近世以降のウルガタ
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ヨハネス・グーテンベルクが西洋における印刷技術を確立し、その成果として1455年に世に問うたのがウルガタ聖書の印刷本である『グーテンベルク聖書』であった。以降ウルガタ聖書はそれまでよりも多くの人に読まれるようになっていく。このような流れや人文主義者の影響によりヘブライ語やギリシャ語による原典研究が盛んになり、聖書そのものも原語テキストによって研究されるようになった。この流れの中で『ウルガタ』聖書の欠点が批判されるようになったため、1546年のトリエント公会議は『ウルガタ』聖書をカトリック教会の公式聖書としてのラテン語訳聖書の権威を再確認した。だが、これは当時さまざまなものが流布していたラテン語聖書の中で、『ウルガタ』が歴史と伝統において評価されたことを示すもので、決して原語で書かれた聖書を否定するものではないことに注意が必要である。その証拠にトリエント公会議は『ウルガタ』をさらに厳しく校訂して新しいラテン語聖書を発行することを決定している。 この決定を受けて委員会が編成され、新しい『ウルガタ』聖書が校訂された。教皇シクストゥス5世は完成を急ぐあまり、自ら手を加えてまで見切り発車的に新しいテキストを発表し、『シクストゥス版』としてこれを決定版とする発表をおこなった。しかし、これは学問的にあまりに不十分であるという理由からすぐに取り消され、ロベルト・ベラルミーノを中心とする委員会によってさらなる校訂がおこなわれ、クレメンス8世時代の1592年に『シクストゥス・クレメンティーナ版』として発表された。
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