釈興然
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/15 23:49 UTC 版)
人物情報 | |
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別名 | 板垣 興然 |
生誕 | 1849年5月6日![]() |
死没 | 1924年3月15日 (74歳没)![]() |
学問 | |
研究分野 | 仏教学・言語学 |
釈興然(しゃくこうねん、嘉永2年4月14日(1849年5月6日)- 大正13年(1924年)3月15日)は、出雲国(島根県)出身の真言宗及び上座部仏教の僧侶。日本人初の上座部仏教徒として知られる。比丘名は「グナラタナ」。俗姓は板垣。
経歴
嘉永2年(1849年)4月14日、出雲国神門郡塩冶村(現・島根県出雲市)生まれ[1]。安政5年(1858年)に出家、法名を興然とし、母方の伯父でもある岩屋寺住職の宣明のもとで修行する[1]。明治3年(1870年)に八束郡本庄村の玉理寺の住職となり、明治14年(1881年)に住職を辞して長野県北部中学林の教師を務めた[2]。明治15年(1882年)横浜三会寺の住職となるも、戒律復興運動を行っていた叔父・釈雲照の勧めで[3]明治19年(1886年)にスリランカへ渡ってパーリ語を学ぶ。明治23年(1890年)に受戒。明治26年(1893年)[4]に帰国後は釈尊正風会を組織し、神奈川を拠点に上座部仏教の普及につとめた。明治40年(1907年)にはタイ王国に招待され、1年間滞在した[5]。墓所は横浜市三会寺。
研究内容・業績
鈴木大拙や河口慧海のパーリ語の師としても知られ、河口慧海の著書である『チベット旅行記』の冒頭では、考えの違いから喧嘩別れする様が描かれている。
家族・親族
- 叔父:釈雲照
脚注・出典
関連項目
- 釈興然のページへのリンク