近世以降の大乗非仏説論
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「大乗非仏説」の記事における「近世以降の大乗非仏説論」の解説
近世以降の「大乗非仏説」説では、文献学的考証を土台とし、仏教が時代とともにさまざまな思想との格闘と交流を経て思索を深化し、発展してきたことを、「実際存在する/伝わった経典を証拠に、事実として示す」のが特徴である。 日本では、仏教が江戸時代に寺請け制度で権力の一翼を担い堕落していた幕末において、仏教に批判的な思想家等によって展開された。江戸時代には富永仲基が、経典の全てが釈迦一代において説かれたのではなく、歴史的進展に伴って興った異なる思想や学説が、それ以前のものの上に付加されていった(異部加上)と主張し、釈迦の金口直説と思われるものは原始経典(阿含経)の一部であるとした。その影響を受けた儒学者の服部天游も、同様の観点から大乗非仏説を唱えた。 19世紀に仏教が西洋に伝わると、西洋ではアジア人よりも西洋人のほうがブッダをよく把握しているという自負もあって、チベット語仏典や漢訳仏典はまがい物であり上座部経典のパーリ仏典が最勝(その次がサンスクリット仏典)であるという評価がされた。 明治以降、ヨーロッパの近代的な学問研究方法が日本に取り入れられ、原典研究も盛んになるに従って、改めて大乗非仏説の論が起こり、仏教学者である姉崎正治が『仏教聖典史論』(1899年)や『現身仏と法身仏』(1904年)、『根本佛教』(1910年)を、村上専精が『仏教統一論』(1901~1905年)や『大乗仏説論批判』(1903年)を著している。また、大乗仏教の学僧である前田慧雲が『大乗仏教史論』(1903年)を、友松円諦が『阿含経』(1921年)を、赤沼智善が『阿含の仏教』(1921年)や『根本仏教の精神』(1923年)を著している。 結果、学界では大乗仏教が前1世紀以降から作成されたものであるとの結論から、大乗非仏説は近代的学問から裏付けられているとされるに至った。文献学研究の結果では、時代区分として、初期仏教(原始仏教)の中の仏典『阿含経典』、特に相応部(サンユッタ・ニカーヤ)などに最初期の教え(釈迦に一番近い教え)が含まれていることがほぼ定説になっており、少なくとも「大乗仏典を、歴史上の釈尊が説法した」という文献学者はいない。 増谷文雄はこうした学問的な成果をもって「第2回の仏教の伝来」とした上で、「阿含経典こそが根本聖典」と述べている。 中村元と三枝充悳の共著『バウッダ―仏教』(1987年)もまたそうした学問的立場を表明している。ただし2人は「現存の『阿含経』は釈尊の教えを原型どおりに記しているのでは、決してない」つまり阿含経典でさえも釈迦の「.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}金口直説(こんくじきせつ)」ではない、と釘を刺している。
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