慰安婦問題の取り組み方への批判とは? わかりやすく解説

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慰安婦問題の取り組み方への批判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 15:51 UTC 版)

松井やより」の記事における「慰安婦問題の取り組み方への批判」の解説

フリージャーナリストの舘雅子は、1992年8月ソウルYMCA会館開かれたアジア連帯会議』(当時は「挺身隊問題アジア連帯会議」)は、週刊新潮松井やより福島瑞穂仕切っていたと述べている。産経新聞(以下、東京版をもとに記述する)は、2014年5月25日複数記者による企画シリーズ記事上において、舘の証言のみに基づいて、同会議会場迷った舘がドア開いていた部屋入ったところ、チマ・チョゴリ着た元慰安婦思われる女性たち活動家とみられる日本人女性韓国人女性言葉を「オウム返し」に繰り返していた、「元慰安婦に(シナリオ通りに)言わせるのは大変なのよね」と日本からの参加者が話すのを耳にした、会議席上では、事前に日本人韓国人スタッフから指導され通りに、自身悲劇的な体験語り日本政府非難したインド在住タイ人女性が「日本軍さえたたけばいいのか。インドに来た英国兵はもっと悪いことをしたのに」と異論述べると、日本語怒声響いて発言抑えられ台湾人元慰安婦自分たちは韓国女性違って優しくて従順なので日本兵隊さんかわいがってもらった韓国側要求するような個人補償求めない考え表明するヤジ飛び、声を荒らげて怒る人がいたと特集した。舘雅子は、産経新聞では台湾女性タイ人女性発言封じ込め人物高橋喜久江としていたが、後に同会議特集した週刊新潮では今度はそれを福島瑞穂松井やよりだったと変えている。。 これに対し、「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動」と「第12回アジア連帯会議実行委員会」は、8月6日付で以下の通り訂正取消要求書産経新聞社送付した①3写真に「平成4年8月ソウル市内で開かれた挺身隊問題アジア連帯会議」で舞台に立つ元慰安婦女性ら(館雅子氏提供)」とのキャプションつけられているが、この写真バックに「問われる戦後補償 韓国遺族第一回口頭弁論」という文字見え、「韓国太平洋戦争犠牲者遺族会訴訟第一回口頭弁論後の報告集会写真ではないか、②「慰安婦被害者全員普段着参加しており、チマ・チョゴリ着て参加した人は一人もおらず、必要であれば写真提示するともできる③1記事は、日本からは「日本軍慰安婦問題行動ネットワーク」が参加としているが、当時このような名称の団体存在していない(注:ただし、「従軍慰安婦慰安婦問題行動ネットワーク」が参加していたので、舘の単なる記憶違い考えられ実行委員会側もこれについては委員会側の関連ネットページ冒頭にある通り単に初歩的間違いとして、産経訂正または取消要求しているように思われる。)、④当日タイ在住タイ人女性が1名参加しているがインド在住タイ人女性参加した事実はなく、引用のような発言もなく、日本語怒鳴り声会場響いた事実もない、⑤台湾報告者は「台湾慰安婦に関する初の報告書」とのタイトル報告しその内容は「これらの女性のほとんどが物質的補償望んでいる。しかし、補償望んでいるとはいえ期待してはいない。もしも、日本政府韓国の「慰安婦」に補償するなら、台湾の女性たちも補償されなければならない」「何人かは必ずしも物質的補償を受けなければならないとは思っていないが、彼女たち健康状態苦しくなれば、特別な支援を受けなければならなくなるだろう。彼女たち物質的な補償を望む理由は、まず健康上の理由遺族のため、または現在の窮乏生活のためである」「そのうち2名は特に台湾政府日本政府から補償受け取るために支援することを望んでいる」というもので、記事とは全く逆の内容である。結局1ヶ月後、産経新聞写真写真説明取り消し団体名直す訂正記事掲載したが、その他の点については、舘の主張信憑性疑われているにもかかわらず、他の参加者確認するともなく、"改め取材先である館雅子氏に確認したが、館氏自身経験として述べておられる内容であって事実であると認識している、従って訂正する事情はない”として、産経訂正しなかった。なお、舘雅子は、1992年当時婦人有権者同盟機関誌1992年11月号に同会議報告書いているが、そこでは産経書いたような事実報告しておらず、むしろ会議について肯定的に書いていた。 朝日新聞の元論説委員ジャカルタ支局長も務めた長岡昇は、自身が代表を務めNPO法人ブナ」のメールマガジン小白川通信」で、慰安婦報道に関わっていた松井やよりについて、彼女が退社後に軍政時代インドネシア取材のために現地訪ねてきた時に情報資料用意したが、それらを見ずに彼女は自分意見主張繰り返すだけであった主張し長岡は彼女を新聞記者ではなく活動家だと述べている。そして「こういう人が朝日新聞看板記者一人だったのか」「イデオロギー囚われて新聞記者として職業倫理踏み外した人たち。そういう人たちが慰安婦問題虚報混乱もたらしたのだ、と私は考えています」と批判している。 元毎日新聞記者ジャーナリスト徳岡孝夫は、「故松井やより記者は、従軍慰安婦強制連行事実であり、元凶昭和天皇だと信じて疑わなかった。朝日は彼女に好きなように書かせ、社の説とした」と述べている。

※この「慰安婦問題の取り組み方への批判」の解説は、「松井やより」の解説の一部です。
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