友松氏盛とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 友松氏盛の意味・解説 

友松氏盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/15 17:06 UTC 版)

友松 氏盛(ともまつ うじもり、慶長3年(1598年)-寛文8年6月2日1668年7月10日))は、江戸時代の武士。豊臣氏家臣友松盛保の子。母は佐藤堅忠の娘。妻は友松将監道半入道の娘及び安西氏。子に友松氏広・氏興

慶長16年(1611年)に豊臣秀頼に出仕し、翌年小姓組に列せられる。大坂の陣では豊臣方にあったが、徳川氏に仕えていた母方の縁で助命され、父と共に京都で閉居する[1]

元和5年(1619年)11月に土佐藩山内忠義に15人扶持にて召し抱えられ、合力米20石を与えられる。翌年、知行300石に改められる[1]

寛文5年(1665年)に家督を氏広に譲って隠居し、3年後に京都にて死去。法名は玄通招徹日理で大徳寺梅岩庵に葬られた[1]

脚注

  1. ^ a b c 『大坂の陣 豊臣方人物事典』P443-444.「友松新右衛門氏盛」項目

参考文献

  • 柏木輝久(著)北川央(監修)『大坂の陣 豊臣方人物事典』宮帯出版社、2016年。P442-443.



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  友松氏盛のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「友松氏盛」の関連用語

1
友松氏興 百科事典
14% |||||

友松氏盛のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



友松氏盛のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの友松氏盛 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS