「仏説」の多義性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 14:23 UTC 版)
日本語の「仏説」という言葉にはいろいろな意味があるため、「大乗非仏説」という言い方は不適切であり、「大乗非釈迦仏説」と言い換えるべきである、と指摘する専門家もいる。 市販の国語辞典に載せる「仏説」の意味は「仏の教え。また、仏教の所説」である。大乗経典は「仏教の所説」なので、この意味では間違いなく「仏説」である。また「仏の教え」は「釈尊の直説」と同義語ではない点にも注意すべきである。そもそも「仏」(ほとけ。ブッダ)は釈尊ただ1人を指す固有名詞ではなく、「仏の悟り」を開いた人を指す普通名詞である。原始仏典でも仏(仏陀)の複数形(buddhā)が登場し、仏(仏陀)は釈迦のみを指す固有名詞ではなく普通名詞であったし、日本語でも「仏」は釈迦1人を指す固有名詞ではなく、さまざまな仏や仏像を指す「諸仏」や「十方諸仏」「三世諸仏」などの言い方も存在する。 中村元と三枝充悳も、「仏説」の正しい語義をふまえれば、いわゆる「大乗非仏説」はそもそも成り立たない、と指摘し、以下のように述べる。 (前略)仏(ブッダ)はけっして固有名詞ではなく、したがって単数ではない。(中略)大乗経典もそれぞれの仏がそれぞれに教えを説いており、したがって「大乗は仏説」 にほかならず、「大乗非仏説」 は葬られる。この説はすでに江戸時代末期に真言宗豊山派の戒定その他に見える。 中村と三枝も、大乗経典が文献学的に見て歴史上に実在した釈迦の直説ではないことは認めており、もし歴史上に実在した釈尊を他の諸仏と区別して「釈迦仏」と呼んだうえで「大乗非釈迦仏説」と言い換えるなら万人の納得を得られるだろう、とアドバイスした。 なお「大乗非仏説」という学説は、本来なら「大乗非仏説」説ないし「大乗非仏説論」と呼ぶほうが正確であるが、慣用的に「大乗非仏説」と呼ぶ。
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