釈尊正風会
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釈尊正風会(しゃくそんしょうふうかい)は、真言宗の僧侶釈興然によって組織された僧団である。上座部仏教の僧侶を養成し、その戒律を研究し、これを広めることなどを目的としていた。
概要
南方仏教僧団では、5人以上の比丘によって僧団が組織されることによって、はじめて比丘戒を授けることができるとされていたため、青年僧侶をセイロン(現在のスリランカ)に派遣し、5人以上に比丘戒受戒させることを当初の目標としていた。
数次にわたり、主に真言宗の僧侶をセイロンに派遣したが、派遣した僧侶の還俗や死亡などで、当初の目的であった5人の僧侶の養成を達することができなかった[1]。
年表
- 1882年(明治15年)2月17日
- 1882年7月 - 有栖川宮熾仁親王および随行の外交官・林董らがコロンボを訪問。セイロン総督および現地の官吏らと謁見し、総督副官から、日本人僧侶が派遣されれば便宜を図るとの申し出を受ける[2]。
- 1886年
- 1887年(明治20年)
- 1888年(明治21年)
- 1890年(明治23年)6月9日午後7時
- 1893年(明治26年)
- 1897年
- 1907年(明治40年)10月
- 1908年(明治41年)11月
- 1924年(大正13年)3月15日 - 釈興然、三会寺にて遷化。
関係する僧侶
漢字氏名の前にあるカタカナの名は、上座部仏教の法名。
- グナラタナ 釈興然
- 釈雲照(1827年 - 1909年)
- 上座部仏教の修行と比丘養成を発願した本人であったが、興然の帰国後、真言宗の戒律などと異なる立場をとる興然との間で意見の対立が起こった。
- パンニャーケートゥ 釈宗演(1859年 - 1919年)
- 阿刀宥乗
- 稲村英隆(1836年 - 1910年)
- ゴンダンニャ 小島戒寶
- パンニャーサーラ 比留間宥誡(日間宥海)
- セイロン派遣1期生。真言宗僧侶。セイロンで受戒、比丘。
- ソービタ 釈仁度
- グナーナンダ 工藤敬慎
- セイロン派遣2期生。埼玉出身の比丘。セイロン・マータラで死亡。
- 向山亮雲
- アーナンダ 吉松快裕
支援者
- 林董 - 特別会員[3]。1882年7月、アレクサンドル3世 (ロシア皇帝)の戴冠式に列席する有栖川宮熾仁親王に外交官として随行し、往路コロンボに立ち寄った。このとき、マハームダリ(セイロン総督の現地人副官)との知遇を得て、日本人僧侶をセイロンに派遣するなら便宜を図るとの申し出を受けた。
- 早川林平 - 特別会員[3]。
- 日本郵船会社 - 会員派遣の船賃を無償とした[3]。
出典
- ^ a b c d 東元, 慶喜「釈尊正風会のひとびと」『駒澤大學佛教學部研究紀要』第40号、駒澤大学、1982年3月、51-61頁、CRID 1520853835011909632、 ISSN 04523628、 NAID 110007014839。
- ^ a b 奥山 直司「日本仏教とセイロン仏教との出会い : 釈興然の留学を中心に」『コンタクト・ゾーン』第2巻、京都大学人文科学研究所人文学国際研究センター、2008年3月25日、23-36頁、 hdl:http://hdl.handle.net/2433/177215、 NAID 120005307113。
- ^ a b c d e 「[1]」『禅宗』第31号、禅定窟、1897年9月1日、63頁。
- ^ 東元慶喜「ソービタ長老釈仁度和上招来の貝多羅葉について」『印度學佛教學研究』第31号、日本印度学仏教学会、1983年3月、486-492頁。
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