慰安婦問題前史とは? わかりやすく解説

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慰安婦問題前史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 09:12 UTC 版)

慰安婦の年表」の記事における「慰安婦問題前史」の解説

1910年8月29日 大日本帝国による韓国併合以降太平洋戦争終戦まで、非正規兵を含む日本軍日本国民/日本人表記には旧大韓帝国人民含まれる可能性があることに留意が必要である。 1932年長崎県女性騙して上海慰安所に連れて行った日本人斡旋業者が、婦女誘拐海外移送罪で逮捕される1937年有罪判決)。 1938年中央公論3月号に石川達三が「生きている兵隊」を発表第9章に「日本軍人の為に南京市内二個所慰安所開かれた」と記載された。「彼等壮健なしかも無聊に苦し肉体欲情慰めのである」という表現伏字とされた。第10章にも「大阪神戸附近から八十六人商売女駆り集め」とあるが当時伏字とされた 1939年1月大同案内記』(日本国観光局出版中国大同市在住日本職業婦人調査表には、内地人は芸妓59名・酌婦48名・女給81名、朝鮮人芸妓1名・酌婦63名の記載 1月China Returns Good for Evil」、『China at War1月号に掲載中国捕虜収容所リポート捕虜中に30人朝鮮人がおり、そのうち6人は慰安婦(camp followers)で「北支様々な地域日本人に捕えられ、仕事強いられた」と報じるアグネス・スメドレー「The Sources of Sadism in the China War」、『The China Weekly Review3月18日号に掲載。「蘇州において日本軍はめったに強姦をせず、娼婦利用するようになっている」という同誌の記事反論し、「占領した地域で、日本軍殺人をしていない時には、女狩りをしていた」、日本傀儡若い女監禁し日本軍提供しているので「日本軍利用しているのは娼婦だけではない」、「皇軍慰安所Comfort House of the Imperial Army)にいる女の多く囚われたもの」だと主張3月4日 ソウル在住の元看守・河允明とその妻が少女誘拐し大陸売却していたことが発覚し逮捕される被害者7年間で約150人。(河允明事件3月9日東亜日報』に「誘引事件多端 遊郭業者娼妓地方転売」との見出し。河允明に売られ少女警察追及恐れ業者によって転売されており、一人山東省慰安所に来たところを救出されたと報じる4月CHINA FORUM中華論壇週刊)』4月15日号が、日本軍江西省南昌市占領し避難しなかった市民2000人を虐殺し多く若い女慰安婦(army prostitutes)になることを強いた」と報じる。 『中央公論8月号に邑楽慎一戦場で逢った女たち掲載 1942年6月 茅盾『劫後拾遺』(學藝出版社中国刊行42頁に「日本人多麼精明,他們平時每到一個碼頭,妓女自己帶去的。現在是戰時,要花姑娘自然徵用。何况他們又有隨軍娼妓」というセリフ。のち「香港陥落」として邦訳1963年)。 1944年6月27日 日本政府閣議資料朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正の件」(内務大臣発、総理大臣宛)作成朝鮮半島において「未婚女子徴用必至にして、中には此等慰安婦となすが如き荒唐無稽な流言巷間伝わり」、このためもあって労働力調達がますます困難になるという予測を示す。 1944年11月JAPCOMFORT GIRLS’」、『CBI Roundup』(11月30日付)に掲載。「拉孟の玉砕戦」で捕虜になった慰安婦(comfort girls)についてのリポート。「朝鮮平陽出身」、「に来た日本人政治将校たちが、シンガポール後方休養キャンプ運営慰安病院の手伝い仕事と言って募集に来た」、「4人ともどうしてもお金ほしかったので応募した」、「1500もらった」、「船がシンガポール通り過ぎラングーン行き列車乗せられ時に運命悟った」などと報じる12月 イェン・シャオパン「"WELCOME BACK TO CHINA!" A Prelude to the Reopening of the Burma Road」、『China at War12月号に掲載連合軍によるビルマ・ロード開通までのリポートビルマのサドンで発見され20人の広東人慰安婦(army prostitutes)について記す。「5年前広東侵略された際に慰安婦にされ、香港上海タイ、ミットキーナへと連れられて来た」、「ミットキーナからバーモ転戦する途中朝鮮人慰安婦25とともに離脱した」という。 1945年ワン・ツンパオ「Japanese Army Prostitutes」、『China at War2月号に掲載。「拉孟の玉砕戦」で捕虜になった11人の日本人慰安婦(comforting girl)についてのリポート。「ほとんどは九州出身」、「日本政府売春強制されるまでは、女給看護婦女中だった」などと記述鎮康県大寨地下壕見つかった晴れ着姿の慰安婦7人の死体について「日本軍殺した」と断じる6月タイム6月11日号がビルマ英軍捕虜になった日本人看護婦と「短髪軍服姿でライフル担いだ日本人慰安婦("comfort" girls)」について報じる6月タイム6月18日号が沖縄米軍海兵隊捕虜になった朝鮮人慰安婦("tea-house" girls)10人の写真掲載。「親によって仲介業者売られた」と記す。 9月2日 日本連合国降伏 12月 『コリアーズ』12月8日号にカリカチュア画家サム・バーマン(Sam Berman)による朝鮮人慰安婦の絵が掲載される慰安婦(comfort women)は「兵士慰安のため日本軍とともに旅することを強いられた女」と記す。 1946年5月12日 韓国紙ソウル新聞』に「倭軍慰安連行されていた女性 中国にいる同胞有志らが収容保護」と見出し。「娘たち女子挺身隊または慰安部隊という美名のもとに、日本はもちろん、遠く中国南洋などに強制的にあるいはだまして送り出した事実」と記す。 ハーレット・アベンド『Reconquest, Its Results and Responsibilities刊行慰安婦は「擦り切れたような日本人娼婦と、だまされた朝鮮人少女と、日本軍満洲シナ都市陥落した後に必ず起こった暴行殺戮生き残りとがつくるキャラバン」だと記述1947年田村泰次郎朝鮮人慰安婦テーマとした『春婦伝』を書く。あらすじ多少変え1950年に『暁の脱走』として映画化1948年ライフ3月号に国民党側の捕虜になった中国共産党軍慰安婦(comfort girls)13人の写真掲載される 1949年藤井重夫永遠哀號」、『文藝讀物8月号に掲載。拉孟の朝鮮人慰安婦が、自分は“国防婦人会監督に当たる兵務部”に騙され慰安婦になった、と語る場面がある。12月刊行の『サロン臨時増刊号 大日本帝國始末記』に再録1950年辻政信が『十五対一 ビルマ死闘』(酣灯社)に慰安婦(p.57)として「天草娘・朝鮮娘」(p.77)を記載 1952年日中戦争に従軍した伊藤桂一戦記小説『夏の』をサンデー毎日別冊発表朝鮮人慰安婦十数人のいる慰安所表現された。第4回千葉亀雄賞、サンデー毎日大衆文芸入選派遣宣伝班の一員であった今日出海が『悲劇将軍』(文芸春秋社)を刊行マニラ市長ギント氏に「・・女の配給を軍がしているのは困りものですね」と皮肉を言われた話や軍司令官が女を囲っている話。「醜業婦下駄履き御用船から降り舗装道路乱れた列を作って慰安所配給される光景は、日本人の私が見ていて恥ずかし思いしたものである」 1953年2月27日 参院本会議社会党藤原道子議員が「米軍暴行事件は、昨年12月までの独立後8ヵ月間におき1878件を数えた」と指摘 5月 富田邦彦編『戦場慰安婦』(富士書房刊行味坂ミワ子(仮名の手とされる6月 田村吉雄『秘録大東亜戦史』(全12巻富士書苑)刊行開始。「向いあって、四、五人の朝鮮出身慰安婦しゃがみ込んでいた。はじめ慰安婦たちは、我々に泊ってゆけとしつこくすすめたのである。『お金なんかどうでもいいんだよ。淋しいから泊っていきなさい』『タダでもいいよ、朝まで遊んでいきなさい』私の前にいた二十歳にもなるまい思われる娘はとうとうそんなにまで言った」(ビルマ篇、373頁)などと記す。 9月日本資本主義講座』(全10巻岩波書店刊行開始第1巻260頁に「太平洋戦争後期には、あせった日本帝国主義者は徴用の手続きすらとらず、警察方面委員の手朝鮮々から青壮年トラック狩り出して日本本土へ送り出していた」、「戦争末期には男は軍需工場炭坑基地建設突貫工事などの激し奴隷労働に、老幼婦女炭坑にあるいは慰安婦にかり出され遠くマリアナニューギニアまで配置されて、戦争被害日本人以上に悲惨であった」と記載五島勉編『続・日本貞操』(蒼社)刊行在日米軍基地に働く日本人女性朝鮮戦地慰安婦として輸送機などで送られたと記載1985年に『黒い春 米軍パンパン女たち戦後』(倒語社)として再刊され2004年の『性暴力問題資料集成6巻』(不二出版)にも掲載された。 1954年パトリシア・バーラム共著Operation Nightmare刊行朝鮮戦争従軍取材記。バーラムインタビューした18歳北朝鮮軍慰安婦(communist "comfort girls")「パク・インサク軍曹」は、テニスシューズ・縞柄靴下・青いスカート・カーキ色のチュニックという姿で、赤い肩章をつけていた。「婦人陸軍部隊員(wac)と呼ばないで。私は人民軍メンバーよ」、「戦争終わったらすぐに結婚したい」と語る。 1955年広辞苑初版刊行される。【慰安婦】とは「もと戦地部隊随行将兵慰安した女」と記載。 『特集文芸春秋 日本陸海軍総決算』に重村実「日本戦場慰安婦要員と言う名の部隊掲載 1956年1月 東準『日本にいる朝鮮の子ども 在日朝鮮人民族教育』(春秋社刊行戦時中徴用された朝鮮人について「男だけかぎらず、わかい娘もおなじようにつれだされて、砲弾工場雑役仕事まわされた。ひどいばあいは、戦地慰安婦としておくりこまれた」(49頁)と記す。 『特集人物往来6月号に北一夫「戦場駆け慰安婦部隊掲載 ジョン・ハワード・デニー『Chindit Indiscretion』刊行日本軍捕虜として慰安婦 (comfort girl) と関係を持った経験を記す。 毎日新聞記者陸軍報道班員松村喬『落日マニラ刊行1944年マニラ、フロデンティノ・トレス街でひっそりと運営する軍隊慰安所」を発見したという。 1957年田中貴美子『女の防波堤』(第二書房)が出版 麻生徹男博多情報誌『うわさ』9月号に「戦線女人考」を発表。(続編74年2月号に) 1958年5月 長谷川伸生きている小説』(光文社刊行三竈島慰安所軍医が「悪い仲介人があって売り飛ばされた」処女を見つけ、将兵が金を出し合って借金返してやり、故郷に帰らせた逸話と、原住民宅で強盗暴行した水兵が捕えられ、佐世保で罰せられたという事件を記す。 10月 磯村英一『性の社会病理 日本売春にみるもの』(講談社刊行195頁に「現に太平洋戦争中に、現地において多数女性が“慰安婦”という名で“出征”を強要され、また国内にあって戦地に行く徴用工達の“激励”の道具として女性利用され吉原などで通用する割引遊興券”が発行されていた」という記述11月 京都大学文学部国史研究室編『日本近代史辞典』(東洋経済新報社刊行。【売春】の項に「第2次大戦中売春婦は女子挺身隊として奉公させられ売春婦の『軍に協力する国家公務公用人としての公募売春非人間性を極限達せしめた」(501頁)と記載中野清見が『ある日本人』(平凡社)の第2部に「朝鮮から連れてこられた慰安婦呼ばれる人たち…」(p.308)、「慰安所朝鮮女たち…」(p.349-350)を記載 1960年別冊週刊サンケイ8月号に寺川実「新京慰安所繁盛ソ連進駐活躍した大和撫子たち」掲載 1961年小林大治郎・村瀬明『みんなは知らない国家売春命令』(雄山閣出版刊行特殊慰安施設協会概要記述。 ジョン・アシュミード『The Mountain and the Feather刊行米国海軍情報将校日本語翻訳官だった著者自伝的小説マニラ慰安所経営していた早坂某への聞き取り場面を含む。 1962年8月14日 韓国紙京郷新聞』に「挺身隊として連行され南洋中国各所日本人将校慰安婦役割をしていた韓国処女」と記載 大橋薫都市問題回顧社会・文化観点から―」が『都市問題研究10月号に掲載される。「(売春婦の)ほとんどは貧困な家庭出身で、人身売買的な前借制度によってやとわれ実質は、半どれい的な籠の鳥で、苛酷な労働条件のもとで榨取をほしいままにされた。第2期戦時体制下でも、こうした状態が続いたが、同時に売春婦慰安婦として戦地徴用された。しかし、やがて第2次大戦突入するとともに売春婦一部残して大部分工場その他に動員され残され一部産業戦士慰安などにあてられた」と記載白鳥隆寿『シッタン河に沈む ビルマ敗走記』(私家版刊行 元慰安婦城田すず子、『愛と肉の告白』(桜桃社)を刊行 尾崎士郎1943年の『戦影日記』の改訂版戦記バタアン半島』(圭文館)刊行内容日本風邸宅軍政部長宅で接待数名呼んで宴会1963年4月中国現代文学選集 第8巻』(平凡社刊行茅盾香港陥落」の中で「従軍慰安婦」という言葉初出:「日本人ってやつはなかなかぬかりがないからな。やつらは平時港につくたびに、商売女自分連れて行ってるんだ。今は戦時だから女が必要ならむろん徴用するさ。ましてやつらには従軍慰安婦までいるんだぜ」 7月 高見順『いやな感じ』(文藝春秋新社刊行最終回慰安所列をなす日本兵の姿が描かれる8月14日 宋建鍋(ソン・ゴンホ)「光復前夜日帝の発悪」、韓国紙京郷新聞』に掲載。「挺身隊俗に処女供出とも言った年頃乙女たち戦場連行し慰安婦にした」「どれほど多く韓国乙女連行されその後うなったのか、知る人はいない」と記載。 『週刊朝日8月23日号の応募手記「私の八月十五日」で吉田東司(吉田清治)が佳作当選慰安婦には触れず朝鮮人労務者調達経験を記す。 9月23日日本読書新聞』に「ドキュメント 朝鮮人連載開始翌年11月23日まで。 1964年3月 岡村昭彦日本人記者のみた平和線」、韓国紙東亜日報』に全三回で連載。“漁船の船長”の発言として「大東亜戦争の時、韓国人18歳から20歳までの乙女たちは、挺身隊という名目連行され結局は全て軍隊娼婦にされてしまったんですよ」と記す 6月 寺尾五郎ほか編『日・朝中三国人民連帯の歴史理論』(日本朝鮮研究所刊行。「日本帝国主義者は、売春制度一番底辺の部分朝鮮婦人大量に投げみました」、「(“慰安婦部隊”の)八割までが、強制的に連れ出され狩り出され朝鮮婦人でした」、「慰安婦部隊は、『皇軍』の敗戦退却のさいに、南方絶海の孤島置き去りにされたのはまだよいほうで、ひとまとめにして殺してしまったことも多々あります」、「日本の男で、兵隊にいった経験ある男で、このことを否定できる人間一人でもあったらお目にかかりましょう」などと記載1965年2月17日 殉国先烈遺族会会長が「日本答えよ」と題した記事韓国紙京郷新聞』に寄稿。「(日本は)未婚女性挺身隊との名目拉致動員し慰安婦にした」と記す。 5月31日 朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』未來社刊行67頁に「戦時中朝鮮女性慰安婦として多数戦線動員されているが…」、169頁に「うら若い同胞女性多数女子挺身隊』、『戦線慰問隊』などの名目でひっぱられ、『慰安婦』として戦争遂行犠牲にされた」、「全体の数は数万上る思われる」と根拠不明記載6月22日 日韓基本条約両国調印 6月30日 寺尾五郎朝鮮問題入門』(新日本出版社刊行慰安婦について日・朝中三国人民連帯の歴史理論』と同じ記載142頁)。ただし慰安婦の「八割」ではなく「すべてが強制的に連れ出され狩り出され朝鮮人」だったと記す。 6月30日ドキュメント 朝鮮人 日本現代史暗い影』(日本読書新聞出版部刊行190頁に「日本にはいま世界中各国七十何カ国かの人間がいるそうですが、(略)挺身隊慰安婦意味することばだ)なんかでひっぱられて来たものもいるし」と記載9月 塩田庄兵衛「“奪われた”ひとびと戦時下朝鮮人」『朝日ジャーナル』に掲載朝鮮半島において、『女子挺身隊』、『戦線慰問隊』などの名目動員されたおそらく数万人の女子が『慰安婦』として戦線同伴された」と『朝鮮人強制連行の記録』ドキュメント 朝鮮人』などに依拠して記述1966年昭和史の瞬間〈上〉』に収録1971年英訳10月 島田俊彦関東軍』(中公新書刊行。「原善四郎参謀が(略)飛行機朝鮮に出かけ、約一万予定は二)の朝鮮女性をかき集めて北満の広野送り施設特設して“営業”させた」(176頁)と記述10月 玉順(パク・オクスン)『わが星はいずこの空に 白人混血児洋公主の手記』(王子出版社韓国ベストセラーに。同年映画化1966年邦訳11月 近代戦研究会編『女の戦記1 女の兵器 ある朝鮮人慰安婦の手記』(浪速書房刊行 11月20日 自民党荒舩清十郎代議士が「朝鮮慰安婦142000死んでいる。日本軍人がやり殺してしまったのだ」と放言。のち「マクドゥーガル報告書」の典拠になる。 1966年4月 玉順『わが星はいずこに 青い目韓国女性の手記』(講談社刊行 5月 朝日ジャーナル編集部編『昭和史の瞬間〈上〉』(朝日新聞社刊行1974年再刊韓国合同通信社の英文年鑑Korea Annual 1966』刊行。「数千朝鮮人乙女徴用され、“Women's Service Corps”・“Women's Consolation Corps”として日本人少女とともに売春させられた」という記載朴慶植 (1965) が典拠か。 1967年文定昌『軍国日本朝鮮強占三六年史・下』(文堂)刊行。「1933年ごろからは花柳界朝鮮人日本人女性たち慰安婦という名称で満州から北支方面出動させたが、その数は世間では200,000と言われ41年ごろからは良家乙女たち奪って女子挺身隊という名で、どこかへと連行し始めた」と記す。(「慰安婦20万人説」初出ジョージ・フィッチ『My Eighty Years in China刊行。「日本軍置き去りにした700人の朝鮮人キャンプ・フォロワー」「多く意志反して不幸な生活に入ることを強いられ」と記述合同通信社『Korea Annual 1967刊行前年と同じ記載1968年2月 家永三郎太平洋戦争初版)』(岩波書店刊行。「朝鮮娘たち多数慰安婦として前線にかり出された」(44頁)などと朴慶植 (1965) に依拠して記述。のち英訳さる(1978年)。 4月26日 衆院社会労働委員会慰安婦への戦傷病者戦没者遺族等援護法適用議論される 11月 長尾和郎『関東軍軍隊日記』(経済往来社)刊行島田俊彦関東軍176頁の記述を引く。 1969年金廷漢『修羅道』、韓国の『月刊文学8月号で発表日本統治下の朝鮮で赤紙徴用された女子挺身隊慰安婦にされるという設定主人公カヤ夫人小間使いオギ挺身隊徴用されそうになる第6回韓国文学賞受賞 伊藤桂一ドキュメント兵隊たちの陸軍史』刊行。「戦場と性」の章に慰安所光景解説され「慰安婦多くは、欺(だま)されて連れて来られのである。」と記載。 [先頭へ戻る]

※この「慰安婦問題前史」の解説は、「慰安婦の年表」の解説の一部です。
「慰安婦問題前史」を含む「慰安婦の年表」の記事については、「慰安婦の年表」の概要を参照ください。

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