無記相応とは? わかりやすく解説

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無記相応

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/06 22:58 UTC 版)

無記相応[1](むきそうおう、: Avyākata-saṃyutta, アヴィヤーカタ・サンユッタ)とは、パーリ仏典経蔵相応部に収録されている第44相応。「無記説相応」(むきせつそうおう)とも[2]

構成

全11経から成る。

  1. Khemā-sutta
  2. Anurādha-sutta
  3. Paṭhama-sāriputta-koṭṭhika-sutta
  4. Dutiya-sāriputta-koṭṭhika-sutta
  5. Tatiya-sāriputta-koṭṭhika-sutta
  6. Catuttha-sāriputta-koṭṭhika-sutta
  7. Moggallāna-sutta
  8. Vacchagotta-sutta
  9. Kutūhalasālā-sutta
  10. アーナンダ経(Ānanda-sutta)
  11. Sabhiyakaccāna-sutta

アーナンダ経

第10経:アーナンダ経。

あるとき釈迦は、ヴァッチャゴッタ姓の遊行者に「(attā)はあるか?」と聞かれ、また「我はないのか?」と問われたが、どちらにも釈迦は回答しなかった(無記[3]。このやり取りを見ていたアーナンダに、なぜ回答しなかったかを問われ、釈迦は答えた。

Ahañca ānanda vacchagottassa paribbājakassa atthattāti puṭṭho samāno atthattāti vyākareyyaṃ, ye te ānanda samaṇabrāhmaṇā sassatavādā, tesametaṃ laddhi abhavissa.
Ahañca ānanda vacchagottassa paribbājakassa natthattāti puṭṭho samāno natthattāti vyākareyyaṃ. Ye te ānanda samaṇabrāhmaṇā ucchedavādā, tesametaṃ laddhi abhavissa.


アーナンダよ、もし私がヴァッチャゴッタ遊行者に「我は存在するか」と問われ、「我は存在する」と答えたならば、
アーナンダよ、それは常住論者(sassatavādā)を説く沙門バラモンと同ずることになるだろう。
アーナンダよ、もし私がヴァッチャゴッタ遊行者に「我は存在しないのか」と問われ、「我は存在しない」と答えたならば、
アーナンダよ、それは断滅論者(ucchedavādāa)を説く沙門バラモンと同ずることになるだろう。

日本語訳

脚注・出典

  1. ^ 『原始仏典』中村
  2. ^ 『南伝大蔵経』
  3. ^ 魚川祐司『仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か』新潮社、2015年4月、87-88頁。ISBN 978-4103391715 

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