がある[注 16]

漢詩

日本人が作った漢詩の中には平仄が合っていても中国語での声調まで意識していないものもあるため、中国語で吟じられた場合には優れた漢詩とされにくい場合がある。しかし、漱石の漢詩は中国語で吟じられても美しい[57]とされ、2006年(平成17年)には『中国語で聞く 夏目漱石漢詩選』(耕文社)というCDつきの書籍も出版されている。

漱石の漢詩についての先駆的研究書としては、吉川幸次郎『漱石詩注』(1967年(昭和42年))があるが[58]、これは漱石の造詣が深かったの用語などに関しては注釈がないなどの不備があるとされている(『週刊読書人』勝又浩)。またそれに先立ち、1946年(昭和21年)、娘婿の松岡讓が『漱石の漢詩』[注 17]を出版している。2008年平成20年)に作家の古井由吉により『漱石の漢詩』[59]が発表された[注 18]。禅の観点から注釈されたものとしては飯田利行『新訳 漱石詩集』[60]がある。ほかに和田利男『漱石の漢詩』[61]がある。2016年1月25日に二松学舎大学が、漱石直筆の漢詩文屏風を古書店から購入したと発表した。屏風は2枚折り1対、1枚が縦1m62、横80cm。内容は『禅林句集』から春夏秋冬の場面が選ばれていた[62]

遺品

早稲田南町の漱石山房は第二次世界大戦中に空襲で焼失したが、小宮豊隆が館長を務めた縁で蔵書・日記等の自筆資料の大半が東北大学付属図書館に移動されており焼失を免れている。東北大学では「夏目漱石ライブラリ」として研究者へ公開している。近年では原稿用紙の劣化が進んでいるため、2019年にはデジタルアーカイブとして保存する資金をクラウドファンディングで調達した[63]

神奈川近代文学館では遺族から提供された書画や落款印の画像を「Web版夏目漱石デジタル文学館」として公開している。

日本国外での評価

日本での絶大な名声に比較すると、欧米での知名度はそれほど高いとは言えないものの、英語圏では主要な作品のいくつかが訳されており、一定の評価を得ている。

  • 1960年代に、英国人アラン・ターニーによる『草枕』の英訳 "The Three Cornered World" が刊行された。これはカナダのピアニストのグレン・グールドが愛読するところとなり、晩年に、自らラジオ番組で一部分を朗読したことがある[64]
  • アメリカ合衆国の批評家のスーザン・ソンタグは、「死後の生 マシャード・デ・アシス」(『書くこと、ロラン・バルトについて』所収)の中で漱石について、「ヨーロッパ中心の世界文学観が端に押しやってしまったもうひとりの多才な天才、夏目漱石」と評している。
  • イギリスの批評家で、2005年に『倫敦塔』の翻訳 "The Tower of London" を刊行したダミアン・フラナガンは、漱石をシェイクスピアゲーテなどに並ぶ世界的な文豪であると評価したうえで、イギリスなど欧米ではほとんど漱石が認知されておらず、その理由として、川端康成三島由紀夫のような「日本らしさ」が漱石には感知されないためではないかとしている。しかしフラナガンによれば、漱石は単に「日本文学」を代表するのみならず、人間や心の普遍性を探求した世界文学であり、現在はそのように認知されていないが、シェイクスピアが世界的な評価を得るに至ったのは、レッシングやゲーテなどドイツ・ロマン派によるところが大きいことを引用しながら賞賛している[65]
  • アメリカの比較文学者ジェイ・ルービン(Jay Rubin)の英訳 "Sanshiro A Novel"トロント大学出版局)に添付された自身執筆の評論 "SANSHIRO AND SOSEKI: A Critical Essay" は『三四郎』論として包括的で優れている。漱石全集の本文を厳密に引用・英訳するルビンの姿勢には、漱石が世界文学の仲間入りをしていることを如実に感じさせる。ルビンは他にも『坑夫』などを英訳している。

中国台湾韓国ではよく知られており、多くの作品が中国語韓国語に訳されている。中国語圏では周作人により紹介されて以来、多くの読書人に愛されてきた。韓国でも古くから漱石作品が親しまれてきたが、1990年代以降特に人気が高まり、「漱石ブーム」と言われるほどになった。

作品における差別表現問題

『坑夫』における「芋中の穢多」(芋の中で最下等のもの、の意)との表現が問題視され、角川書店はこの語を伏字にしたが、巻末の注で「特殊部落の人々への蔑称」と記述したためにかえって問題となり、1981年初めに部落解放同盟から糾弾された[66]。このくだりは、『夏目漱石全集4』(ちくま文庫)でも「芋中のヽヽ」と伏字になっている。

その他、1994年3月には『坊っちゃん』における「小使」(学校用務員)の語がNHK-FM放送の朗読の時間に問題となり、「それだから中学校の小使なんぞをしてるんだ」などの文章をそのまま読み上げたうえで、朗読終了後にアナウンサーが弁解したことがある[67]。しかし、1994年4月からの『吾輩は猫である』では「めくら」「びっこ」などの表現が問題となり、これらの語は飛ばして朗読された[67]

また、漱石は1913年から1914年にかけて、播州坂越の岩崎太郎次と名乗る者から缶入りの茶を贈られ、富士登山の絵に賛をしてくれ、赤穂義士に関する俳句を書いてくれとねだられたが断ったことがある[68]。すると岩崎は「書かないなら茶を返せ」としつこく要求を繰り返した[68]。漱石は岩崎の言動にあきれて「何(ど)うも穢多か猶太人でもなけりや、こんな鄙嗇(けち)なことは云はなかろう」と疑い、播州近くの男に岩崎の地元を調べさせた。すると「坂越と云ふは播州でも素封家の揃つて居る所ださうだ」との回答であった[69][70]

現在は、作者が故人でありかつ文学作品であることから、これらが差別用語であることを認めたうえで、そのまま掲載されていることが多い。このような取り扱いは他の故人の作家でも同様であることが多い[注 19]。なお漱石には「穢多寺(えたでら)へ嫁ぐ憐れや年の暮」の句もある[71]

有名イラストレーターの起用

1980年代に、角川文庫が漱石の一連の作品の表紙絵に当時流行のイラストレーター漫画家わたせせいぞうを起用している。

集英社文庫では、2007年から、販促活動である「夏の一冊 ナツイチフェア」において、人気漫画家が不朽の名作とされる作品の表紙イラストを書き下ろす企画が話題を集め、平成の世の若者が作品に触れるきっかけとなった[72]。この企画において、2008年には『DEATH NOTE』などの作画を担当した小畑健が『こころ』の表紙絵に起用された[72]。また、2011年には東村アキコが『坊っちゃん』の表紙絵を[73]藤崎竜が『夢十夜草枕』の表紙絵を描いている[74][73]

月が綺麗ですね

漱石が英語教師をしていたときに、“I love you.”を「我君を愛す」と生徒が訳したので、漱石は「月が綺麗ですね」とロマンチックに訳せと教えた、という逸話がある。 ただし漱石の著作や記録にはそのような話は残されておらず、また漱石や彼に近しい人からそれを聞いたという文献・記録も存在しない[75]

また似たような話は1970年代末にも存在し、そちらでは「月がとっても青いなあ」[76]・「月がとっても青いから[77]と訳したとされている[78] 。 典拠が不明で[79]、1970年代頃から言われ始めた逸話であることから、これは後世の者による創作で、今は都市伝説となったとしている[75]


注釈

  1. ^ 原武哲『喪章を着けた千円札の漱石―伝記と考証』(笠間書院 2003年 ISBN 978-4305702548)によれば9月19日と推測している。
  2. ^ 当時は学校のあった地名をとって一ツ橋中学ないし一ツ橋尋常中学とも呼ばれた。
  3. ^ 現在の成立学園とは無関係。
  4. ^ スコットランド出身のジェームズ・マードックにかわいがられ、教室以外でも先生の家に招かれて教えられ、「マードックさんは僕の先生だ。……英国人もあんな人許(ばかり)だと結構だが」と野間真綱宛ての書簡に書いたり、マードックの『日本史』に推薦文を書いたりしている(平川祐弘『漱石の師マードック先生』講談社学術文庫 1884年)。
  5. ^ 狩野宛書簡に「洋行中に英国人は馬鹿だと感じて帰つて来た。日本人が英国人を真似ろ\/と云ふのは何を真似ろと云ふのか今以て分からない」と書いている。
  6. ^ 夏目伸六の『父・漱石とその周辺』によれば次のよう。

    ふと眼を開けた父の最期の言葉は、

    「何か喰いたい」
     という、この期に及んで未だに満し得ぬ食欲への切実な願望だったのである。で、早速、医者の計いで一匙の葡萄酒が与えられることになったが、
    「うまい」

     父は最後の望みをこの一匙の葡萄酒のなかに味わって、又静かに眼を閉じたのである。

  7. ^ 彼は其所で疱瘡をした。大きくなつて聞くと、種痘が元で、本疱瘡を誘ひ出したのだといふ話であつた。彼は暗い簾子のうちで転げ廻つた。身の肉を所嫌はず掻きむしつて泣き叫んだ。〉「道草」(39)
  8. ^ 茂木健一郎所蔵。『アナザースカイ』(日本テレビ) 2009年7月3日放映分にて披露。100万円で購入したそうである。
  9. ^ 『硝子戸の中』に関連する記述あり。
  10. ^ 松岡陽子マックレインの息子(米国籍)は、息子(つまり漱石の玄孫)のミドルネームに Soseki と命名した。
  11. ^ 菊池寛との親交が深かったことで、「父・夏目漱石」(文藝春秋社)を発表した。
  12. ^ 門下生が集まれば必ず牛鍋を囲む。羊羹、お汁粉、ケーキなど甘いものが好きで、特にお気に入りは自家製アイスクリームだった。胃弱のためには大量の鶏肉を使ったスープを飲んでいたという。なぜか鳥類のもらい物も多かった。シャモ、カモ、山鳥、キジなどで、知人宅での雁の料理に舌鼓を打ったこともあったらしい(河内一郎『漱石、ジャムを舐める』新潮文庫
  13. ^ 「吾輩は-」には1か月に8缶も舐めたとの記述がある。
  14. ^ 医師の松本健次郎は「漱石非精神病説」を主張している。漱石の精神病説の根拠は熊本の五高を辞職する時に出された神経衰弱の診断書と、妻、夏目鏡子の回想記『漱石の思ひ出』などに描かれた漱石の言動の記述や、同書で東大精神科の呉秀三が、漱石を診断し、鏡子に漱石が病気であると告げたという記述があることであるが、辞職のために、五高に提出した診断書も書いた呉は、漱石が親しい菅虎雄の親友であり、また夏目家の家庭医、尼子四郎とも親しかった。当時、実家に戻っていた、鏡子を、尼子を通した依頼で呉が説得した言葉が、鏡子のなかで漱石が精神病者であるという記憶に変わっていったのではないかと主張している。『漱石の思ひ出』の記述を引用しただけの漱石の病跡学は学問的でないと主張している。『漱石の精神界』松本 健次郎 (著) 金剛出版 (1981/01) ISBN 4772401377
  15. ^ 山下浩初校ゲラを通してみた小宮豊隆の『夏目漱石』を参照。
  16. ^ これより前に漱石が使用した例としては「同時にスコット一派の浪漫派を生まんがために存在した時期である。」(『野分』11章、1907年1月)が最も早い。また翌年の講演『創作家の態度』では「浪漫派」「浪漫主義」の語句が多く用いられている。
  17. ^ 初版は十字屋書店。昭和41年(1966年)に、朝日新聞社で新装再刊。
  18. ^ たとえば押韻の問題について全く踏まえていないなどの問題があるとされる[要出典]
  19. ^ 夏目漱石他著の小説文庫版の巻末参照

出典

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夏目漱石と同じ種類の言葉


固有名詞の分類

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