梶山雄一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/07/14 21:51 UTC 版)
| 人物情報 | |
|---|---|
| 生誕 | 1925年1月2日 |
| 死没 | 2004年3月29日(79歳没) |
| 出身校 | 京都帝国大学 |
| 学問 | |
| 研究分野 | 仏教学 |
| 研究機関 | 京都大学、佛教大学、創価大学国際仏教学高等研究所 |
| 学位 | 文学博士 |
経歴
- 出生から修学期
1925年、静岡県静岡市で生まれた。静岡県立静岡中学校を経て、1942年に旧制静岡高校に入学。戦時の措置により高校課程は2年半に短縮され、1944年5月以降は勤労動員された。この頃、浄土真宗の篤信者の強い感化を受けて、親鸞に傾倒。1944年9月に静岡高校を卒業。
1944年10月、京都大学文学部哲学科に入学。しかしながら、戦局の悪化に伴い、1945年1月より終戦時まで学業を中断して兵役につき、陸軍特別幹部候補生として習志野で訓練を受けた。終戦後復学し、宗教学第三講座で仏教学を専攻し、久松真一や長尾雅人の指導を受けた。1948年、親鸞の思想に関する卒業論文「報身の哲学」を提出して同大学を卒業した。
1948年から京都大学大学院特別研究生。サンスクリット、チベット語を学習し、大乗仏教の原典研究に従事。中観派の空の思想、特に陳那の論理学を採り入れて「空」を論理的に解明した清弁の思想についての研究を進めた。
- 仏教学者として
京都大学人文科学研究所嘱託に採用され、塚本善隆を主班とする初期中国仏教研究会のメムバーとして慧遠・僧肇らの著作に関する研究に従事した。1953年4月から3年間、インド・ビハール州立ナーランダ・パーリ研究所に研修員兼講師として派遣され、研究留学。派遣の経緯は、ナーランダ・パーリ研究所の所長・カシャプ師より塚本善隆のもとへ大乗仏教研究者推薦依頼があり、長尾雅人と相談の上で決定されたものであった。1955年3月、それまでカルカッタ大学教授であったサトカーリ・ムケルジー教授(Mookerjee Satkari)が第2代所長としてナーランダ・パーリ研究所に赴任。同教授の指導の下で研究することによって、ダルマキールティ及び彼以後の認識論・論理学を中心とする大乗仏教哲学を研究してゆく上での素地が作られた[1]。
帰国後、京都大学文学部助教授に就任。後に教授昇格。同僚には大地原豊、服部正明、柳田聖山らがいた。1971年、学位論文『ナーガールジュナの哲学』を京都大学に提出して文学博士号を取得[2]。京都大学を退職後は佛教大学教授をつとめ、同大学に総合研究所を設立し所長となった。1997年からは創価大学国際仏教学高等研究所教授。この他にも、ウィスコンシン大学[3]やハーヴァード大学神学部など海外の諸大学で客員教授を務めた。
受賞・栄典
研究内容・業績
専門は仏教学。大乗仏典における「空」思想研究の第一人者で、ダルマキールティを中心とした仏教論理学、中観研究、浄土思想研究にも多大な功績がある[5]。その思索は、没後『梶山雄一著作集』(春秋社、全8巻)としてまとめられた。
- 指導学生
主な門下生には、下記がいる。
著作
- ※は電子書籍も刊
- 『般若経 空の世界』中公新書 1976/新版 中公文庫 2002
- 文庫新版 講談社学術文庫 2022 ※
- 『「さとり」と「廻向」 大乗仏教の成立』講談社現代新書 1983
- 『仏教における存在と知識』紀伊國屋書店 1983、新装版 2011
- 『空入門』春秋社 1992、新装版 2003
- 改題新版『スタディーズ 空』 2018
- 『空の思想 仏教における言葉と沈黙』人文書院 1983
- 『菩薩ということ』人文書院 1984
- 『輪廻の思想』人文書院 1989
- 文庫新版 講談社学術文庫 2025 ※
著作集
訳・注解
- 『大乗仏典 世界の名著 2』[7] 長尾雅人責任編集、中央公論社 1967。普及版 中公バックス 1978
- モークシャーカラグプタ『論理のことば』中公文庫 1975、復刊1992
- 「大乗仏典 インド篇」(全15巻、編集委員) 中央公論社 1974-1976、新装版 1980-1981
- 改訂版 中公文庫 2001-2005[8]
- 「大乗仏典 日本・中国篇」全30巻(長尾雅人・柳田聖山と監修) 、中央公論社 1987-96
- 『さとりへの遍歴 華厳経入法界品』[10] 監修、中央公論社 1994
-
- 桂紹隆・丹治昭義・田村智淳・津田真一共訳
共編著
論文
脚注
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