近世以降の神棚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 19:00 UTC 版)
江戸時代には伊勢神宮や富士に参詣する事が観光旅行として庶民に広まっており、この時、旅行案内人としての役割を担った存在に御師(おし)がある。御師は身分的には百姓と神職の中間に位置づけられて、全国にお神札(ふだ)を配布しながら伊勢神宮への信仰を勧めた。信仰を勧める戦略の一つとして、御師は大神宮棚というものを考案する。これは伊勢神宮のお神札を家庭で祀ることの出来る物であり、これが今で言う神棚に当たる。神棚が各地の神社の御師によって広められることで、やがて庶民の間に、神道上の慣習として定着するようになった。その後、明治4年(1872年)に発せられた太政官布告によって、全国の戸長に身分証を兼ねた守札が配布されたが、それを納める場所が必要となったことから神棚の普及がさらに広まったと考えられている。
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