渡守神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 10:04 UTC 版)
社伝では渡守神社(現・沼名前神社)の創建に関して、第14代仲哀天皇2年に神功皇后が西国に向かった際、当地の霊石に綿津見命を祀り海路安全を祈ったことに始まるという。そして帰途に際し、綿津見命の前に「稜威の高鞆(いづのたかとも。鞆は弓具の1つ)」を奉じたことから、「鞆」の地名が起こったともいう。 平安時代中期の『延喜式』神名帳では備後国沼隈郡に「沼名前神社」として式内社の記載がある。同帳では読みは「ヌナサキ」「ヌナクマ」の2説がある。その後、この式内社は所在不明となっていた。近世以後の考証で現在は渡守神社に比定されているが、鞆にあるのか自体も明らかとなってはいない。 近世には、渡守神社は猿田彦神・船魂命(船玉命)を祭神としていたという。元は後地平村もしくは鞆の関町にあったともいわれ、慶長年間(1596年-1615年)に祇園社の境内社として現在地に遷座したと伝えられる。明暦年間(1655年-1658年)には、藩主水野勝貞によって社殿が再建された。
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