近世以後の両社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 10:04 UTC 版)
近世以降の両社の経緯は次の通り。 江戸時代、当地には鞆祇園宮が鎮座、その境内社に渡守神社。 明治元年(1868年)、鞆祇園宮は「素盞鳴神社」と改称。 明治4年(1871年)、この素盞鳴神社をもって式内社とし、「沼名前神社」と改称、近代社格制度において国幣小社に列格。 明治8年(1875年)5月、渡守神社をもって式内社とすると改める。 明治9年(1876年)7月、渡守神社の神霊を本殿に奉斎、祇園神は相殿に改める(主従逆転)。渡守社祭神の船玉命は、大綿津見命と改められた。
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