渡嘉敷勝男の世界前哨戦での工作
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「毒入りオレンジ事件」の記事における「渡嘉敷勝男の世界前哨戦での工作」の解説
1981年3月8日、具志堅用高がWBA世界ライトフライ級タイトルを失った後、金平は、オプションのある内に、タイトルを取り戻すために具志堅に再挑戦を促すが、首を縦に振らない。系列協栄河合ジムの当時同級日本チャンピオンであった伊波政春を挑戦者に1度は決めたが、交渉にあせり、マッチメイクは失敗する。 そこで、デビュー以来9連勝で「具志堅二世」の呼び声の高い協栄ジムの多田浩幸に出番は回ってきたが、同年3月11日、具志堅敗戦直後に日本同級タイトル戦を伊波に挑戦して敗れ、さらに同年4月当時OPBF東洋太平洋ジュニアフライ級チャンピオン&WBA同級世界3位の金龍鉉と韓国で遠征試合をして敗れてしまった。 同ジムにあと一人、具志堅の「スパーリング・パートナー」として残っていたのが、渡嘉敷勝男だった。渡嘉敷は、当時日本ランキング同級1位とはいうものの、世界の檜舞台から見れば、無名のボクサーであった。金平は、渡嘉敷を世界タイトルにふさわしい挑戦者とするために、1981年6月2日後楽園ホールにて「世界タイトル挑戦者決定戦」と銘打ち、多田が闘った金龍鉉と10回戦を行うこととなった。 金は、崔承哲マネージャーと鄭英華トレーナーの3人で5月30日に来日し、協栄側の用意した後楽園近くのビジネスホテルSに宿泊する。協栄ジムの関係者によれば、「5月31日、試合前の減量で金はあまり食べない。その代わりレモンを注文して絞って飲んでいた。」と本郷のスーパーでレモンを購入し、それに小型の注射器で薬液を注入し、食堂ウェイターに金選手へ手渡すように託した。しかし、協栄スタッフの一人が、金平がホテルSから帰宅した後、そのレモンをウェイターから回収したため金選手側には渡らなかった。 試合前日の6月1日は、「毎回同じ果物だと不自然」「レモンだと、一旦ウェイターに手渡さなければいけないから」と十数個のオレンジを新宿のフルーツパーラーと中野駅前のスーパーで買い、その内、薬物を仕込ませた6個を茶色の紙袋に入れ、「崔マネージャーに渡すように」とホテルのフロントに預けた。このオレンジを巡って、翌2日の試合直後の後楽園ホール控え室で、崔マネージャーは、「この試合はおかしい。問題にする!記者団に公表する!」と気が狂ったような大声で、息巻き続けたのが発端だった。この他、チューインガムに薬物を仕込んだことも発覚している。 金は、1980年1月27日大阪にて具志堅用高(V11)に挑戦し、15回判定負けはしたものの、OPBF東洋太平洋同級チャンピオンを3度防衛していたが、結果は渡嘉敷の10R判定勝ちであった。ボクシング専門誌は、「渡嘉敷、世界3位・金から大金星」と報じた。
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