東京の美少年とは? わかりやすく解説

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東京の美少年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 19:32 UTC 版)

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東京の美少年
橋幸夫シングル
初出アルバム『橋幸夫傑作集第3集(LV-222)』
B面 故郷の灯は消えず
リリース
ジャンル 歌謡曲
時間
レーベル ビクター(VS-573)
作詞・作曲 佐伯孝夫(作詞)
吉田正(作・編曲)
橋幸夫 シングル 年表
明日を呼ぶ港
(1961年9月5日)
東京の美少年
(1961年)
俺ら次郎長
(1961年10月20日)
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東京の美少年』は、1961年10月5日に ビクターより発売された橋幸夫の13枚目のシングルである(VS-573)[1]

概要

  • 作詞は佐伯孝夫、作曲は吉田正で、橋の両恩師による楽曲である。大ヒットした『南海の美少年』(61年5月)に続く美少年シリーズの第2作、第1作の現代版となっている。
  • 本楽曲について、小野善太郎は、「橋が東京出身なのにそのイメージがあまりなく、(13枚目のシングルで)初めて現代の東京が舞台の歌」が登場したとしている。
  • 特徴的な歌詞について橋は、「舗道を"ペーブメン"、後姿を"うしろかげ"と読ませる佐伯文学」の特徴を指摘し、「佐伯先生は、ねらいがあってこういう新しい表現にチャレンジされていた」としている[2]
  • また当時、「なんとかの美少年...というのが流行語のようになって、歌い手の僕までが"美少年"あつかいで、てれくさい」としている。[3]
  • 美少年シリーズの第3作は、再び時代歌謡に戻り、62年8月に『美少年忠臣蔵』が制作されている。
  • c/w曲の『故郷の灯は消えず』も佐伯、吉田の制作による楽曲である。「地方から出てきて都会で働く若者が、はるかな故郷に思いを寄せる、しっとりと情感にあふれたホーム・ソング」となっている。娘時代を奥多摩で過ごし、戦後中野で呉服屋を構えた橋の母がこの曲が好きで、後に、母親の好きな唱歌「故郷」と組み合わせて、『わが胸に歌は消えず』(62年10月)が制作されたが、その一因となった曲である[4]
  • 1961年に年間で8万枚を売り上げ、ビクターの年間ヒット賞を受賞した[5]

収録曲

  1. 東京の美少年
    作詞:佐伯孝夫、作・編曲:吉田正
  2. 故郷の灯は消えず
    作詞:佐伯孝夫、作・編曲:吉田正

収録アルバム

出典

[脚注の使い方]
  1. ^ 「シングルレコード・ディスコグラフィティ」橋幸夫・小野善太郎共著『橋幸夫歌謡魂』ISBN 4-948735-16-7 ワイズ出版(東京)1993/6 168-209頁参照
  2. ^ 橋幸夫・小野善太郎共著『橋幸夫歌謡魂』前掲 28頁参照
  3. ^ 『別冊近代映画』1964年3月 通巻127号 114頁
  4. ^ 『別冊近代映画』前掲 117頁
  5. ^ 週刊サンケイ』1962年2月12日号(田家秀樹『読むJ‐POP―1945‐1999私的全史 あの時を忘れない』徳間書店、1999年、59-60頁。ISBN 4-19-861057-6



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