友松円諦とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 学問 > 世界宗教用語 > 友松円諦の意味・解説 

ともまつえんたい 【友松円諦】


友松円諦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/02 19:55 UTC 版)

ともまつ えんたい
友松 円諦
生誕 1895年4月1日
日本 愛知県
死没 1973年11月16日(78歳)
出身校 慶應義塾大学文学部史学科
職業 仏教学者
受賞 第7回仏教伝道文化賞

友松 円諦(ともまつ えんたい、1895年(明治28年)4月1日 - 1973年(昭和48年)11月16日)は、日本宗教家仏教学者である。幼名は春太郎。全日本仏教会創立者。

概要

愛知県名古屋市生まれ。

浄土宗僧侶となったが、既存の仏教の在り方に疑念を抱いた。浄土宗の僧侶のまま宗教大学へ入り、卒業してさらに慶應義塾大学予科を経て、慶應義塾大学文学部史学科サンスクリット(梵語)を学び、大正13年に卒業。

独・仏に留学し、帰国後に慶應義塾大学予科講師・教授、慶應義塾大学仏教青年会顧問、日本放送協会ラジオ講師、大正大学講師等を歴任。西洋哲学に裏打ちされた仏典研究をはじめる。また、高島米峰の新仏教運動に影響されて仏教復興運動(真理運動)を開始し、ラジオや機関誌で思想を広めた。戦後、無宗派の寺院である神田寺を設立して、在家信者の教化に当たる。また、様々な社会運動をリードし、全日本仏教会を設立して既存の仏教諸宗派をまとめ上げ、初代の事務総長となった。

明治仏教史編纂所が蒐集した蔵書の『明治仏教史編纂書蔵書』は、慶應義塾大学附属研究所斯道文庫に保存されている。

また、東京大空襲で戦争孤児になった海老名香葉子初代林家三平夫人)を、親交のあった三遊亭金馬(八代)に親代わりになってもらうようにお願いした。

年表

受賞歴

弟子

高瀬広居、昼間光威、紀野一義武見太郎、桂 大瀛、三浦義弘、宮下博一、

著作リスト

その他

  • 『友松円諦小伝』(友松諦道著、真理運動、1975年
  • 『友松円諦日記抄』(山本幸世著、真理舎、1989年

論文

脚注

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「友松円諦」の関連用語

友松円諦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



友松円諦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
中経出版中経出版
Copyright (C) 2025 Chukei Publishing Company. All Rights Reserved.
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの友松円諦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS