マルティン・ハイデッガー 思想

マルティン・ハイデッガー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/17 15:18 UTC 版)

思想

ハイデガーの哲学の発展の諸時期については1919年に「初期ハイデガー (the early Heidegger)」が形成され、それ以前は「若きハイデガー(the young Heidegger)」と区別する見方もある[366][367]

ハイデッガーは1966年のル・トール・ゼミナールで自らの存在論は、『存在と時間』で存在の意味への問い、次に、存在の真理への問い、最後に存在の場所への問いへと展開したとして、「意味-真理-場所」の三つの歩みがあったと述べた[368][369]。オットー・ペゲラーはこのことから、『存在と時間』を「存在の意味への問い」、『存在と時間』から『哲学への寄与』までを「歴史としての真理への問い」、『哲学への寄与』以降を「場所の前に存在することとしての場所への問い」と区分する[370]

前期の代表的な著作は『存在と時間』(1927)である。中期では『形而上学入門(講義)』『哲学への寄与(覚書)』。後期では『「ヒューマニズム」にかんする書簡』『ニーチェ』『技術への問い』『放下』がある。以下、鍵概念に即して、適宜著作に応じて解説する。

方法

形式的告示

『存在と時間』以前の初期フライブルク期の講義が刊行されるに及んで、「形式的告示(die formale Anzeige)」の概念性について注目されている[371]。ハイデッガーは初期フライブルクの講義で 「現象学的解明にとって主導的となる或る意味の方法的な使用を我々は形式的な告示と呼ぶ。形式的に告示する意味がその中にはらんでいるところのもの,それへと向かって諸現象は見られるのである。方法的考察から理解できるものとならなければならないのは、なぜ形式的な告示はそれが考察を主導するにもかかわらず、やはり何らの予め把握された見解を問題の中へと持ち込まないのかということである。」[372]、また「この形式的に告示的な問いの遂行においては、「自我」もしくは「自己」に関しての何らかの仕方で理論的に形成され何らかの哲学的立場から受け継がれた理論的に概念的な先入見や規定は活動してはならない。」と述べている[373][374]。また1929/30年の「形而上学の根本諸概念:世界-有限性-孤独」講義では「あらゆる哲学的な概念は、形式的に告示するものであり、哲学的な概念がそのように受けとめられるときにのみ概念把握の真正な可能性を与える」と述べている[375][376]

ハイデッガーはガダマーら学生に形式的告示の意味とは「十分に味わうことと実行に移すことだ」と説明した[377]

現象学と解釈学

ハイデッガーがとったのは現象学的な方法である。ハイデッガーは、フッサールと同様に志向性の現象を考察することから始めた。現象学的方法は、デカルト的な実体である「われ」―純粋な思惟者としての「われ」―の否認を必要とする。デカルトが「われ思う」だけは疑いえないものとしたとき、思っている「われ」の存在様式は無規定のまま放置されたとハイデッガーは述べている。ハイデッガーは1925年の講義「時間概念の歴史への序説」では現象学は存在そのものへの問い、志向的なものの存在への問いを問わなかったと批判しつつ[378][379]、現象学が哲学探求の可能性を発見したことは偉大であり、それを徹底化すると述べている[380]

また、総体的な存在了解は、現存在固有の存在に関する潜在的な知識を説明することによってのみ到達できる。ゆえに哲学は解釈という形をとる。これが、『存在と時間』におけるハイデッガーの手法がしばしば解釈学的現象学と呼ばれるゆえんである。『存在と時間』は未完に終わったため、全体的な計画に関するハイデッガーの宣言や、現存在とその時間内的な限界についての緊密な分析と解釈をなし遂げてはいるが、そのような解釈学的手法により「存在一般の意味」を解明するまでには至らなかった。しかし、その野心的な企図は後の著作において異なる方法によりながら執拗に追及されることとなる。

存在への問い

『存在と時間』でハイデッガーは、存在者 Seiende存在 Sein(存在一般、在ること)を区別した上で、存在の意味についての問い(die Seinsfrage)―存在者が存在するという意味はどういうことなのか?―を明らかにしようとした。

ハイデッガーは、カントが外的世界の存在に関する完全な証明がいまだなされていないことを「哲学のスキャンダル」と嘆いたことについて[381]、そのような証明ばかりが求められることこそ哲学のスキャンダルとした[382]。ハイデッガーの企図は野心的であり、生物学物理学心理学歴史学といった存在的なカテゴリーにおいて研究される特定の事物の存在には関心がなく、追求したのは存在一般についての問い、すなわち「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」といった存在論的な問いであった。

ハイデッガーは「いかにしてわれわれは世界と具体的かつ非論理的な方法で遭遇するか」「いかにして歴史や伝統がわれわれに影響を与え、われわれによって形成されるか」「事実上いかにしてわれわれはともに生きているか」「そしていかにしてわれわれは言語やその意味を歴史的に形成するか」といった問いをもって取り組んだ。

存在論的差異

人間の行為は、何らかの対象や目的を(建築という行為ならば建物を、会話ならば話題を)目指す限りにおいて志向性をもっている。ハイデッガーは志向性を「関心(Sorge)」と呼ぶが、これは「不安(Angst)」の肯定的側面を反映している。ここでいう「関心」は志向的存在に関する基本的な概念であり、存在的 ontischenなあり方(ただ単にあるだけの存在)とは区別された存在論的 ontologischなあり方(存在という問題に向き合いながら存在すること)として、存在論的に意味付けられたものである。この差異は存在論的差異(ontologische Differenz)と呼ばれる[383]。1928年夏学期講義では「存在の理解のうちには、存在と存在者のこの区別の遂行が存している。この区別は、まずもって存在論というようなものを可能にする。したがってわれわれは存在理解というものをはじめて可能にするこの区別を存在論的差異と名づける[384]」と述べている[385]

1929/30年の「形而上学の根本諸概念:世界-有限性-孤独」では次のように述べられた[386]

存在と存在者との区別の問題は、われわれがこの問題を存在論にゆだね、そのように名づけることによって、早々とその問題系のうちで妨げられてしまっている。結局、われわれは逆にこの問題をより一層徹底的に展開しなければならないのであり、それは、われわれがすでにその理念からして、不十分な形而上学的問題系としての存在論を退けるという状況に陥る危険を冒してもそうしなければならないのである。ではその場合、われわれはなにを存在論の代わりに置くべきなのか。例えば、カントの超越論哲学か?超越論哲学もまた転倒するにちがいない。それでは、存在論の位置になにが入り込むべきか。これは軽率でとりわけ外見上の問題である。というのも、結局、問題一般を展開することによって、われわれが存在論をなにか別のものによって置き換えようとするその位置というものが失われるからである。存在論とその理念もまた転倒するほかはない。それはまさに、存在論の理念を徹底化することが、形而上学の根本問題系を展開することの必然的な一段階であったからなのである。 — 「形而上学の根本諸概念:世界-有限性-孤独」,全集Ga 29/30巻, p522

理論的な知識が表現するのは志向的な行為のうちの一種にすぎず、それが基づいているのは周囲の世界との日常的な関わり方(約束事)の基本形態であって、それらの根本的な基礎である存在ではないとハイデッガーは主張する。彼は「実存的了解」(実存を実存それ自体に即して了解する)と、「実存論的了解」(何が実存を構成するかについての理論的分析)の二種類に分類した。これは、「存在的―存在論的」と呼応するものであるが、人間存在に範囲を限定したものである。ものは、それが日常的な約束事のコンテクスト(これをハイデッガーは「世界」と呼ぶ)の中に「開示される」限りにおいて、そのような存在者である(そのように存在する)のであって、そのコンテクストを離れても客観的に認められる固有性をもっているからではない。カナヅチがカナヅチであるのは、特定のカナヅチ的性質をもっているからではなく、釘を打つのに使えるからなのである。

世界=内=存在(In-der-Welt-sein)と現存在(Da-sein)

その一方でハイデッガーは、人間の行為に関するいかなる分析も「われわれは世界の中にいる」という事実から(世界を「抽象的に」見る風潮に則らずに)始めなければならない、したがって、人間の実存に関して最も根本的な事柄はわれわれの世界=内=存在 In-der-Welt-seinであると主張した。人間もしくは現存在 Da-sein とは、世界の中で活動する具象的存在なのだということをハイデッガーは強調した。彼は、デカルト以来ほとんどすべての哲学者が自明のこととして依拠する「主観 ― 客観」という区別をも拒否し、さらには意識、自我、人間といった語の使用も避けた(ハイデッガーは「人間」の代わりに「現存在(Da-sein)」という)。これらはいずれもハイデッガーの企図にはそぐわないデカルト的二元論のもとにあるためである。

存在者がわれわれにとって意味をなすのは、存在者がある特定のコンテクストの中で使用できるためであり、そしてこのコンテクストは社会的規範によって定義される。しかし、元来こうした規範はみな偶発的で不確定なものである。こうした偶然性は、不安という根源的な現象によって明らかにされる。この不安の中に、すべての規範が投げ出され、ものは本来の無意味さの中に、特になにものでもないものとして開示される。不安の経験は現存在の本来的な有限性をあらわにする。

アレーテイア・ウーシア

存在者が開示されうる(コンテクストにおいて有意味にであれ、不安の経験において無意味にであれ)という事実は、いずれにせよ存在者は開示されうるという先行する事実に基づいている。ハイデッガーはそうした存在者の開示を「真理・真実」と呼んだが、これは正しさというよりは「隠れのなさ」と定義される。この「存在者の真実」(存在者による自己発見)は、より本源的な種類の真実を含む。すなわち「存在者の存在が隠されていない、明るみに出された存在者の発露」である。これはギリシア語でαληθεια(アレーテイア、非覆蔵性[387])と呼ばれ、アリストテレスやヘラクレイトスからハイデッガーによって引き出された概念である。ハイデッガーはアレーテイア研究によって真理を、「存在者の示現すべてがそこへ属するところの非覆蔵性」として考察するようになった[388]。アレーテイアの動詞型αληθεύειν(アレーテウエイン、真理化する)の意味はハイデッガーによれば「露呈しつつあること(aufdeckendsein)」「閉ざされてあることや隠されてあることから世界を取り出すこと」と解釈される[389][390]

また古代ギリシア人はアレーテイアをοὐσία(ウーシア、現前性)として解釈しており、ウーシアが現在という時間的性格を持つことから、時間と存在の関係についてハイデッガーは考察するようになり、こうした考察が『存在と時間』の骨格となった[391]。ハイデッガーは1925/26年の講義「論理学:真性への問い」でギリシア人が存在をウーシアとして規定していたが、彼らは存在を時間から理解していなかったとも批判した[392][393]

ハイデッガーにとって、現存在を規定するのはこの存在の隠れなさである。ハイデッガーの用語「現存在」とは、おのれの存在を関心事とする存在者であり、また、おのれの存在をそのように開示させる存在者である。ハイデッガーが存在の意味についての探求を現存在の本質についての探求とともに始めたのはこうしたわけである。存在の隠れなさは基本的に現世的かつ歴史的な、非計測的な時のうちでの現象である。われわれが過去・現在・未来と呼ぶものは本来この隠れなさの見地に照応するものであり、時計によって測定される均一的な数値化された時間における排他的な三区域のことではない。

またハイデッガーはアリストテレスにおけるロゴス(λόγος)を、アレーテウエイン(真理化する)の遂行という観点から、明示すること、それ自身から見させること、あらわにすることと解説した[394]

vorhandenとzuhanden

ハイデッガーの見地においては、行為に対する理論の伝統的優位が逆転される。彼にとって理論的な見解というものは人工的なものであり、関わり合いを欠いたまま事物を見ることによってもたらされるものであり、そうした経験は「平板化」(Nivellierung)されたものである。こうした態度は、ハイデッガーによってvorhanden(眼前的[395]、事物存在的[396]、客体的、すでに手のうちにある)と呼ばれ、相互行為のより根源的なあり方であるzuhanden(用具的、道具的[396]、手の届くところにある)な態度に寄生的な欠如態とされる。寄生的というのは、歴史のうちにおいてわれわれは、世界に対して科学的ないし中立的な態度をもちうるよりも前に、まず第一に世界に対する何らかの態度や心構えをもたなければならないという観念においてのことである。

共同存在

客体的存在と用具的存在に加えて、現存在の第三の様態として「共同存在」(mitsein)があり、これが現存在の本質となる。他者とは、孤立して存在する単一の主体「私」を除いたすべての人びとのことではなく、たいていの場合はひとが自分自身とは区別していない(ともにある)人びとのことである。例えば、「私」が作物を踏み潰したり土を踏み固めてしまわないよう注意しながら畑の周りを歩くとき、この畑は「私」にとって道具的なものであるが、同時に「誰か」の所有地として、あるいは「誰か」に手入れされている(他の「誰か」にとっても道具的である)ものとしても現れる。この「誰か」たる農夫は、「私」が思考のうちでその畑に付け加えたものではない。なぜなら、畑が耕され手入れされているという事実を通してすでに農夫は自らを現しているからである。このようにしてわれわれは世界内において他者と出会うのであり、またこうして現存在が他者と出会いともにある存在の仕方が「共同存在」であるとハイデッガーは述べる。

彼ら

「共同存在」には好ましからぬ側面もあり、ハイデッガーは「世間」という語を用いてそれに言及する。つまりニュースやゴシップでしばしば見られるように、「世間では〜といわれている」というとき、一般化して断定したり、一切のコンテクストを無視してそれをやり過ごそうとしたりする傾向があるということである。何が信頼に値し、何が信頼に値しないのかという実存的概念が「世間」という考えに依拠して求められるのである。たんに群集のあとを追って他の人々に習うだけでは何の妥当性も保証されないし、社会的・歴史的状況から完全にかけ離れたことが妥当なことだとみなすことなどできないにもかかわらず、「世間」がその平均性のみを妥当なものとして指示するのである[397]

現存在は他者たちによる乗っ取り要求に従属する。現存在は「私である」というあり方で存在すると同時に、「他者と共に私である」という形でも存在する。 「私である」という形だけで存在できることはめったになく、「我々である」と同時に「彼らと共に」存在しなければならないのである[398]。 ハイデガーの言葉によれば次のようになる。

現実の公共的環境において、輸送機関などの公共手段を使用したり新聞などの情報サービスを利用したりするとき、ある一人の他者は隣にいるもう一人の他者と何ら変わりがない。自己の現存在が『他者たち』のあり方に完全に溶け込むのである。

現存在は他者たちのなかに没入するが、それらは特定の誰でもなく『ダス・マン(Das Man)』としてあり、没個性的で顔の見えない集団である[399]

日常生活のなかでは現存在が他者たちに溶け込み、他者たちと化す。同時に、他者たちも溶解し現存在の一部となる。このようなものとしての『彼ら』を識別することは極めて難しく、ここに『彼ら』の力の源がある。

目立たず、確認し難い故に「彼ら」の真の独裁性が発揮される。「彼ら」が楽しむ通りに私たちは楽しむ。「彼ら」が見て評価する通りに私たちは鑑賞し、評価する。「彼ら」がこれは酷いと思うその同じものについて私たちもこれは酷いと思う。「彼ら」は私たち全てであり、その「彼ら」が日常性におけるあり方を規定する。[400]

大衆性

ハイデガーが提示したのは「大衆社会」理論に対する哲学者からの一風変わった答えだった。ハイデガーは当時、カール・ヤスパースの著作に親しんでおり、彼の主著『現代の精神的状況』は、機械時代に突入した現代文明における「精神の生」と「人を奴隷化する諸力」の闘争を描く。 「人を奴隷化する諸力」とは、現代と現代文化が持つ様々な力であり、工業力の飽くなき機械化、製品の標準化、大都市、新しい文化、商業化された娯楽、大規模なスポーツ競技会、映画ラジオ、通俗ジャーナリズム、「世論」の操作、等々[401]。 これらの力から生まれるのが「大衆効果」即ち、心を伴わない均一性と危険極まりない順応性を良しとする文化が「独自の判断」を行う可能性を圧し潰し「行動の自由」を雲散霧消させる。則ち現代社会は「個」の抹消という恐るべき現象を生み出すこととなる[402]

『大衆文化』についてのこれらの理論は、全てを商品化する資本主義と『ポップカルチャー』の攻勢に対する保守的なエリート知識人からの悲鳴にも似た反論と解釈することもできる。 ハイデガーのいう『彼ら』は単なる「大衆」とは異なり、現存在も「個人」と単純に同一視することはできない。唯一無二の現存在が「彼ら」に吸収され、無力な状況に置かれる。ハイデガーの哲学的に冷静な文章の端々にヒステリックな否定の声がみられる。

「それ」が私であるはずかない![403]

しかし「彼ら」のどこがそれ程までに恐ろしいのか。ハイデガーは次のように指摘する。 『公共性(Öffent lichkeit)』は顔の見えない「世間」と同一化するというのは、自分自身のあり方を手放すことになる。

かくして、この特定の現存在は、その日常性において『彼ら』に責任を免除される。

そして『平均性(durchschnittlichkeit)』をハイデガーは罵倒する。

『彼ら』は何を試みることができるか、試みてよいかを予め決め、例外的なあらゆることに監視の目を向ける。平均より「優れた」ことは全て、密やかに抑えつけられる。「独創的」なものは全て一夜のうちにならされて、とうによく知られたものに変えられる。「闘争」によって得られるものは全て単なる操作の対象になる。あらゆる「謎」が力を失う。この「平均性」は、現存在の基本的傾向の一つを露呈する。すなわち、存在のあらゆる可能性を「平坦化」する傾向である。

ハイデガーの語彙はニーチェを思わせる[404]

頽落

現存在は日常生活において『頽落(Verfallenheit)』した状況にある。すなわち「彼らと共に」世界・内・存在に没入している。手元にあるものに配慮することまでが「彼ら」の影響にさらされる。哲学用語として用いられても「頽落」はどこか神学の匂いがする。神のまえにある罪深い人間と同様に現存在も頽落する。では、ハイデガーのいう頽落はなにから構成されているのだろうか。 『頽落』は現存在にとって基本的なあり方の一つである。

(1)『世間話(Gerede)』

公共世界における日常会話。「平均的理解が可能」な話し方。「おしゃべり」といってもいい。

(2)『好奇心(Nengier)』

好奇心を持つのは良いことではないのか。ハイデガーによると、好奇心は新しい流行(『彼ら』は目下何をしているのか)と代理経験を欲することである。

(3)『誘惑(Versuchung)』

世界・内に没入、彼らに服従しようとする誘惑。

(4)『鎮静(Beruhigung)』

現存在の落ち着かない気分を日常生活における様々な満足によって洗い流される。現存在の複雑なあり方が我と我が手で世俗的御祓を受ける。

(5)『疎外(Endfremdung)』
存在論的に真である統一された自己から自らを切り離すことをいう。[405]

被投性と投企可能性

この日常世界を避けることは可能だろうか。現存在はそのなかに投げ込まれている。『被投(Geworfenheit)』は現存在にとってコントロールのきかない世界のなかにあるということで「絶望の淵に投げ込まれる」というにも等しい。この状態は『選択された』ものではない。この世界は現存在が責任を負えず、選んだ訳でもない事物に満ちている。にも拘らず、現存在は行動し、選択し、責任を負う余地が残されている。

投企(Entwurf)』とは、現存在が自らにとってあれこれの可能性に向かい、自らを投げかけることである。潜在的可能性は現存在の一部になっている。 現存在にとって、存在することの潜在的可能性が「ある」ことに他ならない。

しかし、被投性が可能性の足をひっぱる。現存在は単に何でも好きなものに投企できるわけではない。「投企」の周辺状況、現存在の技能や知能、等々が投企を制約する。したがって現存在は、被投性と可能性の曖昧な闘争に制約されて存在することになる。現存在は「底の底まで投げ込まれた可能性」である[406]

気遣い

内・存在と共存在、手元と目前にあるものに対処すること、「彼ら」の世界と頽落、被投性と投企可能性、ハイデガーはこれらは統一されたものとし、統一概念として『気遣い(Sorge)』を提示する。 現存在は「気遣い」を通じて次のものを統一する。

(1)『可能性』(現存在の投企)
(2)『被投性』(現存在の可能性を制約する)
(3)『頽落』(「彼ら」の世界に現存在を縛り付ける)

これら全てが「気遣い」という言葉の示す通り、現存在にとって重要である。「気遣い」を向ける事によって現存在は統一される。ハイデガーによれば、現存在は「関心(気遣い)」という構造のなかに存在する[407]

時間性

時間もまた斬新な方法によって考察される。ハイデッガーは、時間というものはアリストテレス以来まったく同じように解釈されてきたと主張する。つまり「過去・現在・未来」という三つの時間が均質的に、しかも無限に続いて存在するというものである。しかしハイデッガーは、根源的な時間とはそれ自体で存在するものではなく、現在から過去や未来を開示して時間というものを生み出す(みずからを生起させる)働きのようなものだと主張する。また現在もそれ自体で生起するのではなく、「死へ臨む存在」(Sein-zum-Tode)としてのわれわれが行動する(あるいはしない)ときに立ち現れるものである。したがってアリストテレスの均質的な「過去・現在・未来」という時間はこの根源的時間からの派生物にすぎないとして、これらの派生現象を可能にする根源的な「時間性」(Zeitlichkeit、Temporalitätとも)の概念を提示した。

時間と関心

アンリ・ベルクソン

ハイデッガーは西欧の通念となっている時間の概念を大きく変形させた。1920年代を迎える頃には既に、デカルト流の近代的時間論を見直す動きが出ていた。ハイデッガーはその中で、フッサールや生動論の哲学者アンリ・ベルクソンについて考察している[408]。ベルクソンは『時間と自由』(1889)で、科学知識と人間の体験性とを区別した。測定を旨とする科学は時間を空間的に扱い、分割可能、数量化可能な幾何学単位の集合とみなし、記されている空間として扱う。(時計の文字盤、或はカレンダーの年月日など) しかし、人間が体験する時間は科学的ではなく、ベルクソンはそんな時間を、過去・現在・未来を含んだ「持続(durée)」と表現した。ベルクソンによれば「持続」は測定を拒否し、一定の規則も標準もないものとされる[409]。フッサールはベルクソンの時間の主張を一歩進めて考察していた。フッサールは人間の意識の中に時間が「どんな姿で現れるか」を知ろうとする。例えば、意識は音楽旋律をどのようにして知るのか。旋律はたとえ初めて聴いても最初から最後まで全て揃った全体として知ることができる。しかし、現実には区切られた音符の連なりに、時間軸に沿って順に出会っていく。フッサールは「旋律は意識の三つの作用が同時に働くことによってのみ知られる」とし、保持・注意・先見の時間意識を通じて未来・現在・過去が一体となったもの、一つに繋がったものとした[410]

モーツァルト

ハイデッガーはまた、モーツァルトの手紙を引用している。

音楽のある部分が、そしてまた別の部分が次々に浮かんでくる。ちょうど対位法の規則に従ってパン屑を集めてパン菓子を作るような具合だ。パン菓子はどんどん大きくなり、やがて、頭の中で曲が殆ど出来上がる。……だから、あとになって心の中で全体を一瞥し、想像の中で全体を聴くことができる。結局、楽譜を書くときには順番に並べなくてはならないが、心の中では全てが同時に聴こえるのだ。

モーツァルトは時間を全てが集まったものと考え、線形や時計のように測定できるものでもないとし、ハイデッガーはこの考え方(聴くことと同義の見ること)を「我々に託された思考の本質」と考えた[411]。 これらの影響を受けたハイデッガーは1927年に、現存在は時間の中に存在するという説を展開した。現存在の「視界」が時間とされ、時間は「関心」の構造に組み込まれる。

(1)被投性―現存在は既に世界の中にあり『過去』から受け取ったものに対処している。
(2)投企―『未来』の可能性に投企しつつ、今を生きるという意味で現存在は常に「自己に先行」している。現存在の存在には、投企によって「まだ無い」ものが含まれている為、現存在が「今、この瞬間に全てがそこに」全体としてあるということはあり得ない。
(3)頽落ー現存在は『現在』の世界に専ら目を向け、手元にあるものと「彼ら」の世界の特定の「今」の中で次々に生じる配慮に対応している。

従って、現存在は根源的に「過去・あり得る未来・自己にとっての現在」という「三つの時制の全て」に存在し、ハイデッガーは時間を数量化しうる幾何学的な線的時間として生じるものではないとした[412]

メタ存在論

1928年のマールブルク/ラーン大学夏講義「論理学の形而上学的な始元諸根拠:ライプニッツから出発して」では存在論をメタ存在論(Metaontologie)に変換させることが提唱された[413]

農村主義

「ドイツ」と「ドイツ性」は何れもあまり明確な概念とはならず哲学者達は躍起になって明確な定義を与えようとしていた。ハイデッガーは通常の方式(人種差別生物学の視点、ドイツ的な慣習を模索する試み、歴史を盾にとる経験主義的主張)に興味を示さなかったが、「農村主義」に訴える方法には共感していた[414]

ナチは新ロマン主義の農村主義的な部分を借用していた。国土の地勢、平野、とりわけを重視する。森の奥深くには精神を再生させる源が、謎が潜んでいる。「非本来的」な大衆が住む都会の対極にあるのが『民族(Volk)』である。民族は有機的な生を営む人々の姿で体現される。に根差した農民とその家族がキリスト教と民族文学で清められ、人々の暮らしの神聖なる中心に据えられる。 禁欲的な農民の姿はハイデッガーの自像でもあった。1920年代のハイデッガーは「彼ら」を避ける為、民族衣装を模した細身のズボンとフロックコートを纏っていた。職人技を実践してみたいと思ったハイデッガーは1922年に山小屋をシュヴァルツヴァルトのトートナウベルクに建てた。この地名は「死」を冠している為、ワーグナーが描いたニーベルンゲンの宝を守るアルベリヒ王の隠れ家になぞらえられた[415]

原初的言語

ハイデッガーのいう「古来」の農村主義はナチが歓迎するもう一つの主張で補強される。それは、ドイツ語の特異性で国家の運命と一蓮托生となっている、という主張である。

フィヒテ

国家主義者の原型でナチスから国民社会主義者の先駆者と目された理想主義的哲学者ヨハン・ゴットリープ・フィヒテが手がかりを提供していた。

古代ギリシャ語とドイツ語は直接に繋がっている。その他のヨーロッパ言語はドイツ語から派生したか、または死語であるラテン語の子孫である。

ハイデッガーによれば、

言語が死ねば思考も死ぬ。思考そのものが堕落し根源から離れヨーロッパ文明の最も古い命の泉との繋がりが絶たれる。 的確に哲学的な思考はドイツ語による思考でなければならない。

ドイツ人こそが今に残る唯一の真正なる古代人であることがこれで証明されたと考える哲学者が多かった。となれば、ドイツの運命は、「世界的役割」は何を措いても哲学的ならざるをえない[416]。 ハイデッガーにとっても、ギリシャ語は「原初的言語」(全てに先行する最初の言語)であり、ドイツ語はその直系の子孫だった。

ドイツ人の中からのみ世界史的思索は生まれる。但しドイツ人がドイツ的なものとは何かを知り、それを守ることができれば、である。

こうした愛国的テーマは、当時主流だった麻薬的主張からの皮相な借用にすぎないのだろうか。ハイデッガーはそこに決定的に重要な「ひねり」を加えた。ハイデッガーによれば、国家の運命は自分自身の極めて個性的な哲学と同じ軌跡を描く[417]

「偉大さ」へ向かうドイツの運命は「事物の本来的知識」が得られるか否かにかかっている。 即ち、ドイツは哲学を必要とする。

世界とは何か

ハイデッガーは1919年の講義「哲学の使命について」において生の直接的経験は「環世界的体験(Umwelterlebnis)」として考察され、「そのつどの固有の自我が鳴り響くということのうちでのみ、環世界的なことが体験される。つまり、世界となる。したがって私にとって世界となるところでは、そのときはいつでも、私はなんらかの仕方でまさしくそこにいるのである」と説明され、環世界的経験は事象ではなく、性起(Ereignis)であると論じられた[418][419]

1919-20年の講義「現象学の根本問題」では「われわれの生は世界である。すなわち、われわれがその内で生きる世界であり、生の諸傾向がその中へと入り、そのつどその内部で進展する世界である。そしてわれわれの生は、それが世界の内で生きるかぎりにおいてのみ生としてある」として、さらに環世界、共世界(Mitwelt)、自己世界(Selbstwelt)の3つの世界構造を論じた[420][421]

1929年-1930年冬学期「形而上学の根本諸概念:世界-有限性-孤独」講義[158]においてハイデッガーは「世界とは何か」という問いについて、

  1. Der Stern ist weltlos.(石は世界喪失的である[422]。=石には世界がない[423]
  2. Das Tier ist weltarm.(動物は世界貧困的である[422]。=動物は世界に乏しい[423]
  3. Der Mensch ist weltbildend.(人間は世界形成的である。)

の3つの命題を出して、まず動物人間の区別の前に物質生命の区別について考察を開始し、生物の本質を有機体に見る[424][425]。ハイデッガーは発生学者ヴィルヘルム・ルーの研究をもって、有機体とは「諸器官を持つもの」のことであり、「器官(Organ)」はギリシア語のorganon(用具)を語源とするもので、有機体は複雑な用具ということもできるが、そうすると有機体と機械の差異は何かと問う[426][425]。さらにハイデッガーは、ハンス・ドリーシュの調和等能系(harmonious equipotential system)すなわち「ある発生系において、材料の除去、付加、組み換えを行っても、常に完全な形態のものに発生する場合の[427]を評価して、ここに規定的な因子としての全体性というイデーを見出しつつ、有機体が要素の総計でなく、その生成と建造構造が全体性によって導かれていることを確認する[428][425]。ただし、ハイデッガーはハンス・ドリーシュが生気論的なエンテレヒーは危険であるとして評価していない[429][425]。またハイデッガーは、ヤーコプ・フォン・ユクスキュル環世界概念について、「肢体の全体性自身をも、われわれが抑止解除の輪と呼んだものが枠組みをなすところの真の根源的全体性を基礎にして初めて理解される」と述べている[430][425]。小林睦の解説によれば、ハイデッガーのいう「抑止解除」とはユクスキュルの「知覚標識による触発」であり、「抑止解除の輪」とはユクスキュルの「機能環」に対応しており、動物が抑止解除の輪=機能環に適合しているあり方をハイデッガーは「朦朧性」としている[425]

ハイデッガーによれば、動物は人間が世界了解する可能性としての開明性を剥奪されており、環世界の対象への衝動に捕囚されているが、動物はまた、対象を感覚する器官がもつ技能を発動し「抑止解除」できるという意味で、対象へと開かれている[425]。したがって、動物と人間との本質的差異は、世界了解する可能性としての開明性を剥奪されていることにあるとされる[425]。また、ハイデッガーはダーウィンの「適応」概念においては有機体と環境が事物存在的なもの(Vorhandenes)にとどまっていると批判している[425]。こうしてハイデッガーは機械論、生気論、進化論はいずれも「有機体の全体的性格を把握できていないとして、存在者の存在様態としての道具的存在性(Zuhandenheit)と事物存在性(Vorhandenheit)の区別を重視する[425]。こうしてハイデッガーは、世界形成的である人間は動物のように挙動するのでなく、存在者への態度をとり、自分を存在者全体の連関において関わらせるのであり、人間にとっての世界とは「全体における存在者としての存在者の開性」を意味すると考察した[431][432]

このようなハイデッガーの思索は、自然科学を無批判に精神科学に適用する「生物学主義」を批判するものであるが、ジャック・デリダは現存在ではない動物は、事物的存在でも道具的存在でもなく、したがって実存カテゴリーによって動物について語ることはできないと批判し[433]、小林睦も少なくともこの段階では「人間中心主義」を免れていないと批判している[425]

『形而上学入門』

中期の代表作ともいえる1935年講義録『形而上学入門』がある。この時期、人間という場において時熟とともに「世界」を開く歴史としての存在にかえて、超絶的な動態としての意味づけがなされた存在が思索される。つづりもSeinとともにSeynが使用されるようになる。存在と人間は対抗関係にある。存在の制圧的な秩序を人間は元初まで見越す知(techne)によって作品(Werk)にもたらし開く。だが作品にもたらされた存在の超力は人間という場(現-存在 Da-sein)において突発的に裂け開き現象し、その超力をすべて治めることは叶わず、人間は存在によって砕け散る運命にある。砕け散ることは存在が人間という場を必要とする理由であり、現-存在としての人間の本質である。存在と対抗関係にありながら存在の発現する居場所であることによって、「人間とは最も不気味なものである」(ソフォクレス)。

『哲学への寄与論稿』

1936-1938年にハイデッガーは公表されざる膨大な覚書を残す。あらゆるものや自然が迅速に算定され、組織的な操業に変えられていくなかで人間の自己喪失は終わりのない過程となる。この根こそぎの喪失へむけて異様な語彙を駆使した思索を残した。死後にクロスターマン版全集第65巻『哲学への寄与論稿』として刊行された。『哲学への寄与論稿』では用語は特異なものになる。そこに書かれたのは神が必需とする存在(他に有・また原存在の訳語 Seyn)であり拒絶(Verweigerung)が、存在(Seyn)の呼びかけと現-存在の聴従的帰属(すなわち呼びかけへの応答)の「対抗躍動」として、底無しの深淵(Abgrund)として、人間という場において開けていく性起(他に自現の訳語 Ereignis)である。この動態は「開け透かす覆蔵」、「語り拒み[語り与え]」といった言い回しであらわされ、覆蔵として、また語り拒みとしての贈与とされる。それは単なる自己隠匿ではない、むしろ「自らを覆蔵するものがそのものとして自らを開き明けること」という意味で差し向けの親密さであり拒絶の差し向けとしての開け・最高の贈与である。また悟性や理性といった人間知による確認や算出の不可能である。存在(Seyn)の開けは没落を要求し、その者たちは守護された炎の中で焼き尽くされる。その犠牲は存在に立ち去られることからの退路であり、それは「反-動的な者たち」の「活動」とは全く別である。「反-動的な者たち」は「近視眼的に見られた従来のものに盲目的にしがみつく」だけである。そのように存在者は回復を経験する。人間はこの存在(Seyn)の開けを見守ることしかできない。これらはハイデッガーの従来からの命題「既在的に将来すること」の深化でありすなわち歴史的でありまた予言的ともみえ、高度資本主義社会における実存の不可解を暗示しているかにもみえる。いま重要なのはこの覚書が現実との接点のない詩・絵空事・夢であると決めつけず、また一部研究者のいうような単なる「アイデアの貯蔵庫」とかたずけ良しとせず、また黙示録性にたいし臆せず、現在の時代性において読み説くことであろう。

「ヒューマニズム」批判

ハイデッガーは戦後の著作『「ヒューマニズム」にかんする書簡』においてサルトルが本質と実存を転倒し、実存の先行性を訴えたとし、にもかかわらずそれら既存の形而上学から抜け出ていないことを指摘した。ハイデッガーからみればサルトルの思想は時間性の本質-存在の問い-を省いた空虚さを備えている。サルトルもまた存在忘却の歴運の中にある。ハイデッガーは「人間らしさ」に反対はしないが、ヒューマニズムには反対する。ただヒューマニズムが人間にたいし人間性を十分高く設定しきれないからであり、最高のヒューマニズムさえが人間の本来的な尊厳には届かないからである。

またハイデッガーは『ヒューマニズム書簡』ではカール・マルクスについても言及しており、「家がないことが世界の運命となっている。存在史の点からこの運命を考察する必要がある。マルクスがヘーゲルから受け継いだことは、現代人の存在の家がなくなったことにそのルーツがあるような人間の疎遠性である。この家がないことは特に形而上学という形態における存在の運命から発生すると同時に、そのようなものとして身を隠し、覆われる。マルクスは疎外の経験によって歴史の本質次元に到達したゆえに、マルクス主義の歴史観は他よりも優れている」と、しかしフッサールとサルトルは存在における歴史性をの本質的な重要性を理解していないし、現象学と実存主義はマルクス主義とその中で初めて生産的な対話が可能となるような次元に入っていない、とする。ハイデッガーによれば、唯物論の本質は、すべての存在者が労働の素材として現出すると形而上学的に限定することにあり、共産主義を党派または世界観イデオロギー)としてのみ受け取る者は短絡していると批判している[434]

ハイデガーは「人間」を、或は「実存的人間主体」でさえ何かの中核としようなどとは思っていなかった。ハイデガーは何よりも先ず存在論者で実存主義者ではなかったからである。 『存在と時間』は人間存在を考察する書であり、実存主義的用語(本来性、不安、等々)を用いてはいるが、それは存在そのものを考察する過程でそうしているに過ぎない。ハイデガーにとって最大の関心事は人間でも人間主体でもなく『存在』である[435]

ハイデガーはヒューマニズムにサルトルより根源的な意味を持たせた。そこで問題となるのは人間そのものではなく。「存在との関係における人間」である。ハイデガーによれば、人間は「存在の羊飼い」である。存在に注意を払い、存在を庇護する。そして、そこに人間の尊厳がある。

この意味での人間は、ヒューマニズムに関わるあらゆる概念に先行する。人間のより「本質的」な捉え方である。

これは人間主体についての西欧の通念を揺さぶる考えである。 ハイデガーは、人間なり主体性なりを哲学を構築する出発点、中心、基盤とすることを拒否した。しかし、ヒューマニズムを解体するというのは非人間性を良しとすることにならないだろうか[436]。 ハイデガーは非人間性を擁護するつもりも「野蛮な残忍性」を美化するつもりも、価値観のない状況を推奨するつもりもない、と主張する。

人間が適切な方法で生きるための諸規則が、たとえ脆弱にしか人々を繋ぎ止めえないとしても我々はその規則を守るべきである。しかし、それより先に「存在の問題」が来なければならない。「存在」は存在するもの全てに先行する。 もし、それによって人間や人間的価値観が中心から押し退けられるのであれば、それはそれで仕方がない。

このようなハイデガーの捉え方に評論家の意見は鋭く対立していた。主体性についてのあらゆる問題が再考察の対象となるのは避けられない。しかし、同時にハイデガーが人間の隣人としての人間ではなく「存在の隣人」としての人間を描いたことによって、人間が考察対象としての価値を増したのも事実である[437]

技術論 Ge-stell

すでに1930年代の覚書でも書かれていた算定性の組織化が、さらに熟考をされ、Ge-stellとして概念化された。日本語訳は「集-立」「立て組」「総かり立て体制」などがある。Ge-stell は、ユンガーの『労働者』に影響を受けている[438][439]。ユンガーは『労働者』のなかで「技術とはその内で労働者の形態が世界を動員する仕方である」と述べている[440]。Ge-stellの先駆概念としては「工作機構 (Machenschaft)」がある[441]

人間は、自然を最大限の効率で役立つものにすべく、露わに発き(あらわにあばき)挑発し集め-立たせる。同時に、人間は、自己に対して、それを遂行する役立ち得る主体として、仕立て、挑発し、集め-立たせる。これらは、絶えざる挑発の派生として、呼びかなめとしてなされる。そのようにして、全体は、抜け目なく駆り立たされ、役立ち得る主体として、人間は発かれ淘汰されることとなる。ここには、真理にとって最高の危険が存している。近代社会における命運が、ここでは端的に表されることとなった。集-立である存在忘却への追い遣りは、存在自身の自己拒絶に至る。このとき、危険の転向が、急遽現れ起こる。存在忘却は、世界(現-存在)による存在の成否の見護り、存在の真理による見護りなき存在への見入り(存在の真理の閃き)に転回する。この見入りの瞬きの出現において、人間は、我執を去って、その瞬きの呼び求めに応答し、自己を棄て-投げる。かく応答しつつ、人間は、神的なるものに目見える自己となる。ここには、1930年代後半からの存在の思索の1960年代までにいたる継承と発展がみえる。

1953年の「技術への問い」では、西欧形而上学思想を「別の思考」の可能性において開くという計画を述べており、ソクラテス以前の哲学者やアリストテレス、ショーペンハウアーが「充足理由律の四つの根拠について」における省察やニーチェによる因果性への批判をもとに、物理的原因(ヒュレー、質料)、形式的原因エイドス(形相)、最終原因(テロス)、効果的原因の四つのタイプに原因を分けた[442]

テクノロジー批判

ハイデッガーにとって思索に必要なことの代表がテクノロジー批判だった。ハイデッガーは1950、60年代を通じて現代テクノロジーの「際限のない支配」を指摘し続けた。測定し、数え上げ計算する論理が全てに適用され、人間の活動が「効率」(最小出力で最大出力)で評価され、自然は支配し、操作する対象となる[443]

テクノロジー的思考は自己に限界を設定しない。無限に拡張可能なので他の思考形態を侵食する。 世界と人間は無節操にテクノロジー化され、人間どうしのやり取りまでが「電子的に思考し計算する機械」に、それ自体が目的となった「情報」を撒き散らす機械に任される。

ハイデッガーはまた「テクノロジー」の失われた意味も探し出す。この言葉が製造活動に応用された科学的思考を意味するようになったのは、1830年代のことだった。しかし、テクノロジーはギリシャ語の『テクネー(τεχνη techné)』から派生した言葉である。

『テクネー』は職人の活動と技能を意味するだけでなく「精神芸術」や美術をも指していた。 『テクネー』にはまた、的ニュアンスも、つまり『ポイエーシス(Ποιητικῆς)』の意味もあった。

ギリシャ語の『ポイエーシス』は「生成する、現在させる」ことを意味する。これはあらゆる職人作業に、また芸術に当てはまる。テクネーとポイエーシスは根源的開示であるアレーテイアの言葉である。現代の「テクノロジー」はこの意味を失っている。テクノロジーも「開示」はするが、ポイエーシスを消し去るやり方でしか開示できない[444]

テクノロジーはポイエーシスではなく、配置する形で機能する。配置されることによって事物は完全に「利用可能なもの」として現れる。個物は完全に使用、採取、操作などが可能なものとして開示される。 したがって、全てはいつでも利用できる『在庫Bestand』、資源、供給源となる。テクノロジーの時代にあっては在庫とは単に現実にあるものを意味する[445]

我々の現実は『在庫品』だ。

配置することは、自然に「戦いを挑む」こと、「手を加える」ことである。

農業は今や、機械化された食糧産業である。大気は手を加えられて窒素が抽出され、大地は鉱石を、鉱石はウラニウムを抽出される。ウラニウムは手を加えられエネルギーを抽出される。手を加える事によって内部のものが露呈され、最小費用で最大収量を得るべく努力が続く。

テクノロジーの危険性

テクノロジーは開示の一形態として「在る」。しかし、存在するもの達を顕す為にテクノロジーはそれらを威圧し、強要し、挑み、支配する。つまり、それらを「在庫品」として現れさせる。 そのどこが危険なのか。ポイエーシスが力を失い、古代ギリシャの原初的開示形態が排斥される。ハイデッガーは、あれこれの機械や技術に、或はそれらの特定の使い方に、社会環境への悪影響にテクノロジーの危険性を見たのではない。真の危険はテクノロジーが人間を存在からさらに遠ざけるところにある。 ハイデッガーは解決策も提示する。テクノロジー的配置の「内側」にポイエーシスは隠されており、配置することも「開示」の一種であるからだ。ポイエーシスがそこに「助ける力」として隠れている。ハイデッガーによれば、ポイエーシスを誘き出すことだけに希望がある[446]。それは、内省的思索と芸術によってのみそれが可能となる。「詩的開示の力」を持つ芸術は、テクノロジーに似てはいても根源的に異なるものとして詩的テクネーを呼び戻せるかもしれない。これは実行不可能で静観的に、或は受動的にさえ見えるかも知れない。ハイデッガーは「あるに任せる」ことを内省的に存在と調和することを奨励する[447]

通常の如何なる行動も役に立たない。 行動は「既にテクノロジーに組み込まれている

本質的問い

ハイデッガーのいう歴史の中で存在は「イデア」、「実体」、「主体」、「意識」と名付けられてきた。名前は他にもあり、例えばニーチェは「力への意志」と呼んだ。これは「形而上学的」な西欧思想の歴史であり、そこでは「存在」は次第に忘却されてきた。しかしそれは正確には自己を退かせてきたことであり、プラトンアナクシマンドロスが論理や観察による推論、計算、証明を求め始めるや、存在は忘却の可能性へと追いやられてしまった。

形而上学はどこで完結するか。1900年に没したニーチェの著作において。

取って代わったのは何か。

「テクノロジー」

テクノロジーは『存在忘却(Seinsvergessenheit)』の最終段階である[448]

ハイデッガーのテクノロジー批判は単なる反モダニズムでもエコロジー推進でもないもっと本質をついた批判である。しかし、ハイデッガーは本質的に思索するなかで、不用意なイメージや反動的な田園賛美や農村ノスタルジーを駆使し、また、経済的、社会的、政治的、倫理的吟味にも欠ける。ハイデッガーからすれば、それらは完結した形而上学やテクノロジーの考えるべき事だったからそこには目を向けなかった[449]。 決定的に重要な問いは一つしかない。

人間は数え上げるのが好きな生き物だ。人間性の本質はこれが全てだろうか。それとも、人間の性質、存在への所属、存在の本質といった考える価値のある部分が残っているのだろうか。それが問題だ。これは思索についての世界的問題である。これに答えるか否かに地球と、そこに暮らす人間実存の将来がかかっている。

放下

放下とは、技術への対し方として、ハイデッガーが到達した概念である。我々は、技術の進化を、我々の本質(存在)を塞き止めないことにおいて、放置することができる。つまり、避けがたい使用を放置することができるのである。同時に、我々の本質を歪めるその限り、否を向けることができる。この二重性が、技術への対し方である。講演「放下」に於いては、放下とともに、技術時代での存在(Seyn)の覆蔵という仕方での到来を密旨とし、密旨に向けて自己を開け放っておく態度を挙げて、「物への関わりに於ける放下」と「密旨に向かっての開け」を「その上に於いて、私共が技術的世界の内部にあって、而もその世界によって害されることなく立ち、そして存続しうる如き新しい根底と地盤を約束」する「新しい土着性への展望」とした。

芸術論

ハイデッガーは哲学を「西欧形而上学」の一言で片づける伝統を克服せよ、と呼びかけている。そして、自分自身の在り方を「哲学」から「思索」と峻別し呼んでいた[450]

思索のうえでハイデッガーは、古代ギリシャのソクラテス以前の哲学や中世の神秘主義非西欧哲学を経て、「美術」と「詩」に目を向けていた[451]。美術の考察であり、ハイデッガーの美術論は1935年から1936年にかけて大学の講義で披露された。当時は、表現主義ダダイズム構成主義、新客観主義ブレヒト即物主義の芸術家らが一世代をかけ、既存の芸術的価値観に疑問を呈してきたところだった。1933年にナチの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスと彼の配下の帝国文化院は美術分野を「調和」させはじめる。それらは容易な作業ではなかったが、モダニズム芸術等の一部はゲッベルスをはじめ、ナチ党員の一部からは許容されていた[452]。しかし、政治当局、学術員、芸術家との4年に渡る論争の末、1937年までに「堕落」した芸術を嘲笑する展覧会(退廃芸術展)を開催し、モダニスト等の作品は閉め出され、ゲッベルスは当局に妥協することとなった。この様な中で、芸術論に目をとめたハイデッガーは「美術には特に魅力的な種類の開示が可能だ」と主張し「開かれた場、空き地(Lichtung)」の概念に重要な修正を加えた[453]

本質的対立

世界は人間の行動と関係の場である。つまり、人間の歴史の場であり「決定と作業、行動と責任を通じて絶えず変化する領域」である。通常は「社会」や「文化」と呼ばれるが、ハイデッガーはそうした名称に先行するより包括的で根源的な用語をあてようとした。 「大地」は植物動物等々の領域であり、そこで起きる出来事は人間の歴史や関係とは無縁である。西欧の科学や哲学は「自然」といった言葉を用いてきた。しかし、ここでもハイデッガーはより根源的な用語をあてることによって従来の思考形式から逃れようとした。これらの二つの領域はどう関係し合っているのか。二つは「アレーテイア」の働きのなかで正反対の立場に立つ[454]。 (1)世界は開かれている傾向があり、光と隠れていないことの側に立つ。(2)大地は閉じていること、隠れていること、庇護し維持することの側に立つ。従って、この二つの領域は本質的な対立関係にあり、敵対している。しかし、この対立の側面は絶対的に分明ではない。

大地は概して退くが、世界のなかに伸び上がることもある。例えば、人間に操作されたり「自然」と名付けられたりする。そして、人間の決定と行動は常に完全には支配されていないものの「大地」を基盤とし、その方向へ引きつけられる。

これらは奇妙を通り越して正気の沙汰とは思えぬ主張ともいえる。しかし、ハイデッガーにとっては従来の思考形式から逃れるために必要な方法であった。それにハイデッガーが何に典拠を求めていたかを知ればやや納得もいく。それは古代ギリシャのソクラテス以前の哲学である[455]

前ソクラテス

ソクラテス以前の哲学の多くは短い断片としてしか残っていない。ハイデッガーは学生時代からこれらの断片の解釈を試みていた。 彼らは概して宇宙論的理論を提示し、特定の事物(人間、植物、動物、惑星)を説明していても、それらを統一する土台を求め続けていた。 彼らの思索は観察実験に負うところが殆どないが神話的な神々や霊にも頼っていない。ハイデッガーは何故彼らに惹かれたのだろうか。今日、我々が思う意味での哲学に先行している故に、より「原初的」に思えたのだろう。さらに彼らは存在を「忘却」していなかった[456]

ハイデッガーはパルメニデスアナクシマンドロスについて講義しており「対立、敵対」の概念はヘラクレイトスによるところが大きい。ヘラクレイトスによれば、宇宙の三大要素である火、水、土は絶えず闘争しており、それぞれが冷たく湿った部分と熱く乾いた部分を持っている。ハイデッガーはこの闘争のなかのパラドックス的な「隠れている調律性」を気に入っており、彼の言う存在するものの二つの領域、「世界」と「大地」を関連づける手段になる。一見安定した現実は両者の対立のなかでのみ生じる[457]

靴は何を開示するのか

ハイデッガーは靴を例にとる。靴はそれを使用するだけで道具として開示される。となると、絵を描いてもまた開示されるということはあり得ないのではないか。しかし、異なる方法で開示されることは可能かもしれない。1930年、ハイデッガーはフィンセント・ファン・ゴッホが描いた靴の絵8作品のうちの1作を目にした。それは1886年の『古靴』と思われる。ハイデッガーは靴の持ち主を農婦と仮定し、靴が「大地」に帰属すると主張する[458]

履き古された靴の暗い内側から仕事に疲れた農婦の足取りがこちらを見つめる。そこには、吹きすさぶ畑の遙かに続く畝の間をゆっくりたどる農婦の粘り強さが蓄積されている。革の上には豊かな湿った土がついている。靴底の下に広がるのは、夕闇迫る寂しいあぜ道だ。この靴には、大地の声なき呼びかけが熟れていく小麦という大地の静かな賜物が、作付けされていない冬の畑の荒涼が響いている。

この散文のなかでハイデッガーは靴が人間の「世界」にも属していると書く。

この用具には、パンが手に入るだろうかという愚痴にはならない心配事や、今度も窮乏を乗り越えたという言葉にならない喜びや、出産の不安や死の脅威への恐れが染みこんでいる。……この美術作品は大地と世界の双方に属している。

芸術論の意義

ハイデッガーは意外な方法で芸術を論じ、事実上、芸術を再定義したといってもよい。彼の定義によれば、芸術とは本質的対立の体現であり、作用中の真理が発生する場である。これらの試みは賛否両論あり、問題も数多い。例えばハイデッガーは「偉大な作品」のみを対象にすると言っているが、どれがそうだと決められるのだろうか。ハイデッガーにとって決定的に重要なのは、自分の「存在」に対する語彙を哲学や科学や日常的思考よりも居心地のよい場所に置くことであった。その場所が芸術だったのである[459]

詩の名前

ハイデッガーの芸術論は視覚芸術を優先しているように見えるが、彼自身は「言語」作品こそ最重要と強調し続けていた。それらは「名前」をつけるからである。 ハイデッガーによれば、存在するものたちは言葉無しに開いた場に現れることは出来ない。名は本質的に、存在するものとその特徴すべてに名前をつけ、ある意味で個物に存在を許可する。名前が存在するものを確立し「保存」する。

名前をつけるのは「関係をつけること」である。……一つにすること、許可することでもある。……しかし、名前は失われることもある。

ハイデッガーはこれを『詩』と呼ぶ。言語の通常の使い方ではなく、日常的なコミュニケーションとも異なる。存在に合わせて調律され、存在に呼応する「本質的」な言葉の流れである。ハイデッガーの思索のなかで「詩」は優遇的位置を占める[460]

ハイデッガーは『本質的言語』を、存在について語れる『詩』を求めていた。通常の意味での詩(文学的韻文)にも重要な役割があった。ハイデッガーは古典の作品を認めており、また、新ロマン派や表現主義モダニズムにも関心を抱いている。 これらの詩作者には、内在的体験や現代における精神生活も含まれていた。とりわけ筆頭に挙げられたのがフリードリヒ・ヘルダーリンである[461]

ヘルダーリンの遺産

ハイデッガーはヘルダーリンについての論文を5篇書き、しばしば引用もしている。ヘルダーリンは本質的名前付けと存在の諸領域(世界と大地と神々)を探索しているように見えた。それ故、ハイデッガーはヘルダーリンこそ「存在を知る人」だと感じていた。ハイデッガーの思索はこの詩的権威を必要としていた[462]。 ハイデッガーは世俗の神学と哲学的な詩論を同時に構築しようとし、異教とキリスト教の廃墟に隠れた神性は既存の正統的な宗教のいずれにも馴染まず、ヘルダーリンと同様に彼自身も名前のない新たな神を求めた。キリスト教にせよその他の宗教にせよ、すぐに想起されるそれまでの名前では新たな神を呼び出すことは出来ない。しかし、何故そんな神が必要なのか。

本質的な言葉(名前を付け、存在を確立する言葉)は絶えず「唯一にして同一のもの」に、即ち、単一の点に関連づけられなくてはならない。

これは「不断で永久的」なものと理解する必要がある。つまり、変化しうる如何なるものより先行する。ハイデッガーのいう「神性」の概念はこの条件を満足する[463]

ヘルダーリンは存在の秘密(顕すことが同時に隠すことを保持するパラドックスで、論理学を揺るがすあの謎)を知っていたかのようにみえる。ハイデッガーはアルプスを越え、故郷シュヴァーベンを目指す詩人の旅を描いた1802年のヘルダーリンの詩『帰郷(Heimkunft)』をもとに、1944年に『詩人の追想』という題で論文を書き、ヘルダーリンのテーマを膨らませている。ハイデッガーはこの詩を光の言葉で語られた「喜ばしさ(Freudiges)」であるとする。光のさらに上にあるものを本質的な「喜ばしさ」としたうえでこれを「晴朗さ(die Heitere)」と呼んだ[464]。詩人が帰郷するということは喜ばしいものに接近しているという幸せな状態から離れることにならないのか。ハイデッガーはそう考えず

接近というのは、二つの間の距離として最も短いわけではない。接近によって近さは近くなるが、同時に、その場所を求めるという意味で近さを近くなくする。接近は「近さと距離を置きながら」近さを近くする。接近は謎だ。……近さは近くて遠い。遠いものとしての近さは退き、隠れている。……しかし、近さが部分的に隠れていなければ近さではなくなる。そこに近さの謎がある。

存在の山並み

ブレーメン講演の第一講演「物」でハイデッガーは「存在の山並み(das Gebirg des Seins)」について語り、この語は1950年代からハイデッガーの最晩年に至るまでについての思索において多用された[465]

神について

1921年、講義「アウグスティヌスと新プラトン主義」ではアウグスティヌスの『告白』10巻の解釈において、アウグスティヌスは「それにおいて魂が身体に固着し、また自らの質量を動かすところに力(kraft)を見出す」が、そこに神を見出さないが、これは「もはや、これやそれが神であるのかどうかではなくて、私は<そのうちで>=<それでもって>=<そのなかで生きつつ>神を見出すのかどうかが問われている[466]」として、神を対象化することが断念されていると論じられ、アウグスティヌスが「私の記憶」へ、さらにそれを越えて「内なる超越」を行っていくという方向性は、ハイデッガーの「存在と時間」や、「ヒューマニズム書簡」での「脱自的に開けた明るみの中へと立つこと」「存在の近さのうちに脱自的に住むこと」をEksistenzとしていることと重なるものであると上田圭委子は論じている[467]

一方、1921/22年講義「アリストテレスについての現象学的解釈」では「たとえ私が哲学者としてありつつ、宗教的な人間でもありうるとしても、哲学することにおいては宗教的にふるまうことはない。」「哲学はその根底的で自立した問いかけの態度においては、原理的に非神論的(a-theistisch) でなければならない」と語られた[468][469]。後にヘルダーリンの読解においては、「神的なるものたち(die Göttlichen)」が語られた[469]

ハイデッガーが教会で聖水をうけて片膝をついて祈る姿をみたマックス・ミューラーが、教会のドグマから距離をとっているのに矛盾していないかと問うと、「ものは歴史的に考えねばならない。そんなにも多くのお祈りがなされた場所には、神々しいものがまったく特別な仕方で近くにいる」とハイデッガーは答えた[470]


  1. '^ ネイティヴによる「Martin Heidegger」の発音”. Forvo. 2013年12月11日閲覧。 戦前にはハイデッゲルとも表記された。三木清「ハイデッゲル教授の思い出」(全集17)等
  2. ^
    Zum Werke, daß wir ernst bereiten,

    Geziemt sich wohl ein ernstes Wort,
    仕事をする時はまじめに準備し、まじめな言葉だけが正しいのだ(:9-10行)
    So laßt uns jetzt mit Fleiß betrachten, Was durch die schwache Kraft entspringt, Den schlechten Mann muß man verachten, Der nie bedacht, was er vollbringt. Das ist's ja, was den Menschen zieret, Und dazu ward ihm der Verstand, Daß er im innern Herzen spüret, Was er erschafft mit seiner Hand.
    精励さは俺達を観察させる、 弱い意志が芽生えるのを、 前へ進む眺望を持たない 役立たずは軽蔑される そうだ、それが人を美しく飾るもので、 だから人は理性を持つ、 内奥の心で、

    自分の手で作り上げたものを感じるのだ(:13-20行) — Johann Christoph Friedrich von Schiller,Das Lied von der Glocke,1799[13]
  3. ^ 神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世以来、神聖ローマ帝国は「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」(Heiliges Römisches Reich Deutscher Nation)を正式名称とするようになった。
  4. ^ ボイロン修道院はかつてはアウグスティーノ修道会の修道院であったが一時さびれたあと、1863年にカタリーナ・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯爵未亡人による財政援助によって復興した。Die Erzabtei St. Martin zu Beuron公式サイト。以下の論考「現象学と修道生活:マックス・シェーラー、マルティン・ハイデッガー、エディト・シュタインとボイロン修道院」もハイデッガーとこの修道院との関係に言及している。Johannes Schaber OSB: Phänomenologie und Mönchtum. Max Scheler, Martin Heidegger, Edith Stein und die Erzabtei Beuron; in: Holger Zaborowski & Stephan Loos (Hg.): Leben, Tod und Entscheidung. Studien zur Geistesgeschichte der Weimarer Republik. Berlin 2003, S. 71–100. なお、日本ではボイロン修道院の宣教師が1930年代に茅ヶ崎に修道院を建設しているボイロン修道院のベルナルド・ハップレは宣教師として日本を訪れ、1934年には東京の田園調布に、1936年には神奈川県の茅ヶ崎町甘沼に殿ヶ丘修道院が設立された(1939年閉鎖)[62]
  5. ^ ヴェルダン前線で第414前線気象観測部隊に従軍したともされるが(茅野良男作成年表1984,p237-319)、フーゴ・オット(1995
  6. ^ 当時フライブルク大学は市の失業者対策への協力として講習会を開き、「ドイツの社会主義」をテーマとしてエーリク・ヴォルフ教授、マクシミーリアン・バック教授、ハンス・モルテンセン教授、クルト・バウホ教授、ナチス幹部ヴァルター・ミュラー=ギスカールによる演説がなされた[200]
  7. ^ 1933年11月25日の講演「労働者としてのドイツの学生」[217]
  8. ^ ただしこれは黄金ナチ党員バッジと呼ばれる党員番号10万番以内の古参党員と、非ナチ党員を含む功績者に授与されたもの。ハイデッガーの党員番号は3125894であった。
  9. ^ ドイツ学イタリア研究所はジャニコロのシャラ別荘に設置されており、ここでは1935年1月にハンス・カロッサ(のちゲッベルスが組織したヨーロッパ作家同盟議長)の朗読で開始され、ほかに地政学カール・ハウスホーファー「文化と歴史の発展の環境変動」、オスロー大学マグヌス・オルゼン「ローマと北欧の古代詩」、ウィーン大学の歴史学者でアーブラハム・ア・ザンクタ・クラーラ全集刊行にも関わったハインリヒ・フォン・ズブリク「1848年以後のゲルマンにおける自由主義と民主主義」、ハンス・ハイゼ「カントと古典古代」、カール・シュミット「理論上の三つの構成要素から考察した国家統一の理論」、カール・レーヴィット「ニーチェの文章と解釈」、カルロ・アントーニ「帝国の歴史的形成」、デリオ・カンティモーリ「ナチズムの政治原則」の講演が行われた[243]
  10. ^ ハイデッガーは全集16(GA16,p.617)、全集79(GA79,p93)でも老子を引用している[303]。1962年7月の講演「伝承された言語と技術的な言語」では荘子を引用した[306]。中国思想とハイデッガーについてはオットー・ペゲラー「ハイデッガーと老子-東西の対話」井上克人訳、理想(季刊)(理想社刊) 1987年 p122.132、ドイツ思想史からみたRolf Elberfeld,Laozi-Rezeption in der deutschen Philosophie:Von der Kenntnisnahme zur "Wiederholung",ヒルデスハイム大学.2001. 関口浩による訳注『技術への問い』平凡社ライブラリー, p265-266.
  11. ^ 1987年にR・マルティンの回想によれば、「この運動の内的真理と偉大さ」という箇所を削除するようハイデッガーに勧めたが、ハイデッガーは削除に応じず「この運動の内的真理と偉大さ(惑星規模の規定を受けた技術と西欧的人間との出会い)」と括弧内の文章を付け加えた[332][333]
  12. ^ グラスは78歳になった2006年に自分が戦時中武装親衛隊に志願したことを自伝『玉ねぎの皮をむきながら』で告白した(Günter Grass enthüllt„Ich war Mitglied der Waffen-SS“FAZ2006-8-11)。そして、これまでそのことを隠していたことは過ちであったとした(Grass admits confession 'mistake',BBC23 August 2006)
  13. ^ ヴァルター・ビーメル(Walter Biemel)はフライブルク大学フッサールアーカイブ所員でフッサールとハイデッガー全集編纂委員。
  14. ^ 詩篇130篇には「主よ、わたしは深い淵からあなたに呼ばわる。[…]わが魂は夜回りが暁を待つにまさり、夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます。」、マタイ伝5章には「わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。[…]敵を愛し、迫害する者のために祈れ。[…]天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。[…]あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」、マタイ伝6章には「自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。[…]隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。[…]わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。[…]もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。」、マタイ伝第7章には「人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量りが与えられるであろう。[…]偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。[…]わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。」とある。
  15. ^ フランスの論争の日本への紹介は雑誌「現代思想」1988年3月号、5月号。1989年4月臨時増刊号、青土社で紹介。
  16. ^ トーマス・マンの息子ゴーロ・マン(Golo Mann)の1986年の自伝Erinnerungen und Gedanken(Frankfurt/Main ,P324)などでも参照されている[518]
  17. ^ ドイツ語Weltjudentum は英語ではWorld Judaismであり[531]、ヒトラーが『我が闘争』でも Weltjudentum (世界ユダヤ人)と書いている。
  18. ^ ドイツ語Machenschaft。英語machination。策謀、企み、陰謀などの意味がある。
  19. ^
    Der Sturm, der durch das Denken Heideggers zieht wie der, welcher uns nach Jahrtausenden noch aus dem Werk Platons entgegenweht - stammt nicht aus dem Jahrhundert. Er stammt aus dem Uralten.
    ハイデッガーの思考を吹き抜けていく嵐は、2000年以上の後にもなおプラトンの作品から我々の方に吹き寄せてくる嵐のように、この世紀からのものではない。それは太古の昔から吹いてくるもので、それが後に残すものは、完成されたものであって、すべての完成したものがそうであるように、太古のものに帰属する。 — Hannah Arendt, Martin Heidegger ist 80 Jahre alt ; Menschen in finsteren Zeiten,hg. von Ursula Ludz,1983.p184.
  20. ^ 西田幾多郎記念哲学館がある。
  21. ^ ハイデッガーの英語圏書誌情報が網羅されているサイトEreignisを参照。また小野真.2002,viiなど。
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