こくぼう‐ふじんかい〔コクバウフジンクワイ〕【国防婦人会】
国防婦人会
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国防婦人会(こくぼうふじんかい、旧字体:國防婦󠄁人會)は、1932年から1942年まで存在した日本の婦人団体。略称は「国婦」。割烹着と会の名を墨書した白タスキを会服として活動。出征兵士の見送りや慰問袋の作成など、銃後活動を行った。
注釈
- ^ このとき、「大阪国防婦人会」は「大日本国防婦人会関西本部」に再編されている。
出典
- ^ a b c d 『日本文化団体年鑑昭和十四年版』. 財団法人日本文化中央連盟. (1939-07-15). p. 674-680
- ^ a b “『全地婦連50年のあゆみ』” (PDF). 全国地域婦人団体連絡協議会. p. 13 (2003年2月17日). 2018年1月5日閲覧。
- ^ 『かっぽう着の銃後』28ページ
- ^ 1 『近代日本婦人教育史』第12章 三大婦人団体の鼎立
- ^ 『戦争を生きた女たち』43ページ
- ^ 藤井忠俊 『国防婦人会』196-199ページ
- ^ 大阪国防婦人会の発起人、安田せいは井上夫妻の媒酌人であった
- ^ 藤井忠俊 『国防婦人会』53ページ
- ^ 大阪国防婦人会が改称(『戦争を生きた女たち』年表 235ページ)
- ^ 『かっぽう着の銃後』年表277頁
- ^ 藤井忠俊 『国防婦人会』 115-118ページ
- ^ 『かっぽう着の銃後』60-65ページ
- ^ 『かっぽう着の銃後』76-89ページ
- ^ 『戦争を生きた女たち』第1章、第2章
- ^ 『戦争を生きた女たち』
- ^ http://www.ogef.jp/foundation/cts04.html
- ^ 藤井忠俊『国防婦人会』40ページ、43ページ
- ^ a b 加納実紀代 "白の軍団「国防婦人会」-女たちの草の根ファシズム"、『女たちの戦争責任』3-17ページ
- ^ 『かっぽう着の銃後』260ページ。
- ^ 藤井忠俊 『国防婦人会』39ページ
- ^ http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/12783428.html
- ^ “銃後の女性たち〜戦争にのめり込んだ“普通の人々”〜”. NHK (2021年8月14日). 2021年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月5日閲覧。
- 1 国防婦人会とは
- 2 国防婦人会の概要
- 3 関連人物
- 4 関連項目
- 5 外部リンク
国防婦人会
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「ごちそうさん (2013年のテレビドラマ)」の記事における「国防婦人会」の解説
甲田 みね(こうだ みね) 演 - 小牧芽美 西門家とは近所付き合いで、祝言の時に台所を貸したり、め以子と共に国防婦人会に参加している。終戦後、夫を亡くしたため疎開先にそのまま引っ越す旨を語る。 伸世(のぶよ) 演 - 那々實あぐり 房子(ふさこ) 演 - 宮川サキ 時子(ときこ) 演 - 川合麻子 松島(まつしま) 演 - 徳田尚美 大日本国防婦人会副会長。名前は「松島正子」。め以子を訪ねて雑誌での座談会参加の依頼をするが、め以子が闇購入で家宅捜索を受けて数日後に断りの連絡を入れる。後に雑誌「婦人通信」にて「ミナミのごちそうさん」と自称し、め以子の話を自らの実経験と偽って掲載していることが発覚すると共に、彼女がめ以子を通報したことが判明する。
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「国防婦人会」の例文・使い方・用例・文例
- 国防婦人会という婦人団体
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