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東京都のご当地ソング一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/24 01:37 UTC 版)

東京都のご当地ソング一覧(とうきょうとのごとうちソングいちらん)では、日本東京都に関連するご当地ソングの一覧を挙げる。


注釈

  1. ^ 沢知美(1947年10月8日-)東京都出身。二階堂高等学校(現・日本女子体育大学附属二階堂高等学校)中退。1964年にミス・プレタポルテに当選しファッション・モデルとなる。同時に「中野味和子」の芸名により、二本の映画、「東京は恋する」(監督:柳瀬観、日活、1965年9月18日公開)、「高原のお嬢さん」(監督:柳瀬観、日活、1965年12月4日公開)にも出演する。1967年には「沢知美」と改名しレコード・デビュー。1972年までに、シングル16枚、アルバム3枚を発表した。「東京ミッドナイト」(SAS-1194・COLUMBIA)は1968年11月に発売された7枚目のシングル。「沢知美」[1] 2020年1月24日閲覧。「中野味和子」[2] 2020年1月24日閲覧。
  2. ^ 第58回全国高等学校野球選手権大会(1976年)において、桜美林高等学校野球部が延長11回の末、PL学園を制して60年ぶりに真紅の大優勝旗を東京に持ち帰ったことを讃えた歌。
  3. ^ 元歌はザ・ピーナッツの歌った「東京たそがれ」であり、題名を変更して再発された。
  4. ^ 川辺妙子(1949年7月18日-)北海道滝川市出身。「ミッドナイト東京」(F S-25・PHILIPS)によりデビュー。1973年までに、シングル7枚、アルバム2枚を発表している。「川辺妙子」[3] 2020年1月24日閲覧。
  5. ^ 三浦正弘とアロハ・ブラザーズは日本最初の家族合唱団であり、1957年に結成された。 メンバーは以下の5人。 三浦正弘(リーダー、スティール・ギター、ヴォーカル)1937年10月30日生れ。東京都立航空工業高等学校(現・東京都立航空工業高等専門学校)卒業。 三浦悦夫(ベース、ヴォーカル)1940年10月27日生れ。東京都立航空工業専門学校卒業。 三浦貞夫(ギター、ヴォーカル)1943年8月13日生れ。豊島実業高等学校(現・豊島学院高等学校)中退。 三浦春男(サイド・ギター、ヴォーカル)1945年4月10日生れ。昭和鉄道高等学校中退。 三浦久雄(ウクレレ、ヴォーカル)1947年8月9日生れ。東京都立向島商業高等学校中退。 のちに、妹の三浦京子(礼子)も参入する。 三浦正弘とハニー・ブラザーズ+三浦京子、三浦正弘とハニー・ロマン、三浦弘(「正弘」から改名)とハニー・ロマン、三浦弘とハニー・シックスと幾度もグループ名を変更させながら、1982年までに11枚のシングルと1枚のアルバムを発表している。1968年9月に発売した「ラリラリ東京」(SDR-1367・Polydor)が民放連の要注意歌謡曲指定を受けたため、1970年に「イライラ東京」(LP-1201・LIBERTY)と改題し再発している。さらにこの曲は殿様キングスによって、「しっちゃかめっちゃか東京」「メロメロ東京」の題名でカバーされている。「三浦正弘」[4] 2020年1月25日閲覧。
  6. ^ 歌詞の中に上記東京都下の地名以外に広島も含む。
  7. ^ 潤ますみ(1952〜)は、グラビア・モデルを経て「潤ますみ」の芸名で1971年に東映からデビュー、翌年、日活に移籍し日活ロマンポルノに出演した。1973年、「潤まり子」に改名。1975年にフリーとなり、1976年には「潤まり」と再度改名したものの24歳でスクリーンから姿を消した。歌手としてはRCAから「裏町人生歌」(1974年7月、JRT-144.「潤まり子」名義)「新小岩から亀戸へ」(1975年9月、JRT-1444.「潤まり」名義)の二枚のシングルを出している。「玉割り人ゆき」の項目も参照のこと。なお、「夕映えのサンフランシスコ」や「愛は流れるヴォルガのように」などの曲を歌った歌手の「じゅんマリ」は別人である。
  8. ^ 作間毅(1904-1987) 日本におけるジャズ・パイオニアのひとり。法政大学在学中からジャズ・バンドを結成し活躍していた。1925年、1926年に日本橋三越ホールでコンサートを開催するとともに、1928年から翌年にかけて日本Victorに9曲のレコーディングを行う。マスクをかぶり「鉄仮面」という別名義によるレコードもある。「ジャズと歴史にまつわる話」[5] 2020年1月24日閲覧。
  9. ^ アニメ「邪神ちゃんドロップキック」挿入歌
  10. ^ 知川ユキ(1947年6月3日-)本名は森泉綾子、東京都墨田区出身。「好きならいいじゃない」(1968年10月25日.US-599-J・UNION)がある。「ぐんぐん銀座」はそのB面。「知川ユキ」[6] 2020年1月24日閲覧。
  11. ^ オリジナルは和田弘とマヒナスターズが歌った「菊千代と申します」作詞:山上路夫、作曲:鈴木庸一、編曲:和田弘、1963年
  12. ^ 山川ユキ。1959年2月11日生まれ。山口県下関市出身。本名は萩田由記子。石坂まさを歌謡学院出身。「新宿ダダ」(1977年6月1日.EP:KA-1057・ミノルフォン)でデビュー。1978年に「カメラのさくらや」初代CMソングを歌う。1979年までに4枚のシングルを残す。「山川ユキ」[7] 2020年1月26日閲覧。
  13. ^ お七とその家族らが被災した際に避難したとされる吉祥寺(または正仙院、円乗寺)の所在地は、現在の本駒込付近にあたる。
  14. ^ 賛美歌まもなくかなたの」の替え歌とするのは間違い。
  15. ^ 「ルドルフとイッパイアッテナ」シリーズは江戸川区北小岩が舞台
  16. ^ ただし実際には、三鷹市在住だった露風が郷里の兵庫県揖保郡龍野町(現:たつの市)を回想して作詩したものである。

出典

  1. ^ WWII In American Music: Pearl Harbor & Reaction 2020年1月22日閲覧
  2. ^ TFM山下達郎のサンデー・ソングブック』2013年3月17日放送分より。


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