河允明事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 03:45 UTC 版)
「朝鮮南部連続少女誘拐事件」の記事における「河允明事件」の解説
1939年3月4日、全羅南道光州府(現光州広域市)から連れて来られた少女(当時18歳)は、身の危険を感じて犯人宅から逃亡した。犯人は「自分の姪がいなくなった」と東大門警察署に捜索願を届け出たが、不審に思った署員から問い詰められ、7年間に渉る誘拐・人身売買を自白し、逮捕された。犯人は京畿道京城府本町(現大韓民国ソウル特別市中区忠武路)在住の朝鮮人夫妻で、夫の河允明(ハ・ユンミョン)は大田刑務所の元看守であった。1932年(昭和7年)に、夫は大田刑務所を退職したが、転職の当てがなかったため、とたんに生活が苦しくなった。そして「金儲けは娘誘拐に限る」とし、妻と共謀して連続少女誘拐と人身売買を手がけるようになった。最初の事件は、以下のような手口で行われたという。慶尚北道大邱府南山町(現大邱広域市中区南山洞)の民家に犯人夫妻が訪れ、「俺は京城でも相当な資産家だ。子守娘を雇うのだが、君の娘はどうだろうか。京城の娘はどうも生意気で・・・」と言葉巧みに親を説得し、前金として10円を支払い、その家の娘(当時18歳)を引き取った。その後、娘を京城ではなく中華民国の天津に連れて行き、1000円で売り飛ばしたという。河允明夫婦はその後の7年間、朝鮮の農地でいい仕事があるとして朝鮮半島南部の貧農の少女約150人を拐かし、当時は日本人と朝鮮人などの植民地の人間はパスポートなしで渡航できた満州国や中華民国の人身売買市場に連れて行き、700円 - 1000円で売却していた。累計約60000円を稼いだといわれる。また京城(現在のソウル)の遊郭には約50人の女性を売却し、警察が捜査を開始すると、それらの女性を牡丹江や山東省に転売したことが発覚した。同年3月9日の東亜日報は18歳の女性が山東省の畓鏡慰安所に転売されたことを報じた。3月15日の東亜日報では「誘拐した百余の処女」「貞操を強制蹂躙」との見出しと共に「処女」たちが河夫妻に多数誘拐されたと報道された。東亜日報は同年3月29日に社説で「誘引魔の跋扈」を掲載、このような悪質な業者が朝鮮で跋扈していることを批判した。雑誌「朝光」(朝鮮日報社刊)1939年5月号も河允明誘拐事件について「色魔誘拐魔 河允明」と題して、処女の貞操が蹂躙されたと報じている。
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