鞆幕府時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 10:50 UTC 版)
戦国時代、常国寺は室町幕府崩壊期にも脚光を浴びた。織田信長に追われて逃れてきた室町幕府の15代将軍・足利義昭は毛利輝元の庇護下で鞆幕府を開いた。この鞆幕府の所在地となったのが渡邊民部少輔元の一乗山城であり、渡辺氏の菩提寺であったこの常国寺も幕府の重要な政務機関となっていた。義昭は渡辺氏の格別の働きに感謝し白傘袋と毛氈鞍覆の使用を許して守護大名格としたのだが、この際に常国寺にも唐門を送り、渡辺元はこれを将軍門と名付け現在でも市重文として残っている。また、義昭ゆかりの品も数多く遺されている。
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