近世俳諧における無季(雑)
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「無季俳句」の記事における「近世俳諧における無季(雑)」の解説
俳句は俳諧(俳諧連歌)の発句が独立して読まれるようになったことから成立した形式であるが、鎌倉時代に成立した連歌においては、発句には必ず季語(季の詞)を入れるべきものとされていた。例えば二条良基の連歌書『連理秘抄』(1349年頃成立)には、「発句に時節の景物そむきたるは返々(かへすがへす)口惜しき事也」と、発句に当座の季節に合わない句を用いることを戒める言葉が記されている。しかし発句以外の部分では一定の式目(ルール)に従って無季の句を詠むことが可能であった。このような無季の句は「雑(ぞう)の句」と呼ばれ、例えば百句で成立する形式の「百韻」では、全体のほぼ半数が雑の句によって占められるのが普通であった。 連歌の発句において季語が求められたのは、これらが「座」の文芸であり、当季の季語を用いて句を作ることが、その席で作られた句であることを示す当意即妙性の証と見なされたからである。近世になって、連歌では用いられない漢語や俗語(俳言(はいごん)と呼ばれた)を使用した俳諧連歌が成立するが、以上のような連歌の決まりごとは俳諧連歌においても継承され、発句において無季の句が詠まれることは非常に稀であった。一方、芭蕉の時代から俳諧連歌の興行とは独立して発句のみを作ったり鑑賞したりすることが行われるようになり、このような発句においては必ずしも多くはないものの無季の句が作られている。芭蕉の門人・向井去来の著書『去来抄』では、門人・卯七からの「蕉門に無季の句興行侍るや」(蕉風では無季の句を発句とした俳諧連歌の興行は行われますか)との質問に対し、去来は次のような返答をしたと記されている。 無季の句は折々あり。興行はいまだ聞かず。先師(引用者注:芭蕉のこと)曰く、発句も四季のみならず、恋、旅、離別等、無季の句もありたきものなり。されどいかなる故ありて、四季のみとは定めおかれけん。そのことを知らざれば、暫く黙しはべるなり。 芭蕉の無季の発句は後掲するものを含む9句が知られている。のちに芭蕉の門人の一人であった広瀬惟然は、無季の発句を当然あるべきものと主張し、『二葉集』『花の雲』『当座仏』などで自身の門人とともに無季の発句を多数発表した。しかし奇矯な作風に流れたことが災いしその主張も広く受け入れられることはなく、以後近世中には無季の句をめぐる運動は起こらなかった。 以下、近世俳諧における無季の発句の例を挙げる。 歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬かな 松尾芭蕉世にふるもさらに宗祇のやどりかな 同 油さし油さしつつ寝(い)ぬ夜かな 上島鬼貫歌書よりも軍書にかなし吉野山 各務支考水さつと鳥よふはふはふうはふは 広瀬惟然襟にふく風あたらしきこゝちかな 与謝蕪村亡き母や海見る度(たび)に見る度に 小林一茶
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