大乗非仏説とは? わかりやすく解説

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だいじょうひぶっせつ 【大乗非仏説】

大乗仏教経典釈迦直説ではないとする説。すでにインド中国にもあるが、日本では江戸時代富永仲基出定後語』や服部天游『赤』などでこれが主張され明治になり改め論じられたが、経典釈迦滅後編纂であるから直説ではないにしても教理的に否定されるべきものではなく今日この説はあまり用をなさない。→ 出定後語

大乗非仏説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/11 09:48 UTC 版)

大乗非仏説(だいじょうひぶっせつ)は、大乗仏教の経典はゴータマ・シッダッタの直説ではなく[1]、後世に成立したとする説である[2]

概説

「大乗非仏説」は「大乗は仏説に非(あら)ず」と主張する学説である。「大乗非仏説」説、ないし「大乗非釈迦仏説」と呼ぶほうが精確であるが、慣用的に「大乗非仏説」と呼ばれる。

もともとは、仏教内部において部派仏教の側から、大乗仏教とは「経典捏造による謗法」や「仏教教義からの逸脱」であるとして、大乗仏教出現以来、現在に至るまで展開されている説である。近代においては文献学的な考証から、大乗経典の成立時期の問題からして、阿含経典群のみにゴータマ・ブッダ直説の教説が説かれているという立場において展開された説である。

大乗経典は元々の口伝による伝承そのものが存在しないという主張がある。すでに紀元前1世紀頃には、上座部(南方分別説部)が布教されたスリランカにおいてパーリ語経典が貝葉に記録されているが、このスリランカに伝承されたパーリ五部と、シルクロードを経て2世紀半ばから中国で漢訳されはじめた阿含経(漢訳四阿含等)とでは、部派が異なるにもかかわらず教えの内容がほぼ一致している。このともにインド文化圏の周辺域で記録された経典が共通性を持つことに注目し、そして紀元前2世紀~前1世紀にかけてインド仏教聖地で建立された碑文に「五部の精通者」云々の語句が認められることを勘案すれば、大乗仏教運動が起った時点ではすでに諸部派において「釈尊の言い伝え」として承認される経典の範囲が確定していた可能性は高い。

つまり、大乗経典は四部または五部に分類される阿含経典群のどこにも場所を持たなかったと考えられるのである。

大乗非仏説は阿含経典パーリ仏典の優位性の主張と結びつけられることが多かったが、近現代の文献学的研究では原始経典や上座部仏教の教説さえ歴史に実在した釈迦の直説とは認められないとされ(#小乗も非仏説論・真の仏説不明論)、大乗非仏説の主張や論争は現在では下火となっている[1]

古代インドでの大乗非仏説論

経典は、ごく最古の経典を除き、冒頭で「このように私は聞いた」(如是我聞=是くの如く我聞けり)と述べ、ゴータマ・ブッダの説法を聞き写したという体裁をとっており、大乗圏(インドネパールチベットモンゴル中国朝鮮日本ベトナム等)のいずれの伝統教団も、大蔵経 (一切経)として擁する膨大な経典群を、歴史上のゴータマ・シッダッタが八十数年の間に説いたものとして扱っていた。

大乗仏教圏は、経典に使用する言語により、

  • サンスクリット仏典圏(インド・ネパール)
  • 漢訳仏典圏(中国・朝鮮・日本・ベトナム等)
  • チベット語仏典圏(チベット・モンゴル)

の三つに大別されるが、そのうち、

  • インドでは、大乗思想は発生当初より、説一切有部などの部派から批判され、大乗側からは『大乗荘厳経論』「成宗品」のように大乗非仏説に対する反論も展開された。
  • 中国では、仏教の初伝以来、数世紀にわたり断続的に仏典の請来と翻訳が続いたが、作成年代が異なる経典間に大きな相違がある事実から、仏典群の整理分析にあたっては、いずれの経典に釈尊の真意が存在するか、という方向がとられた。中国の内外に大きな影響を与えた説としては、天台大師智顗による五時八教教相判釈があり、歴史上の釈尊の段階的時期に配置し、その中で『法華経』を最高に位置付けた。智顗の説は、日本の天台宗や、日蓮系の諸宗派にも採用されている。
  • チベットでは、8世紀末から9世紀にかけ、国家事業として仏教の導入に取り組み、この時期にインドで行われた仏教の諸潮流のすべてを、短期間で一挙に導入した。仏典の翻訳にあたっても、サンスクリット語を正確に対訳するためのチベット語の語彙や文法の整備を行った上で取り組んだため、ある経典に対する単一の翻訳、諸経典を通じての、同一概念に対する同一の訳語など、チベットの仏教界は、漢訳仏典と比してきわめて整然とした大蔵経を有することができた。そのため、チベット仏教においては、部分的に矛盾する言説を有する経典群を、いかに合理的に、一つの体系とするか、という観点から仏典研究が取り組まれた。

これらインド外の両仏典圏の伝統教団では、経典がゴータマ・ブッダの直説であることは自明の伝統とされ、疑問や否定の対象とはされてこなかった[注釈 1]。しかし、「大乗仏教の仏典は捏造である」という非難は、大乗仏教の成立当初から存在していた。現に、古代インドで成立した大乗仏典の経文の中には、部派仏教側からの「経典を捏造している」という非難の言葉が記されている。

一例を挙げると、鳩摩羅什訳『法華経』勧持品第十三の偈には、『法華経』を受持する大乗仏教の信者は、将来「大乗非仏説」論者から以下のような誹謗中傷を受けるだろう、という予言の言葉を、次のように載せる。

鳩摩羅什訳『法華経』勧持品第十三の偈の一部
原漢文 書き下し文
而作如是言 而(しか)も是(かく)の如き言を作(な)さん
此諸比丘等 「此(こ)の諸〻(もろもろ)の比丘等(びくら)は
為貧利養故 利養を貧るを為(も)っての故に
説外道論議 外道の論議を説き
自作此経典 自(みずか)ら此の経典を作りて
誑惑世間人 世間の人を誑惑(おうわく)す
為求名聞故 名聞(みょうもん)を求むるを為っての故に
分別説是経 分別して是の経を説く」と

『法華経』サンスクリット原文からの該当部分の翻訳は、

「情けないことに、これらの出家者たちは、仏教以外の外道を信ずるもので、自分たちの詩的才能を誇示している。自分で諸々の経典を作って、利得と称賛を求めて、集会の真ん中でそれを説いている」と、私たちを譏るでありましょう。[3]

である。この「『法華経』の信者は将来〝非仏説〟という誹謗中傷を受けるだろう」という予言は、古代インドの『法華経』編纂者自身が体験した〝非仏説〟のそしりを予言の形を借りて記録したものと考える研究者もいる。なお、法華経は経文の中で大乗非仏説を予言しているため、法華経の信奉者は、彼らから見て「増上慢」の人々が「大乗非仏説」を述べることを、むしろ法華経の正しさの証明だととらえる。

中国での大乗非仏説論

4世紀の釈道安は「疑経録」の中で、サンスクリットから翻訳された「真経」と、サンスクリット原典が存在せず中国で「仏説」に擬して撰述された疑いのある「疑経」(疑偽経典)を分けている。

9世紀の仰山慧寂は、『涅槃経』は全文が「仏説」ではなく「魔説」である、と断言して、師である高僧から「今後、きみは誰からも支配されることはないね」と評価された[4]。大乗仏教の中でも、「不立文字」の思想をかかげる禅宗は、文字で書かれた書物を「仏説」とあがめて疑いもなく信じこむ態度を否定してきた。

日本での大乗非仏説論

近世以降の「大乗非仏説」説では、文献学的考証を土台とし、仏教が時代とともにさまざまな思想との格闘と交流を経て思索を深化し、発展してきたことを、「実際存在する/伝わった経典を証拠に、事実として示す」のが特徴である。

日本では、仏教が江戸時代に寺請け制度で権力の一翼を担い堕落していた幕末において、仏教に批判的な思想家等によって展開された。江戸時代には富永仲基が『出定後語』において、経典の全てがゴータマ・ブッダ一代において説かれたのではなく、歴史的進展に伴って興った異なる思想や学説が、それ以前のものの上に付加されていった(異部加上)と主張し、ゴータマ・ブッダの金口直説と思われるものは原始経典(阿含経)の一部であるとした[1][5][注釈 2]。その影響を受けた儒学者の服部天游も、同様の観点から『赤倮倮』で大乗非仏説を唱えた[1][5]

19世紀に仏教が西洋に伝わると、西洋ではアジア人よりも西洋人のほうがブッダをよく把握しているという自負もあって、チベット語仏典や漢訳仏典はまがい物であり上座部経典のパーリ仏典が最勝(その次がサンスクリット仏典)であると理解していた[6]

『大乗非仏説論の終息』
明治時代に於いては大乗非仏論にすらも仏教専門家によって唱導されたものであり、而も其の精神は一種護教的な精神を脱したものではなかった。つまりは、大乗をもって所謂発展仏教とし、小乗即ち原始仏教と相対せしめて、両者を時間的順序に配列せんことを主眼なものとしてなして居たらしく、それの最後はかくして全仏教を一貫する一大精神又は原理を求め、之によって仏教全体を組織統括した一種の組織仏教学を構成するためであった。
宇井伯寿, 『現代佛教』105号(1933年)pp.94-96

明治以降、ヨーロッパの近代的な学問研究方法が日本に取り入れられ、原典研究も盛んになるに従って、改めて大乗非仏説の論が起こり、仏教学者である姉崎正治が『仏教聖典史論』(1899年)や『現身仏と法身仏』(1904年)、『根本佛教』(1910年)を、村上専精が『仏教統一論』(1901~1905年)や『大乗仏説論批判』(1903年)を著している[7]。また、大乗仏教の学僧である前田慧雲が『大乗仏教史論』(1903年)[注釈 3][7]友松円諦が『阿含経』(1921年)を、赤沼智善が『阿含の仏教』(1921年)や『根本仏教の精神』(1923年)を著している。

結果、学界では大乗仏教が前1世紀以降から作成されたものであるとの結論から、大乗非仏説は近代的学問から裏付けられているとされるに至った。文献学研究の結果では、時代区分として、初期仏教(原始仏教)の中の仏典『阿含経典』、特に相応部(サンユッタ・ニカーヤ)などに最初期のゴータマ・ブッダ直説の教えが含まれていることがほぼ定説になっており、少なくとも「大乗仏典を、歴史上の釈尊が説法した」という文献学者はいない。明治30年代に入ると、初期仏教の研究がさらにすすみ、原始仏典・大乗仏典の双方が釈尊の没後に編纂されたことが明らかになった。いずれの立場に立つにせよ、大乗仏典に依っていた日本の各宗派・仏教学界は大乗仏典の意義について見直しを迫られることとなった[8]。1980年には、増谷文雄は、こうした学問的な成果をもって「第2回の仏教の伝来」とした上で「阿含経典こそが根本聖典」と述べている[9]。1994年には、スリランカの僧アルボムッレ・スマナサーラ日本テーラワーダ仏教協会を設立している[10][11]

大乗論師の反論

中観派の開祖とされるナーガールジュナ (龍樹)(150–250年頃)は、その著書において、たびたび「大乗は仏教にあらず」という主張に対する反論を行なっている。「宝行王正論」においては、「大乗は徳の器であり、己の利を顧みず、衆生をわが身のように利する」として大乗の思想を称賛し[12]ゴータマ・ブッダの根本教説を「自利・利他・解脱」とし、六波羅蜜は「利他・自利・解脱」を達成するものであるから仏説であると主張している[13]。また同書において、大乗を誹謗する者に対しては、忠告を行なっている[12]

瑜伽行唯識学派ヴァスバンドゥ (世親)(300-400年頃)も『釈軌論』(チベット大蔵経)で大乗非仏説に反論した[14]

さらに瑜伽行唯識学派スティラマティ(安慧)(470‐550年頃または 510‐570年頃)は『大乗荘厳経論注釈』(チベット大蔵経)で、中観派バーヴィヴェーカ (清弁)は『中観心論』で大乗非仏説に反論した[15]

大乗仏典は、行者たちが瞑想のなかで出会った仏の教えを記したもの、という主張もなされている[16][17]

近現代の研究者による反論

小乗も非仏説論・真の仏説不明論

田村芳朗は昭和44年(1969年)刊行の自著のなかで、当時の仏教研究の進歩をふまえ「原始経典が最古であり、仏説であるという自信はゆらがざるをえない。(中略)大乗仏典が非仏説なら、原始経典もまた非仏説と言わざるをえなくなったのである。おどろくべきことに、(江戸時代に大乗非仏説を主張した)富永仲基や服部天遊がすでにこのことを指摘している。仲基は、阿含経の中にシャカの説に近いものを見いだしうるが、それもわずかに『数章のみ』と断じ、天遊、これをうけて『其の小乗の諸経さへ、多くは後人の手に成りて真説は甚だまれなるべし』と論じている。」(田村1969[18]p.15)と述べた。

中村元は、上座部仏教も大乗仏教も含め、いわゆる仏教は釈迦の直説(じきせつ)ではない、という「仏教非仏説」を主張した。中村によれば、歴史に実在した人物としての釈迦は「仏教というものを説かなかった」。釈迦が説いたのは、「いかなる思想家・宗教家でも歩むべき真実の道」である。ところが後世の経典作者は(中略)仏教という特殊な教えをつくってしまったのである (中村1980[19]p.327)。

中村元が編集に参加している『岩波仏教辞典』(第二版)によれば、大乗仏教の仏典のみならずパーリ経典の大部分もゴータマ・シッダッタの死後数百年にわたり編纂されたものであることが明らかとなっている。最古の経典もゴータマ・シッダッタの死後100年以内の編纂とみなされているため、近代の文献学上は原始経典さえもゴータマ・シッダッタの言説が明確に記録されているか否か明らかでない。そこで、大乗非仏説の主張や論争は現在では下火となっているという[1]

並川孝儀によれば、上座部仏教阿含経典も含めて伝統仏教の教義の大半は「非仏説」であること、つまり歴史に実在した釈迦の死後に段階的に成立したことがわかっている。初期韻文経典を詳細に研究した並川孝儀も「四念処・四正勤・四神足・五根・五力・七覚支・八聖道という、後に三十七道品とも三十七菩提分法(bodhipakkhiyā dhammā)ともいわれる七種の修行法は、古層経典の時代になって説かれ始め、仏教が成立した当初から存在していたものではない。」(並川2023a[20],p.1)と述べる。

1930年、『大正新脩大蔵経』に関わった高楠順次郎も、「初めには文字がない時が四百年間もあった。どうせ説かれた通りであろう筈がない。それに偽作もあってこそ本当の思想も分りまた各時代の思想を見ることが出来る、偽作と偽作でないのとを比較区別するということが研究なので、本当の物だけであると研究も何も要らない。それでありますから一切経はまあたくさんあるだけよい、遅い物も早い物も一緒にあるのがよい」と語っている[21]

パーリ仏典すら歴史的に見れば「仏説」ではないという点について、中村元は三枝充悳との共著『バウッダ―仏教』(1987年)でも「現存の『阿含経』は釈尊の教えを原型どおりに記しているのでは、決してない」[22]つまり阿含経典でさえも釈迦牟尼仏の「金口直説こんくじきせつ」ではないと釘を刺している。

下田正弘によれば、従来、パーリ仏典の内容はどれも漢訳仏典より古いと無条件に信じる「直線的歴史観」が優勢であったけれども、阿含経典を含むパーリ仏典の現存写本の成立は漢訳仏典よりずっと新しいこと(#パーリ仏典#写本の成立年代)、伝承の系譜が不明であるパーリ仏典の近代写本のテクストを根拠として紀元前のゴータマ・ブッダの説法を復元推定するのは学問的方法としておかしいという[23]

真理ならば仏説であるとする立場

井上円了は大乗仏教は釈迦牟尼仏が説いたのではなくとも哲学的に優れているとして大乗仏教を擁護した[6]

日本人で初めてチベットに到達した河口慧海は、釈興然から旅費学費を出すのでチベットではなくセイロンに行って真実の仏教を学ぶことを勧められたが、大乗が「日本国家に必要なりと信ずる」としてチベットに向かった[24]

仏教のリベラル主義解釈

リベラル思想に歴史的必然があるという主張を前提にした論である。仏教思想研究家の植木雅俊は、歴史に実在したゴータマ・シッダッタが説いた「原始仏教」は「平等思想や人間中心主義」であったのに、ゴータマ・シッダッタの死後500年のあいだに〝小乗仏教[注釈 4]に改竄されてしまったため、釈迦仏教への原点回帰を主張する人々が大乗仏典を書いた、とする[25]

植木雅俊は、自著のなかで、さまざまな原始仏典を引用し[注釈 5]、自己の仏教思想研究の立場から、歴史に実在した人物としてのゴータマ・シッダッタをかなりリベラルな人物と見積もった。

 本来の仏教の目指した最低限のことは、①徹底して平等の思想を説いた。②迷信やドグマを徹底的に否定した。③絶対神に対する約束事としての西洋的倫理観と異なり、人間対人間という現実において倫理を説いた。④「自帰依」「法帰依」として自己と法に基づくことを強調した。⑤釈尊自身が「私は人間である」と語っていたように、仏教は決して人間からかけ離れることのない人間主義であった――などの視点である。

 このような視点から、真作でなくても、この基準を維持し守ろうとするものは切り捨てるべきではない。その場合、「真作ではないが、このようなことを主張しなければならなかった歴史的必然性があった」というように但し書きを付けた上で、その文献を評価すべきである。

 真作か偽作かということにこだわって、真作でないと判断したら一顧だにしないというのは、日本に典型的な「だれが書いたかを見て、何が書かれているかを見ようとしない」ということと本質は同じことである。[26]

植木雅俊によると、ゴータマ・シッダッタの死後、部派仏教の時代に最有力となった説一切有部の教団は権威主義化し、自分たち男性出家者の利権を守るため、原始仏典の教えを改竄して、ゴータマ・シッダッタを神格化し、仏弟子から在家と女性を排除するなどの差別を設けた(仏教における女性英語版も参照)。そのため、本来のリベラル仏教に帰ろう、と主張する一派が大乗経典を書いたとされる[27]

小乗仏教のほうこそ非仏説であるという見解は、山口瑞鳳「仏陀の所説とその正統--小乗非仏説論」(『成田山仏教研究所紀要 (26)』, pp.59-103, 2003年)、ひろさちや『釈迦』(春秋社、2011年)pp.381-384、ひろさちや『〈法華経〉の真実』(佼成出版社、2016年)pp.23-30、などでも紹介されている。

ブッダ複数論

そもそも仏教本来の「仏説」観は、近現代の文献学的な「仏説」観とは全く違うものだった、という指摘もある。インド哲学者の中村元は、古代インド人の仏説観は「仏が説いたから真理であるのではなくて、真理であるから仏が説いたはずである」「著者は誰であろうとも、正しいこと、すなわち真理を語ってさえいればよいのである」[28]というものだった、と述べている。

日本語の「仏説」という言葉にはいろいろな意味があるため、「大乗非仏説」という言い方は不適切であり、「大乗非釈迦仏説」と言い換えるべきである、と指摘する専門家もいる。

市販の国語辞典に載せる「仏説」の意味は「仏の教え。また、仏教の所説」[29]である。大乗経典は「仏教の所説」なので、この意味では間違いなく「仏説」である。
また「仏の教え」は「釈尊の直説」と同義語ではない点にも注意すべきである。そもそも「仏」(ほとけ。ブッダ)は釈尊ただ1人を指す固有名詞ではなく、「仏の悟り」を開いた人を指す普通名詞である。原始仏典でも仏(仏陀)の複数形(buddhā)が登場し、仏(仏陀)は釈迦牟尼仏のみを指す固有名詞ではなく普通名詞であった[30]し、日本語でも「仏」は釈迦牟尼仏1人を指す固有名詞ではなく、さまざまな仏や仏像を指す「諸仏」[31]や「十方諸仏」「三世諸仏」などの言い方も存在する。

中村元三枝充悳も、「仏説」の正しい語義をふまえれば、いわゆる「大乗非仏説」はそもそも成り立たない、と指摘し、以下のように述べる。

(前略)仏(ブッダ)はけっして固有名詞ではなく、したがって単数ではない。(中略)大乗経典もそれぞれの仏がそれぞれに教えを説いており、したがって「大乗は仏説」 にほかならず、「大乗非仏説」 は葬られる。この説はすでに江戸時代末期に真言宗豊山派の戒定その他に見える。[32]

中村と三枝も、大乗経典が文献学的に見て歴史上に実在したゴータマ・シッダッタの直説ではないことは認めており、もし歴史上に実在した釈尊を他の諸仏と区別して「釈迦仏」と呼んだうえで「大乗非釈迦仏説」と言い換えるなら万人の納得を得られるだろう、とアドバイスした[33]

幻の仏説論

中村元は「サーリプッタに説いたブッダの教えはいったいどこにいってしまったのか」と述べ[34][要ページ番号]増谷文雄も「ブッダがサーリプッタに説いた宗教的深遠な教えは、阿含部経典よりも多かったに違いない」[35][要ページ番号]として、"ブッダはサーリプッタに対して、深遠な思想を説いたが、その内容は阿含経典には残されていない"という趣旨の主張を行なっている。しかしながら、中村・増谷らの「阿含経典に見られない、宗教的により深遠な教え」をブッダはサーリプッタに対して説いていたはずであるという主張は文献学的に何の根拠もなく、証明不可能である。またこれらの学者はゴータマ・ブッダがサーリプッタに説いた教えが大乗の経典に含まれているとは主張していない。

さらに中村元は、著書の中で最初期の仏教が縁起真如を説いていた[要出典]という独自の説を述べている。[36][要ページ番号]上座部、説一切有部が縁起を時間的生起関係からのみ解釈した[要出典]のに対して、最初期の仏教は縁起を存在論的な観点から説いていた[要出典]のであり、縁起に真如を見るという思想は、一切衆生悉有仏性という大乗の教えそのものである、といった主張もなされている。[注釈 6]

大乗仏説論の類型

仏典翻訳家大竹晋によると、反論は

  • 「直接的大乗仏説論」(大乗経は歴史的ブッダの直説である)
  • 「間接的大乗仏説論」(大乗経は歴史的ブッダの準直説である)
  • 「変則的大乗仏説論」(大乗経はほかのブッダの直説である)
  • 「超越的大乗仏説論」(大乗経は歴史的ブッダの真意である)

に分類できるという一方、大竹はそれらはいずれも成功していないと評している[37]

脚注

注釈

  1. ^ 法相宗徳一真言宗を批判した『真言宗未決文』のように、釈迦牟尼仏を教主としない経典の出自を疑ったケースは存在する。
  2. ^ なお、富永仲基は『出定後語』「教起前後」の章において、「大乗仏教」同様「小乗仏教」に対しても同様の指摘をおこなっているCITEREF渡辺2019
  3. ^ とくに附録「大乗仏教考」。
  4. ^ 「小乗仏教」は南伝仏教とイコールではないことに注意。植木雅俊は自著において、大乗仏教側が「小乗」という貶称で呼んだのは部派仏教の時代に最有力だった説一切有部であったこと、「小乗」と呼ばれた人たちが自分たちをそのような悪い言葉で呼ぶはずはないこと、「スリランカや、東南アジアの仏教の場合は、小乗仏教と呼ぶのは適当ではなく、上座部仏教、あるいは長老仏教と呼ばれている」(植木雅俊『今を生きるための仏教100話』(平凡社新書、2019年)p.172)ことを強調している。
  5. ^ 原始仏典『サンユッタ・ニカーヤー』第1巻では、弟子がゴータマ・ブッダにむかって「君、ゴータマさんよ」と気さくに呼びかけるのが定型句となっており、ゴータマ・ブッダの神格化は見られない (植木雅俊『今を生きるための仏教100話』p.59)。原始仏典『スッタニパータ』第927偈で、ゴータマ・ブッダは迷信を否定し、呪法や夢占い、手相や顔相など相の占い、星占い、鳥や動物の声による占い、呪術的な懐妊術や医術を信奉することを仏教徒に禁じた(植木上掲書p.88)。また歴史に実在したゴータマ・シッダッタは徹底した平等主義者であり、原始仏典『スッタニパータ』第608偈-第611偈は人間は本質的に平等であると説く(植木上掲書pp.143-144)。ゴータマ・シッダッタは女性や在家信者も弟子として教えを説いた。原始仏典『テーリー・ガーター』に出てくるアノーパマーという在家の女性は、ゴータマ・ブッダの教えを聞いて阿羅漢の一つ手前のステージ「不還果」まで到った (植木上掲書pp.149)。植木雅俊『仏教、本当の教え』(中公新書、2011年)第1章でも、同様の考証が展開されている。
  6. ^ もちろん、このことは大乗経典が全て釈迦牟尼仏の直説であるということを意味するものではない。

出典

  1. ^ a b c d e 中村元ほか(編)『岩波仏教辞典』(第二版)岩波書店、2002年10月、666-667頁。 
  2. ^ 大南龍昇, 「大乗経典のゴーストライター」『印度學佛教學研究』 1991年 39巻 2号 p.524-529, 日本印度学仏教学会, doi:10.4259/ibk.39.524, NAID 110002661557
  3. ^ 植木雅俊・訳『サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳』 (角川ソフィア文庫)p.228
  4. ^ 『潭州潙山靈祐禪師語録』「師問仰山。涅槃經四十卷。多少是佛説。多少是魔説。仰山云。總是魔説。師云。已後無人奈子何。」
  5. ^ a b 渡辺 2019, p. 178.
  6. ^ a b 林淳「宗教的知の形成―仏教学を例に―
  7. ^ a b 渡辺 2019, p. 180.
  8. ^ 渡辺 2019, pp. 180–181.
  9. ^ 増谷文雄「仏陀思想の原初を探る〝古くて新しい〟根本仏教」『日本経済新聞』1980年8月5日付、27頁。
  10. ^ 阿含宗とは、どのような教団なのでしょうか | 阿含宗について | 先祖供養の総本山 阿含宗
  11. ^ パーリ聖典の編纂・第一結集 - 日本テーラワーダ仏教協会
  12. ^ a b 『大乗仏典〈14〉龍樹論集』、中公文庫、中央公論新社、2004年、p.308
  13. ^ 『大乗仏典〈14〉龍樹論集』、中公文庫、中央公論新社、2004年、pp.310-311
  14. ^ チベット大蔵経丹殊爾部世親造釈軌論第四章。 山口益大乗非仏説論に対する世親の論破」大谷学報41巻, 3号, p. 61-62, 1962-01
  15. ^ 野澤静証「[ https://otani.repo.nii.ac.jp/records/4237 印度に於ける大乗仏説非仏説論(大乗荘厳経論成立大乗品の研究)]」大谷学報22巻, 3号,p. 45-71, 発行日 1941-11
  16. ^ 仏教説話大系編集委員会編『仏教説話体系 第40巻 仏陀の教え』鈴木出版、119頁
  17. ^ 末木文美士監修『仏教 雑学3分間ビジュアル図解シリーズ』PHP研究所、60頁
  18. ^ 田村芳朗『法華経』中公新書、1969年
  19. ^ 中村元・訳『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』岩波文庫、1980年 ISBN 978-4003332511
  20. ^ 並川 孝儀「初期韻文経典にみる修行に関する説示 : 三十七道品と三界」(小野田俊蔵教授 本庄良文教授古稀記念号)佛教大学仏教学会紀要 28 1-21, 2023-03-25
  21. ^ 高楠順次郎『東洋文化史における仏教の地位 』(青空文庫)
  22. ^ 中村元・三枝充悳『バウッダ[佛教]』(講談社学術文庫、2009年)p.52
  23. ^ 下田正弘 (2002-10). 「『正典概念とインド仏教史』を再考する―直線的歴史観からの解放―」、『印度學佛敎學硏究』. 第68巻 第2号. 日本印度学仏教学会. p. 1043-1035 
  24. ^ 河口慧海 チベット旅行記
  25. ^ 植木雅俊『今を生きるための仏教100話』(平凡社新書、2019年)p.172
  26. ^ 植木雅俊『今を生きるための仏教100話』(平凡社新書、2019年)pp.340-341
  27. ^ 植木雅俊『今を生きるための仏教100話』(平凡社新書、2019年)pp.172-174
  28. ^ 中村元『インド人の思惟方式』pp.188-189
  29. ^ 精選版 日本国語大辞典「仏説」の解説 https://kotobank.jp/word/仏説-619313 閲覧日2022年3月28日
  30. ^ 植木雅俊『今を生きるための仏教100話』(平凡社新書、2019年)p.83
  31. ^ コトバンク https://kotobank.jp/word/諸仏-535101
  32. ^ 中村元・三枝充悳『バウッダ[佛教]』(講談社学術文庫、2009年)p.84
  33. ^ 上掲『バウッダ[佛教]』p.84
  34. ^ 『中村元選集 決定版 13 仏弟子の生涯』(春秋社 1991年10月発行)参照。
  35. ^ 『仏教の思想(1)~智慧と慈悲・仏陀』(角川書店)参照。
  36. ^ 『龍樹』(講談社 2002年6月発行)参照。
  37. ^ 大乗非仏説をこえて|国書刊行会

参考文献

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