真理ならば仏説であるとする立場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 14:23 UTC 版)
「大乗非仏説」の記事における「真理ならば仏説であるとする立場」の解説
井上円了は大乗仏教は釈迦が説いたのではなくとも哲学的に優れているとして大乗仏教を擁護した。 そもそも仏教本来の「仏説」観は、近現代の文献学的な「仏説」観とは全く違うものだった、という指摘もある。インド哲学者の中村元は、古代インド人の仏説観は「仏が説いたから真理であるのではなくて、真理であるから仏が説いたはずである」「著者は誰であろうとも、正しいこと、すなわち真理を語ってさえいればよいのである」というものだった、と述べている。 仏教思想研究家の植木雅俊は、歴史に実在した釈迦が説いた「原始仏教」は「平等思想や人間中心主義」であったのに、釈迦の死後500年のあいだに〝小乗仏教〟に改竄されてしまったため、釈迦仏教への原点回帰を主張する人々が大乗仏典を書いた、とする。 小乗仏教のほうこそ非仏説であるという見解は、山口瑞鳳「仏陀の所説とその正統--小乗非仏説論」(『成田山仏教研究所紀要 (26)』, pp.59-103, 2003年)、ひろさちや『釈迦』(春秋社、2011年)pp.381-384、ひろさちや『〈法華経〉の真実』(佼成出版社、2016年)pp.23-30、などでも紹介されている。
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