八紘一宇 用例

八紘一宇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/15 20:53 UTC 版)

用例

戦前

日本軍の航空基地に掲げられた「八紘一宇」の旗印。航空兵に対し「肇国の精神」実現のスローガンになっていた。
紀元二千六百年祝典記念章(表面)。空色地に紅色線が8本通った綬の配色は八紘一宇を表現したものとされる[38]
国民服儀礼章と箱。儀礼章の台座の四角形は八紘一宇を表しており[39]箱には「八紘一宇」の文字が表記されている。
  • 田中智學日本国体の研究」(1922年(大正11年)初版)における『宣言 =日本国体の研究を発表するに就いて=』(初出:国柱会日刊紙『天業民報』、1920年(大正9年)11月3日)
    天祖は之を授けて「天壌無窮」と訣し、国祖は之を伝へて「八紘一宇」と宣す、偉なる哉神謨、斯の文一たび地上に印してより、悠々二千六百載、スナハチ君臣の形を以て、道の流行を彰施す、篤く情理を経緯し、具に道義を体現して、的々として人文の高標となれるものは、日本君民の儀表是也、乃神乃聖の天業、万世一系億兆一心の顕蹟、其の功宏遠、其の徳深厚、流れて文華の沢となり、凝りて忠孝の性となる、
    体に従へば君民一体にして平等、用に従へば秩序截然として厳整、這の秩序の妙を以て、這の平等の真に契投す、其の文化は静にして輝あり、是の故に日本には階級あれども闘争なし、人或は階級を以て闘争の因と為す、然れども闘争は食に在て階級に関らず、日本が夙く世界に誨へたる階級は、平等の真価を保障し、人類を粛清せんが為に、武装せる真理の表式なり、吁、真の平等は正しき階級に存す、人生資治の妙、蓋斯に究る。
  • 陸軍教育総監部「精神教育の参考(続其一)」(1928年(昭和3年))
    積、重、養と云ふは総合的広大持続を意味する生成発展の思想である、静的状態より動的状態への展開である。
    今や天業恢弘の気運に向へり、養正を主とし積慶、重暉を加へ以て八紘を掩ふて一宇と爲さむとし給へるもの即建国精神の第三なり。
  • 陸軍省出版班「躍進日本と列強の重圧」(1934年(昭和9年)7月28日)
    五、結言──危機突破対策
    二、日本精神の宣布
    列強の対日反感は、一面皇国の驚異的飛躍に基くと共に、皇国の真意に対する認識の欠如による事も大である。
    皇国は肇国の始めより、厳として存する大理想たる、八紘一宇の精神により、排他的利己主義を排し、四海同胞、一家族的和親の実現によって、世界人類の発展と、恒久平和とを招来せんことを庶幾しつつあるものである。
    彼のチモシイ・オコンロイの「皇道なる名称は、世界支配の大野心をカムフラージュせんが為め与えたるものである」と謂う如きは、全く我が真意を認識せざるもので、斯る蒙を啓く為め、日本精神を世界に向って宣布することが喫緊である。
  • 関東軍参謀部第二課「関東軍軍歌」(1936年3月10日)
    5番
    旭日の下見よ瑞気
    八紘一宇共栄の
    大道ここに拓かれて
    燦々たりや大陵威
    皇軍の華関東軍
  • 国際反共連盟「国際反共連盟設立趣意書」
    帝国現前の諸政は、一切の活動力を共産主義絶滅の一事に集中せざるべからず。若し夫れ此の大旆を掲げて滅共産の下に内外を振粛し来たらんか、義を愛し、正を好むの日本国民にして、誰が砂上に偶語する者あらんや。如是にして内に既に基礎を置くこと堅固ならんか、大小の国家又我大義のあるところを涼となし、喜んで防共の目的を一にせんとするに至るや疑ふべからず。是れ真にまつろはぬものを伐ち平げて八紘一宇の大理想を顕揚するものと謂ふべき也。
  • 内閣情報部愛国行進曲」(1937年12月)
    2番
    起て一系の大君を
    光と永久に頂きて
    臣民我等皆共に
    御稜威に副はむ大使命
    往け八紘を宇[注 8]となし
    四海の人を導きて
    正しき平和打ち立てむ
    理想は花と咲き薫る
  • 基本国策要綱(1940年(昭和15年)7月26日第2次近衛内閣によって閣議決定された政策方針
    「皇国ノ国是ハ八紘ヲ一宇トスル肇国ノ大精神ニ基キ世界平和ノ確立ヲ招来スルコトヲ以テ根本トシ先ツ皇国ヲ核心トシ日満支ノ強固ナル結合ヲ根幹トスル大東亜ノ新秩序ヲ建設スルニ在リ」
  • 日独伊三国軍事同盟締結における詔書(1940年(昭和15年)9月27日
    大義ヲ八紘ニ宣揚シ坤輿ヲ一宇タラシムルハ実ニ皇祖皇宗ノ大訓ニシテ朕ガ夙夜眷々措カザル所ナリ・・・惟フニ万邦ヲシテ各〻其ノ所ヲ得シメ兆民ヲシテ悉ク其ノ堵ニ安ンゼシムルハ曠古ノ大業ニシテ前途甚ダ遼遠ナリ爾臣民益〻国体ノ観念ヲ明徴ニシ深ク謀リ遠ク慮リ協心戮力非常ノ時局ヲ克服シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼セヨ」
  • 東条英機「大詔を拝し奉りて」(1941年12月8日のラジオ演説)
    八紘を宇と為す皇謨の下に、此の尽忠報国の大精神ある限り、英米と雖も何等惧るるに足らないのであります」
  • 『我言霊』(控訴審公判調書第7回 1941年(昭和16年)1月23日)
    我国ニ於テハ第一豊葦原ノ千五百秋ノ瑞穂ノ国ハコレ吾子孫の王タルベキ地ナリ云々ト云フ天祖ノ御神勅、第二、神武天皇ノ八紘一宇ノ御勅語、第三、和気清麿ノ奏上シタ我国ハ開闢以来君臣ノ分定マレリ、云々ノ御神示、之ヲ我国ノ三大言霊ト云フノデアリマス
  • 石原莞爾(軍事思想家)『最終戦争論・戦争史大観』
    「昭和十三年十二月二六日の第七十四回帝国議会開院式の勅語には「東亜ノ新秩序ヲ建設シテ」と仰せられた。更にわれらは数十年後に近迫し来たった最終戦争が、世界の維新即ち八紘一宇への関門突破であると信ずる」
    「日本主義が勃興し、日本の国体の神聖が強調される今日、未だに真に八紘一宇の大理想を信仰し得ないものが少なくないのは誠に痛嘆に堪えない」
  • 鈴木安蔵マルクス主義憲法学者)『政治・文化の新理念』p. 44, 119 利根書房
    今日占領しつつある諸地方に限らず、今後、全東亜は言うまでもなく、八紘為宇の大理想が今や単なる目標ではなくして、その実現の前夜にある…
    東亜共栄圏と言い、八紘為宇と言うのは、わが指導権の範囲が一億同胞にとどまらず、全東亜、いな全世界におよぼすべき目標と使命と有する…
  • 中村哲「民族戦争と強力政治」『改造』p. 66 昭和17年2月号
    八紘為宇の精神が世界史の現段階において、いかに四隣に光被さるべきかの軌道を示し、東洋諸民族をして各々その所を得しむる偉大な国家的悲願の具体的発顕である
  • 平野義太郎マルクス主義法学者)『民族政治学理論』p. 259 日本評論社 1943年(昭和18年)9月
    八紘一宇の東亜政治の理想をその内在的な理念とする戦争論が樹立されねばならない
  • 蓑田胸喜反共思想家)「学術維新」(1941年(昭和16年))
    肇国の始めより『いつくしみ』『八紘為宇』の人道的精神を含蓄する日本精神は其世界文化史的使命に於いて、単に欧州的地方文化に制約された『民族主義だけの民族主義』を原理としてチェコ合併やポーランド分割の如きによって、直ちにその『一民族・一国家・一指導者』の国家原理に思想的破綻を来す如きナチス精神とは比倫を絶するものである。個人が人倫道徳に於いて超個人性を具現すべきが如く、民族国家も亦その思想精神に超民族性超国家性を含蓄啓示せねばならぬ。(p. 748)
  • 四王天延孝(反ユ思想家)「ユダヤ思想及運動」(1941年)
    次は八紘一宇の大理想を以て進むべき大日本帝国は宜しく清濁合せ呑むの慨を以てユダヤ人をも包容し、之を愛撫して皇化に浴せしむべきだ、基督教徒や回教徒と、ユダヤ人との在来の対立の如きは日本の徳により解消させ得べきである。日本自らがユダヤ人に対抗するが如きは自らを小さくするものであると云ふ風な議論であって、堂々たるものである。議論としては宜しいが、実際に於て日本の経済も、政治も、道徳も、思想も、教育も既に大部ユダヤ思想にむしばまれ穴があいてゐる。之を今修繕して何でも来いと云へる迄は暫くこの大風呂敷へ余り多くの物、殊にトゲのあるものや発火の虞ある品物など詰め込まない方が宜しい。前章に述べたベロックの対策にある異物除去を吸収や同化で行ふと云ふのであるが胃腸が不健全の場合には六ヶ敷い、ことによると胃潰瘍の素地がもう出来てゐるかも知れない。
    八紘一宇の大理想と云ふても、善も悪も皆共に抱擁すると云ふのではなく、荒振るものがあれば之を掃ってしまふことも八紘一宇の大理想に近く方法である。この頃八紘一宇と云ふ言葉が少し使ひ過ぎられる傾きがある。(p. 356-357)
  • 松本誠「第四回全鮮金融組合理事協議会開会の辭」 ─ 朝鮮金融組合連合会『第八回金融組合年鑑』(1941年(昭和16年))より
    諸君以上は我が金融組合が現下並に今後邁進すべき使命と目標に付てその大要に触れたのでありますが之を要するに今や世界史的一大転換期に当りまして
    我が肇国の大精神たる八紘一宇の大理想を顯現いたしますが為には国民生活の領域に立って之が指導を担当するわが金融組合の如きは最も真剣に其の指導理念の把握をなすの要ありとするのがその第一であります。
    就中半島刻下の要求たる皇国精神の徹底に協力して内鮮一体の理想達成を期すると云ふ事はその第二であります。
  • 宮城長五郎(裁判官、検察官、政治家)「法律善と法律悪」(1941年)
    我が日本は八紘一宇の肇国精神を具現実行すべく、敢然として立ち上って居るのでありますが、各国は皆夫々目指す処を異にして居るのであります。即ちドイツ、イタリア両国が人的全体主義国家であり、ロシアが共産的全体主義国家の建設を目賭してゐるのであるが、我が皇国は外国の国家建設を模倣する事なく、日本は日本独自の立場に立って、「八紘一宇」の精神を如何に具現すべきかを考へねばならぬのであります。
  • 宮本武之輔(技術者、企画院次長)「大陸建設の課題」内「興亜日本の技術者に望む」(1941年12月。初出:1940年1月)
    東亜の共同防衛、帝国主義的支配機構の廃絶、アジア的共同体制の樹立と新東方文化の昂揚を以て、その根本性格とする東亜新秩序建設は、東亜両民族の醇化統一による福利増進と共栄確保とを目的とする。従って東亜新秩序と東亜国防国家とは一にして二ならず、征服精神、侵略精神を含まず、八紘一宇の世界観に立脚して『しらす』ことを以て本質とする、わが国体の大義を恢弘することを指導原理とする。東亜国防国家は実に日満支善隣連環の東亜新秩序の上に構成せられなければならない。この故に東亜新秩序を目標とする経済ブロック建設と文化建設とは、アジア的共同体制における自給自足経済の確立と、東洋古来の精神文化と西洋近代の物質文化とを融合した東亜の新文化の創造を目標としなければならない。それが東亜国防国家の緊急の要請だからである。
  • 市丸利之助(軍人)「ルーズベルトニ与フル書」(1945年)
    畏クモ日本天皇ハ、皇祖皇宗建国ノ大詔ニ明ナル如ク、養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)ヲ三綱トスル、八紘一宇ノ文字ニヨリ表現セラルル皇謨ニ基キ、地球上ノアラユル人類ハ其ノ分ニ従ヒ、其ノ郷土ニ於テ、ソノ生ヲ享有セシメ、以テ恒久的世界平和ノ確立ヲ唯一念願トセラルルニ外ナラズ。
    之、曾テハ「四方の海 皆はらからと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ」ナル明治天皇ノ御製(日露戦争中御製)ハ、貴下ノ叔父「テオドル・ルーズベルト」閣下ノ感嘆ヲ惹キタル所ニシテ、貴下モ亦、熟知ノ事実ナルベシ。

諸外国による用例

アメリカは自国民に対し、映画で以て八紘一宇を以下のようにプロパガンダしようとしたが、公開前に終戦し戦争中に公開されることは無かった。

  • アメリカ合衆国旧陸軍省依頼「Know Your Enemy: Japan
    It is called as "Hakkō Ichiu". It became national ambition of Japan.
    [...]
    "Hakkō Ichiu" is coming true. Japs couldn't seem to make mistakes. [...]
    In 1927, one of them, baron Gīchi Tanaka made out a secret modern blueprint to archive this mad gree and handled it to the emperor. It is called a Tanaka Memorial, Japan's Mein Kampf.

戦後

  • 坂口安吾『安吾巷談-野坂中尉と中西伍長-』 1950年(昭和25年)文藝春秋第3号
    「私は日本映画社というところの嘱託をしていたが、そこの人たちは、軍人よりも好戦的で、八紘一宇的だとしか思われなかった。ところが、敗戦と同時に、サッと共産党的に塗り変ったハシリの一つがこの会社だから、笑わせるのである。今日出海を殴った新聞記者も、案外、今ごろは共産党かも知れないが、それはそれでいいだろうと私は思う。我々庶民が時流に動くのは自然で、いつまでも八紘一宇の方がどうかしている。八紘一宇というバカげた神話にくらべれば、マルクス・レーニン主義がズッと理にかなっているのは当然で、こういう素朴な転向の素地も軍部がつくっておいたようなものだ。シベリヤで、八紘一宇のバカ話から、マルクス・レーニン主義へすり替った彼らは、むしろ素直だと云っていゝだろう」
  • 宮本百合子『平和への荷役』 1948年(昭和23年)婦人公論7月号
    「一億一心」「滅私奉公」「八紘一宇」のスローガンを、かりにも批判し分析する者は非国民とされ国賊とされ、とされた。そして、治安維持法と戦時特別取締法により取締りの対象となった。
  • 橿原神宮(神武天皇を祭神とする神社『橿原神宮について』
    神武天皇の「八紘一宇」の御勅令の真の意味は、天地四方八方の果てにいたるまで、この地球上に生存する全ての民族が、あたかも一軒の家に住むように仲良く暮らすこと、つまり世界平和の理想を掲げたものなのです。昭和天皇に「天地のにぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」とお詠みになっていますが、この御心も「八紘一宇」の精神であります」

注釈

  1. ^ 森博達の研究によれば、この巻第三は帰化人山田史御方 によるもので和臭があるという[11]
  2. ^ 『晋書』武帝紀に「廓清梁、岷、包懐揚、越,八紘同軌,祥瑞屡臻」とあり、現代中国の代表的な辞書『漢語大詞典』では「八紘は広く天下を指し、八紘同軌とは天下一統をいう」としている。正史を元にした『三国志演義』では「四海為家」と言い換えている[13]。四海も八紘に同じ。
  3. ^ これは「仏法・覚道、即ち法華経の一念三千の法門、並びに日蓮の三大秘法の法門によって日本国の理義が明らかになり解決を得た」という田中の解釈である。
  4. ^ 田中澤二本人も選挙に立候補しているが落選した。
  5. ^ 1期目は繰り上げ当選であった。
  6. ^ 長谷川亮一は「ここに至り、「八紘一宇」は「肇国の精神」にして「皇国の国是」という位置付けを得、さらに、新たに提唱された「大東亜新秩序」(大東亜共栄圏)とも結び付けられたことになる」と解説している[21]
  7. ^ 例えば『讀賣報知』は「封建的な特徴が濃厚である漢字の存在が八紘一宇を批判する能力を阻害した」[32]と説き、『朝日新聞』は清瀬一郎の冒頭陳述を「八紘一宇や大東亜共栄圏や東亜新秩序の講釈を、今更きかされるとは思わなかった」[33]と揶揄している[34]
  8. ^ 一宇(いえ)とも書かれる[要出典]

出典

  1. ^ a b c d e 『日本大百科全書』(ニッポニカ)
  2. ^ 新明解四字熟語辞典』第2版、2013年。ISBN 9784385136226
  3. ^ a b 新田均 2003, pp. 106–107.
  4. ^ 『百科事典マイペディア』
  5. ^ a b 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』
  6. ^ a b 小学館デジタル大辞泉「八紘一宇」[1]
  7. ^ a b 三省堂大辞林「八紘一宇」[2]
  8. ^ a b 新田均 2003, p. 103.
  9. ^ 新田均 2003, p. 58.
  10. ^ 新田均 2003, p. 107.
  11. ^ a b 森博達 1999, pp. 216–218.
  12. ^ a b 橿原神宮について
  13. ^ 『三国志演義』第百二十回
  14. ^ 津田左右吉「日本歴史の研究に於ける科学的態度」二[3][4](「世界三」1946年(昭和21年)3月、津田左右吉歴史論集・岩波書店)
  15. ^ 小島憲之「作品の出典問題をめぐつて」[5](『上代日本文学と中国文学』上(塙書房、昭和三十七年)
  16. ^ 井上了「「八紘一宇」と曹植「大暑賦」と 」[6](「懐徳堂研究」10、2019年2月、大阪大学大学院文学研究科・文学部 懐徳堂研究センター)
  17. ^ 島田裕巳 2015, p. 28.
  18. ^ 近代デジタルライブラリー書誌情報 43036425 (p. 325) 原著p. 664
  19. ^ 『日本国体の研究』大正11年発行(2頁目)
  20. ^ 国会図書館デジタル化資料
  21. ^ 「十五年戦争期における文部省の修史事業と思想統制政策」p. 38
  22. ^ 神道指令(国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件(昭和二十年十二月十五日連合国軍最高司令官総司令部参謀副官発第三号(民間情報教育部)終戦連絡中央事務局経由日本政府ニ対スル覚書)) 一のヌ「公文書ニ於テ「大東亜戦争」、「八紘一宇」ナル用語乃至ソノ他ノ用語ニシテ日本語トシテソノ意味ノ連想ガ国家神道、軍国主義、過激ナル国家主義ト切り離シ得ザルモノハ之ヲ使用スルコトヲ禁止スル、而シテカカル用語ノ却刻停止ヲ命令スル」連合国軍最高司令部指令(文部科学省)
  23. ^ 清水芳太郎『建国』(平凡社、1939年)、8-9頁
  24. ^ 文藝春秋「三原じゅん子が国会質問で取り上げた『八紘一宇』を広めた男」、2015年7月号
  25. ^ 安江弘夫『大連特務機関と幻のユダヤ国家』(八幡書店、1989年)103-104頁
  26. ^ 上杉千年『ユダヤ難民を助けた日本と日本人:八紘一宇の精神日本を救う』神社新報社
  27. ^ 国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件(昭和二十年十二月十五日連合国軍最高司令官総司令部参謀副官発第三号(民間情報教育部)終戦連絡中央事務局経由日本政府ニ対スル覚書)
  28. ^ 関野通夫『日本人を狂わせた洗脳工作 いまなお続く占領軍の心理作戦』 (自由社ブックレット、2015年)
  29. ^ 文部科学省資料 連合国軍最高司令部指令”. 2016年12月15日閲覧。
  30. ^ アジア歴史資料センター (JACAR) リファレンスコードA08071307000 A級極東国際軍事裁判記録(和文)(No. 160)(105, 106枚目画像)(E-86, E-87)
  31. ^ 読売新聞』1967年3月10日付
  32. ^ 「漢字を廃止せよ」昭和20年11月12日付
  33. ^ 天声人語」昭和22年2月28日付
  34. ^ 黒岩昭彦 2022, p. 133(初出は「戦後史のなかの「八紘一宇」」『國學院大學研究開発推進センター研究紀要』16、2022年)
  35. ^ 国会会議録
  36. ^ 佐高信 (2016年9月26日). “自民党からリベラルの灯が消えた 加藤紘一の死”. Diamond Online. ダイヤモンド社. 2019年8月19日閲覧。
  37. ^ a b “平和の継承 戦後76年みやざき ■ 4 ■ 小中生 意義考える機 修学旅行で背景学ぶ動き”. 宮崎日日新聞 (株式会社 宮崎日日新聞社): p. 23 【社会】. (2021年8月14日) 
  38. ^ 造幣局七十年史』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2019年10月21日閲覧。
  39. ^ 被服協会 1940, p. 23.
  40. ^ “平和の塔4像組み立て原図 宮崎市の森川さん調査”. 宮崎日日新聞 Miyanichi e-press (株式会社 宮崎日日新聞社). (2015年9月23日). https://www.the-miyanichi.co.jp/kennai/_14721.html 
  41. ^ Wikioedia日本語版記事「八紘之基柱」内戦後節及び構造節に出典付き記載あり






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