鞆祇園宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 10:04 UTC 版)
神社側は、鞆祇園宮の創建については不詳であるとしている。天長年間(824年-834年)の創建とも、保元年間(1156年-1159年)の勧請によるとも伝えられる。 祭神は、現在同様素盞鳴命(須佐之男命)であった。元は鞆の関町に鎮座していたが、慶長4年(1599年)の火災で焼失し、現在地に遷座したという。 この鞆祇園宮を『備後国風土記』逸文に見える「疫隅国社(えのくまのくにつやしろ)」にあてる説もある。当社は鞆の産土神として崇敬され、福山藩主からも多くの寄進を受け、社地も有していた。
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