仏教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 03:56 UTC 版)
宗派
釈迦以後、インド本国では大別して部派仏教、大乗仏教、密教が時代の変遷と共に起こった。
部派仏教
アビダルマ仏教とも呼ばれる。釈迦や直弟子の伝統的な教義を守る保守派仏教。仏滅後100年頃に戒律の解釈などから、上座部と大衆部に分裂(根本分裂)、さらにインド各地域に分散していた出家修行者の集団らは、それぞれに釈迦の教えの内容を整理・解析するようになる。そこでまとめられたものを論蔵(アビダルマ)といい、それぞれの論蔵を持つ学派が最終的におおよそ20になったとされ、これらを総称して部派仏教という。このうち現在まで存続するのは、上座部(分別説部、保守派、長老派)のみである。
上座部仏教
上座部仏教では、人は自らに頼り、自ら修行をして真理(法)に目覚め、「悟り」を得る。最終的には「あらゆるものごとは、我(アートマン)ではない」(無我)「我(アートマン)を見つけ出すことはできない」と覚り、全ての欲や執着を捨てることによって、苦の束縛から解放されること(=解脱)を求めることである。一般にこの境地を『涅槃』と呼ぶ。
上座部仏教では、釈迦を仏陀と尊崇し、その教え(法)を理解し、自分自身が四念住、止観などの実践修行によって、さとりを得、煩悩を除き、輪廻の苦から解脱して、涅槃の境地に入ることを目標とする。神頼みによって解脱するといった考えは、戒禁取見として否定される。
大乗仏教
部派仏教では、出家であれ在家であれ、自ら修行する者しか救済を得ることができない。大乗仏教は、人は他者により済度されることが可能であるとする教義を持つ。インド北部において部派仏教から派生したと考えられ、ヒマラヤを越えて中央アジア、中国へ伝わったことから北伝仏教ともいう。おおよそ初期・中期・後期に大別され[90]、中観派、唯識派、浄土教、禅宗、天台宗などとそれぞれに派生して教えを変遷させていった。新興勢力である大乗仏教は、部派仏教を自分だけの救いを求めていると見なし、小乗(ヒーナヤーナ、劣った乗り物)と蔑称で呼んだ[注釈 6]。
大乗仏教では、一般に数々の輪廻の中で、徳(波羅蜜)を積み、阿羅漢ではなく、仏陀となることが究極的な目標とされるが、 自身の涅槃を追求するにとどまらず、苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)への救済に対する誓いを立てること(=誓願)を目的とする立場もあり、その目的は、ある特定のものにまとめることはできない。さらに、道元のいう「自未得度先度佗(じみとくどせんどた)」(『正法眼蔵』)など、自身はすでに涅槃の境地へ入る段階に達していながら仏にならず、苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)への慈悲から輪廻の中に留まり、衆生への救済に取り組む面も強調・奨励される。
密教
後期大乗仏教とも。インド本国では4世紀より国教として定められたヒンドゥー教が徐々に勢力を拡張していく。その中で部派仏教は6世紀頃にインドからは消滅し、7世紀に入って大乗仏教も徐々にヒンドゥー教に吸収されてゆき、ヒンドゥー教の一派であるタントラ教の教義を取り入れて密教となった。すなわち密教とは仏教のヒンドゥー化である。
中期密教期に至り、密教の修行は、口に呪文(真言、マントラ)を唱え、手に印契(いんげい)を結び、心に大日如来を思う三密という独特のスタイルをとった。曼荼羅はその世界観を表したものである。教義、儀礼は秘密で門外漢には伝えない特徴を持つ。秘密の教えであるので、密教と呼ばれた。
「秘密の教え」という意味の表現が用いられる理由としては、顕教が全ての信者に開かれているのに対して、灌頂の儀式を受けた者以外には示してはならないとされた点で「秘密の教え」だともされ、また、言語では表現できない仏の悟り、それ自体を伝えるもので、凡夫の理解を超えているという点で「秘密の教え」だからだとも言う[91]。
密教は、中国を経て日本にももたらされ、真言宗が形成されたほか、天台宗も密教を取り入れた。一方、8世紀にチベットに伝えられた密教はチベット仏教の根幹となった。
注釈
- ^ 例えばユダヤ教はタルムードが日本語に全訳されていないなどの不備を持つが、仏教ではそのようなことはなく、仏典のほぼすべてが日本語訳されており研究点数も多い。
- ^ 原始仏典『サンユッタ・ニカーヤー』第1巻では、弟子が釈迦にむかって「君、ゴータマさんよ」と気さくに呼びかけるのが定型句となっており、釈迦の神格化は見られない (植木2019[16]p.59)。
原始仏典『スッタニパータ』第927偈で、釈迦は迷信を否定し、呪法や夢占い、手相や顔相など相の占い、星占い、鳥や動物の声による占い、呪術的な懐妊術や医術を信奉することを仏教徒に禁じた(植木2019[16]p.88)。
また歴史に実在した釈迦は徹底した平等主義者であり、原始仏典『スッタニパータ』第608偈-第611偈は人間は本質的に平等であると説く(植木2019[16]pp.143-144)。
釈迦は女性や在家信者も弟子として出家信者と同等に扱い、教えを説いた。原始仏典『テーリー・ガーター』に出てくるアノーパマーという在家の女性は、釈迦の教えを聞いて阿羅漢の一つ手前のステージ「不還果」まで到った (植木2019[16]p.149)。
植木雅俊『仏教、本当の教え』[17]第1章でも、同様の考証が展開されている。 - ^ 武田宏道, 「無我の論証 ―『倶舎論』破我品の研究―」 龍谷大学 学位論文 乙第53号, 2007年, hdl:10519/102 参照。仏教は実体的な我(アートマン, आतमन्)を論理的に否定する。それは、「常住であるなら、変化しない。それゆえに人が行為をしても、それの変化は認められないから、行為が無意味となってしまう」という理由である。これは後に大乗仏教の龍樹による『根本中頌』(中論)の第24章にも概ね伝承された考え方である。五蘊を離れて「我」が存在しない理由は以下の通りである。まず、目の見えない人には、目の見える人が見るようには、外界の対象が見えない。それは、目という感覚器官の働きが有るか、無いかの違いによる。普通は認識することはできないが、目という感覚器官が存在するであろう、ということが推理によって知られる訳である。しかし「我」にはそのようなことはない。ゆえに「我」は存在しない。
- ^ これについて、日本の仏教各宗派に対してアンケート調査が行われたことがあり、結果は存在を認める宗派、肯定も否定もしない宗派、否定する宗派の割合がそれぞれ同程度で、見解が全く相違した。
- ^ 経典『中部』(マッジマ・ニカーヤ)第63経「小マールンキャ経」(Cūḷa-Māluṅkyaputta Sutta)によって、仏教は霊魂の有無を形而上学説としてみなし、これを扱わなかった(無記)とする説もあるが、ここで問題にされているのは、「身体と命の同異」と「生死を乗り越えたもの(如来)の死後」であって、霊魂の有無ではない。
- ^ 「小乗」という呼び名は大乗仏教からの一方的な蔑称であること、また大乗勃興当時のその批判対象は説一切有部が中心であったことが知られてきたため、南伝仏教の実際が知られてきた近年ではむやみに使用されることはなくなってきている。大乗経典群が指している「小乗」の語は当時の部派仏教を指したものであって、大乗仏教が北伝を開始した時点でその蔑視の対象はすでに滅んでいた。したがって存続中の何らかの宗派・学派に対して小乗の語を当てるのは誤用であり、蔑称であるためカテゴライズとしても適切な言葉ではない。
出典
- ^ a b c d e “仏教とは”. コトバンク. 2022年10月16日閲覧。
- ^ “仏教とは |”. 全日本仏教会. 2022年10月16日閲覧。
- ^ "Buddhism". (2009). In Encyclopædia Britannica. Retrieved 26 November 2009, from Encyclopædia Britannica Online Library Edition.
- ^ Lopez (2001), p. 239.
- ^ Pew Research Center (2012a).
- ^ “Christianity 2015: Religious Diversity and Personal”, International Bulletin of Missionary Research 39 (1): 28–29, (January 2015), doi:10.1177/239693931503900108, オリジナルの25 May 2017時点におけるアーカイブ。 Gordon-Conwell Theological Seminaryより2015年5月29日閲覧。
- ^ a b “仏教徒とは?人口が多い国はどこ?仏教徒になる方法についても紹介”. イキカタ. 2023年1月12日閲覧。
- ^ a b 丸山勇『ブッダの旅』岩波書店〈岩波新書〉、2007年4月20日、189-192頁。ISBN 978-4004310723。
- ^ a b c Harvey 2013, pp. 244–245.
- ^ a b アルボムッレ・スマナサーラ『無我の見方』サンガ、2012年、Kindle版、位置No.全1930中 807 / 42%。ISBN 978-4905425069。
- ^ a b 中村元・訳『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』岩波文庫、1980年 ISBN 978-4003332511
- ^ a b 中村元訳『ブッダのことば スッタニパータ』 (岩波文庫、1984/5/16)
- ^ 『長阿含経』巻四(遊行経)「是故比丘、無為放逸、我以不放逸故、自致正覚、無量衆善、亦由不放逸得。一切万物無常存者。此是如来末後所説。」
- ^ 法顕訳『大般涅槃経』巻下「汝等當知、一切諸行皆悉無常。我今雖是金剛之體、亦復不免無常所遷、生死之中極爲可畏。汝等宜應勤行精進、速求離此生死火坑。此則是我最後教也。我般涅槃、其時已至。」
- ^ 中村元選集[決定版]第12巻『ゴータマ・ブッダⅡ』春秋社、1992年
- ^ a b c d e 植木雅俊『今を生きるための仏教100話』平凡社新書、2019年 ISBN 978-4582859270
- ^ 植木雅俊『仏教、本当の教え』中公新書、2011年
- ^ a b 並川孝儀「初期韻文経典にみる修行に関する説示 : 三十七道品と三界」(小野田俊蔵教授 本庄良文教授古稀記念号)佛教大学仏教学会紀要 28 1-21, 2023-03-25
- ^ パーリ仏典, ダンマパダ 11 Jarāvaggo, Sri Lanka Tripitaka Project
- ^ a b アルボムッレ・スマナサーラ『無我の見方』サンガ、2012年、Kindle版、位置No.全1930中 946 / 49%。ISBN 978-4905425069。
- ^ a b c アルボムッレ・スマナサーラ『無我の見方 (「私」から自由になる生き方)』サンガ、2012年、Kindle版、位置No.全1930中 893 / 46%。ISBN 978-4905425069。
- ^ アルボムッレ・スマナサーラ『無我の見方』サンガ、2012年、Kindle版、位置No.全1930中 567 / 29%。ISBN 978-4905425069。
- ^ ウ・ウェープッラ、戸田忠=訳註『アビダンマッタサンガハ [新装版]』、中山書房仏書林、p.234
- ^ a b c 中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、1183頁。
- ^ 総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、997-999頁。
- ^ パーリ仏典 無記相応,アーナンダ経
- ^ Buswell, Robert E. JR; Gimello, Robert M. (editors) (1994), Paths to Liberation. The Marga and its Transformations in Buddhist Thought, Delhi: Motilal Banarsidass Publishers, pp. 1-36
- ^ Harvey 2013, pp. 23, 81.
- ^ Keown 1996, pp. 24, 59.
- ^ Gethin 1998, pp. 81–83.
- ^ Anderson 2013, pp. 64–65.
- ^ Harvey 2016, pp. 253–255.
- ^ Bhikkhu Bodhi 2010, pp. 1–13.
- ^ Williams, Tribe & Wynne 2012, p. 52.
- ^ a b c d e f Vetter 1988, pp. 12–13.
- ^ a b c Harvey 2013, pp. 83–85.
- ^ Bhikkhu Bodhi 2010, pp. 47–48.
- ^ Vetter 1988, p. 12.
- ^ Harvey 2013, pp. 83, 273–274.
- ^ Martine Batchelor (2014). The Spirit of the Buddha. Yale University Press. p. 59. ISBN 978-0-300-17500-4; Quote: These five trades, O monks, should not be taken up by a lay follower: trading with weapons, trading in living beings, trading in meat, trading in intoxicants, trading in poison."
- ^ Harvey 2013, p. 83.
- ^ Roderick Bucknell; Chris Kang (2013). The Meditative Way: Readings in the Theory and Practice of Buddhist Meditation. Routledge. pp. 12–13. ISBN 978-1-136-80408-3
- ^ Nattier 2003, pp. 137–138, 142–146.
- ^ 「菩薩」 - 大辞林 第三版、三省堂。
- ^ Bucknell, Rod, "The Buddhist Path to Liberation: An Analysis of the Listing of Stages", The Journal of the International Association of Buddhist Studies Volume 7, Number 2, 1984
- ^ a b Harvey 2013, p. 249.
- ^ Shults 2014, p. 108.
- ^ ターナヴットー ビック「ニカーヤにおける八聖道と三学系統の修行道」『インド哲学仏教学研究』第4巻、1996年、3-15頁、NAID 120006908941。
- ^ a b Harvey 2013, pp. 83–84.
- ^ a b Paul Williams (2005). Buddhism: Critical Concepts in Religious Studies. Routledge. p. 398. ISBN 978-0-415-33226-2
- ^ McFarlane 2001, pp. 187–193.
- ^ Gowans 2013, p. 440.
- ^ “Ethics in Indian and Tibetan Buddhism”. The Stanford Encyclopedia of Philosophy. Metaphysics Research Lab, Stanford University (2017年). 2010年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月閲覧。
- ^ Bodhi Bhikkhu (1997). Great Disciples of the Buddha: Their Lives, Their Works, Their Legacy. Wisdom Publications. p. 387 with footnote 12. ISBN 978-0-86171-128-4
- ^ McFarlane 2001, p. 187.
- ^ McFarlane 2001, pp. 187–191.
- ^ Getz 2004, p. 673.
- ^ a b Anālayo (2003). "Satipaṭṭhāna: The Direct Path to Realization," p. 71. Windhorse Publications.
- ^ Anālayo (2003). "Satipaṭṭhāna: The Direct Path to Realization," p. 225. Windhorse Publications.
- ^ Webster, David (2004). "The Philosophy of Desire in the Buddhist Pali Canon," p. 124. Routledge.
- ^ Rhys Davids & Stede (1921–1925), p. 377, "Nekkhamma".
- ^ Harvey (1998), p. 199.
- ^ Analayo (2018) "Satipatthana Meditation, A Practice Guide," chapter 1. Windhorse Publications.
- ^ a b Boin-Webb, Sara. (English trans. from Walpola Rāhula's French trans. of the Sanskrit; 2001) "Abhidharmasamuccaya: The Compendium of the Higher Teaching (Philosophy) by Asaṅga", p. 9, Asian Humanities Press.
- ^ Sharf, Robert (2014). “Mindfulness and Mindlessness in Early Chan”. Philosophy East and West (Project Muse) 64 (4): 933–964. doi:10.1353/pew.2014.0074. ISSN 1529-1898.
- ^ Kuan (2007), p. 50.
- ^ Vetter, Tilmann (1988), "The Ideas and Meditative Practices of Early Buddhism," p. 5. BRILL.
- ^ Williams (2000), pp. 45–46.
- ^ Gombrich 1988, p. 109.
- ^ 三枝充悳「インド仏教史の時代区分とブッダ観の展開」『東洋学術研究』117号
- ^ a b c 馬場紀寿『初期仏教――ブッダの思想をたどる』〈岩波新書〉2018年、55-59頁。ISBN 978-4004317357。
- ^ 佐々木閑『別冊NHK100分de名著 集中講義 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した』(NHK出版)
- ^ 馬場紀寿 『初期仏教』〈岩波新書〉、岩波書店、2018年、44頁。
- ^ 『岩波 仏教辞典 第2版』 岩波書店、2002年、2頁、「阿育王」の項。
- ^ 山極伸之「アショーカ王と仏教教団」『仏教の事典』 末木文美士・下田正弘・堀内伸二編集、朝倉書店、2014年、76頁。
- ^ 平川彰 『インド仏教史 上』 春秋社、新装版2011年、136頁。
- ^ 平川彰 『インド仏教史 上』 春秋社、新装版2011年、123頁。
- ^ 平川彰 『インド仏教史 上』 春秋社、新装版2011年、119頁。
- ^ a b 薗田香融「東アジアにおける仏教の伝来と受容」『関西大学東西学術研究所紀要』第22号、関西大学、1989年、1頁。
- ^ ヒンズー教徒比率、初の80%割れ=国勢調査 - NNA ASIA・インド・社会・事件
- ^ “神戸の歴史ニュース~大昔のこうべにタイムスリップ!~”. 神戸市埋蔵文化財センター. 2021年1月5日閲覧。
- ^ 石井溥 著「特論 ネパールの宗教と社会」、奈良康明、下田正弘 編『新アジア仏教史01 インドI』(Kindle版)佼成出版社、2019年11月15日。
- ^ a b c http://www.pewforum.org/2012/12/18/global-religious-landscape-buddhist/ Global Religious Landscape: Buddhists". Pew Research Center
- ^ Johnson, Todd M.; Grim, Brian J. (2013). https://web.archive.org/web/20131020100448/http://media.johnwiley.com.au/product_data/excerpt/47/04706745/0470674547-196.pdf%E3%80%80 Hoboken, NJ: Wiley-Blackwell. pp. 34–37
- ^ https://books.google.co.jp/books?id=u0sg9LV_rEgC&lpg=PP1&dq=buddhism+introduction&pg=PA5&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false Harvey, Peter (2013). An Introduction to Buddhism: Teachings, History and Practices (2nd ed.). Cambridge, UK: Cambridge University Press. ISBN 9780521676748.
- ^ Harvey, Peter (2013). An Introduction to Buddhism: Teachings, History and Practices (2nd ed.). Cambridge, UK: Cambridge University Press. ISBN 9780521676748.
- ^ Johnson, Todd M.; Grim, Brian J. (2013). Hoboken, NJ: Wiley-Blackwell. pp. 34–37
- ^ Johnson, Todd M.; Grim, Brian J. (2013). Hoboken, NJ: Wiley-Blackwell. pp. 36
- ^ 宮田幸一1-1 世界の宗教人口と将来予測
- ^ 中村元・三枝充悳『バウッダ――仏教』(小学館 1987年、小学館ライブラリー 1996年、講談社学術文庫、2009年12月)
- ^ 『哲学・思想事典』[要文献特定詳細情報]
仏教と同じ種類の言葉
- >> 「仏教」を含む用語の索引
- 仏教のページへのリンク