慰安婦問題の取り組み方への批判
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「松井やより」の記事における「慰安婦問題の取り組み方への批判」の解説
フリージャーナリストの舘雅子は、1992年8月にソウルのYMCA会館で開かれた『アジア連帯会議』(当時は「挺身隊問題アジア連帯会議」)は、週刊新潮に松井やよりと福島瑞穂が仕切っていたと述べている。産経新聞(以下、東京版をもとに記述する)は、2014年5月25日複数の記者による企画シリーズ記事上において、舘の証言のみに基づいて、同会議の会場で迷った舘がドアの開いていた部屋に入ったところ、チマ・チョゴリを着た元慰安婦と思われる女性たちが活動家とみられる日本人女性や韓国人女性の言葉を「オウム返し」に繰り返していた、「元慰安婦に(シナリオ通りに)言わせるのは大変なのよね」と日本からの参加者が話すのを耳にした、会議の席上では、事前に日本人と韓国人のスタッフから指導された通りに、自身の悲劇的な体験と語り、日本政府を非難した、インド在住のタイ人女性が「日本軍さえたたけばいいのか。インドに来た英国兵はもっと悪いことをしたのに」と異論を述べると、日本語の怒声が響いて発言を抑えられ、台湾人の元慰安婦が自分たちは韓国の女性と違って、優しくて従順なので日本の兵隊さんにかわいがってもらった、韓国側が要求するような個人補償を求めない考えを表明するとヤジが飛び、声を荒らげて怒る人がいたと特集した。舘雅子は、産経新聞では台湾女性やタイ人女性の発言を封じ込めた人物を高橋喜久江としていたが、後に同会議を特集した週刊新潮では今度はそれを福島瑞穂と松井やよりだったと変えている。。 これに対し、「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動」と「第12回アジア連帯会議実行委員会」は、8月6日付で以下の通りの訂正と取消の要求書を産経新聞社に送付した。①3面写真に「平成4年8月、ソウル市内で開かれた「挺身隊問題アジア連帯会議」で舞台に立つ元慰安婦女性ら(館雅子氏提供)」とのキャプションがつけられているが、この写真はバックに「問われる戦後補償 韓国遺族会 第一回口頭弁論」という文字が見え、「韓国太平洋戦争犠牲者遺族会」訴訟の第一回口頭弁論後の報告集会の写真ではないか、②「慰安婦」被害者は全員普段着で参加しており、チマ・チョゴリを着て参加した人は一人もおらず、必要であれば写真を提示することもできる、③1面記事は、日本からは「日本軍『慰安婦』問題行動ネットワーク」が参加としているが、当時このような名称の団体は存在していない(注:ただし、「従軍慰安婦慰安婦問題行動ネットワーク」が参加していたので、舘の単なる記憶違いと考えられ、実行委員会側もこれについては委員会側の関連ネットページ冒頭にある通り単に初歩的間違いとして、産経に訂正または取消を要求しているように思われる。)、④当日、タイ在住のタイ人女性が1名参加しているがインド在住のタイ人女性が参加した事実はなく、引用のような発言もなく、日本語の怒鳴り声が会場に響いた事実もない、⑤台湾の報告者は「台湾『慰安婦』に関する初の報告書」とのタイトルで報告し、その内容は「これらの女性のほとんどが物質的補償を望んでいる。しかし、補償を望んでいるとはいえ、期待してはいない。もしも、日本政府が韓国の「慰安婦」に補償するなら、台湾の女性たちも補償されなければならない」「何人かは必ずしも物質的補償を受けなければならないとは思っていないが、彼女たちの健康状態が苦しくなれば、特別な支援を受けなければならなくなるだろう。彼女たちが物質的な補償を望む理由は、まず健康上の理由、遺族のため、または現在の窮乏生活のためである」「そのうち2名は特に台湾政府が日本政府から補償を受け取るために支援することを望んでいる」というもので、記事とは全く逆の内容である。結局1ヶ月後、産経新聞は写真と写真説明を取り消し、団体名を直す訂正記事を掲載したが、その他の点については、舘の主張の信憑性が疑われているにもかかわらず、他の参加者に確認することもなく、"改めて取材先である館雅子氏に確認したが、館氏自身が経験として述べておられる内容であって、事実であると認識している、従って訂正する事情はない”として、産経は訂正しなかった。なお、舘雅子は、1992年当時、婦人有権者同盟の機関誌1992年11月号に同会議の報告を書いているが、そこでは産経に書いたような事実は報告しておらず、むしろ会議について肯定的に書いていた。 朝日新聞の元論説委員でジャカルタ支局長も務めた長岡昇は、自身が代表を務めるNPO法人「ブナの森」のメールマガジン「小白川通信」で、慰安婦報道に関わっていた松井やよりについて、彼女が退社後に軍政時代のインドネシアの取材のために現地を訪ねてきた時に情報や資料を用意したが、それらを見ずに彼女は自分の意見と主張を繰り返すだけであったと主張し、長岡は彼女を新聞記者ではなく活動家だと述べている。そして「こういう人が朝日新聞の看板記者の一人だったのか」「イデオロギーに囚われて、新聞記者としての職業倫理を踏み外した人たち。そういう人たちが慰安婦問題の虚報と混乱をもたらしたのだ、と私は考えています」と批判している。 元毎日新聞記者でジャーナリストの徳岡孝夫は、「故松井やより記者は、従軍慰安婦の強制連行は事実であり、元凶は昭和天皇だと信じて疑わなかった。朝日は彼女に好きなように書かせ、社の説とした」と述べている。
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