国防大臣就任と更迭
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「ルドルフ・シャーピング」の記事における「国防大臣就任と更迭」の解説
1998年の連邦議会選挙で、首相候補シュレーダーが率いるSPDが現職のコール首相率いるCDUに勝利し、16年ぶりの政権交代が実現する。シャーピングはシュレーダー政権の国防大臣に指名され、1998年10月27日に就任。就任早々コソボ紛争が激化し、ドイツは戦後初めて戦争に参加し、ドイツ連邦軍の航空機がユーゴスラビアに対する攻撃に参加した。シャーピングは参戦を正当化するために、コソボではユーゴスラビア当局によりアルバニア人に対する組織的迫害が行われていると主張したが、シャーピングの主張する強制収容所の有無や武力行使を認める国連決議の欠如、そして戦争そのものの是非をめぐり、憲法違反や国際法無視であるとして激しい批判にさらされた。彼はまたドイツ連邦軍のIT化計画を進めたが、その費用などをめぐり批判された。 2002年、ドイツ連邦軍が内戦寸前のマケドニア共和国での平和維持活動参加を直前に控えている時に、シャーピングが恋人(のち夫人)とマヨルカ島で休暇を楽しんでいる姿がカメラマンに撮られてゴシップ誌に掲載されてしまった。さらにロビイストからの献金と癒着疑惑が追い打ちをかけ、国防相としてのシャーピングの権威は失墜した。2002年の連邦議会選挙を目前に控えて苦戦が予想されていたシュレーダーは、7月18日にシャーピングを更迭した。2003年にはSPD副党首を退任。その次の2005年9月の連邦議会選挙にシャーピングは出馬せず、政界を離れた。 シャーピングは自分の名を冠した経営コンサルタント会社を経営するほか、2006年にはアメリカのロースクールに国際政治の教授として招かれた。サーベラス・キャピタル・マネジメント顧問。
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